転生して絶世の美女になったので美貌で生き抜いてやろうと思っていたのに、なんでかうまくいかないので、せめてお酒を飲んで楽しく生きたいです。
外に出られないのが勿体ないぐらいのいい天気。
はめごろしの窓から見える景色に思わずそんな感想を抱く。
この部屋から唯一見えるのは中庭の噴水。日の光を反射して、揺れる水面がキラキラと光っていてとても眩しい。あの水に触れることができたらいいのに。
自分の燃えさかるような鮮やかな赤い髪をぐしゃぐしゃとかき回す。この際ぼさぼさになってしまっても誰にも咎められることはない。
外へ出たいのに出ることは叶わない。ストレスばかりが溜まっていく。こんなはずではなかったのに。
私はリーザ。周りの者は口をそろえて私を『絶世の美女』と言う。ただ容姿が整っているだけの十八歳の娘だ。――正しくは絶世の、ではなくて傾国のであるが。
そんな自他ともに認める美貌を持つ私は、現在時の権力者ともいえる国王陛下に絶賛監禁中である。
どうしてこうなったのか、正直なところ正確な解答を得ることは難しい。
気が付いたらあっという間に囲われていた。そんな感じだった。
どうしよう、こんな展開知らないわ。
私には前世の記憶がある。そして今いるこの世界はその前世の私がはまっていたゲームの世界だ。
思い出したのは十三歳の時。
性別を偽り売られた軍隊で、少年兵として生きていた頃。
任務中に敵国の焼き討ち掃討作戦に合い、森の中を追い回されていた最中に前世を思い出したのだった。
大事な友人たちが皆殺され、震えているその時に前世を思い出したところでなんの役にも立たなかった。
その後、敵兵に乱暴されかけたところで、敵の将軍に助けられて養女として育てられ今に至っている。
友人たちを殺された心の傷を癒すのにかなりの時間を費やした。
前世の自分のことは実のところほとんど思い出せなかった。40歳目前で死んだ程度の記憶しかなくて、死因も不明。夫や子供もなく独り身だったことは間違いないと記憶している。
あとは無類の酒好きだったことぐらいか。そんな記憶は友人の喪失の穴埋めにもならない。
そんなある日、鏡に映る自分の姿が、大昔にドはまりしたSRPGゲーム『ブレイブノート』の登場人物に酷似していることに気づいた。
しかも主人公ではない。ヒロインでもない。主人公に協力する仲間の誰でもない。
この顔、グラフィックよりも幼いけれど、主人公軍勢の敵国側の人間だ。敵国の国王を魅了し国力を低下させる傾国の美女リーザの顔に間違いない。
特徴的な炎のような真紅の髪、うっとりするように美しい瞳も同じ色。
国を滅亡させる原因となる悪女、リーザに転生している!
そう、気づいた瞬間ショックでそのまま寝込んだ。
ゲームでのリーザの最期は、主人公たちの前に引きずり出され、泣き叫んで命乞いをしているところで場面が暗転。全年齢対象のゲームソフトだ。直接的な表現は避けたのであろうが、恐らく処刑された。
そんなの冗談じゃない。
処刑されるのもそうだが、国王は私の友人たちが殺されることになった原因だ。憎しみしかない。そんな男を篭絡するなんてお金を積まれたってやりたくない。
でもその憎しみをずっと抱えて生きていくのも疲れる。
三日三晩寝込んだ後、起き上がった私は決心する。
『せっかくこんなに美しい姿に生まれ変わったのだから、この美しさで何かを成したやろう』と。
前世ではできなかった結婚をしてもいい。この美貌の遺伝子を次世代に残すのも悪いことではないと思った。
前世の記憶は、正直役に立たない。
酒が好きなだけの中年女性の記憶など何の役に立つのだろう。
確かにこの世界の未来は知っている。だが、リーザの立場でできることなど何もない。
敢えて言えば傾国の美女ムーブを避けることぐらいだろうか。国が傾かなければ無用な争いも避けられる。その程度だ。
知識チートは早々に諦めた。自分の決意を貫くだけだ。自分自身のために。
将軍家の娘として恥ずかしくないよう勉強をしたり礼儀作法を学んだりと真面目に過ごして数年。
気づいたら、絶対近寄らないと決めていた国王にかどわかされて監禁されていました、なんて。
ど う し て こ う な っ た !
