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拗らせ令息は好きな子を処刑台に送りたい

作者: 水谷繭

短編「わがまま令嬢は改心して処刑される運命を回避したい」の関連話ですが、この話だけでも読めます!


 デズモンド・ダイアーは、伯爵家の三男として生まれた。


 デズモンドは小さな頃から要領の良い子供だった。二人の兄の失敗から常に学び、大人たちを喜ばせ、いつも周囲の人間に気に入られるように振る舞っていた。



 野心家のダイアー伯爵はデズモンドをとても気に入っており、いつかこの子は偉い人物に目をかけられ、出世すると信じて疑わなかった。


 その上、デズモンドは容姿でも秀でていた。柔らかそうなダークブロンドの髪に、優し気な深緑色の瞳。形の良い唇には、いつも笑みを浮かべている。


 デズモンドがパーティーに現れると、その場にいる令嬢たちは皆彼に目が釘付けになった。時には大人たちまで彼の姿にうっとりと目を細めていた。



 そんな風に過ごしてきたため、十五歳で高位の貴族の子息たちが大勢通う王立学園に入学することになった時も、彼は全く物怖じしなかった。


「いいか、デズモンド。お前と同じ学年には王女のウェンディ様がいらっしゃる。絶対に気に入られて我がダイアー家に恩恵をもたらすのだぞ」


「はい。父上」


「ウェンディ様のほかにも学園には高位貴族のご子息やご令嬢がたくさん通われている。学園に通っている間に広く有益な人脈を作るのだ」


「はい。うまくやってみせます」


 デズモンドはそう言って笑った。そんなことはお安い御用だ。気に入られるよう振る舞うのには慣れている。特に尊大な者たちをおだてて気分良くさせる類のことは。



***


 学園に入学すると、デズモンドはなんとかウェンディ王女に近づく方法を画策するようになった。


 通常ならそうやすやすと近づける方ではない王女に、この学園にいる間は束の間の平等の精神の元、簡単に接点が持てるのだ。ダイアー伯爵がデズモンドに王女に気に入られるよう言い含めたのも当然であろう。



 残念ながらクラスが違ったために自動的に顔を合わせるような機会はなかったが、デズモンドは密かに選択授業を調べて同じ授業を取ったり、偶然を装って待ち伏せしたりして、ウェンディ王女と接する機会を増やしていった。


「あら、またお会いしましたね、デズモンド様」


「はい。よく会いますね。この間の授業でも一緒でしたし。興味の対象が似ているのかな」


「そうかもしれませんね」


 ウェンディはそう言うと王女らしく上品に笑う。すると、横から不機嫌そうな声が飛んできた。


「偶然で六つもある選択授業が全て被るなんてことがあるかしら」


 デズモンドが目を向けると、いかにも高慢そうな顔つきの金髪の少女がじろりとこちらを睨んでいた。公爵令嬢のセアラ・フォーサイスだ。


 セアラの悪評は入学当初から広く知られていた。


 とんでもないわがままお嬢様で、屋敷では気に入らない使用人を散々嫌がらせした上で追い出しただとか、パーティーで誤ってぶつかってしまった令嬢に、頭から水をかけて会場を静まり返させただとか。入学してまだ一か月ほどだったが、デズモンドも既に嫌な噂をたくさん聞いている。


 それでいて身分が上の者にはへつらう性格らしく、王女であるウェンディには常に媚びた態度を取って側を離れないのだ。


 デズモンドは敵意剥き出しの表情でこちらを見るセアラを内心面倒に思いつつ、笑顔で言った。


「ははは。もしかして私がわざと授業を合わせていると疑ってらっしゃるんですか?」


「いるのよね、そういう人って結構たくさん。ウェンディ様に取り入ろうとしてこざかしい小細工をするような愚か者」


 セアラは嘲るような口調で言う。


「確かにウェンディ様は魅力的なので、そうする者が出てくるのもわかる気がしますけどね。それにウェンディ様と一緒の授業なら、大抵セアラ様にも会えますし」


 デズモンドがにっこり笑ってそう言うと、セアラは眉をひそめてそっぽを向いた。ウェンディが横で、セアラがごめんなさいね、と苦笑いで謝っている。


(本当いい性格してるよな。俺も人のこと言えないけど)


