第2章 第2話 過去
「はぁ……っ、はぁ……っ。もう……だめぇ……っ」
どれだけ時間が経っただろうか。そう長くはないだろうが、いつの間にか帰ってきていたオリヴィアがブルーシートに倒れた。
「ほんとに体力ないんだ……」
それに遅れてやってきた花音。彼女も息は荒いが、仰向けになって腋を晒しながら大きな胸を上下させているオリヴィアに比べたらかなりマシだ。やはり成長期になり急激に大きく重くなった身体を支えられるだけの筋力がまだ不足しているのだろう。少しずつ体力と筋力をつけさせないとな。
「それなんです?」
今後のことを考えていると、花音が俺の手にある紙を覗き込んでくる。
「んー……殺害予告?」
「「はぁっ!?」」
正直に答えると、花音だけでなく虫の息だったオリヴィアも起き上がり大きな声を上げた。
「なんだ、まだ動けるじゃん。練習続けるぞ」
「ちょっ……ちょっと待って!」
「殺害予告ってなんですか!?」
「まぁ……正確には殺害予告ではないんだけどな」
休憩の意味も込めて、俺は二人に紙を見せる。
『1年前助けてくれてありがとう。次は右脚をもらうね』。女性っぽい丸っこい字とは裏腹に、殺人とまではいかなくても危害を加えることを示唆する文章。冗談ならタチが悪いし、本気なら全てが悪い。
「け……警察さ行くべ……!」
「行かねぇよ。そんな心配しなくても大丈夫だって」
「でも……これは……」
「心配すんなよ。そもそもありえないんだ。俺の左脚が死んだのは誰の策略でもない。俺の自殺なんだから」
そういえばちゃんと話したことはなかったか。まぁこんなもので一々心配されても困る。ちゃんと話しておこう。
「俺が事故に遭ったのは高一……いや正確には中三の3月下旬。ここに引っ越してきた当日の話だ」
翼防高校は女バレも充分強豪だが、男バレはその比じゃないくらいの強豪校。全国一とも呼ばれるこの学校のバレー部に推薦で入学することになった俺は、寮に下宿するためにこの神奈川の町にやってきた。
「近くの駅に下りて、寮を目指して歩いていた。なんてことはない。緊張とか高揚とかそういうドキドキした感情に胸躍りながらな。で、その時目に入ったんだよ。ふらふらと車道に歩いていく翼防高校の制服を着た女子生徒が」
最初は車道を突っ切ろうとする命知らずな馬鹿だと思った。彼女はまさしく命を捨てようとしている本当の馬鹿だと気づいたのはその直後だった。
「気づいたら走っていた。脚には自信があった。というより、当時の俺は何でもできると思っていた。三年連続ベストリベロ賞。プロ確実と呼ばれた実力。みんなにちやほやされて、全能感に溢れていた。何でもできると驕っていた。いくら妖怪と呼ばれても、バレーから一歩離れればただの人間なのにな」
いくら脚が速くても車の速度に敵うはずもなく。俺は女子生徒を車道から押し出した直後車に轢かれた。気づいたら病院。そして左脚の感覚がなくなっていた。
「……だから俺が誰かの策略で嵌められたわけじゃない。ただの事故でこうなったんだ。俺を轢いた運転手や家族が復讐で狙ってくる可能性がないわけじゃないが、んなこと言ったらキリがない。ただのいたずらだよ」
そう。ありえないんだ。俺の全てとも言えるバレーを奪っておいて。それ以上も何もないだろう。
「大方バレー部の連中が嫌がらせでもしてきたんだろ。んなことより練習始めるぞ。バレーは足腰立たなくなってからが本番だ」
パンと手を叩き、左脚を庇いながら立ち上がる。まだ余裕のある花音が先を行き、俺はその後をついていく。そしてさらに後ろから、声がした。
「……それでも、やっぱり心配です」
ついさっきと同じシチュエーション。唯一違うのはその声音。
「わたしと一緒に暮らしませんか……?」
そう提案したオリヴィアの声は、甘いながらも強い決意を持っていた。