「リーザ」
呼びかけられて、頭を抱えたままそちらに目をやる。
お茶とお菓子を窓際に置かれたテーブルに乗せながらユイが私の顔を心配そうにのぞき込んでいる。
この子は、前世の記憶がよみがえったことでその未来を変えてしまった子だ。
元々、私と同様に性別を偽り軍隊に売られてきた娘だった。
ゲーム本来の流れでは、私が乱暴されかけた時に襲い掛かってきた敵兵を斬り殺してしまい、それをリーザに拒絶されて混乱の中そのまま離れ離れに。
すべてに絶望した彼女は、森の中をさまよい歩き、そのうち森に棲むモノの棲家に迷いこんでしまう。
その後、森に棲むものに気に入られ、彼女自身も人ではないモノにされてしまう、そんな設定であった。ハードモードな人生である。
そんな彼女を、まだゲームの記憶を思い出していなかった私が、彼女が敵兵を斬り殺す直前で彼女の手を取り一緒に逃げ回って、揃って将軍の養女となったのだ。
私が運命を変えた子。姉妹として一緒に養父に育てられてきた。私が姉、ユイが妹である。
ユイは普通に可愛い女の子だ。
元々は貧乏な農村生まれだと聞いた。どこかぼんやりしていてのんびり屋なのだが、剣の才能があったようで、将軍家の剣術を叩きこまれた今、私の護衛も兼ねている。
妹も一緒にでないとこの場で死んでやる!と啖呵を切って、監禁されているこの地まで連れてきてしまった。
ユイは「連れてきてもらえてよかった」と笑って言うけれど、申し訳なくて仕方がない。
でも、彼女がいないときっと私はだめになっていたと思う。私の精神安定剤だ。
唯一生き残った友人であり、大好きな妹でもある。この子をゲームどおり人ではないモノにはさせたくなかった。
人ではないモノになった後は主人公の仲間になって、私を破滅させる方に回るんだけどね。それも避けたかった。
「少しでも食べておかないと持たないわよ」
「……そうね」
できれば、そう、酒が飲みたい。
前世で味わったあのふわふわとした感覚。
楽しかったという気持ちばかりを覚えている。
この世界でもお酒は二十歳になってからなので、あと二年は我慢しなければならないのだ。長すぎる。
「はい」
ユイに無理やりマドレーヌみたいな菓子を口に突っ込まれる。
いつも通り、強引な子だ。仕方なく咀嚼して飲み込む。甘くておいしい。美味しいくて悲しい。
用意してもらったお茶も飲む。苦い、でも美味しい。
なんでこんなことになっても私は普通に食べて飲んで生きているのだろう。
国王陛下はいつもふらっとやってくる。
お忍びの体でやってくるこの男は庶民と同じような服装だ。偉い人の威厳は一切ない。
無理やり連れてこられた身だ。出迎える気などかけらもない。顔も向けず、椅子に腰かけたままその存在を無視する。
不敬だと私を責めるものはここにはいない。国王なのにお供は一人だけだ。そのお供も部屋の外に置いてくる。ユイもこの時は部屋の外に出されている。
「リーザ」
気持ち悪い。
名前を呼ばれて思わず身震いしそうになるのを耐えて無表情を貫く。
友人を、同じ軍隊の仲間たちを失った恨みは消えない。憎しみは、少しも癒えない。
養父の家で楽しく生きていた私を無理やり攫ってここに閉じ込めたこの男を、私は決して許すことはない。
「今日も君は美しい」
そう囁いて、国王は私をじっと見つめる。それこそ穴があくほどにじっと。
時折角度を変えて、ただただ眺めていく。美術品を鑑賞するように。
「君は誰の手も触れさせない。老いてもまだ美しいだろう君を。ずっと! 君が死に絶えるその日まで。君は私だけのもの! わたしだけのもの! 誰の手も触れさせず、美しいままの君を!!」
病んでるわ。
狂気の独白をしながらも、私をしばらく鑑賞し国王は満足したように退室していく。
言っている言葉も、見た目もとても一国の王の器ではない。
前の、私の祖国が大敗を喫した戦争で、父王を亡くし若くして即位したと聞いていたけれど、あの心の病みっぷりからいってあまり本人が望んでという形ではなかったのだろう。
国王には王妃がいる。今の私は妾の立場だ。だが、言葉からわかるだろうが、私には指一本触れることはない。周囲の男はすべて排除する徹底ぶりを見せながらも。
「控えめに言って気持ち悪い」
「気狂いの相手って大変ね。護衛の人も困惑してたわ。あれの相手をするリーザは天使だって言ってた」
国王が立ち去った後、冗談めかして言ってユイは笑う。つられて私も笑う。この子がいるからこんな環境でも己を保っていられるのだと思う。
触れられなくても不快にさせられることがあるなんて、前世でも未経験だった私には未知の世界だった。知りたくなんてなかったけれど。
部屋に閉じ込められたまま、週に一度国王の訪問を受ける。とにかく不快で、外界と一切のやりとりを禁じられた生活は私をとことん追い込んだ。
ユイがいることで何とか自我を保てている。あの狂気にさらされていつまで正気でいられるのだろう。
そんな生活を半年余り続けたある日、呆気なく私たちは解放された。
「リーザ! ユイ!」
「お父様!」
「父上!」
少し外が騒がしいと思った。が、その頃には追い詰められすぎて部屋の外で何が起こっても何も感じないほどだった。
しかし、部屋に飛び込んできた養父の姿を見るやいなやすべての感情が戻ってきたような感じがした。
