川崎まりな③
海野がまりなを連れてきた店は、落ち着いた街並みの中にあるイタリアンだった。インテリアは黒を基調としており、抽象画が席ごとに飾られていた。夜ということでキャンドルも炊かれており、ロマンチックな雰囲気が演出されていた。
「去年川崎さんが入社してきた時、すごくびっくりしたんですよ。芸能人みたいに綺麗だったから。」
食事をとり始めて一番に海野はまりなを誉めた。
今時ただの同僚に容姿を誉める言動を取るのはセクハラと捉えられかねない。しかし、まりなの目の前の男は、明らかに表情が緩んでおり、彼女に惚れているということが丸わかりであった。
幾度も他人に好意を向けられ告白を受けてきたのにも関わらず、自分への好意への適切な対処法を全く学習してこなかったため、彼女はまず困った。
(こういう時は、どう答えるのが適切なの…?もし、私もこの人のことが好きだったならば、満面の笑みで喜びの意志を伝えればいいのだろうけど、私は今一体どういう感情なの?この人と関わってみようという方向で進んでいるけど、取り繕ってでも嬉しいって言わなければいけないの…?)
まりなはさっぱり恋愛のことがわからなかった。頭が凝り固まり、思考の遠回りを繰り返し、結局捻くれた中学生のような考えになってしまっていた。
「あの、川崎さん…?」
「あ、ごめんなさい。ぼーっとしていて、その、こんな素敵な店に連れきてくださってありがとうございます。」
まりなの言動は同僚の関係を崩さないお堅い言い回しであった。もちろん彼女もできるだけ好意的に接したかったが、如何せん人との仲良くなり方が分からなかった。
「気に入ってくださってよかったです。ところで、どうして誘いに乗ってくださったんですか?川崎さん仕事仲間と食事に行くのとか嫌いそうだったから。飲み会も毎回断られますし。」
結婚相手を探そうと思って。
そう口に出そうとして止まる。こんなことを正直に言ってしまっては自分の沽券に関わる。
時には嘘をつくことも大事である。
「た、たまには誰かと食事に行きたいなと思って、」
嘘をつくと気づくと耳を触っていることは自分でも気づいていた。本音で自由に生きるをもっとうのように生きてきたまりなにとって、どんな些細な嘘もつくことは極めて苦手であった。
「そうなんですね。川崎さん、好きなものって何かあります?映画とか釣りとかキャンプとか。」
「えっと、あ、映画は好きです」
「じゃあ今度一緒に観に行きましょう!」
「私映画は一人で見たいんです。誰かが近くにいると集中できないんです。終わった後の感想の言い合いも割と苦痛で。だって映画の感覚にできるだけ浸りたいじゃないですか」
口に出してから「あ」と気づく。
海野はポカンと口を開け、怒涛のまりなの持論に呆気に取られているようであった。
しかし、海野は意外にも嫌な顔はせず、くすりと笑みをこぼした。
「川崎さんってすごく面白い人なんですね。もっととっつきにくい人かと思っていたのに」
まりなは海野の言葉に驚いた。なぜならば、相手の誘いに対し、否定の言葉を10倍で返すような捻くれた女など、自分でも嫌だったからだ。彼の心の広さに逆に疑問を抱くほどだ。
「それは私の台詞ですよ。よくこんな面倒くさい人間に笑顔でいられますね。私だったら無言で帰ります」
自分の道を生きてきたまりなであったが、こればかりは本心であった。自分ほど面倒くさい人間はいないと本気で思っていた。
「俺、割とそういうはっきりした人好きで、あ、でもそれ以上に、川崎さんのことが…好きだから、」
海野は目線を斜め下に下げながら呟くように言った。
今のは告白だったのだろうか。
「ごめんなさい、いきなりこんなこと言われても迷惑ですよね、」
「あ、」
恋愛に踏み出すと決めたのは自分ではないか。
自分の自由のために、自分は踏み出さなければいけない。
まりなは自分の開き直ったがむしゃらな決心を思い出す。
「迷惑じゃないです、」
「え、」
「私も、海野さんのこと少しだけいいなと、思い始めていたので、」
「川崎さん!!!」
海野はまりなが言い終えたすぐのタイミングに性急に声を発した。
「付き合って、くれませんか…?」
真っ直ぐにまりなを見つめる瞳は澄んでいて、不覚にも美しいと思ってしまった。
「…はい」
真夏なのにめずらしく夜風が涼しい夜のことであった。25歳のまりなに初めて恋人ができた日でもあった。