第106話 通行手形
イーデンは賢いドラゴンに直接話しかけられ、名前も憶えられた。そして、そのドラゴンは俺の名を様付けで呼んでいる。
もちろん、イーデンはその目でローラムの竜王を見ている。アトゥラトゥルの言葉では、あの恐ろしくも美しい竜王とこの俺が同列に並べられた。
イーデンの魔法剣が解かれていた。顔つきも、張りつめた表情からさっぱりとした軟らかなものに変わっている。
『アトゥラトゥル殿、かたじけない。殿下、お心遣い痛み入る』
アトゥラトゥルと繋がるのは自分への配慮だということもイーデンは察していたようだ。剣を捨て、だらんと腕を落とし、目を閉じる。魔法を受けようって姿勢だ。アトゥラトゥルが魔法を発動する。
『レゾ・ライエス』
イーデンの頭上に魔法陣が現れた。それは緑色で、イーデンの体を通り過ぎ、石のブロックに消える。
「イーデン殿、後は頼んだぞ」
イーデンはうなずいた。俺は笑顔を返す。ハロルドはというと俺を見る目がきらきらしていた。土産話を楽しみにしているとその目が言っている。おまえはいいよな。そういう性格で。
「はは。ドラゴンにまた乗ることになろうとはな」
ただし、今回はマジ飛ぶことになる。ジンシェンは飛んでいなかった。もちろん、俺の言葉はハロルドへの当てつけである。能天気なのが癪にさわった。うらやましがって凹んでしまったらいい。
ところがハロルドは俺の気も知らないでさらに目を輝かせていた。なんで? と思ったが忘れてた。こいつは恐ろしく前向きなんだ。
おそらくは、俺が何度も乗っていることから、いつかは自分の番が回って来るだろうと考えている。俺の言葉もそうとったのだろう。もうお手上げだ。
ラキラはすでにもうアトゥラトゥルの背にいる。俺も後に続く。俺は滑り台を上がるように翼をよちよち登り、硬そうで滑らかな外皮を恐る恐るバランスを取りつつ進んでラキラが座った後ろに腰を下ろす。
「なるべく早く帰ってくる」
イーデンはひざまずき、頭を下げた。ハロルドは満面な笑みで拳を俺に向けた。そして、親指を立てる。グッドラックということなのだろう。
アトゥラトゥルは翼を広げた。
『では、参る』
羽ばたき一つであっという間に天高くにいた。ガーディアンはもうペンほどの大きさとなっている。
見上げれば満天の星空。アトゥラトゥルはさらに羽ばたいた。またたく星々へ近付いて行く様はまるで星の海へダイブしたようである。俺たちは無数にきらめく星の中にいた。
アトゥラトゥルはゆっくりと姿勢を水平に変える。翼を広げ、目一杯風を拾った。
正面にも星が見えた。足元にはヘルナデス山脈。南から北へ、小さい山から大きい山まで押し合いへし合いで、まるで同じ方向に行進しているようだ。ローラムの大地を進む行列は地平線の暗い向こうまで続く。
ラキラが何か言っている。風で良く聞き取れない。かろうじて会話の語尾で何かを命じているのは分かった。
「………て!」
掴まれってことか。この状況で、何々してっていうのだからきっと速度でも上げるのだろう。振り落とされないようにトゲなのか角なのか背びれなのか、アトゥラトゥルの背中の出っ張りを強く握る。
ふと、ジュールの顔が俺の目と鼻の先にあった。ラキラの背中にへばりついたまま振り向いている。
『落とされるなよ』
ドラゴン語は視覚から脳に声が届く。この状況にはうってつけだ。
『分かっている』
『分かってる? だったらラキラに返事ぐらいしろよ』
なんかこいつ、ラキラの若頭のつもりでいるのかよ。ラキラはというと、ジョッキーのように頭を低くして前傾姿勢を取っている。わおっ! えらいこった。慌てて俺もそれに倣う。
アトゥラトゥルが翼開長を三分の一ほどにした。波のようにうねる長い体が槍のように一直線に伸ばされる。途端、加速する。
まるで矢のようである。アトゥラトゥルはヘルナデス山脈へ向けて滑空していく。恐ろしいまでのスピードだった。目前に広がる光景は、雪に覆われた山々。乱立する山頂は三角波のごとくで、大地はまるで嵐で荒れる海のようである。
瞬く間に、高度はヘルナデス山脈の、群がる山々の頂上付近に達した。アトゥラトゥルに上昇する気配はない。そのままの速度を保ち、右に左に縫うように頂きの合間を突き進んでいく。
障害物を避けて水平飛行しているのだから、それはもはや矢ではない。例えるなら巡航ミサイル。次々に現れる山頂が一つ二つとあっという間に後へ後へと消えて行く。目前に獅子ケ岳が現れた。竜王の角から北に向かって一つ目の高峰である。
獅子ケ岳はその名の通り、上空から見るとライオンの顔のような山容をしていた。北部にあることから一年中、雪に覆われている。アトゥラトゥルはゆっくりと翼を広げていく。それに伴いスピードも落ち、高度も上昇していった。
ジュールが振り向いた。
『これから竜王の結界を抜ける』
そうだった。竜王の角と獅子ケ岳で結界が結ばれている。だが、どうやって抜ける? 何者も結界を越せない。
あっ! だからか。ラキラらはそれで空間魔法を使って転移して来た。じゃぁ、俺たちはどうするんだ。俺が乗っていれば移転魔法は効かない。
ジュールは俺の心配をよそに言った。
『このまま突っ切るんだよ』
アトゥラトゥルは翼を畳み、矢のようになったかと思うと態勢を傾けて方向を変えた。獅子ケ岳の西へと回り込んでいく。
すると、進む先の空間が波紋のように揺れたように見えた。結界を突破したのだ。
『お前は魔法を無効にするんだろ。しかもそれは竜王に与えられた能力ときた。お前は俺たちにとって通行手形みたいなもんなのさ』
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