ユイと一緒になって思いきりその胸に飛びつく。血のつながりのない私とユイを本当の娘のように慈しみ育ててくれた本当に大切な人だ。
とめどなく流れる涙を拭うこともなく、きつく義父とユイを抱きしめた。
武装蜂起だった。
国内の有力貴族の血筋の者が、荒廃した国を顧みない王家を打倒さんと立ち上がった。国内の貴族や軍人たちを抱き込む形で反乱軍をたちあげ、手始めに占領したのが私が囚われていた王家の別荘のある直轄地であった。
それは、養父が王家を裏切り、反乱軍に付く条件としての占領であったと、しばらく経ってから養父の側近から教えてもらった。
攫われてきてどこにいたかもわからないままだったが、王都ではなく直轄地だったとは。
どうりで正妃である王妃やその親族に会わないと思った。国王は私を完全に隠匿したかったのか。
占領、もしくは私の解放後、少し落ち着いてから、私は養父と共に解放軍のリーダーと顔を合わせる機会を持った。
礼をしたいとお願いをしたのだ。
解放軍の存在。前世の知識で未来を知る私にとっては懐疑的な組織だ。
だって、ゲームの中で解放軍ができるのは国がもっと荒れに荒れた10年後のはずだった。そう、まだ主人公は小さな子供のはず。小さな子供がリーダーになれるはずもない。
勿論、リーダーは、子どもではなく青年だった。
筋肉質な体つきはまさに武人ともいえる。栗色の長い髪をひとつに束ねていて、身なりをきちんと整えている。
顔つきは眼差しが少し優し気ではある。美丈夫と言って差支えがない容姿であった。
「助けていただいたこと、心より感謝いたします」
養父がひとしきり感謝を述べたあと、私もそう口にした。
この場にはいるのは養父と私。向こうはリーダーとその右腕ともいえる副リーダーの二人。ごく少人数の内輪の場だ。
「なるほど、噂どおりの”絶世の美女”ですね」
そう言ってリーダーは私に向かって笑った。
彼の名はブレン。
聞けばゲームのヒロインちゃんの叔父にあたる人物だそう。
ヒロインちゃんはこの国の貴族の一人娘だ。そして主人公はそんなヒロインちゃんの幼馴染の剣士である。
父親を国の謀略で亡くしたヒロインちゃんが貴族の当主として立ち上がり、主人公はヒロインちゃんの護衛剣士として共に戦う。
国と戦う解放軍のリーダーとしての主人公の箔付けするために、物語の途中でヒロインちゃんは主人公と偽装結婚をして、当主を主人公に譲るのだ。ルートによってはこのイベントを起こさないことも可能だが、一応これが正規ルートである。
選択肢の選び方によっては、二人に愛が芽生えたり芽生えなかったりするが、そのあたりはプレイヤーにゆだねられている。もちろん私は二人を愛のある夫婦にさせていた。若い夫婦のやりとりはそれはそれはとても微笑ましくて好きだった。
それはさておいて、その後解放軍は国王と、国王を貶めた悪女(つまり私)を倒し、暗躍していたラスボスを倒し、新しい共和国を建設。と、主人公君は大活躍する。それは今から10年後に起こる話のはず。
今、解放軍をたちあげたら、10年後主人公とヒロインはどうなるの。
ブレンは貴族の子息でありながら、自ら商売を立ち上げ、世界中を行商して回っていたそうだ。ヒロインちゃんの父であり、ブレンの兄である当主からは放蕩者扱いをされているのだと自虐気味に語っていた。
彼は優し気だが見ていると吸い込まれそうな目をしている。ヘーゼルナッツのような色をした目だ。
とんでもないイケメンだと思う。彼に対する疑わしき気持ちはあるものの、見つめられるとドキドキした。
美女と言われて嬉しくないわけがない。だが、ゲームに存在しない展開を起こすこの人物に心を許すわけにはいかなかった。
「無事で何よりでした。だが、申し訳ない。あなたの父上はこれから先の戦いで必要不可欠な戦力。しばらくお借りします」
「……はい」
養父は常勝将軍と呼ばれているが、この先の戦いにおいて怪我をしたり、もしかしたら死ぬこともあるかもしれない。
そう考えていたら急に恐ろしくなった。
「私も――私にも何かできることはないでしょうか。私を助けるため養父は国を裏切り、戦場に身を置かねばならなくなりました。このまま戦いが終わるまで黙って待っていることなどできそうにありません。私にできることがあれば何なりとお申し付けください!」
それは勢いで飛び出してしまった言葉だった。多分剣も魔法も使えない私にできることなどない。無事を祈るだけ。それだしかできない。
そう思っていたのに。
戦がはじまった。
国王軍と解放軍の戦いは日に日に激しくなった。
ブレンは戦上手であった。次から次へと国王軍を打ち破っていく。
そして私は――なぜかいつも前線に従軍させられていた。
衛生兵という形で。
ブレンから任されたのは、負傷した兵士たちの応急処置だ。
勿論ちゃんとした医者は別にいる。私はその医者のアシスタントで看護師役である。
治療を受ける怪我人の保定や、シップを貼ったり、包帯を巻いたりといった簡単な作業を行う。
何よりも重要なのは私が手を握って励ますことだ、とブレンは言った。
何度か繰り返す中で、確かに重要な役割だと納得した。
美女に手を握られて嬉しくない男などほとんどいない。励まされれば張り切る者も多い。
気づけば私は『勝利の女神』などと呼ばれるようになっていた。
最初は『国王を腰抜けにした毒婦』呼ばわりされていたはずなのに、戦いで勝利を重ねるうちになぜかそうなっていた。
