111:トリガーを手にして
騒然となってきた住民たちを落ち着かせ、比嘉は巳影を引っ張り山の上の古寺へと戻った。本堂で腰を下ろした後、比嘉は「話しておくか」と気乗りのしない様子で口を開いた。
「先月、某国の要人警護の依頼を受けた」
比嘉はこの山で自給自足の生活をしているが、時折危険な仕事を引き受けることがある。どうしても現金が必要な時や、古くからの付き合いなどで、持ち前の力を頼りにされることもあった。
「その時護衛対象を暗殺しようとしてきたのが、さっき話した二人組の呪術師どもだ」
守秘義務があるためと詳しくは聞けなかったが、ターゲットにされた要人は悪人の類ではなかった、ということだけが聞けた。
そこまでを知って、巳影は眉をひそめた。
「それが、なんで護衛の仕事を終えた今でも、師匠に突っかかってるんです?」
「連中が仕掛けてきた時、コテンパンにしたからな。それが気に食わなかったんだろう」
「そんなの、ただの逆恨みじゃないですか!」
憤る巳影に比嘉は「まったくだ」と小さく息をつく。
「適当にあしらっていれば、と思っていたが……執念深い奴らだったようでな」
これまでに何度かの小競り合いがあったという。比嘉は追い返す程度にとどめていたが、その態度がより呪術師たちの恨みを買ったらしい。
「そいつら自身、戦闘力自体は大したことはない二流の術師だ。だが搦め手で攻めてくる。そのうえ身を隠すことだけはたけているようでな……煮え切らん状況が続いているのだ」
「なるほど……」
思った以上に質の悪いトラブルだ。それも、比嘉葵という人間にとって、搦め手とはベターな選択だと言える。
「町のご老人たちに被害が及ぶ前にたたかねばならん。次は容赦せんさ」
比嘉葵は強面であるが、人情家でもある。関係ない人間が巻き込まれるのを、ひどく嫌い許すことはない。それは美徳ともいえるが、弱点になっているともいえる。いくら比嘉とはいえ、一人では守れる人間の数は多くない。
そして、事を構えている相手は、比嘉の弱味に付け込んできている。テキスト通りの攻め方だ。
「師匠、俺も手伝います。修練のこともありますが、まずそいつらが気に食いません」
力んで言う巳影に対し、比嘉は首を横に振る。
「だめだ。お前はそんなことのために戻ってきたんじゃないだろう」
「でも……!」
「相手は二流、といったが……それはあくまで私の視点からだ。今のお前からすれば、かなりの脅威となる。それに、呪術師自体を甘く見るな」
真正面から正論を返され、巳影は言葉を喉の奥に押し返される。
「それに心配せんでも、私一人で十分カタが付く。お前は気にせんでいい。そんなことより、お前にはやるべきことがあるだろう」
「わ……わかりました」
消化不良の気持ちを持ったまま、巳影は渋々うなずいた。その拗ねたような、むくれた顔に比嘉は嘆息を落として立ち上がる。
「え、何を……」
巳影が言葉を言い終える前に、ひたりと比嘉の人差し指が巳影の額を突いた。ただ触れただけにしか見えない動きに、巳影は大きく頭を揺らした。わずかに後ろへと下がりかけたかかとが、見えない何かを踏んだかのように宙で動きを停止させた。
のけぞりかけていた巳影の上半身が、ゆっくりと起き上がる。
「しばらく見ないうちにずいぶんと無口になったな、ベタニア」
比嘉は呼びかけた相手の瞳を凝視した。そこには、何も映らない誰もいない、黒くて濁った深淵があるだけだった。
その深淵が、のぞき込もうとする比嘉を捉えてつぶやいた。
「それはしゃべる必要がなくなってきたからだ、比嘉葵」
何重にも重なった、合成音のような声が巳影の口から吐き出される。男とも女とも取れない、不可思議な声だった。
「あの地へと訪れた飛八巳影を待っていたのは、難敵との連戦だった」
「……土萩村のことか」
つぶやいた比嘉に、声の主は少しうれしそうに笑みを作って見せた。
「戦うたびに私の力の解放にも慣れ、馴染ませていった。そしてこの体も私に馴染みつつある」
声の主ベタニアはいびつな笑みを浮かべたまま、喉の奥でくつくつと笑う。
「だが、別に飛八巳影の邪魔をするわけではない。この体が次のレベルに上がれるのなら、私としてもそれに越したことはないのだ」
「……前言撤回。やはりお前はおしゃべりな獣だな」
比嘉は眉を寄せ、露骨に不機嫌さを顔に出した。
「巳影の修練には手を貸してやる。お前も今まで以上に力を発揮できるやもしれん。しかし」
よどみのない動きで手をあげて、またしても比嘉は巳影の額へと指を立てて言った。
「力を行使する引き金は、人間の決意で引かれる。お前たち獣ではないことを、肝に銘じろ」
「……それはお前個人の考えか。それとも……お前たちの目指すもの、か?」
笑みの形にゆがんでいた表情が、とても冷たいものへと変わった。しかし比嘉は一向にひるむこともなく、額に向けた指に白い灯を宿した。
「私の青臭い人間賛歌だよ」
白く揺らめいた灯が一瞬にして膨れ、はじけ飛んだ。しかし、すぐさま薄暗い本堂の色が影をしみこませ、光をなかったことにする。
畳の上で倒れた巳影は、頭を抱えながら呻き声を上げた。
「あ、あれ……何の話でしたっけ」
「……。お前はお前の目標に専念しろ。ただし、力の使い方を間違えるなよ」
軽く構えをとった比嘉を前にして、巳影は固唾をのんだ。膨らんでいく緊張感が、同じ構えをとる巳影の体を重くさせた。しかし、と巳影は一歩前へと踏み出す。
「行きます!」
さらにもう一歩を踏み出して、その勢いのまま、巳影は比嘉葵へと突進していった。