104:桂冠計画
一同が気持ちを落ち着けることができたのは、戦いから一時間も過ぎてからであった。
『黛書房』の二階工房、巳影は備え付けのソファーに腰を下ろし、蝶子が入れてくれた紅茶をすすって、深く息をついた。ついつい吐いてしまうため息を、少しでも紛らわせたかった。
巳影の疲労に気づいたのか、先ほどからチクタクが膝の上に乗ってこちらを見上げていた。つぶらな瞳からは、心配そうにしているといった視線を感じる。
「さて……これからどうするか、だね」
同じく紅茶の入ったカップを手に持ちながら、神木は小型サイズのミニテーブルの前に着いた。同じくそこに着く切子と蝶子は、ミニテーブルに置いた紅茶に手も付けていない。疲労の色が強いだけでなく、進むべき道が見当たらない不安に、表情を曇らせていた。
「……明日にでもししろたちに話して全員で検討すべき、だと思います」
重たい空気の中、肩を落としたままでいる切子がつぶやいた。その中でもなんとか顔を上げてつづけた。
「少なくとも、現時点でどうこうできる手札はありません」
「そうだね。でも、方針は決めておいた方がいいかな、って僕は思ったよ」
「ほーしん?」
神木の諭すような優しい口調に、外に出て一服してきた清十郎が、姿を現しながら言う。
「そう、方針さ。つまりは……絶望感たっぷりのまま負けを認めて楽になるか。それとも光明ささない暗闇の中で強引に道を作るか……それだけでも決めておこう」
神木の口調は穏やかなものだった。責めるわけでもたきつけるわけでもない。緩やかに現状を語った、それだけだった。沈黙が、ひたりと張り巡らされる。
「冗談じゃねえ」
一番早く沈黙の水面に波紋を作ったのは、清十郎だった。清十郎は階段の柱に背を預けながら、腕を組んで鼻息を荒くした。
「俺はあの連中が許せねえ。正直町をどうこうよりも、俺には私怨がある。来間のクソ野郎にも高橋のゲス野郎にも……そいつらを束ねてるっていう天宮って王様気分な野郎にも。一発ぶん殴ってやらねえと気が済まねえ」
強く手を握りしめ、憤りを現す清十郎に、切子は小さく苦笑した。
「……そうだね。私はこの町を守りたい、この町に住む人たちも守りたい。その気持ちは、どんな状況になろうとも変わりません」
再び顔をあげた切子の目からは、迷いや怯えといった感情は消えていた。
「俺も、大場さんと似た理由があります」
ソファーから立ち上がり、空になったティーカップをミニテーブルの上に置いた巳影は、肩によじ登ってくるチクタクが落ちないよう支えながら言う。
「単なるかたき討ちであると同時に、真実を知りたいんです。何故俺の住んでいた町が燃やされたのか、みんなが殺されたのか。……『茨の会』が何を企ているのか。そのうえで連中がまだ何かを壊すつもりなら、今度は俺が全力で連中をぶっ潰します」
チクタクが、ちょこんと跳ねてミニテーブルの上に立った。器用に頭を持ち上げると、うつむいたままの蝶子へ心配そうな鳴き声をかける。
「……ちょーこ」
「……うん、わかってる。私だけ泣き言吐いても始まらない」
蝶子は顔を上げて、ゆっくりと立ち上がった。その肩へ、チクタクが跳ねて登っていく。
「高橋くんは……『茨の会』は、またここの独立執行印を狙ってくると思う。後手に回ることになるけど、逆にみれば……ここで相手を確実に迎え撃てる。ならいくらでも対策を練られるわ」
「満場一致だね」
神木はうなずいて、ティーカップの中の紅茶を口に含んだ。同じくうなずいて返すそれぞれの瞳には、先ほどまでの暗い光は宿っていなかった。
「とはいえ……もう今日は遅い。みんなは僕が送るから、解散としよう。そして明日の朝にでもまた集まろう」
明日も連休なのは、幸いなのか災いなのか。神木がそんな皮肉を言葉の最後にぶら下げ、それに皆は小さく笑った。
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「夢とはいえこれで三度目となると……やはり君とは強い縁でつながっているようだ。いや……因縁、ともいうべきか」
初老の男が言う。当人の言う通り、三度目ともなればぼやけている相手の容貌は実像になりつつあった。その姿には、やはり記憶と一致するものがあった。
深くかぶった帽子から見える、猛禽類のような眼差し。広い肩幅のため、体躯はがっしりとした印象を受ける。
蝶子から見せてもらった、修復した写真の写る人物の一人。
「いい加減名乗るべきだが、もう君は私を知っているようだ。省いてもよかろう」
こちらが様子をうかがっていると、初老の男は腕を組み、細い顎に手をやった。
「酷く疲れているね。まるで負け戦でもしてきたかのようだ」
自分は今立っているのか、それとも浮かんでいるのかさえも分からず、自身の心さえ曖昧だった。だからか、何のためらいもなく体験した出来事をこぼすように話した。
こちらの話を聞いた初老の男は、険しい目をさらにとがらせた。
「そうか……戦ったのだね。『土萩村の住民』と」
あれは、何なんだ。そんな風に尋ねた。すると、初老の男はわずかに黙った後、首を横に振ってから口を開く。
「……異界となった『土萩村』に適応した人類……いや、もうあれはヒトではない。我々『月輝ル夜ノ部隊』の創り出した、化け物だ」
創った?
「君は『桂冠計画』についてどこまで知っている?」
聞き覚えがあった。あの帳簿から蝶子が拾い上げたものだ。
「知っているのならば、もったいぶっても意味はないな。あれは、天宮一式のもとで行われた大規模な、しかし秘密裏に行われた人体実験だ。……『土萩村』そのものを舞台にした、な」
腐臭が漂ってきたような気がした。もうその村の名を聞くだけでも、体が硬くこわばっていく。
「君が戦った異形の巨体の正式名称は『月人』。鬼の力と業を、人間へと移植した『土萩村の住民』そのものだ」
言葉が、気持ちや感情に追い付かない。まるで、思考の渦の中でおぼれているようだ。
「異界と化した『土萩村』に住まう真の住民を創ること……それが『桂冠計画』だよ」