人間とは単純なものなのかもしれない。
最初のうちはよかった。
快勝を重ね、軍も勢い付いていた。
戦が重なれば疲弊する。
疲弊すれば負傷者は増える。
勿論死傷者も。
手を握って励ます。私に求められているのはそれだけだ。
もう助からないとわかっている人にも、それだけが求められる。
こぼれ落ちていく命にも向き合わなければならない。
王国軍側にも『勝利の女神』の噂は広がっていたようで、直接狙われるようなことも増えた。
私にはユイが護衛としてついている。のんびりとした気質であるが有能な彼女は、私に向ける刃を容易くへし折る。
彼女の手が血に染まっていくのを私はただ眺めることしかできない。
たまに、ものすごく悲しくなった。
命の脆さ、戦いの虚しさ、自分のふがいなさ、すべてに。
だが、それは決して表に出さず慈愛を込めた笑みを浮かべ味方を励ます。それが私の仕事だから。
だけど、部屋に戻れば私は私でしかなかった。
自分の武器は外見だけ。外見を使って何かを成そうとは思っていた。何かは成している。戦争の『勝利の女神』だからだ。
けれどそんなこと、本当に望んだのだろうか。
女神と言われていても消えゆく命は救えない。ユイの手が血に染まっていくのも止められない。
「リーザお姉さま?」
様子を伺いにきたユイに抱き着いて声を出さずに泣く。
大丈夫、とユイは頭をなでてくれる。「姉なのにしっかりしていなくてごめん」と小さく詫びれば、ユイの声も震える。
「ユイに手を汚させて、ごめんなさい」
「リーザを守るためだから。みんなに言われてたの。『リーザを頼む』って。まだ約束は果たせてないから」
そう言って泣きながらユイは笑うけれど。
死んでいった友人たちの中で、ユイは一番年下だった。酷なことだ。今ならわかる。
この子も守られるべきなのに。
「私も、ユイを守るわ。何もできないかもしれない。でも泣いている時には絶対にそばにいるわ。絶対によ」
「ありがとう」
そうやって二人で抱き合いながら泣く。
今になって気づいた。私はユイと養父と穏やかに暮らしたいのだ。養父の家で育てられていたあの時のように。
一緒にご飯を食べて、昼下がりにお茶会。小さいけれど花がいっぱいの庭を散策して、お花の手入れをして。たくさん話して笑って。
それが私の望みだ。大好きな人と過ごす時を大事にすること。今更それに気づいても遅いのかもしれない。
お酒が飲みたいな、と再び思った。
ほろ酔いでふわふわするあの感じが好きだった。
けれど、悲しみを紛らわすためのお酒が美味しくないことは前世の経験から痛いというほど知っていた。
もうすぐ二十歳になるけれど、まだ飲むことは許されない。
どんなに悲しくても、戦場では泣かない。
真っ直ぐに前を見る。負傷者を介抱し、死人を看取る。
いつしか私は『女神』とだけではなく『聖女』とも呼ばれるようになっていた。
「君がいることで士気があがる、聖女と呼ばれるのも当然だ。いつも感謝している」
ブレンはよく私を労った。
あの目を向けられるとどうにも落ち着かない。彼の前ではうまく笑顔が作れない。
戦いは続く。
途中から敵軍に魔物が混ざり出して戦況はますます苦しくなった。
だが、ブレンは迷いなく先陣を切って戦にのぞみ、必ず勝利をおさめ続けた。
まるで未来を知っているように。
多分、彼は未来を知っているのだろう。
予想に過ぎないが彼は多分私と同じ転生者だ。
国王を傀儡として、王妃の兄にあたる人物が暗躍しているとブレンは解放軍の会議の場で言い切った。なんの根拠もないのに、はっきりと。
勿論会議では半信半疑であった。
私はゲームの内容を知っていたからそれが真実だと知っていたがあまりにも唐突な話だった。彼が私と同じ転生者ならば知っていても不思議はない。
そして彼の言葉は正しかった。
傀儡である王を切り捨て、新たな王になり替わろうとして王妃の兄との最終決戦。
私は、前線で聖女として自分の役目を果たそうと奔走した。
双方の軍とも多数の死傷者が出た。失ったもへの慟哭止まぬ戦場。
死への恐怖を断ち切って、己の理想の国のためと戦いに駆り出される者たち。
もうたくさんだ、と思った。
こんなのは、もう嫌だった。限界だったのだ。
勝利の女神、聖女と言われたが、ただの何もできない女だった。
泣かないと決めたから泣かなかった。それが私の矜持だった。
ユイが敵兵を殺める。もう日常だった。
私が手を包み込んでいる人が命を終える。それも日常だった。
国王に閉じ込められていた時は、心が死んでいたかのように何も考えられなかった。
あの時のように心が殺せたらもっと楽だったのに。
哀しかった。虚しかった。
限界を感じていたその時、戦いは終わった。
ブレンも養父も生きて私たちの元へ帰ってきた。
「君にもう一度会いたいと思ったから戻ってこれた」
とブレンは笑った。
あの視線に真っ直ぐ見つめられるとくすぐったくて仕方ない。
この世は虚しいと思っていたはずなのに、彼が生きていると思うだけで満たされるような心地がしたのはなぜだろうか。
終戦後、ゲームのエンディングと同様に共和国の建国が決まった。
当然のように共和国の代表に選出されたのは、英雄となったブレンだ。
養父も政治に少しだけ携わることになったので、共和国の主都となる町に養父と共に移り住むことになった。