 デズモンドは笑顔を崩さないまま、心の中で嘲った。



***


 デズモンドはしかし、王女に近づくにあたってセアラという存在が近くにいるのは都合の良いことなのではないかと考え始めた。


 悪名高いセアラ様には皆極力近づこうとしないため、必然的に彼女がいつも側にいるウェンディ王女からも人が遠ざかる。それに、男の自分がウェンディ様にあまり近づきすぎては眉をひそめられる可能性もあるが、セアラ様も交えて三人でいるならば誤解される心配も少ない。


 デズモンドは別にセアラに嫌味を言われたところでどうってことないのだ。彼はセアラをうまく利用して、ウェンディに近づくことを考えた。


 それならば、一応セアラにも好かれていた方がやりやすい。彼はセアラに取り入ってみることにした。


「セアラ様、おはようございます。今日の髪型も素敵ですね」


「セアラ様、昨日は体調不良でお休みということでしたが、大丈夫ですか? ノートは取ってありますよ」


「さすがセアラ様。いつでも公爵令嬢としての矜持を忘れないその姿勢、尊敬してしまいます」



 デズモンドは何かとセアラに媚びを売るようになった。髪型や服装に少しでも変化があれば褒め、セアラが困りそうなことがあれば先回りして助け。考え方から何まで、褒められそうなことがあれば大げさに称賛した。


 セアラは始め、そのわざとらしい態度を疑わしそうに見ていたが、しばらくすると彼が褒める度に機嫌をよくするようになった。彼女は根が単純なのだ。


 デズモンドはあまりの扱いやすさについ笑ってしまった。



 そんなある日、デズモンドは店で紺色のリボンを見つけた。小さく星の模様の入ったそのリボンは、夜空のようで美しい。デズモンドはなんとなくそのリボンを手に取る。


(……セアラ様にプレゼントしてみようかな。また機嫌が良くなるかもしれないし)


 デズモンドはリボンを購入し、店を出る。


(それに、セアラ様の髪色に似合いそうだし)


 セアラがふんわりしたあの金色の髪にリボンを巻いているところを想像したら、デズモンドの口は無意識のうちに緩んだ。



***


「これを私にですか?」


「はい。セアラ様に似合いそうだと思って。つい買ってしまったんです」


 デズモンドから包みを渡されたセアラは不思議そうにそれを見る。


「ウェンディ様にではなく?」


「え? あぁ、今回はセアラ様に似合いそうだと思って衝動的に買ったので……。ウェンディ様には秘密にしておいてください」


 デズモンドは一瞬言葉に詰まったが、すらすらと言葉を並べる。そして少し不思議に思った。確かに今回はセアラ様の機嫌を取るために買ったが、ウェンディ様のことが一度も頭に浮かばなかったのはなぜだろう。二人ともにあげて好感度を稼いでおいてもよかったはずなのに。


 デズモンドが考え込んでいるうちに、セアラは包みを開ける。


「リボン、ですわね」


「はい。……お気に召さなかったでしょうか?」


 表情を変えないセアラに、デズモンドは少し不安になって尋ねる。


「いえ……。これを私に似合うと思って買ったんですの?」


「はい、セアラ様の目の色に似ていて、髪色にも合いそうだと思ったので……。それに、セアラ様には夜空が似合うような気がして」


 デズモンドは言いながら、自分が言い訳口調になっているのに気づいた。一体、なぜ自分は不安になっているのだろう。これでセアラ様が機嫌を良くしてくれれば儲けもの、そうでなくてもこんなリボン一つ無駄になったところでどうってことないと考えていたはずなのに。


 しかし、彼の不安をよそにセアラはふんわり笑って言った。


「ありがとうございます、デズモンド様」


「……は、はい」


 セアラは少し頬を赤らめて、珍しく素直にお礼の言葉を口にした。セアラからこんなに邪気のない笑顔を向けられるなど初めてのことで、デズモンドはすっかり動揺してしまった。


「似合うかしら」


「は、はい。とても」


 セアラは早速髪をリボンで縛り、くるくる回っている。よほど嬉しかった様子だ。


 狙い通り機嫌を良くしてくれたのだから、ここでもっと褒めなくてはならないはずなのに、デズモンドの口からは何も気の利いた言葉が出てこない。


「似合ってます、とても」


 デズモンドはかすれた声で、やっとそれだけ言うことができた。セアラはもう一度嬉し気な顔で、ありがとう、と笑った。



***


 デズモンドの脳裏には、あの日のセアラの笑顔が焼き付いて離れなかった。いつもつんと澄ましているだけに、打ち解けた笑みの与える印象は大きかった。


 今ではすっかり当初の目的を見失って、セアラに会うついでにウェンディ様に近づいているような形になっている。


「セアラ様、それつけてくれているんですね。やはり美しいセアラ様によく似合っています」


「私が美しいのなんてわかっていますわ! ……。まぁ、悪くないと思ったので」


 セアラは相変わらずつんと澄ました態度で言う。しかし、声の調子から喜んでいるのがわかった。


 デズモンドはついくすくす笑ってしまう。



 セアラはあれ以来、よくデズモンドのあげたリボンをつけてくる。それだけでなく、髪飾りや持ち物に、夜空をモチーフにしたものが増えた。デズモンドの「セアラには夜空が似合うと思った」という言葉の影響だろう。


