第110話 ヤールングローヴィ
北部でありながら蛍が飛んでいる。川のせせらぎも聞こえて来た。確かこのテーブルマウンテンには滝があった。山のどこかに水源がある。やがてそれが目の前に現れた。
湧水の池なのだろう。月光が水中奥深くまで届いている。水草は雲のように漂い、泳ぐ魚は空を飛んでいるようである。池の水は爽やかな秋の空を思わせるぐらい澄んでいた。
池には森以上に多くの蛍が飛び交っている。月光と虫の照明、そして、水面からの照り返しで世界樹は暗闇に淡く輝きを放つ。
葉張りは上空から確認している。三百メートルほどだ。因みに池の大きさは世界樹の葉張りより少し小さい。上空から見た滝の水量から、かなりの深さがあると思える。
池の真ん中で枝葉を広げ、水面から根を伸ばしていた。樹形はマングローブに似ている。幹の太さはジンシェンの世界樹とほぼ同じだろう、直径十メートルほどか。その傍らの水面に、大きな黒い球が浮かんでいる。
幹の直径と比べ少し大きい。直径十五メートルほどの球だ。それが蛍の明かりの中、宙を滑るようにゆっくりと俺たちの方に向かって来る。
ローラムの竜王を見ていたから何も驚かない。まん丸いフォルムが蛍舞う中を音も立てずに進む。ただただ美しいとだけ思った。
「里の主、ヤールングローヴィよ」
目の前の巨大な球体の正面には、黒い目が二つ付いていた。光沢のある表皮はよく見ると何カ所かに筋が通っている。中でも目玉の下部分の筋が最も濃く、そこが割れた。
まるでダンゴムシだ。球が開いた隙間からアゴというのか、口が見える。ドラゴンだった名残か、ダンゴムシにはそぐわない裂けた口と凶暴な牙があった。
『ほほー』
俺を見て感嘆の声を上げた。魔力が強くなると角も翼も必要なくなるのだろうか。ジンシェンで学習した。いざとなれば竜人化すればいい。
『これはこれは』
ガラスのような黒い眼玉に俺の顔が映っている。
『なんと変わった生き物だ。眼福に与かれて僕は嬉しいよ。僥倖、僥倖』
そう言ったかと思うと主は、すぅーっとヤドリギへと戻っていく。ラキラが、ちょっと待って、と主を呼び止めた。ああ、そうだった、と主が戻って来る。ラキラのキラキラした眼差しが俺に向けられた。
「ヤールングローヴィは凄く物知りなの。何でも応えてくれる」
ローラムの竜王と会った後にジュールが言っていた。ラキラが俺を元の世界に帰してあげたいって思ってるって。その言葉通り、里の主に話してくれたのは有難い。しかし、世界樹の大きさと裏腹に、こいつはどうも頼りなさそうだ。
無駄骨だったか。ローラムの竜王でも駄目だったのに里の主ではな。万が一って気持ちで来たが、やはり無理がある。ここは一つ、質問を変えるとしよう。俺たちは無事にエトイナ山に行かねばならない。ロード・オブ・ザ・ロードの件だ。ローラムの竜王はなぜそれを消した。
「さぁ、キース。何でも聞いてみて」
ラキラは自信ありげだ。よっぽど里の主、ヤールングローヴィを信頼しているとみえる。
「分かった」
だが、その前にまず、これだけは聞いておきたい。
『俺は何者だ』
さっき主は俺のことを変わった生き物と言った。聞き捨てならない。ローラムの竜王はというと、俺をマレビトと呼んだ。
『主よ。その目には、』
昆虫のような眼だ。
『俺がどう映っている』
確かに俺は普通と比べて変わっている。外見と中身が違うんだ。そのことを何も言わず、一目見てそれが分かったのなら、万が一ってこともありうる。
『はて。一つ目からなかなかハードな質問だなぁ。僕を試しているのかい』
もちろんだ。俺はあんたの好奇心を満たすために来たんではない。
『まぁ、いいや。いいもの見せてくれたんだから答えるけど、何かに似ているとか、こういうイメージだとか、君に分かるようには言えないな。初めて見るものだから│変わった生き物と言うしかないよ。僕の知識では例えようがない』
『例える必要はない。他と何が違う。あなたの見たままを答えてくれ』
『ふむふむ。そうだな。死人が生きている。死んだモノは生き物とはいえないだろ。けど、生きている。ローラムの竜王は君をマレビトと呼んだそうだが、僕に言わせれば君はこの世界のものどころか、この世のものとは思えない。僕が答えられるのはそんなところだ』
この世のものでないか。えらい言われようだ。とはいえ、ローラムの竜王のマレビトも間違ってはいない。
おそらくは視点の問題なのだろう。マレビトは俺が主体であることが前提だ。こいつの言いぶりからして、キース・バージヴァル主体の目線で俺を見ている。そうじゃなければ二つの見解はまっこうから対立しない。
だとしたらだ。
キースと俺は入れ替わった。キースを主体として俺を見ているのなら、もしかして、こいつならキースが俺の世界でどうしているのか分かるんじゃないのか。
『この体はあなたが言うように俺のものではない。俺はどっかから呼び寄せられてこの体に入れられた。だったら、この体の本当の持ち主キース・バージヴァルは今、どこでどうなっている』
キースを追えば間接的に、杏と里紗がどうなっているのか分かるというもの。
『面白いこと言うね。確かに気になるところだよな。まぁ、大体は見当付いているけど、ちょっと覗いてみようか』
えッ、えええええぇ!
『出来るのか!』
『ああ、問題ないと思うよ。君の体にある魂の残り香を追えば造作もない』
マ、マジか!
まさかの大当たりだ。しかも、造作もないときた。マジ、来たかいがあったぜ。
帰る方法ばかり執着していたのがまずかったか。頭には杏と里紗の心配ばかりで、キースの安否なんて考えもしなかった。
もし、そっちに少しでも気を回せたらもっと早い段階で杏と里紗の状況が掴めたはずだ。それこそローラムの竜王に会った時点でだ。
ラキラに感謝せねば。主が頼りないと思ったことも撤回せねばなるまい。
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