もう戦場に駆り出されることがなくなり、私もユイはすっかり元気を取り戻していた。この先にあるのは絶望だけだと思っていたのに、人は意外に強い。
毎日笑って過ごせるようになっていた矢先だった。
英雄であるブレンと、聖女である私の婚姻がささやかれるようになった。
新たな国のシンボルとしての婚姻。政治色の強い、わかりやすいほどの政略結婚だ。
最初は噂に過ぎなかったが、少しの間を置いて正式に養父を通じて婚約の申し込みがあった。
「どうしよう!」
「どうもこうも。リーザは? お姉さまはどうしたいの?」
ユイに呆れたように言われても、困るとしか言いようがない。
国のことを考えて、いやいやじゃないかしら? なんて考えだすと止まらない。
英雄ブレンと結婚なんて、想像もできなかった。
「ブレン様がどう思っているとか、父上とか私とか、外側の人の気持ちなんてどうでもいいのよ。要はリーザの気持ちでしょう? リーザが望むならしてしまえって思うけど」
そう言って屈託なくユイは笑う。彼女は何とも豪胆な性格なのだ。話していて気持ちいいと思うほど。
対して養父は少し複雑そうな表情であった。しかし私の気持ち次第だと言ってくれた。
「まずはブレン様と話をしてみたいです」
私のその言葉でブレンとの話し合いの場が設けられた。
二人きりだ。
部屋に入ってそのことに気づき緊張してしまう。
向かい合わせのソファーにそれぞれ腰を下ろす。
間に置かれたセンターテーブルにはワインと思われる酒瓶が一つとグラスが二つ。それと簡単なおつまみがが置かれていた。お茶とお菓子ではないあたり大人とみなされた、という解釈でいいのだろうか。
「あなたは転生者ね?」
開口一番、私はブレンにそう問いかけていた。答えはイエスしかない。そうわかっていながらもまずは聞いておきたかった。
「いつ聞かれるかと思っていたが」
「私が転生者だと気づいたのはいつ?」
「君の父上に君のことを聞いた時からかな。ユイを妹として近くに置いていたからもしや? と思ったんだ。彼女を人外にしないためかと」
「違うわ。あの子の手を掴んで逃げた時、私はゲームのことを思い出してなかった。後から知ったのよ」
ユイが今私の妹として一緒にいてくれるのは狙ったわけではない。必死だった結果そうなっただけだ。
でもあの子がいてくれたから今の私があるのは間違いない。ここに至るまで何度心が折れそうになったことか。思えば壮絶な半生であったと思う。
「『ブレイブノート』の覇者ルートクリアはした?」
突然問いかけられて一瞬言葉を失った。
「残念ながらそこまでは。ノーマルルートとバッドエンドルートだけ」
覇者ルートというのは『ブレイブノート』最高難易度と言われるルートだ。
限られた時間内に、終盤の会議場と言われるマップでの戦闘で勝利する必要があるが、それまでにヒロインちゃんの後盾を断わらなければいけなかったり、同盟を提案してくる隣国の使者を倒したり、他にもいろんな条件をクリアしなければならない。条件クリアして制限時間内に会議場まではたどり着けたが、この会議場の戦闘でどうしても勝利することができず諦めた。
ネットで集めた情報だと主人公は共和国を建国後、大陸統一を目指す覇者になるらしいが、実のところあまり興味がなかった。ノーマルルートのエンディングの出来がよかったせいもある。
「そっか。俺も途中まで頑張ったけど、やっぱヒロインとの結婚イベントが良すぎて無視ができない」
「そんな理由? もしかして、ゲームを開始させなかったのって、ヒロインちゃんの為なの?」
「いやいや、確かに姪っ子は可愛いよ。でも普通に姪っ子として可愛いだけ。俺は、俺を育ててくれた兄貴を失いたくないってその一心だった」
「そう、だったわね……」
ヒロインちゃんの父親、すなわちこのブレンの兄である人はゲーム開始直後に国によって殺される。
それがわかっていて、それを避けたくてこの人はゲームが始まる前に戦いを初めて、そして勝利してしまったのか。
「すごいわね。ゲームの知識で知っていたとはいえ、エンディングまでこぎつけるなんて」
「知っていたからだいぶ楽っていうのはある。ゲーム開始の10年前だから起きていないことも多いし。まあイレギュラーもなくはなかったけど」
「仲間になるキャラのほとんどがまだ子どもでしょう。あとはまだこの国にいなかったり、そんな状況なのに、成し遂げたのは、称賛しかないわ」
「褒められすぎるのも、なんだか照れくさいな。『ブレイブノート』って女性人気も高かったんだな」
「キャラゲーだから、とっつきやすいのがあると思うの。お勧めしてくれた友人は声優目当てだったしね」
「なるほど。俺は声優方面は全然知らないんだけど、ストーリーがいいってレビューにあったから」
「私も、『ブレイブノート』のストーリーが好きだった」
どうしてか『ブレイブノート』の話で盛り上がってしまう。
この人は単にこの話をしたいがために私との話し合いにきてくれたのだろうかと感くぐってしまうほど前のめりで楽しそうに話をする。
戦いに赴くきりっとした顔立ちではなく、好奇心で目が輝いている。こういう表情もできるのね、と胸中で呟いてみる。私も、前世の話をできるのは嫌じゃない、むしろ楽しい。
だから部屋に二人きりなのか、と今更気づいた。この話をしたかったからなのか。
「推しキャラっていた?」
