第040話 まれびと
見た目ウミガメである。前足をオールのように使って進み、後ろ脚で上へと舵を取る。外輪山の尾根にいる俺たちの方へ湖面から海を泳ぐようにやって来た。
普通のカメなら背甲と腹甲の間から首が出ている。だが、そこには首がない。首どころかそこには何も無さ過ぎて真っ暗で奥が全く見えない。洞窟のような、深い井戸のような穴がぽっかり開いていた。吸い込まれそうな気さえする。
異質な空間。物理の法則が通用しないであろう魔法の空間。白い殻に覆われたその亜空間に目と口が浮かび上がった。
目と言っても眼球ではなく丸い光体で、口はギザギザ三日月型でルイス・キャロルのチェシャ猫を彷彿とさせる。
これがローラムの竜王―――。ジンシェンもドラゴンのフォルムからかけ離れている。だが、ローラムの竜王はまさにその上を行っている。いや、それどころか、姿はすでに生物の域を超えている。
カールが、驚くぞと言った気持ちがよく分かる。はぐれドラゴンの次にいきなりこれでは確かに面食らう。ジンシェンを見ている俺は免疫ができていた。それに俺のパレードアーマー。装飾もなくなぜ真っ白なのかも分かった。
といっても、ローラムの竜王に寄せているんじゃない。兜がイーグルをかたどっていることから対抗心丸出しだ。イーグルはドラゴンの好敵手である。白は白でもこっちは人間界の王だぞと言わんばかりだ。
竜王の上空に巨大な魔法陣が現れる。竜王の大きさを上回る赤いやつだ。竜王は上昇し、その赤い魔法陣に入って行く。
空を見上げる俺たちは魔法陣の向こうがどうなっているか分からない。ジンシェンの時と同じようであれば、魔法陣に触れた部分は消えて行くのだろう。
ラキラはドラゴンと念話のようなことが出来るからいいとして、俺はドラゴン語を解さない。もし、ローラムの竜王が俺と話したいのであれば、竜人化しなければならない。
やがてローラムの竜王は赤い魔法陣に消えた。魔法陣の上には人影。魔法陣が消えると人影は宙をゆっくりと降下して来た。
―――ドラゴニュート。ジンシェンのようないかにもって感じではなかった。人の肌をした、手が二本、足も二本のトガを着た老人だった。普通と違うのはおでこから上が異常に長いってとこだけ。口に白髭を湛え、杖を持っている。
なるほど、ジンシェンがわざわざ竜人化したのはこのためだった。ローラムの竜王が人の言葉を話すのを予想して事前に己もフォルムを変えていた。
客はラキラとジンシェンだけじゃない。どうやら皆、俺に合わせてくれているらしい。正直、ほっとした。これで誰気兼ねなく、ローラムの竜王と対峙できる。
「よくぞ来られた。赤毛の乙女に、まれびとよ」
ローラムの竜王はそう言って、さらに降下した。外輪山の尾根に立つ俺たちを置いてけぼりに、湖面へと着地する。そして、手ぶりで俺たちを呼ぶ。
“まれびと”とは言い得て妙だな。俺はまさしく異世界人。
いきなり俺は後ろから抱きかかえられる。ジンシェンだ。気付けば空中にいる。俺とラキラ、そして、ジンシェンは湖面に向かって落下していた。
このままでは湖にダイブすることになってしまう。だが、そうはならなかった。湖には沈まず、大きな波紋を広げるだけだった。ジンシェンは湖面に着地していた。
ローラムの竜王は小さな波紋を広げつつ、振り向きもせずに先へ進んでいる。ジンシェンは俺とラキラを湖面に下ろした。波紋が広がるだけで俺たちも沈まない。俺は一歩、恐る恐る足を踏み出した。
沈まない。歩けそうだ。ラキラもそう思ったのか、俺にうなずいて見せた。俺たちはローラムの竜王を追う。どうやらローラムの竜王は世界樹が生えている湖中島に向かっているようだ。すでにカルデラ湖を覆う霧は晴れている。
足跡の波紋で湖面に映った雲が揺らぐ。前を歩くトガを着た老人。そして、巨大な世界樹。俺たちは誘われるがままに湖面を進んだ。
時として美しさは暴力となり得る。カール・バージヴァルもアーロン王もこの光景を見たはずだ。彼らは何を思ったのだろうか。
元々二人はセンターパレスを最も文化の進んだ桃源郷だと信じていたはずだ。だが、真の桃源郷が存在する。おそらくアーロン王は畏怖し、カール・バージヴァルは敵意を抱いた。
俺たちは世界樹の傘の下に入った。足元に不安はもうない。世界樹を見上げていた。
葉張りの広がりに圧倒される。驚異的な生命力だ。石のような灰褐色の古い枝と、木質化する前の柔らかい枝。それが複雑に入り乱れ、それぞれが多くの葉を付けている。この枝々の間にいったいどれほどの時間の隔たりがあるというのだろうか。
前を歩くローラムの竜王には威圧感がまるでない。それどころか気配も感じず、風や葉や水のごとく風景に同化している。おそらくローラムの竜王はエトイナ山と一体なのだろう。
自然そのものなのだから、時には寛大で美しく、時には獰猛で恐ろしいのは疑いようがない。ジンシェンのように絶えず威圧的な姿と竜王の竜人化は本質的に違うのだ。
湖中島に近付くと湖底が透けて見えた。緑の絨毯からコスモスのような小さな花が水中で顔を出している。水中花と言われるものなのだろう。
ところ狭しとピンクの花が咲いている。おそらくは湧き水がどこかに出ている。細く長い葉は風に吹かれるように一方向へゆらゆらと揺れていた。
竜王は島に上がって俺たちを待っていた。島は網をかぶせられたように世界樹の根が張り巡らされている。苔むしていて、島全体が緑色をしている。湖に浮かぶようで、標高も低く、最も高いところに世界樹が立っていた。
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