101:正しいダメージ
太刀の切れ味が鈍い。
何度かの斬撃を打った後、間合いを取り後ろへと下がった清十郎は、ダメージを見受けられない異形の姿に舌打ちした。
(気のせいじゃねえ……刃が通ってない!)
なぜか。動き自体は遅く、何度かの打ち込みで相手の胴体へと刃をあてることができた。しかしその際「肉を斬った」という手応え、感触が全くない。
相手の攻撃は乱暴なものだ。力任せに巨体を動かし、腕で殴り、足で蹴る。粗雑で、攻撃を見てから動いても十分に間に合う。
そこへ合わせて胴体に斬りかかる……本来ならば必倒のパターンではあるが、血の一つも見せることはない。
(妙だ……何か仕掛けがあるな)
大きな歩幅で突進してくる異形を、清十郎はぎりぎりまで注意深く観察する。
肌は青白く、しかし基本的にどの部位も分厚い筋肉の鎧で包まれている。頭部は大きく開いた口部分で、顔面の面積のほとんどが埋まっている。目や鼻はそれに押される形で後ろへと引っ張られ、どういう視界なのかは想像がつかない。
腕や足は丸太のような太さを持ち、やはりこれも筋肉が内側から盛り上がるようにして膨らんでいる。その表面である肌は、血の気が通う様子も見られず、どこも同じだった。まるで死人のような青白い肌は、見ていて怖気を覚えるものだ。
そんな肌に、どんなに切れる刃を押し当てても出血を誘えるかどうかは、どうにも想像もしにくかった。それが人外のものならなおのこと、である。
異形が走る勢いを、振り上げ弓を引いた拳に乗せる。その手は人間の頭部よりも一回りは大きい。粉砕する力はクレーン車がふるう鉄球玉そのものだ。清十郎は膝を軽く曲げ、太刀の腹でその拳を受けると後ろへと大きく飛び下がった。相手の勢いを流すことで後ろに飛び、ひとまず安全圏に出る。だが、両肩に鈍く痛む重圧が残った。完全に受け流せてはいない。
「くそ、これじゃじり貧だ……」
軽く肩をほぐしながら、精神をあぶる焦燥感を押し殺す。一方相手の異形はゆったりとした動きでこちらを見据えている。それがさらに焦りを膨らました。
(何故斬れない……刃が通らない……!)
青白い肌からは、切り傷一つの想像もつかない。
そうこうしているうちに、血管のひとつすら浮かんでいない腕が、またゆっくりと上がり、振り絞られる。
「……」
異形の、強く引っ張られた長い腕にふと、違和感を覚えた。おかしい、妙だ。
視界の端で、先ほど倒れた異形の死体を確認する。血の沼とかした地面に倒れる死体を見て、改めて目の前で構える異形へと向き直った。相手の頭部に……大きく開かれたままの口部分をよく観察した。
「試す価値は……あるか!」
異形の拳が振り下ろされる寸前で、清十郎は地を駆けた。長く伸びる拳をかいくぐると、がら空きになった胴体へ下から斜め上に太刀を走らせる。その手応えはやはり、肉を斬ったものではない。もっと分厚く濃い密度の「何か」の上を、刃がなぞったような感触だった。
外傷が見られない斬り跡を確認しつつ、異形がもう片方の腕を力任せに振り下ろしてくる。それを横に回避し、地面に突き刺さった腕にも太刀を真横からぶつけた。
だが、太刀の刃は滑るようにして異形の腕の上をなでるだけに終わり、振った刀身は勢いをそのままに通り過ぎる。そこにも、太刀筋の痕跡は見えない。
頭上から、喉の奥が見えないほどの大きな口が、直接首を食いちぎろうと迫った。噛みつこうとする頭部に、体をのけぞらせることで空振りにさせた。目の前で金属同士がぶつかったかのような音が、噛み合わさった歯の間からはじき出された。
その喉元へ、背中から後ろにと倒れながらも太刀を振るった。隙だらけだった喉元は、やはり同じ弾力だけを刃に跳ね返すだけに終わる。
地面へと身を投げた清十郎は後転するととっさに起き上がり、正眼に構えた太刀を、ゆるりと下ろす。異形の次の攻撃は……こなかった。
「限界は思ったより早かったな」
上着のポケットから煙草の箱を取り出し、火はつけず一本だけ煙草を唇に挟んだ。
「さっきまでの奴が激しく出血してたから、血管は見えなくてもあるはずだって踏んだが……なるほど、器用なことができるもんだ」
異形の腕や足に、筋肉の内側から盛り上がってくる管が見えた。それだけではなく、胴体や首筋、頭部にも管は浮かび上がり、そして強く脈打っていた。
「どういう理屈でひっこめていたかまではわからんが、毛細血管まで筋肉の壁の奥に動かせるとはたいしたもんだぜ。が、その芸の細かさが命取りだったな」
異形の口が大きく開き、何かを求めるように歯が何度も噛み合わされる。その喉元へ震える手が伸び、届く寸前で異形は真横に倒れ、崩れ落ちた。
「血管ってのは、酸素や栄養を運ぶためにあるんだ。それだけじゃねえ、体を循環する器官の一つ。そんなものをひっこめて、体を肉の壁だけにしたのが運の尽きだったな」
倒れた異形の体中は震えはじめ、態勢を立て直すこともできなくなっていた。
その間も異形は喉元を抑え、口を開いて何かを飲み込もうともがいていた。だが、その巨体は痙攣し始め、ゆっくりと横へ倒れていった。
「酸欠だ。血管を遮断したせいで、血と酸素が回らなくなった。呼吸がひどく荒くなってたのに、自分じゃ気づかなかったのか?」
煙草に火をつけかけたが、漂ってきた腐臭に顔をしかめて煙草を吐き捨てる。
「まあ、化け物相手に講釈垂れても仕方ねえか」
ひとり呟くと、神木と蝶子に迫りつつある異形へと走った。