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119:グランドゼロ

 河川敷に沿う緩やかな歩道を歩いていく。

 まだ春先の暖かさを残す風が、澄んだ川の水に触れて水面を揺らした。空は高く見える晴天で、雲一つない。

 散策で訪れるなら、気分の癒える風景だった。しかし、そこを歩く二人は世間話すら発することができずにいた。それどころか、心地いいはずの気温なのに額には玉の汗が浮かび、顔色は血の気を感じさせないでいる。自然と、眉間にしわが深く刻まれていた。

「……紫雨」

 一歩前を歩く清十郎は、ぼそりと声をこぼした。

「大丈夫か」

 返事はすぐに返ってこなかった。やがて低い呼吸音とともに、テンションの落ちた声で紫雨は返した。

「大丈夫に見えますか……今にも吐きそうですし、頭痛もひどいんすけど」

「……すまんが、気遣ってやれん。もうすぐだ、無理してでもついてきてくれ」

 清十郎が振り返った先にいる紫雨は、腹部を抑えつつ浅い息をついていた。かなり体力と気力を消耗しているのは一目瞭然だった。当の清十郎ですら、めまいと吐き気を覚えだしていた。

 長く続く道路の先、陸橋を挟んだ隣の区画に、それは見えた。

 遠くからでも視認できる、まるで監獄を隔てるようなバリケードが、区画一面をぐるりと囲っている。

 人気はない。それもそのはず、今まで歩いてきた道の中、誰かとすれ違うことすらなかった。もうこの河川敷は、バリケードで囲まれた区画、あかね団地にしか伸びていない道なのである。

 錆の目立つ陸橋を登ると、清十郎の頭は強い揺れを感じた。それがめまいであり、思わずバランスを崩して膝をついていたほどのことで、事態の深刻さを改めて知る。

 汗だくになりながらもたどり着いた陸橋の先。小さな広場から続く道は、遠目でも見られたバリケードで遮断されていた。

 近隣住民に説明もなく設置されたバリケードと、悲劇的な事件が起きたことで、ここは心霊スポットとしても知られている。バリケードの一部には、肝試しで訪れた人間の落書きなどが見られるが、良く目にする心霊スポットよりも荒れてはいない。

 スプレー缶で書かれていた落書きは、大半が途中で止まっていた。装飾文字なり、絵なり、まるで書いている途中で「何かを見て」逃げ出したような……そんな見方ができた。

「それより大場さん、どうやって中に入るんです?」

 バリケードを仰ぎ見ていた清十郎は「こっちだ」と小声で言い、歩き出す。バリケードを半周したころに見えてきたのは、壁と一体化しているドアだった。

「開くんですか、これ……ずいぶん錆びてますけど」

 紫雨がぼやくが、清十郎は答える前に右手へ精神を集中させた。

 空気中の水分を焼いた臭いとともに、清十郎の右手には蒼いスパークをまとう一振りの太刀が握られていた。

 まさか、と紫雨が口を開く前に、清十郎はドアに向かって上から下に刃を一閃させる。

 まるで落雷を思わせる衝撃音が響いた。その後、ドアは鈍い音を立ててゆっくりとバリケードから身をはがし、倒れる。

「いや、犯罪でしょうよこれ。普通に。器物損壊」

「誰も見に来やしねえよ」

 悪びれる様子もない清十郎は、倒れたドアを踏んでバリケードの中へと入って行った。紫雨は苦い顔で後に続き、

「……!?」

 不意に体を襲った重圧に、びたりと足を止めてしまった。まるで重力が何倍にもなったかのような重さが、体中にまとわりついてくる。その洗礼は清十郎も受けていたようで、入り込んだ場所から進んではいなかった。ただ、目の前……バリケードの中に閉じ込められたものの景色に言葉をなくしている。

「……悪夢だ」

 声を出さなければ、嘔吐してしまいそうだった。紫雨は清十郎と同じく、あかね団地と呼ばれるものの正体を見て、奥歯を強くかみしめる。そうでもしないと、心がどこかへ連れ去られそうな気がした。意識をはっきりと保ち、改めてその光景を見やる。

 全壊している棟もあれば、半壊して形の名残を見せている棟もあった。

 この団地は近年の建築物で、どこにでもある普通のコンクリート製の団地のはずだ。

 そのコンクリートでできた壁や部屋、天井に屋上と、すべての部分が溶けて落ちた形跡を見せている。中には当時の生活を残したまま、棟が溶けてしまっている場所もあった。

 紫雨が思い出したのは、小学校の頃修学旅行で言った広島での、原爆ドームだった。

 この団地には、建物をも溶かす熱が落ちてきたのでは、と思うほど、どの棟も溶けかけて崩壊している。

 それだけでなく、おそらく人であったであろうという「痕跡」も見ることができた。時間がたって色が変わった血の飛沫。影だけ残して身を消滅させた人型の焼け跡。それらを見れば、今にもこの場で助けを求める声や悲鳴が聞こえてきそうな気がした。

 いや。紫雨の耳には遠くから声が聞こえ始めていた。幻聴などではない。ここには、呼吸をも困難にする濃度の「怨念」が満ち溢れている。

 熱い。痛い。熱い。苦しい。熱い。助けて。死にたくない。死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 どしん、と背中に何かがぶつかった。それが地面であり、紫雨は自分が勢いよく倒れたのだとわかるまで、少し時間が必要だった。駆け寄った清十郎が声をかけて手を差し出すが、もう耳には清十郎の声は届いていなかった。

 それでも、このままでは危険だという危機感から、紫雨は強引に意識を揺さぶり心に張り付いていた怨嗟の声を振り払う。

「おやおや、こんなところで会うとは奇遇……と言えばいいのか」

 あまりにも場違いな、のんびりとした声は、脳にまでまとわりつく恨みの声を貫通して耳に届いた。それが皮肉にも、現実へと立ち返るきっかけとなり紫雨は何とか立ち上がることができた。相手は……最悪だというのに。

「天宮一式……っ!」

 比較的霊障によるダメージが低い清十郎は、両手に稲光をまとう太刀を生み出す。だがこの場が発する怨の力により、横顔には余裕が見られない。

 一方。団地の奥からのんびりとしたあゆみで現れた男は、赤銅色の髪を乱暴にかき上げ小さく笑った。

「お前たち、何をしにきたのだ? ずいぶんとひどい顔をしているぞ」

「うるせえ……てめえこそ、ここで何してやがる!」

 うめくように言う清十郎の言葉に、天宮一式はあっさりと答えた。

「個人的な視察といったところだ。この地は興味深いサンプルそのものだからな」

 そう思わんか、と天宮一式はつぶやいた。それの意味が分からず、清十郎も紫雨もすぐに言葉を返しきれない。その戸惑いをついて、天宮一式は続けて言う。

「いわばここは爆心地。輝く夜の女王が降臨するのならば、こうした趣でなければならんと思うのだ」

 じり……と、背筋を焼く強い熱が、清十郎と紫雨の顔を真上へと誘導した。

「今もこうして「名残」が降りようとしているほどだ。やはりこの地は、面白い」


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