(可愛いな、単純で)


 デズモンドは無理にすまし顔を作っているセアラを見ながら、そんなことを思った。


 デズモンド以外に対するセアラの態度は相変わらずだ。いつも不機嫌な顔で周囲を睨み、少しでも歯向かう者がいれば容赦なく追い詰めている。


 そんな彼女を見ながら、デズモンドは本当性格悪いよな、と思う。しかし、そんなセアラが自分と会ったときだけ露骨に嬉しそうな顔をすることに優越感も感じていた。


 セアラが好意的なのは(ウェンディを除けば)自分だけだし、反対にあんなわがままなセアラを好いているのも自分だけだろう。そう思うととても気分が良くなるのだ。


(セアラ様がこのまま皆に嫌われていてくれればいいのに)


 心底つまらなそうに授業を聞いているセアラを横目で見ながら、デズモンドはそんなことを思った。



***


 いくら性格が悪くても、セアラはれっきとした公爵令嬢だ。彼女には有力貴族からいくつもの縁談が来ているらしい。ウェンディ王女の兄にあたる、第二王子との婚約の話も出ているとか。


 その話を聞いたとき、デズモンドはなんとも複雑な気持ちになった。学園にいる間は建前上平等とはいえ、セアラと自分では住む世界が違うのだ。


 セアラと釣り合うのは、王子やら公爵家の令息やら、もっと高位の身分の者たちだ。同学年の生徒でいえば、侯爵家のグレアム・ウェインライトくらいであろう。



「聞いてください、デズモンド様。最近いろいろな縁談が来て困っているんです。お父様は早く相手を決めるように言いますけれど、どの方もピンと来なくて……」


 セアラはそう言うと、頬に手をあて溜め息を吐く。そうしてちらりとデズモンドのほうに視線を遣った。


「セアラ様のような方ならば、あまたの縁談が来るのも不思議ではありませんね。急いで決めようとせず、よく考慮して選ばれるのがいいかと」


 デズモンドは内心動揺しながらも、笑顔でそう返す。しかし、セアラにはその答えが不服なようだった。


「ほかに何か言うことはないんですの?」


「え?」


「もういいですわ!!」


 セアラはそう言うと、そっぽを向いて行ってしまった。デズモンドその様子を見て呆気に取られる。


(ああ、俺の反応を見てたのか)


 去って行くセアラの背中を見ながら、デズモンドはやっと思い至った。先程縁談の話を聞いたときの憂鬱な気持ちが嘘のように晴れていくのを感じる。


「お待ちください、セアラ様!」


 デズモンドは急いでセアラを追いかけた。そうしていつものようにセアラが喜びそうな言葉を並べ、なんとか彼女に機嫌を直してもらったのだった。



***


「あー、いっそセアラ様が何かやらかして、平民落ちでもしてくれたらいいのに……」


 ダイアー家の自室でソファに腰掛けながら、デズモンドはとんでもない独り言を呟く。


 デズモンドはセアラが公爵令嬢の地位から転落するところを想像した。傲慢な彼女には、身分を失えば誰も見向きもしないだろう。彼女は一人あてもなく彷徨うのだ。


 セアラが何もかも失って、誰からも見捨てらるところを想像したらぞくぞくした。そうしたら、自分だけが傲慢な彼女に手を差し伸べてあげるのだ。



 公爵令嬢の地位から落とされるような罪とはどんなものがあるだろう。ちょっとやそっとの罪では駄目だ。それこそ、王族を害するくらいの罪でないと……。


(いやいや、何最低なことを考えてるんだ、俺)