「どのキャラクターも好きだけど、敢えて言うなら主人公ね。中盤から終盤にかけての成長っぷりが激熱という感じで、好きだったわ。そういうあなたは? やっぱりヒロインちゃん?」
「実はユイちゃん」
「わかるわ! 高性能なのよね、狙ってスキルをあげれば縦横無尽にマップの隅から隅まで動きまわれて、先制攻撃からの多重攻撃で一人で敵を殲滅できるの!」
「そうそう。一見モブっぽいのに大活躍するさまがよかったな」
こうやって話してみるとわかる。今のユイも大好きだけれど、私ゲームのユイも結構多用していたな、と。
転生する前からあの子に頼り切っていたことに気づいて苦笑してしまう。
同時に、ブレンはもしかしたらユイを手元に置きたいがために私に政略結婚を申し込んだのでは? という疑問が浮かんで胸が痛んだ。
「ユイが好きなら、ユイと結婚をすればよろしいのでは?」
自分で思っている以上に冷たい声が出てしまう。
「推しの愛と、現実の恋愛は違う。……言い出しにくくて変な話題を振ってしまってすまない」
「推しとは違う?」
わかるようなわからないような。確かに主人公とどうこうしたいとは思わないけれど。
「リーザ」
「待って!」
話を切り出される前に、私も言いたいことがあった。
「この度のお話、身に余る光栄でございます」
前置きを述べて、ブレンを真っ直ぐに見やる。
ここまで真っ直ぐに見つめるのも久しぶりだ。優し気だった眼差しは度重なる戦いのせいなのか、やや精悍な顔立ちになったように思う。ますます魅力的な人になったと思う。でも。
「悪女に転生したと気づいた時から、決して傾国の美女になどならないと決心して生きてまいりました。けれども、結局は国王に掴まり、国を傾きかけたことは事実。あなたが私の汚名を削ぐ機会をくださったこと、本当に感謝しております」
今や『聖女』と呼ばれているのはブレンがそのチャンスをくれたからだ。感謝していること、それはしっかり伝えておきたい。そして、私の本当の願いも彼に届けたかった。
「ですが、聖女と呼ばれ、戦の場に立ってみてずっと恐ろしくて悲しくて仕方なかったのです。所詮私はただのつまらない女でしかない。慈愛の心も度胸も何もないのです。
私の望みは、私の好きな人たちと静かに暮らすことなのだと、痛感いたしました。私の小さな我儘です。小さくてもかなえたい望みなのです」
「リーザ」
ブレンは向かいのソファーから立ち上がると、私の横に無遠慮に腰を下ろした。
距離が近い。緊張が一気に高まった。
「君を利用しようとした気持ちがないと言えば嘘になる」
「でしょうね」
「だが、君の好きな人のくくりの中に、どうか俺を入れてはくれないだろうか?」
真摯な口調で言われても、何と答えたらいいのかわからずただ真っ直ぐに私を見るその目を見つめ返す。
思えばこの目だ。ヘーゼルナッツの色の目。包み込まれるようなそんな不思議な感じ、この目が私は好きだと今になって知る。
この目に見つめられると何も言えない。何も考えられない。
私はこの目が好き。この目に見つめられるその時間が好き。
「君は『聖女』だ。どう転んでもこの先穏やかに暮らすのは無理だということはわかっているのだろう?
世間は君を放ってはおかない。それは善悪区別なくだ。君を利用しようと考えようとする輩も山のようにいる。俺は、そんな者たちから君を守りたい! だから」
ブレンの言うことは正しい。
私はもう平凡には生きられない。女神で聖女だから。
戦争が終わってもまだ使い道はある。私がそれを望まなくとも。
「だから、どうか俺を近くに置いてくれないだろうか。常に、は無理だとしても、穏やかに過ごせる時間は作りだす、約束するから。そして、もう泣かせたくなどないんだ」
ブレンの言葉は、直球の口説き文句であることはさすがに疎くてもわかる。
そしてそれを不快に思っていない自分もいる。でもどうして彼は私をそんなに口説いてくれるのだろうか。
政治的な理由で私を手に入れたいから?
「なぜ、そんな風に言ってくださるのですか? 私が転生者だから親近感が湧いているとか」
「違う。泣くほど苦しんでいたのに、戦場では一切涙を見せず皆のために『女神』として『聖女』としてあろうとひた向きに努力をしていた君に惹かれないはずがないだろう」
「私はそんな崇高な人間ではありません」
「いや、君は聖女だ。確かに君を聖女に担ぎ上げたのは俺だ。士気を上げるためにはそれが必要だった。だから君に負担をかけていたのは事実だ」
先刻伝えたとおり、それは私にとっても利益があったのだ。悪女であった私が悪女ではないと知らしめるという利益だ。
それをわかっているからブレンはそのことを謝ったりしない。私もそれを望まない。
「だが君はそれに応えてくれた。応えようといつも真っ直ぐに生きていた。それが眩しくて、そんな君に俺自身も励まされていたんだ。俺は君を――」
ブレンは私の髪を一束手に取ると、口づけを落とした。
どうしよう、動悸が激しくなってきた。逃げたいぐらい。でも、逃げないでこの人の近くにいたい。相反する気持ちが胸中でぐるぐるする。
「きっと初めて会ったその時から惹かれてはいたと思う」
「絶世の美女だから?」
「それだけじゃないと、思う。うまく言えないけれど」
ブレンの指が私の頬に優しく触れる。
拒否しなければいけないのに。
「君が好きだ」
「……」
ストレートに告げられてしまえば言葉を失う。
好き、って、私を好き? この人が?
