第二回 『LOVE』『嫉妬』『師弟』
第二回の小噺は『LOVE』『嫉妬』『師弟』。
ではどうぞ!
三題小噺第二回『師匠の気持ち、弟子の願い』
「やぁ、修司。頑張ってるわね」
「…師匠がやれと言ったんでしょう?」
うだる様な暑さで庭の石は焼け、木に止まった蝉は自らが焼かれているかのような叫び声を上げる。
竹ぼうきの動きを止めた青年は額を流れる汗を服の袖で拭った。
部屋の奥から姿を現した女性は太陽のような笑顔を咲かせる。豪快だが美しい顔つきの女性の笑顔は青年の頬を赤く染めるには十分な効力を持っていた。
「ほら麦茶、飲むでしょう?」
「ありがとうございます…」
青年は竹ぼうきを柱に立てかけ、女性の隣へと腰を下ろす。
縁側に並んだ姿は【師弟】のものではなく姉弟のそれだった。青年にとって姉弟関係は好ましくない物ではあったが…。
頬に押し付けられた麦茶を青年はその冷たさに驚きつつも受け取り口をつける。
二人の間には会話こそないが、至福のひと時だった。
だが、青年の心を占めるのは情愛の念だけではない。
「師匠…僕は、一体いつになったら一人前になれるのでしょうか」
「………知らないねぇ」
カラン、と氷が音を立てて崩れる程間をおいて女性の口から放たれたのは無責任な一言。
目の前にいる女性の家の門を叩いたのは数年前。数日間の押し問答を経て弟子入りしたのは、昔は陶芸界の神童等と呼ばれていた青年だった。
師匠が卒業と言うまでは独り立ちしない、それが最初に交わした約束の一つ。
「僕はっ…!」
やり場をなくした怒りをガラスのグラスを力強く握りしめる事で収め、立ち上がる。
先程の熱とはまた違った熱が青年を支配する。青年はそのまま部屋の奥へと立ち去って行った。
残された女性の頬を夏風がなぜる。
師匠と呼ばれた女性はグラスを一度揺らすと、その先に見える歪んだ景色を眺めて溜息を吐いた。
縁側の熱は青年が持ち去ったかのように、冷めてしまっていた。
「ままならない、ものねぇ…」
この地域の夏の晩は昼とは対照的に涼しい風が流れ込むもので、青年の部屋は一つある窓を開け放っていた。
昼の蝉とはまた違った鈴虫の合唱も少しばかり聞こえてきており、季節の変わり目を感じる。
机の上に置かれたラジオは懐かしの曲をただひたすら流していた。
「僕は…どうしたいのだろうか…」
自問自答の内容はここ数日ずっと同じだった。
一つは、青年の仕事である陶芸について。
青年は過去に神童、とまで呼ばれていた事もある。その技術力は年齢を遥かに超えたものであり、その事は青年自身、自覚していた。
だが、逆にそれだけだった。悪く言えば個性の無い青年の作品は人々の記憶に残らず、神童はいつしか人の記憶からも消えていった。
その状況を打破する為の、自由な作風で知られる今の師匠への弟子入り。
結果、青年は大きく成長を遂げた。自分で思っているだけでなく、師匠の客に褒められた事も多々ある。
「くそっ、僕はいつまでここにいるんだ…」
青年と師匠の差はもうあまりない。こう青年は考えていた。
それなのに師匠は未だに卒業と言ってくれない。
『実は師匠は僕の技量に【嫉妬】して卒業させないんじゃないか?』
あり得ないと分かっているのに、そんなことまで近頃では考えるようになっていた。
そんな自分に苛立ち、青年は窓を乱暴に閉める。そうすれば熱くなるのは分かっているのに、今は夜の音すら青年の心をかき乱す。
そのままの手でラジオも電源を落とそうかとした時、青年の耳に一つの音楽が流れてきた。
『【LOVE】, love me do.