 そこまで考えて、デズモンドははっと我に返る。そうしておぞましい考えを振り払った。


 しかし、その想像の高揚感は彼からずっと離れなかった。



***


 デズモンドは試しに毒を買ってみることにした。使うつもりはない。ダイアー家によく出入りする怪し気な商人が勧めて来たので、興味本位で買っただけだ。


 次にナイフを買ってみた。これにも特に意味はない。たまたま切れ味の鋭そうな、装飾の美しいナイフを見かけて目を引かれたので、欲しくなっただけだ。


 ロープを用意した。毒のにおいを薄める薬草を用意した。これらにも特に意味はない。



 デズモンドはいたって穏やかに、いつも通りの日常を送っていた。


 ただ、ときどき想像するだけだ。セアラが罪を犯して全てを失うところを。平民に落とされるセアラや、牢に入れられるセアラを想像すると心臓の音が早まる。


 妄想はしだいにエスカレートして、最近ではセアラが断頭台で首を落とされる光景まで思い描くようになった。



「デズモンド様、何を考えていらっしゃいますの?」


 セアラが両手を縛られて断頭台まで引っ張って行かれるところを思い浮かべていたら、セアラ本人に声をかけられた。デズモンドは笑顔で答える。


「いえ、セアラ様は今日も美しいなと考えていただけです」


「もう! そうやってからかうのはやめてくださいまし!」


 セアラはそう言ってそっぽを向く。しかし、横顔を見るとその口元は緩んでいるので、デズモンドもつい笑みをこぼした。


(セアラ様が処刑されてしまえば、この可愛らしい表情を永遠に俺だけのものにできるのに)


 デズモンドの中で暗い感情が膨らんでいく。妄想は次第に現実味を帯びて、計画へと変わっていった。



 おぞましい内心は一切悟らせないように過ごしてきたはずなのに、あるときから突然セアラはデズモンドを避け始めた。時折顔を合わせると、怯えた顔で逃げ出そうとする。


 さらに不可解なのは、セアラが以前は毛嫌いしていたはずのグレアム・ウェインライトとよく一緒にいるようになったことだ。


 侯爵家の息子であるグレアムは、気真面目で曲がったことが嫌いなタイプで、セアラとはもっとも相性が悪いはずの人物だった。


 一体なぜ、とデズモンドは眉をひそめる。


 それだけではない。あんなにわがまま放題だった彼女が、最近では身分関係なく周りのものに礼儀正しく接しているのだ。


 デズモンドにはわけがわからなかった。なぜセアラは変わってしまったのだろう。



 図書館でグレアムと並んで楽しそうに勉強するセアラを見つけ、デズモンドは眩暈がした。


(どうしてですか? セアラ様。グレアムのことをうっとうしがっていたはずなのに。やはり身分の高い者がいいのですか)


 デズモンドは唇を噛み、セアラたちに気づかれないうちに図書館を出て行った。



***


 その後もセアラはどんどんデズモンドから離れていった。代わりにグレアムの側にいる時間が増えていく。


 最近は、ほんの少しだがセアラの評判も上がっているようだった。急に態度の変わったセアラを訝しむ声も多いが、中には彼女に好意的な人物も出て来た。


 冗談じゃない、とデズモンドは苛立たし気に窓枠を掴む。


 校庭にはグレアムと並んで歩くセアラが見える。


 セアラはしきりにグレアムに話しかけながら、怒った顔をしたり、嬉しそうな顔をしたり、くるくる表情を変えている。デズモンドといるときよりも、よほどいきいきした顔をしていた。


 グレアムのほうも、相変わらず不愛想な顔をしているが、時折セアラの反応を見てだめな子供でも愛でるかのような笑顔を浮かべている。


 そんな光景は見たくなかったが、デズモンドは二人から目を逸らすことができなかった。



 デズモンドの中で暗い感情が広がり続ける。もう自分から離れていくセアラのことも、セアラとグレアムが笑い合っている光景も見たくなかった。彼はこれまで集めて来た道具を机の上に並べる。


 そうしてナイフを手に取り、静かに決意したのだった。



***


 翌日、デズモンドは教室から離れた方向にある廊下でセアラが来るのを待った。彼女が自分と顔を合わせないように、最近はいつもこの廊下を通っているのを知っている。予想通り前方から、心なしか嬉しそうな顔で歩いてくるセアラを見つけた。


「セアラ様!」


「!! デ、デズモンド様……!」


 声をかけると、セアラは顔を青くした。久しぶりですね、と笑いかけるが、彼女は怯えた顔のまま、すぐにでもその場を立ち去ろうとする。


 ダメ元で一緒にカフェにでも行かないかと誘ってみるが、当然断られてしまった。


「では、少しだけでいいので西棟につきあってもらえませんか?」


 立ち去ろうとするセアラの肩を掴み、デズモンドは尋ねる。セアラは迷っていたようだが、ウェンディのことで話があるというと、諦めたように着いてきた。



 西棟の人気(ひとけ)のない部屋までセアラを引っ張っていく。デズモンドはいたっていつも通りの笑顔で紅茶を用意し、セアラに勧めた。彼女は素直にカップを受け取ったが、口をつける様子はなかった。