私は、ブレンをどう思っているのだろう。そんなの考えるまでもない。
「私も、あなたが好きです」
頬に触れる指に少しだけ力が加わった。気づけばブレンの顔が息が届くほど近くにある。近い、と思った瞬間唇が重なった。
慌てて目を閉じる。
この人、手が早いわ。
軽く触れあっただけで、すぐに開放された。なのに、心臓は大騒ぎだ。破裂しそう。
もう一度、と言わんばかりにのしかかられて、さすがに狼狽えた。
「ちょっと、これ以上は無理かなーって思うんですが。初めてなので」
「初めて? 前世では経験しているだろう?」
その言い方は割とセクハラだと思う。
「いえ、その、未経験です」
恥ずかしい。年齢までは言うつもりはないものの、これは重いと思われたかもしれない。
でも仕方ない。未知なものは怖いもの。
「そうだったのか! それは申し訳ないというか……、いやでもこの部屋に入った時点で、そういう関係になったと周囲には思われているんだが……」
「どういうことですか!」
「年頃の男女が二人きり部屋に、の時点で、結ばれたということになるんだが」
「早合点ですよ! 待ってください、もしかして、お酒があるのも、そういうことですか? こんな真昼間っからそんなことするわけがないじゃないですか!」
「もうこの話し合い自体が、ある意味罠でもあるんだ」
困ったようにブレンは言うけれど。罠って、話合いなんて口実で実はブレンとそういう関係になったという事実を作らされているということ?
もう結婚するしかないように逃げ道をふさがれている、と?
どうして私は私の意志とは関係なく決められてしまうことが多いのだろう。
私自身が選ぶことができないのはなぜなんだろう。
悲しくなる。ここまで来て、なぜ。
口にしてしまえばわかる。私はブレンが好き。ブレンと結婚するのは嫌ではない。むしろ嬉しいことなのに。
どうしてこんなことになるんだろう。
「リーザ許してほしい」
「……その顔はずるいです、ブレン様」
目を逸らせば、もう一度キスが降ってきた。
だから、もう、無理なんです。
せめてもの抵抗で胸を押し返す。半分以上押し倒された状態では全然抵抗になっていないのは自分でもわかっている。それでもブレンは少しだけ離れてくれた。
もう、無理だ。これ以上は、本当に、無理。
ふとテーブルの上に置かれた酒瓶が目に入った。
そうだ、お酒を飲もう。先日、私は二十歳になったのだった。ふわふわになって嫌なこと忘れてしまえばいい。
「ブレン様、せめて先に乾杯しませんか。私お酒を飲んだことないんです。せっかくなんで飲みましょう。ね?」
提案してみれば少し躊躇いを見せてからブレンは私の上から離れてくれた。
落ち着け心臓。休憩タイムだ。
慣れた手つきで栓を開け、ブレンはワインっぽいお酒をグラスに注いでくれる。
一つを私に手渡し、もう一つはブレン自身が持って、そっとグラスを合わせた。
「あなたの愛へ乾杯」
冗談めかしてそんなことを言えば、ブレンは少しだけ赤くなって目を逸らしてしまった。照れているようだった。
一口グラスの中身を飲む。懐かしいワインの香り。アルコールの香り。恋しかった香り。
飲んで、その後どうするか、は、飲み干してから考えればいいか、というのは楽天的すぎるか。
お酒の勢いっていうのは、馬鹿にはできない。
もう一口飲んでブレンを見る。
このまま行為に及ぶか否か、は、ブレン任せになってしまうのだろうか。結婚するまでは嫌だなというのが本音だが。二十歳ってこの世界では行き遅れに足を突っ込んでいる年齢でもあるのでそこまで慎重になっては引かれるかもしれない。
でも自分を大切にするのは大事だ。
お酒ってこんなに早く回っただろうか。
既に顔が熱い。少しだけ頭の回転が鈍くなっているような感じ。
あれ?と思ったらどんどん頭が痛くなってきた。ガンガンする痛みだ。わずらわしさに顔をしかめていると、なんだか急な吐き気に見舞われて、抵抗する間もなく私は盛大に吐いた。
「……どうしよう」
翌朝、私は自宅の布団の中で青くなっていた。
盛大に吐いた後、ブレンは私を家まで送ってくれた。そこはちゃんと記憶がある。記憶が飛ぶほど飲んではいないからだ。
でも酔った。あんなに少量で酔うなんて、ありえないことだった。
「リーザ、大丈夫?」
部屋のベッドの中で布団にくるまって動かない私を心配してかユイが水を持ってきてくれた。
お酒を飲んで調子が悪くなったとブレンがユイに伝えていたからだ。
「どうしよう」
「リーザ」
私はためらうことなく、近づいてきたユイのスカートの中に手を突っ込んで、彼女が隠し持っているナイフを引き抜いた。
「リーザっ!? 」
驚きの声を上げるユイ。当然だろう。少しだけ痴漢行為を働いてしまった。
ごめんなさい。
「ごめんなさい。ユイ」
言葉でも謝意を伝える。
手にしたナイフを首元に持って行った。
私――お酒が駄目な体質だ。
今まで、二十歳すぎたらお酒が飲めるという希望を胸に生きてきたのに、希望が打ち砕かれた。
