第2章 第6話 革命
「……あんたチビでよかったね」
背中を押され、宙に浮いた身体。しかし階段の下に落ちることはなく、途中でバランスを崩すだけに留まった。先に下りていた鈴木が俺の腕を掴んでくれたからだ。
「で、何か言い訳ある? 先輩」
手すりを頼りに立ち上がり、見上げる。俺を突き落とした人物。三軍の三年生の先輩を。
「言い訳? 別に特にないけど」
鈴木に睨みつけられた先輩は答える。普通に。まるで友だちと世間話をしている時のように。あっけからんと、何の感情もない面持ちで。
「……あんたが、一年前俺が庇った人……ってことでいいんですよね」
俺も平静を取り戻してから訊ねる。
「そうだよ。あの時はありがとね」
訊ねて、答えられて。だがまだピンとこない。あまりにも普通過ぎる。特別派手でも地味でもない。言い方が悪いが、そりゃ覚えてないわって感じの女子生徒。確かにこんな人だった気もするし、全然違う気もする。普通過ぎて、全く印象に残らない。
「もっとドラマチックな再会を期待してたんだけどな……」
「世の中ってのはこんなもんだよ」
普通にそう返してきた先輩だが、普通じゃない。それでも普通なわけがない。なんせ今まさに、俺を突き落としたのだから。
「理由を訊かせてもらおうじゃないの。どうせ逆恨みかなんかだろうけど。えーと……」
「あ、やっぱり顔覚えてない? 気にしなくていいよ。よくあることだから」
「名前なんてどうでもいいんだよ。なんでこいつを狙ったのって訊いてんの」
「うーん……なんていうのかな。別に逆恨みじゃないよ。そもそも恨んでないし。むしろ助けてくれてありがとって感じ。上手く説明しづらいんだけど……まぁ鈴木さんと似たようなものかな」
先輩がどう説明しようか考えているタイミングで、鈴木が俺に逃げるよう手で指示を出してくる。だがそういうわけにはいかない。俺に逃げる選択肢なんてないんだ。
「天才っているでしょ? で、天才がいれば当然凡才も。何をやっても上手くできない人もいる。私は後者。圧倒的な下。がんばってもずっと三軍だし、優秀な後輩には顔も名前も覚えてもらえないし、生きてる意味がないって感じ。鈴木さんも一緒でしょ?」
「……一緒にすんなよ。私は努力してる。だから二年でレギュラーをもらえるようになったんだよ。才能に嫉妬して他人の足を引っ張るような奴と一緒にすんな」
「いやいや一緒だって。私も努力したし。私だってこれ以上がんばれないくらいにがんばった。そりゃあ君たちみたいな特別な人からしたらたいしたことないかもだけど、私の中では最大限の努力だった。でも結果は出なかった」
「だから才能のある奴を道連れにしようとしたってわけ?」
「うーん……そうだけどそうじゃないんだよなー……。なんて言えばいいんだろう。私は死のうとしてたんだよ。どうせ生きててもロクな人生は歩めないわけだしさ。でも助けられちゃった。学生一の天才がバレーをできなくなった代わりに、怪我してもしなくても試合に出られないようなゴミが無事だった。なんかさ、これだーって思っちゃったんだよね」
「…………」
「もちろん悪いとは思ってるよ? 伊達くんは何にも悪くない。でも私だって幸せになる権利はあるわけじゃん。有名になってちやほやされたっていいわけじゃん? だから悪いなー申し訳ないなーって思いながらこうしてるわけ。私だって苦しいんだよ」
「……なに言ってんの」
「知ってる? 私ネットで褒められたんだ。伊達くんみたいな有名人には当然アンチがいるでしょ? どこかから一年前のことを嗅ぎつけた人たちがさ、みんな私を褒めてくれたの。よくやった。調子に乗った天罰だ。ざまぁみろって。悪いことをしたはずなのに、褒められたんだよ」
「そんな……ことで……」
「鈴木さんだってわかるでしょ? 誰かに認められたいからがんばるんでしょ? 私も同じ。このままだと伊達くんはバレーを諦めて尚天才女子二人を育て上げたすごい人って有名になっちゃう。だから私が邪魔するの。伊達くんを傷つければ、みんな褒めてくれる。不平等な現実を革命した英雄だって。才能がなくてもこの方法なら有名になれる。きっとみんな私を見てくれる。だからさ、伊達くん。悪いけどもっと不幸になって? 今まで褒めてきてもらった分さ、私にもちょっと譲ってくれてもいいよね? ね?」
俺にはこの人の言っていることがわからない。悪いが俺は持っている側の人間だ。そんな方法しか取れない人間の考えることなんてわからない。でもこれだけは言える。
「俺はあんたを見てたよ。鬼塚はるか」
一年前の事故の被害者としてじゃない。一人のバレーボール選手として、俺はこの先輩のことを知っていた。