102:電光石火、灼が穿つ
何度目かの斬撃を繰り出した切子は、ひるむ様子も見せない異形をよく観察する。
青白く、血の気の通っていない異形の肌にはいくつかの切り傷がついていた。しかしどの傷も浅く、ダメージとなっていない。自分の持つナイフに一瞬目をやり、小さく舌打ちした。
地面を踏みしめ、異形の巨体が突進してくる。
異形の攻撃や行動自体はひどくシンプルで単純だ。接近し、太く分厚い腕を振り回し、また足を蹴り上げる。しかし、その攻撃が当たれば、人間の骨など簡単に折るだろう。場合によっては粉砕骨折をまねくかもしれない。筋肉はたやすく筋を断たれ、破裂する。それだけの馬力が備わっている。
しかし回避できないスピードではない。力任せ、という動き。今も降り下ろされた拳の塊は、真上から真下へとまっすぐに落とされる。それをかいくぐる形で前に出て、懐へと飛び込んだ切子の右に握ったナイフが閃光を放つ。
腹部から胸部まで走った光は、異形の肌に食い込むものの、弾力ある手応えに弾かれてしまった。刀身に走らせた電流も、その肉の中に吸い込まれて消滅する。
異形は切子の攻撃など意に介さないようで、腕を乱暴にふり、切子を追い払った。
(まるでゴム繊維のよう……いや、ゴムそのものか)
斬りつけた感覚としては、肉を斬ったというよりも、分厚いタイヤをたたいたような感触があった。そのうえ、電流はやけどのあとすらつけることはできない。
先ほどの三体を斬った際には感じなかった手応えだった。何故……と思案するよりも、先に異形が動き出す。飛び掛かってきた異形を回避し、いったん距離を取った。幸い、体中を加速させる電流には問題ない。
(ゴムが相手なら、電気は通らない……刃物も決定打にならず)
一つ息をついて、切子は相貌をとがらせた。両手に持つナイフを逆手に変え、足元を肩幅まで開く。
「走る電力を最大限まで……っ!」
切子の体を目を指すような光がほとばしり、全身を巡った後手にしたナイフへと流れていく。
空気をかみ砕くような稲光の音に、異形は牙をむき出しにする。異形は切子へと迷うことなく突進していった。乱暴に振りかざした腕は、力任せの一撃により土の地面に小規模ながらもクレーターを作った。舞い、飛び上がる土の煙幕の向こう、切子はさらに距離をとるためバックステップで離れていた。ナイフの刀身に輝く電流は、さらに眩しさを増していく。
切子を捉える異形は、その光を恐れていない様子だった。ゆっくりと身を起こし、おもむろに歩き始める。空気中の水分を焼き、弾けて尖る電気の発露に、まるで警戒の意思を示さない。
(安全、と判断したな……)
迫る異形の動きには、ナイフや電流の光など脅威ではない、といった圧力を感じ取ることができた。現に何度も斬りつけても傷は浅く、走らせた電流はすべて体に染みわたる前に消滅している。
ゴムは絶縁体として非常に強力な役目を果たす。荷電の移動……走る電流を防ぐ抵抗値が非常に高いのだ。
「……」
静かに息をつむぎ、切子は体中を走る電流を意識する。それを何度も体に巡らせ、そして手にしたナイフ二本へと注ぎこんでいく。周囲に焦げ臭いにおいが漂いだした。放電状態となっているナイフが大気を焼いている。
異形はもう目の前へと来ていた。手を広げ、切子をつかみ上げようと腕を伸ばす。
緩慢な動きに、切子は右のナイフを異形の手の平に突き立てた。
放電していた電流は、手の平の中へと吸い込まれるように消えていき……同時に異形の手の平に、大穴が穿たれた。ナイフが手の甲まで突き刺さると、そこで異形は初めて悲鳴のような唸り声をあげた。
切子は素早く右のナイフを引くと、今度は前へ詰めると同時に左のナイフを異形の胸板に放つ。電流は消え、しかし刀身自体が深く異形の肉の中へと食い込んだ。バターを切るように、返す刃を振るった左のナイフは、異形の胸元から腕の肩口までの筋肉を裂いた。
異臭がこみ上げる。焦げている異形の肉は、今にもこぼれ落ちそうになるまでに溶け、深い傷を作っていた。
異形は自分の体に起こった出来事を理解できないのか、腕で自らを抱くように傷を抑えて飛び下がろうとした。
その頭部に、投擲されたナイフが突き刺さる。ナイフは一瞬にして異形の頭部を、巨大な歯ごと削るように溶解させていく。頭半分を失った異形は、ゆっくりと崩れ落ちていった。
ふう、と大きく息をついた切子は落ちたナイフを回収する。
「次は熱伝導率の上げやすい素材のものにするかな……」
異形の頭を破壊したナイフの刀身は、とても高い熱を宿していた。しばらくはこの灼熱が張り付いているだろう。とても安全には使えないと、切子はもう一つのナイフも捨ててしまった。直に電流を流し、加熱したナイフは熱にやられわずかにゆがんでいる。
直接抵抗加熱と呼ばれる電熱で高温になったナイフの温度は、80℃を超えるものになっていた。
「ゴム製の敵か……対策を考えるべきだな」
毎度こんな乱暴な戦い方では装備が持たないだろう。刃も電気も通さないゴムに対抗するためには、熱源に頼るしかなかった。ゴムの耐熱温度は低く、約80℃が限界値である。
「……昔無精をして、コンビニ弁当を閉じる輪ゴムごとレンジにかけてしまったことが、教訓になるとは……」
輪ゴムがドロドロに溶けて、弁当が悲惨な目にあったのを思い出す。いまいちすっきりしない様子で予備のナイフを取り出し、切子は走り出した。