第094話 王笏
残念だが、リーマン・バージヴァルの望みは俺のミッションと合致している。契約の旅は是が非でも成功させたい。旅に問題が起こらないようにするのが俺の勤めだと思っている。
目下の問題はこの混雑だ。今更ながらこの広場、人と人が触れ合うどころではない。物凄い圧がかかっている。
未だに人が集まっているとみえる。おそらくは街路の最後尾が広場の状況も分からず前へ前へと進もうとしているんだ。
限界に近い。もうそろそろブライアンがお出ましになってもいい頃だろうに。
現れないところをみると戴冠式が長引いている。法王が張り切っているのか、大司教のキエーザが目立とうとしているのか。はたまたブライアンがビビって観衆の前に出られないのか。
くっそー。まだ五歳の子供だもんな。これだけの群衆だ。その前で何か喋らなくてはならないなんてよくよく考えれば残酷だ。荷が重いってどころではない。
国軍も近衛騎士も大変だろう。おそらくはブライアンを守るだけで精いっぱいだ。それはリーマンらにも言えることだ。もし魔法を操る敵が王都に潜り込んでいたなら、リーマンらはそいつらに注力せざるを得ない。もとより、民衆なんて置き去りだ。
俺なぞはまだ、マントの下に強化外骨格を装着しているからいい。ここから一挙に飛び出すことは可能だ。観衆がパニックに陥ったとして、カリム・サンらには悪いが、イーデン一人ぐらいは抱きかかえて脱出出来よう。
だいたいカリム・サン、フィル・ロギンズとは離ればなれになっていて、どこにいるのかわかりゃぁしない。ハロルド・アバークロンビーにいたっては、戦闘に関してそもそもがあてにはならない。群衆の頭の間からかろうじてバターブロンドの頭の先っちょが見えるぐらい。観衆に紛れてブライアンの護衛を、と思っていたが浅はかだった。
ブライアンが大聖堂からやっと姿を現した。群衆のうねりは止まり、さっきまでの騒々しさが嘘のようで、生唾を飲み込む喉の音があちらこちらから聞こえそうなぐらい広場は静けさに包まれた。
少年王は法王や大司教に誘われ階段のすぐ前まで来る。そして、手にある紙を大きな声で読み上げた。
「臣民に告ぐ。朕は君臨すれども統治せず。臣民自らを持ってメレフィスを発展せしめよ。朕は汝らの父であり、母であり、兄であり、師であり、メレフィスの大地であり、空であり、守護神である。絶えず汝らの傍に居ると心得よ」
☆
ブライアンはなかなかどうして手短な名演説だった。五歳の子供とは思えない。観衆も感動したであろう。姿が失せても観衆は広場から離れなかった。誰もいない階段の上、大聖堂に向かって偉大な王ブライアンとか、ブライアン王永遠にとか、口々に叫んでいる。
混雑でしばらくは動けなかった。やがて人々の熱は冷め、俺たちはやっと広場を後にする。
新王の晴れ姿が見えなかったはずの街路でも、まだ多くの人々が残っていた。広場からブライアンの言葉が口伝えに広まったのだろう。新時代の到来を口々に祝っている。俺たちが移動するより王の言葉は早かった。
ヘルナデスから吹き下ろす風よりも早く、ブライアン王の言葉は熱を帯びてエンドガーデン全土に広がって行く。戴冠式は取り敢えず何も起こらずに終わった。が、しかし、これからが正念場だと言っていい。
他国でも民主主義を望む者が多くいるだろう。それを抑え込もうとする王族もいるはずだ。ブライアンの投じた石がエンドガーデンにどのように波紋を広げていくのか。俺たちの運命にも係わって来る。
カリム・サンの歩く様が誇らしげであった。事前に知っていたとはいえ、実際に王の口からその言葉を聞くまではやっぱり不安だったと思う。通りを歩く人々が小躍りする光景を見、満足しているようだ。笑顔が晴れ晴れしかった。
一方で、浮かれてもいいはずのフィル・ロギンズはなぜか笑顔に憂いを滲ませていた。激情に駆られるタイプではないのを差し引いても、手放しに喜んでいるとは到底言い難い。
尋ねると、王笏の頭が宝石と十字架に代わっていたと言う。信仰の守護者という称号を法王に賜ったからではないかと彼なりに分析していた。以前の王笏の頭に飾られていたのは幾何学模様が刻まれた丸い板と鳩だった。
俺もエトイナ山に行くための儀式と帰還式でそれを見た。フィル・ロギンズの言う通り、確かに王笏の頭には円板があり、その上に鳩の像が乗っていた。フィル・ロギンズは、それについてはがっかりしたと言う。
エンドガーデンを統べる五つの王家は同じ鳩の王笏を使っているらしい。それぞれが始祖の王から伝わる代物だそうだ。ブライアン王が法王から称号を賜って、従来のしきたりを破った。フィル・ロギンズはそこまでせずとも、と言った。彼なりに心配しているのだ。
情勢がどう変わるか分からない中、確かにそこまで踏み切るのは危うい。しかし、アーロン王の突然の死去もある。エリノアとしてもなし崩し的に認めざるを得なかったのだろう。と、普通はそう思う。アーロン王の死に疑問を持つ者はなんとなく納得するしかない。
俺は、フィルとは違った。別のところに引っ掛かってしまった。以前の王笏が始祖の王から代々受け継がれていたという現実。他の王国も等しくそれを保有しているという事実。そして、脳裏に浮かぶあの形、あの模様。フィル・ロギンズの気付きがなければ俺は全く気にも留めていなかった。
エリノアたちめ。それもこれも全部ひっくるめてってことか。俺はしてやられたのかもしれない。
郊外でシーカー六人が俺たちを待っていた。馬が十五頭用意されている。在地のシーカーは馬に乗るようだ。長城の西では走るスピードで歩いていた。やはり装備に魔導具は見当たらない。王都のどこででも見られる下級兵士の鎧である。鎖帷子に、胸当てや肩当て、籠手に、脛当ての軽装である。
そこいらの鍛冶屋で売られる盾や槍を持ち、腰に剣を指していた。六人はすでに馬上にあり、それぞれが俺たち五人の乗る馬の手綱を手にしている。
他の四頭には多くの荷物が積まれていた。これから北に行くのか、南に行くのか、ましてや何日の旅になるのか、俺たちには全く知らされていない。
「面白かった!」
「続きが気になる。読みたい!」
「今後どうなるの!」
と思ったら☆、ブクマ、コメント、応援して頂けると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。