 やはり以前までとは違うと、デズモンドはセアラの様子をじっと見る。


「話というのは大したことじゃないのですよ。これは以前にも話した、うちによく出入りする商人がくれた珍しい紅茶です。前にウェンディ様と話した時、彼女も好きだと仰っていました。よろしければセアラ様の自宅に招かれた時に出して差し上げてください」


 デズモンドはあくまでにこやかに紅茶の入った小瓶を差し出した。中に入っている紅茶には、飲めばたちまち苦しみだすという毒を仕込んである。これをセアラ様がウェンディ様に飲ませれば、処罰は免れない。


「まあ。ありがとうございます。デズモンド様。けれど、私に渡すよりも直接ウェンディ様に渡された方がいいのではなくて?」


 セアラは小瓶に目を向けながら言う。その顔は笑顔だったが、目は疑わしそうにデズモンドを見据えていた。


 何か感づいているのだろうか、とデズモンドは不思議に思う。自分が知るセアラは、もっと単純で騙されやすい人だったはずなのに。



 セアラは小瓶を受け取りたくないようだったが、なおも勧めると渋々と言った様子で手に取った。この様子だとウェンディには飲ませないだろうな、とデズモンドは考える。


 目の前にある紅茶だって、セアラは一向に口をつける気配がない。ウェンディとお茶を飲んだので喉が渇いていないのだと説明していたが、多分嘘だろう。



「……最近、グレアム様とよく一緒にいますね」


 デズモンドは思い切って口にした。本音に言えば、セアラの口からグレアムのことなんて聞きたくないが、気になって仕方なかった。


「ええ。そうですわね」


「セアラ様、失礼ですが以前はグレアム様のことをあまりよく思っていなかったのでは?どうして急に?」


「そうだったのですけれど、話してみると案外いい人だったんですの。以前の私は浅はかでしたのね。グレアム様は間違ったことを言っていないのに反発ばかりして」


 セアラはそう言って困ったように笑う。今日会ってから初めて見る柔らかい表情だった。



「グレアム様のことがお好きなのですか?」


 デズモンドは思わず尋ねてしまった。好きだと答えられたらどうするつもりなのだ、と聞いた後になって悔やむ。しかし、セアラは眉をひそめて不機嫌そうな顔で言う。


「突然ですわね。確かにお友達としては好きですけれど。それだけですわ」


 その返答にひとまずデズモンドはほっと息を吐いた。


 いっそのこともっと踏み込んでしまおうと、デズモンドは最近なぜ自分を避けているのか尋ねる。しかし、セアラはそんなつもりはないと言って取り合わない。


 不満でもぶちまけてくれたらいいのに、とデズモンドは悲しくなった。


「デズモンド様。私この後大事な約束がありますの。ですから長くなるのなら今度にしてくださらない?」


 セアラはそわそわした様子で席を立とうとする。そういえば、廊下で見かけた時も嬉しそうな顔をしていた。その大事な約束とは何なのだろう。一体誰が相手なのだろう。


「その約束の相手とはグレアム様ですか?」


「え、まぁ……いえ、どうして貴方にそこまで話さないといけませんの? 私は……」


「貴方は私を好きだったはずだ!!」


 思わずデズモンドは声を荒げた。


 取り繕う余裕もなく、セアラの元に行って懇願するようにその肩を掴む。セアラは明らかに動揺していた。



「い、いきなりなんですの? デズモンド様」


「私にはわかっております。セアラ様。貴女は物珍しさから一時の気の迷いでグレアムに惹かれているだけなのです。貴女に意見するような者はこの学園に彼以外いませんから」


「なんなんですの、離して下さい!」


「大丈夫です。セアラ様。私は貴女が少しばかり気の迷いを起こしたからといって幻滅したりなどしません。最後には私を選んでくれると信じていますから」


 そうだ。セアラは一時の気の迷いを起こしただけなのだ。この学園で彼女に立てつくような人物はグレアム以外にいないから、新鮮な気持ちを好意と錯覚したのかもしれない。


 けれど、セアラだって確かにデズモンドを特別に想っていたはずなのだ。グレアムに対する感情は一時の気まぐれ。きっとすぐに前のセアラ様に戻ってくれる。


 デズモンドはセアラに向かって微笑みかけた。しかし、彼女は怯えたようにひっと悲鳴を上げる。



 セアラは何とかこの場をやり過ごして、逃げ出そうとしているようだった。ウェンディに紅茶を飲ませるかと尋ねれば、もちろんだと返事が返ってくるが、その表情は怯え切っている。


