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103:飢える大地と乾く空

 殺気と殺意、敵意の視線。強引を超える横暴なまでの、飢餓感。

 食わなければ、食われる。人間であるなら本来味わうことのない、食物連鎖における被食者としての恐怖。

 それらを凝縮し拡散された赤い空に下で、蝶子は動けずにいた。

 あまりに異質な、普段では感じることのない威圧感は、細身のその体をすりつぶしそうなほど絡みつき、押しつぶそうとしていた。

 息が荒い。うまく呼吸が、肺が機能しない。体中から汗が吹き出し、しかし体は冷たく固まっていた。

「大丈夫」

 凍り付いていた意識に、ふとぬくもりがさした。震えて怯える蝶子の手は、同じく震えながらもしかし、力を手放そうとしない意思を持った手に握られていた。

「神木くん……」

 いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこには顔をこわばらせながらも、決して目の前から視線をそらすことなく構えていた神木の横顔があった。

 大きく響く、聞いたことのない獣が断末魔の叫びを吐きだしていた。大場清十郎、柊切子がほぼ同時に異形の化け物を撃破した。もう一体は飛八巳影により圧倒され、倒れる寸前に見えた。

 こちらへ……蝶子と神木のいる場所へと走ってきた異形は、少し手前で身動きを止められていた。その体には、霊気で作られた糸が絡みつき、分厚い筋肉を持つ異形の巨体を縛り付けている。

 神木の息も荒い。神木の手から光る、伸ばした霊気の糸……『悪性理論』には、パワーがない。縛り付けてはいるが、すぐにその糸は乱暴に引きちぎられ、ほどかれていく。だがその糸が消える前に、次々と新たに生みだされた糸が何度も何度でも異形に絡みついてた。

「根比べなら、負けないさ」

 異形は明らかに苛立ちの気配を見せていた。だが異形がむきになって糸を払い取ろうとすればするほど、糸は倍になってその巨躯に絡みついていく。

 しかし神木から見られる消耗は息切れだけでなく、震える膝や大量の汗などが合わさっている。単に自分の力を使っているから、だけではない。この異常な空間が過度なストレスの元となっていた。

 息をすれば喉の奥まで張り付く血の臭い、絶えず向けられる捕食者の意思、どす黒くも赤い空。こんなイレギュラーだらけの状態で、実力を出し切れるという方がおかしい。神木の顔が疲労によってゆがむ。奥歯をかみしめ、それでも何とかと糸を放ち続けた。

 その膝が震えていた。地面へと落ちる寸前まで折れていく。異形がそれを理解したのか、巨大な口が笑みを作ったように見えた。が、その横っ面が強力な力の衝突によりゆがみ、大きく体を揺らした。

「待たせたな、センセー!」

 清十郎が放った太刀の落雷が、隙だらけであった異形の頭を撃った。しかし、異形は体をぐらつかせただけで終わり、何事もなかったように頭をもたげる。

 残った最後の異形から出る敵意が、走りくる清十郎に向けられた。『悪性理論』の糸を振りほどき、筋肉を膨張させた足で強く土をえぐるように蹴り、突進する。

 その足元へ、地面を滑り迫った閃光が鈍色の輝きを放った。電流が弾け、太く深い衝突音が生まれる。足を狙い斬りかかった切子のナイフは、ただ異形のバランスを崩しただけだった。舌打ちし、切子にも敵意を向ける異形の前から再び地面を滑り、間合いを取る。

「こいつら……『群れ』で学習機能がある! 集合知のようなものか……っ!」

 二度目の落雷を投擲する清十郎は「なんだそりゃ!」と苦い顔をこわばらせながら、次弾の第三射を準備する。

 切子もできるだけ異形を翻弄する動きで地面を滑りながら、ジグザグに動き攻撃へと踏み切るためのタイミングを計っていた。

「群れで生きる生物が持つ、情報の共有だ! それが肉体レベルで更新され、即座にアップデートされている! 早い話が二度同じ攻撃が通用しなくなる!」

 切子は電流を流し続け、加熱した刀身を持つナイフを、アンダースローの姿勢で投げる。それは異形の太ももに突き刺さるが、筋肉を切断できず浅い部分で止まってしまった。そのナイフを、異形は無造作に握りしめて引き抜いた。放電する電光は空気中に散り、熱は瞬時に冷めていった。