もう生きているのがつらい。
「ごめんなさい! もう生きていられない!」
「リーザ! やめて!! ブレン様に何かされたの!?」
されたと言えばされたけれど、やらかし度合いが大きいのは私の方だ。
「私、リーザが命令するのなら、ブレン様を葬ることだって躊躇いはないわ! だから――馬鹿なことはやめて!」
「もう無理よ……、もう……」
涙が次から次へと溢れて来る。ユイと別れるのはつらい。でもお酒のない世界で生きるのはつらい。
「リーザ!!」
「うわ面倒くさいのが来た!!」
突然部屋に飛び込んできたブレンに、ユイが本音なのかとんでもないことを口走っている。
「ブレン様! リーザに何をしたんですか! 返答次第によっては私――」
ユイはさっそくブレンに食ってかかっていくが、ユイの武器は私が持っているので何もできないはず。推しキャラに殺されるのはむしろご褒美かもしれないけれど。
「ユイ! リーザと話したい、少し二人にしてくれないか!」
ブレンに真剣に頼みこまれればユイとしても何も言えないらしい。一瞬だけ私を見てすぐに部屋を出ていった。
むしろ、ブレンと二人きりにしないでほしいのだが。
「リーザ!」
勢いよく飛びかかってくると、ブレンは私を抱きしめた。
思わぬ出来事に唖然としている間に手に持ったナイフを取り上げられてしまう。
「なぜ自害を? そんなに嫌だったのか、既成事実づくりが」
やはりあれは既成事実づくりだったのか、なんて、そんなこと今更どうだっていい。
「私、下戸なの! 少ししか飲んでないのにあんなに気持ち悪くなるなんて、お酒を飲むことだけを楽しみに生きてきたのに、こんなことって……」
「…………」
「ずっとお酒を飲めば楽しくなるって自分に言い聞かせてきたの。つらい時も泣きたい時も、ずっとずっとよ。なのに、そんな楽しみが未来永劫奪われるなんて。もう一度死んでザルな人間に転生するしかないのよぉぉぉおおおおお!!」
「…………、一応言っとく、落ち着け」
「ふえええええん!」
泣いた。ユイと養父の前でしか泣いたことなかったのに。子どもみたいに泣いた。
「わかった、リーザの中で酒がどれだけ重要なパートを占めているか、よくわかった」
泣きながらもブレンの顔を見れば、当たり前だがかなりのあきれ顔だ。
当たり前だ。酒が飲めなくて自殺未遂とか。他人だったらドン引きだ。
でもそれだけショックだったのだ。ずっと人生の支えにしていたものを失ったのだから。
「リーザ、酒の代わりに俺を愛してはくれないか」
「…………」
今度は私が何ともいえない表情をする番だった。
何を言っているのだろう、この人。
お酒と人を同列で語ってはだめだろう。
私を抱いている手に力がかかる。ぎゅうと抱きしめられた痛いぐらいだ。
「いくら愛している人でも、酒が飲めないから死ぬとか言ってたら冷めませんか?」
「まあ、若干そう思わんでもないが、意外性があって、ギャップ萌えというのか、これ」
「私に聞かないでください。でも私ブレン様への好感度はMAXなので、代わりに愛するにはややゲージが足りません」
「酒は少しずつ飲めば耐性がつくし」
言いながらもブレンは私の首筋に唇を這わせている。
やはりこの人は手が早すぎる気がする。
「ちょっと、やめてくださいってば」
「頼むから、俺を置いて死なないでくれ」
「わかりました。から、やめて。もしかして無意識でやってるんですか、これ!」
落ち着いて、手を放してもらってブレンと向かい合って立つ。
「申し訳ございませんでした。お酒が飲めないショックで少しおかしくなっていました」
「もう二度とやめてくれ。血の気がひいた」
冷静になってしまえば、馬鹿なことをしてしまったとわかるのだが。
本当にショックだったのだ。あの楽しい時間を楽しむことはもう二度とない。
けれど、現実をしっかり見てみれば、私にはこの人がいた。
この人を手に入れた。
「ブレン様、二人で良い家庭を築きましょうね、よろしくお願いいたします」
「リーザ!」
もう一度強く抱きしめられてしまって苦しかったけれど、嬉しかったのでそのまま私もブレンを抱きしめた。
ブレンと家族になるのは、私が成したい私自身の願いだ。
多分これ以上ない、最良の道。
そうして英雄と聖女は結ばれ、末永く仲良く暮らしましたとさ。
これで私の、傾国の美女と呼ばれたくなくて抵抗していた私の話はおしまい。
ずっと願っていたお酒を飲んでふわふわ楽しみたいという願いはかなわなかったけれど。
大好きな人と穏やかに暮らしたいという夢は、さすがに共和国の代表とその妻だったので半分しか叶わなかったけど。幸せだったので問題はない。
でも生まれ変わるなら次はお酒の飲める体質で、この世界に転生させた神様、どうかよろしくお願いしますね。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
楽しんでいただけましたら僥倖でございます。
またどこかで出会えたら嬉しく思います。