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107:確定されたパンドラの箱

 どしん、と強くものをたたく音が入り込んだ。上からだ。おそらく、異変を感じ取った神木や、その生徒たちが駆けつけたのかもしれない。

「来客か。俺は退散しよう」

 『響鬼』は指先の火に息を吹きかた。その火が消えると同時に、スクリーンと化していた壁一面に浮かぶ光も消えてしまった。地下室は元の薄暗さを取り戻し、『響鬼』はのんびりとした動きで時計盤から腰を上げた。

「ま、待って……! まだ聞きたいことが……」

「遠からず、分かることだろう。天宮一式と相対するつもりなら、嫌でも思い知ることになる」

 蝶子が駆け寄ろうとした背中が、目の前で暗がりの中に溶けていく。伸ばした手は何もつかめずに終わり、つまずいた蝶子は固い石の畳に膝をついた。じくり、と膝に痛みが生まれれる。

「……私は、私は……何も……何を……」

 禁を冒し、封印をこじ開け、事態の進展を狙った。だが実質は空振りどころか、厄災を招いてしまう始末に終わった。

 必要悪。またしても、高橋京極が口にした言葉を思い出す。

「……違う」

 もう、それですらない。この最悪の結果は、自分の情けなさが生んだ、自分の弱さが招いたものだ。自分が必要悪であるというのなら……それは体のいい言い訳にしかならない。

 地下室へと通じる戸がこじ開けられ、神木たちが駆けつけるまでの間、蝶子は膝をついたまま罪の意識に撃ち貫かれ、茫然としていた。


 □□□


 空は日光の明かりをふさぐ雲で埋め尽くされ、朝だというのに薄暗い天気になっていた。そんな空を二階工房の窓から眺める神木の表情は険しい。地下室からは数分遅れでたどり着いたししろが中心となり、状況を調べていた。

 蝶子は、気を失っていた。備え付けのソファに寝かせているが、生気が感じられない。顔色も悪く、呼吸は浅いものだった。

「危惧した通り……最悪の結果ですわ」

 地下室からもどったししろと紫雨は、二人そろって暗い表情を浮かべていた。

「正規の手段で『独立執行印』が解除されてたよ。もちろん、その中に閉じ込めてた『響鬼』は当然抜け出してる。もぬけの殻だよ」

 紫雨が肩をすくめて言った。その隣で、ししろは眉間にしわを作りながらため息をついた。視線の先には、寝込んだままの蝶子がいる。

「なんでこんなアホな真似したんや……テンパるにもほどがあるで」

 ししろがこぼした言葉に、神木は目を強く閉じた。

「昔から責任意識だけが強いんだ。後手にしか回れない現状に焦り、彼女は自分ができることを思案したんだろう」

 神木は吐きだしかけたため息を飲み込み、いつの間にか俯いていた顔を上げる。

「過ぎたことを悔やんでも仕方ない。今できることを精査して、慎重に動こう」

 できるだけ声を張って言ったつもりの神木だったが、同室に控えていた切子や巳影、ししろと紫雨の表情は、暗く重い。外に出て煙草を吸ってくるといった清十郎も、その背中はどこか重たそうに見えていた。

 その様子はスピーカー越しにも伝わっているらしく、スマートフォンから聞こえてくる帆夏の声もどこか浮かないものだった。

『うーん、気分転換が必要だと思うけど……』

 気持ちの切り替えが必要だとは、全員も思っている。しかし切り替えることができても、この現状にどうすればいいかという壁には、どこへ行こうが当然のように突き当たってしまう。

「……どん詰まり、か」

 二階工房へと姿を見せた清十郎は、静まりきった空間を前に苦い顔を作っていた。


 □□□


 濃い闇で染まった本堂の正面。目の前に祀られた仏像は大きく、しかしこの薄暗い空間の中ではその顔を拝むことは不可能だった。周囲に建てられた像のどれも、天井を、梁すら見せない黒い影に覆われている。

 光源といえば、部屋の四方に建てられた灯篭の明かり程度だった。その中で燃えるろうそくが、一瞬風になびいた。

 仏像の前であぐらをかいていた天宮一式が、ふと顔を上げる。

「久しいな、天宮」

 天宮一式の隣に、軍服を身にまとった男が現れる。深くかぶっていた軍帽のつばを指で押し上げ、荒々し笑みを口の端に浮かべた。それに天宮は顔を上げて微笑んだ。

「無事出られたようですね。黛時啓殿……いや、『響鬼』」

 そう言って、ふと天宮は眉を片方だけつり上げた。その表情に『響鬼』は思い当たるものがあったのか、先に口を開く。

「俺の善性は切り離しておいてきた。俺の存在に密度が感じられないのはそのためだ」

 『響鬼』の言葉に天宮は「なるほど」とうなずく。

「ん? その肥後守は……」

 天宮が座る前には、数本の肥後守が刃を折りたたまれて並んでいた。

「ほほう、俺が眠っている間に、ずいぶんと進捗があったようだな」

「はは、しかしこれはまだ課題が残っていましてね……ほめてもらえるような結果は、まだ出せていないんですよ」

「しかし。これはお前が発案した『桂冠計画』の産物だろう。もう人を鬼以上にできるのではないか?」

 『響鬼』は手近にあった肥後守をひとつ、無造作につかみ上げる。

「持続時間と精密性に問題があります。あなたが封印されてしまってからは、こちらも手探りでやるしかありませんでしたので」

「ふむ。トライアンドエラー、というものか」

 天宮も一刀の肥後守を手にすると、刃を押し出してつぶやく。

「それに、通常空間で効果をもたらすには、やや出力不足。理想はやはりこの町という空間を『土萩村』へと戻すこと、ですね」

「……。それは建前、であろう?」

 笑みを消して言う『響鬼』の言葉に、天宮は苦笑めいた笑みを漏らす。

「そうですね。もう一度()()と巡り合うため……そのための舞台装置でしかありません」

 刃を折りたたんで、肥後守を床へと戻した。

女王(かのじょ)の降臨条件は、この世界を『月人』で満たすこと。その領域まで、あとひと踏ん張りです」

 天宮の笑顔はハツラツとしていた。さわやかなもので、頬はやや紅潮している。

 その瞳には邪気すらなく、そんな表情の天宮を見て『響鬼』は喉の奥でくつくつと笑った。


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