「くっそ……!」

 悪態をつきながら、清十郎は両手に蒼い太刀を呼び出し、左手の一本を投擲した。音を割る速度で飛来する一撃は、異形の胸へと落ちるものの、ダメージは全く見られなかった。わずかに肌を焦がす程度でしかない。清十郎は苦い顔で立ち止まり、右手に呼び出した太刀を正眼に構え握りなおす。

 右と左に分かれた清十郎と切子を前に、異形は一度立ち止まると思案するような仕草を取った。まるで、獲物を品定めするかのように清十郎と切子を観察している。

 その真正面を、豪速で駆けた火球が地面を削りながらも異形へと放たれた。炎の弾丸は巨体に触れると同時に熱風を振りまく爆炎と化した。その熱は離れていた清十郎たちの肌にも突き刺さるほどのものだった。

「ば、馬鹿野郎! 撃つならそう言え!」

「す、すみません! こっちも必死だったもんで……」

 大きく肩を上下させ、息も絶え絶えで駆けつけた巳影は、清十郎のげんこつを一発食らう。

 巳影の後ろには、倒れて起きる様子もない異形の姿があった。その体は高熱でもねじ押し込められたかのように溶解し、筋肉の組織は皮膚の上から焼かれていた。

「……ってことは」

 清十郎は苦い顔のままで、舞い上がる火柱の中から足を踏み出す異形の姿を見て舌打ちする。

「巳影くんの出せる熱量も、学習されたか……」

 唸るようにして言う切子も、息が途切れ始めた。動いただけでなく、迫りくる敵からのプレッシャーと恐怖により、精神力も削られている。

 多方向から同時に視線を重ねられていても、最後に残った異形には狼狽する様子すらない。赤子程度なら簡単に踏みつぶせるほどの大きさを持つ足が、どしんと前に踏み出された。

 巳影は『黒点砲』の第二射を腕に生み出し、清十郎は破れかぶれで太刀を構えたまま走り、切子は電熱を帯びたナイフを飛ばそうと構えをとった。

 同時に、乾ききった大地が激しく揺れ始めた。地の底から響いてくる振動に、誰もが足を奪われる。その地鳴りは赤黒い空も揺らし、大きな亀裂を朱の天空に作った。

「今度はなんだよ!」

 地面に張り付いたまま、清十郎は顔を挙げた。空が、軋みをあげて圧縮されていく。亀裂は地面が揺れるほど深く大きく、赤い空を裂いて広がっていた。

 空のかけらが、こぼれて砕けていく。赤いガラスのような破片は、地面に落ちることなく空中で粒子のような形に変わり、溶けていく。それを見上げるように立っていた異形は、長い腕を天に伸ばした。溶けて砕けていく空は、異形の体を水没させるように天へと落としていった。倒れ、息絶えた残りの異形の体も、空へと吸い込まれるように浮かび、流れていった。

 砕ける空へすべての異形たちが飲み込まれた後、地震の唸り声は、赤い空を引きずり下ろすように下へと沈んでいった。

 地響きが次第に収まっていく頃、空は本来あった夜空を取り戻していた。手に触れる土も、うるおいを持ったものに変わり、周囲の景色は見覚えのある田園風景へと戻る。

「……何が、どうなってる……?」

 つぶやいた切子は、小高い丘の上からこちらへと歩いてくる人影を目にとられ、急いで立ち上がった。

「いやいや、惜しい惜しい。まさか結界のリミットまで持ちこたえるとは思いませんでしたよ」

 飄々とした様子で現れた高橋は、間の抜けた拍手を送る。

「キョウゴ……どういうことだ!」

 神木の声に高橋はすました顔で答えた。

「今のは最終調整のための試運転でした。この町を『土萩村』へと戻す結界装置の一つです」

 その言葉に、全員が息をのみ言葉を途絶えさせた。

「今見てもらったのが我々『茨の会』が作ろうとしている世界と、その世界に住む住民の姿です。いいプロモーションになりましたかね」

「……狂ってるぜ、お前ら」

 顔を引きつらせ、清十郎が言葉を絞り出す。高橋はそれを笑顔で受け取り大きくうなずいた。

「正しい認識です。その価値観、大切にしてください」

 こちらに隙だらけの背を向け歩いて去っていく高橋を、誰も追おうとはしなかった。否、追えなかった。しばらくは誰も言葉を発することなく、夜風に吹かれてうなだれる顔をあげようとはしなかった。


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