You know I love you,(君が好きさ)
I'll always be true,(愛してるよ)
So please, love me do.(だから君にも)
Whoa, love me do.(愛して欲しい…)』
「Love me…do、か…」
青年の自問自答のもう一つの理由、それが自らの師匠に対する情愛の念。
師弟として暮らす内に芽生えたほのかな恋心。それは日に日に青年の心の中で大きく膨らんでいき、ついには無視できない大きさにまでなった。
一時は全てを告白してしまおうかとも考えた。師弟関係での恋愛等許されるはずもない。良くても破門程度は言い渡されるだろう。
そうすれば全てを終わらせる事が出来る…そうすれば、自分の醜い心を見せずに済む。
そうすれば…諦める事が出来るのに…。
「…寝るか」
青年は大きなため息を一つ、布団の中へと潜り込んでいった。
数日後、先日の暑さとは打って変わって涼しい毎日が続いていた。
蝉よりも鈴虫が印象深い時期になり、二人の師弟関係にも幾らかの変化が訪れていた。
「今日の掃除も、これで終わり…か」
「…修司、ここにいたのね」
「掃除なら今終わりましたよ」
青年は師匠を一瞥すると、落ち葉を入れる袋を取りに倉庫へと行こうとした。
その姿は師匠から逃げる様で、一層師匠の感情を高ぶらせる。
「何故、あたしを避ける…」
二人の間に再び横たわる沈黙。
だが、この沈黙は以前のように青年の心を満たす事はせず、ただただ心苦しくするのみだった。
「別に…避けてなどいませんよ」
いつになく、真剣な表情で語りかける師匠に対し、決して目を合わせずに無愛想に返答する青年。
その様子を見て何かがブチンと千切れる音が確かにした。
「だったら何故、同じ家に住んでいるのに全く顔を合わせない日がある?何故、決して目を合わさないんだ!?あァ!?」
激しい音を立てて庭に降り立ったと思ったら、青年の胸ぐらに掴みかかった。
感情をそのままぶつけてくる師匠に対して青年も次第に頭に血が上る。
「五月蠅い!アンタに僕の気持ちが分かるか!?認められたいのに認められず、愛しているのに愛する事も許されず!アンタは恐れているんだろう、僕にその地位を脅かされるのを!」
集めた木の葉が、ザザザァッと秋風に巻きあげられていった。
青年は荒く息を吐き、自分の胸を掴んでいた手がいつの間にかなくなっている事に気づく。
そして自分の放った言葉の重大性に動揺してしまった。
「あ…師匠…。僕は……え?」
青年は手を離した師匠を見上げ、更に動揺した。
師匠は、泣いていた。
自分の肩を抱いて、体を震わせながら…見えない何かに脅える少女の様であった。
「あたしは…あたしは…」
青年の心が早鐘の様に音を刻む。
自分の最も愛する女を泣かせてしまった事実。悔やむ気持ち…だがそれ以上に、綺麗だ…そう思ってしまった。
思わず青年は師匠を放すまいと、自分の胸へとかき寄せた。
師匠もまた、嫌でないのか考えられないのかは分からないが…黙って抱かれていた。
師匠の体の震えが止まったのは、それから数時間が経っての事だった。
「ごめん…修司…」
「いえ…こちらこそすみませんでした」
決して二人は目を合わせようとしない、いや合わせられない。
「さっきの言葉は…本当、なの?」
「えぇ…」
「そう」
ゆっくりと、師匠の体が青年から離れて行った。
「修司、貴方を…破門します。明日までに荷物をまとめて出て行くように」
「えっ!いや…分かりました。ではこれで…」
諦めの気持ちが修司を支配した。師匠を侮辱したに等しい一言にこうなるのも必然と修司は考える。
決して目を合わせないように立ち上がり、自室の方へと足を向ける。
「…たくなかった…」
「え…」
秋風に乗って微かに聞こえてきた師匠の一言。
初めて聞く弱弱しい声は修司の心に深く届く。
次の日、弟子は師匠のもとを去った、師匠の最後の言葉を胸に巣立っていく。
『修行し、認められてから戻ってこい…その時は、あたしからも伝えたい事がある』
その顔に失意はなく、希望と情熱に満ちた自信の表情だった。
ー数年後ー
『第○○回長二賞前衛部門、入賞…加古川修司』
ざわっ、と会場が湧きあがるのを修司は感じた。過去に神童と呼ばれ、消えていった青年が突然流星のように現れたという驚き、入賞確実と言われていた大型新人を抑えたと言う事による驚き、様々な後期の視線が修司を包み込む。
修司は大声で叫びたくなるのを必死で押さえこみ、自らの栄光を讃える壇上へとあがっていった。
「これでやっと…会いに行ける」
閉会後、修司は会場から飛び出していく。周囲の呼びとめる声はもう聞こえていなかった。
早く、早く会いたい…それだけを願い、外へとつながるドアを勢いよく開いた。
「修司、大きくなったね」
「し、師匠!なんでここに!?」
「知り合いから修司が賞に応募したと連絡があってね。まさか部門賞を取るとは思わなかったけど…キャッ!」
修司は思わず師匠に抱きつく。まさか師匠から会いに来てくれるとは思ってもみなかった。
子どもの様に抱きついてきた修司を師匠は優しく包み込む。
「ごめんね…あの時破門なんて言って」
「いえ、師匠のあの言葉があったからここまでこれたんです」
「う、覚えていたのね…」
「そりゃ…あれ、何て言われたのか忘れたなぁ。言って下さいよ、俺に向かって」
「態度もでかくなったものね…」
修司の無言の笑みの間に、師匠の顔は紅潮していく。
「貴方と離れたくなかったから…貴方がどこか行ってしまう気がして、言えなかった…、これでいいでしょ!」
「えぇ、ではこれからは一緒にいても…俺は、貴女を愛してもいいですか?」
「もちろん、離れてた数年分もまとめて…待ってたんだからね?」
数年越しに見た師匠の笑顔は、やはり太陽の様に綺麗だった。
『LOVE』『嫉妬』『師弟』、いかがだったでしょうか。
恋愛モノは苦手だ。これが私の正直な感想です…。
まぁだからと言って何が得意なんだと聞かれると困りますけど。
次回は『神』『宇宙』『原始』でお送りします。
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