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112:獣との取引

 その後、組手で意識を失うこと二回、動けなくなるほど痛打を受けること数回。

「実戦を得て多少マシになったと言えるが、まだまだ雑な動きが多すぎる」

 本堂の畳の上で、大の字になって倒れる巳影は、かろうじて残っている意識で師匠、比嘉葵からの酷評を耳にしていた。一瞬でも気を抜けば、疲労とダメージでまた意識が飛んでしまいそうだ。巳影は何とか背中を畳の上から引きはがし、上体だけでも起こして気を持ちなおそうとする。

「そ……その雑な動きとは、どの辺に出てますか……?」

 食らいつくだけでも必死だった。ほとんど防戦一方なのだが、一向に隙を見せずこちらが攻撃する時間さえ与えない。どこが問題なのか……と、藁にもすがる気持ちで問うも、比嘉は温度を感じさせない目で一瞥し、

「すべてにおいて、だ」

 と、軽く肩をすくめてみせる。それに巳影の体は更なる疲れを覚え、崩れ落ちる寸前だった。

「少し休憩しろ。井戸で頭を冷やして、呼吸を整えてこい」

 本堂に一人きりとなった巳影は足を崩し、大きく深呼吸する。それでもあがってしまった息はなかなか落ち着きを取り戻さず、鈍い痛みだけが体に染みていく。

「……だめだ、このままがむしゃらにやったって、なんの意味もない……」

 改めて、ここに来た理由を思い返す。

 強さが欲しい。『茨の会』に何度でも立ち向かえるだけの力と心が。しかし期限は一週間。

 師匠を超える? 現実的ではない。新たに技を習得する? 奇をてらっても、次の瞬間には対策が立てられてしまうだろう。

 ならば力か、速度か、防御か、精神力か……しかし、どれも一週間で身に着くものではない。闇雲やたらと強さを求めても意味はない。

 武道とは、心の在り方だ。心技体は、まず心がありき。スタート地点ともいえる。

 今、自分にある心はどうだろうか。危機感と焦燥感で焦げ付き、余裕をなくしている。

「……くそ」

 力なくつぶやいて、全身を走り回る痛みをこらえながら、古寺の裏手にある井戸へと向かった。裏手は山深い中にありながらも、数少ない陽の光が届く広場となっていた。それを利用し、比嘉葵は畑を作って野菜などを育てていた。

 高く上に登った太陽を見上げる。時刻は昼過ぎといったあたりか。ひとまず、と巳影は煮え切らない頭を冷やすため、井戸から桶で水を汲み、頭からそれをかぶった。井戸水はとてもよく冷えており、痛みでほてった体にはちょうどよい水温だった。

 もうひとつ水をかぶり、息をつく。頭は冷えたものの、感じたことや今思い浮かぶものに違いはなかった。

「せっかく、相手を捉えたというのに……こんな体たらくじゃ……」

 『茨の会』。相手は仇敵というだけでなく、今や大切な存在となった友人たちの故郷を、おぞましい形で脅かそうとする企てまで持っていた。その企み事は、着実に進みつつある。

『追いつめられているな』

 前髪をつたう水雫が、ぽとりと土の上に落ちた。

「……なんだよベタニア。お前から声をかけてくるなんて、最近じゃ珍しいじゃないか」

 井戸の側に座り込み、差し込んでくる日差しに体をさらす。冷えた風が傷だらけの体には心地よかった。

『一つ、取引をせんか』

 頭の中に住まう獣の言葉に、巳影は目を丸くして間の抜けた声を漏らす。

「と、とりひき……?」

『宿主のお前にこのまま死なれては、私としても困る。このまま無為に訓練を続けても、特に発見はないだろう。大きくレベルアップするには時間がない』

 ベタニアの淡々とした物言いに、言葉を返すことができない。今まさに、その悩みの最中にいたのだから。

『そこで取引だ。私の力を、今まで以上に貸そう』

 獣の声はあくまで淡々とした、温度のないものだった。そこに寒気を覚えつつも、巳影は言葉を口にする。

「じゃあ……その代償は?」

『そう怯えるな、取って食うわけではない……いや、ある意味「食らう形」となるか』

 ずらりと牙の並んだ獣の口が大きく開いた。

『更なる力を求める戦いでの主導権を、すべて私に譲渡しろ』

 獣はまっすぐにこちらを見つめている。脅すわけでも、笑うわけでもなく。

『むろん、その戦闘の間だけで構わん。わかりやすくいえば、肉体をバトンタッチするようなものだ。お前の意識が引っ込んでも、消滅するわけではない。戦闘が終われば、主導権をまた戻す』

 ベタニアの声を聞きながら、まだ痛みの残る腕に力を入れる。

 勝てない。このままでは。自分の力だけでは。

「……ベタニア、お前の目論見はなんだ。自由を求めるならいっそのこと、俺の体をずっと乗っ取っていればいいのに」

『下らん勘違いをするな。私の牙は何のためにあると思う』

 熱が吹き上げてくる。足の指先から膝、腰。頭部から両肩、両腕に、手に、その爪の先に至るまで、猛る赤い風が全身を包み込んだ。

『私の牙は、相手をかみ砕くためだけにあるのだ』

 熱の嵐は大地を焦がす臭いを残し、静かに巳影の体の中へと戻っていった。

『それに、今のお前の体を奪ったところで、私のフルパワーには耐え切れない。互いに一時的なギブアンドテイク、というやつだ』

「……」

 先ほどまで駆け巡った熱の余韻を手のひらの中に感じつつ、巳影はしばし押し黙った後につぶやいた。

「……わかった。その話に……乗るよ」

 全身に浴びたはずの井戸水は、すっかりと蒸発して稽古着の袴を乾かしていた。


 □□□


「知らねえガキがいる。あの女の身内か?」

 崖のわずかな突起に身を預け、古寺を見渡せる高度で無線に声を投げた。

『弟子、らしいですが我々の脅威ではなさそうですね。むしろ盾に使えそうじゃないですか』

 返ってきた言葉に、そりゃそうだと低い声で笑った。

『我々呪術師をなめているとどうなるか……あの女に知らしめておかねば、ね』

「いつ仕掛ける」

『今夜にでも……ふふ』


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