 デズモンドはどんどん心が冷えていくのを感じた。なぜ今までのように、照れたようなあの無邪気な笑顔を向けてくれないのだろう。もう自分のことなど嫌いになってしまったのだろうか。


 デズモンドはセアラの肩を掴んだまま、片手で懐からナイフを取り出す。ナイフに目を留めたセアラが悲鳴を上げた。


「きゃあっ!!!」


「動かないでください」


 肩に手を回して喉元にナイフを突きつけると、セアラは可哀相なくらい震え始めた。小さな肩がふるふる揺れている。それでも彼女は大声で叫ぶ。


「嫌!! 何するんですの!? 何の恨みがあってこんな」


「恨みなどありません。私とセアラ様の未来のためです」


「何が未来ですの!! 私にウェンディ様に毒を盛らせて処刑するつもりのくせに!!」


 睨みつけながら言われ、デズモンドは驚いた。何か勘づいている様子なのはわかっていたが、紅茶に毒が入っていることも、処刑が目的なことにも気づいているなんて。


 正直に言うとセアラのことを少し頭が軽い女の子だと思っていたデズモンドは、すっかり驚いてしまった。



 すべて気づかれているのならば隠しても仕方ないと、デズモンドは正直に口にする。


 自分はセアラに罪を犯して処刑されて欲しかったのだと。そして永遠に自分のものになって欲しかったのだと。


 セアラはぽかんとした顔でデズモンドを見ていた。その間抜けな顔が可愛くて、デズモンドはつい口元を緩める。


「大丈夫です。私もすぐに後を追いますから寂しくなどありません。これで私たちはずっと一緒にいられます」


「い、嫌ですわ! 何を言ってるんですの、デズモンド様」


「貴方も私のことが好きでしょう? 心配ありません。なるべく苦しまないように、一刺しで殺してあげますからね。本当は処刑されて欲しかったのですが、貴方に企みがばれてしまったのなら仕方ありません」


「嫌だ!! 離して!!!」


 セアラは目に涙を溜めて叫んでいる。少し可哀相になった。痛い思いをさせてしまうことになり、申し訳ない。しかし、この方法が最善なのだ。なるべく苦しまないように殺すので、どうか許して欲しい。


 デズモンドはセアラを押さえつけながら、ナイフを近づける。



「セアラ様!!!」


 しかし、もう少しのところで邪魔が入った。血相を変えたグレアムが扉を開けて飛び込んできたのだ。


「セアラ様、大丈夫ですか!? デズモンド、お前どういうつもりだ!!」


 グレアムはデズモンドを睨みつけながら近づいてくる。デズモンドは舌打ちして、ナイフをグレアムに向けた。なんて邪魔な奴なのだろう。


 グレアムは必死の様子でセアラ様を離せと叫んでいる。しかし、ナイフを持った自分がセアラ様を押さえつけているため、近づいては来れないようだった。



 焦った顔でセアラを見ているグレアムを見ていたら、デズモンドにふつふつと怒りが湧いてきた。


 そうだ。すべてこいつのせいなのだ。


 きっとこいつがセアラ様をそそのかしたに違いない。セアラ様はそのままで十分素晴らしかったのに、もっと人間的に成長しなければならないだのなんだの言って、単純なセアラ様を操ったのだ。


 思いのままに口にするが、グレアムはあろうことか本来の彼女は純粋な人だ、今の周りを考えられるようになった彼女こそ本来の姿だなどと言い始めた。デズモンドの中に苛立ちが募っていく。


 もうグレアムの言葉など聞いていられないと、デズモンドはセアラのほうに顔を向けた。そして優しい声で言う。


「さぁ。セアラ様。一緒に遠い世界にいきましょう。大丈夫です。私は傲慢な貴女を愛してあげますからね」


 セアラも今は泣いているが、きっとわかってくれるはずだ。これでよかったのだと。グレアムが何か叫んでいるが聞こえやしない。これでセアラ様とずっと一緒にいられるのだ。ほかのことはどうだっていい。


 デズモンドは熱に浮かされたようにセアラを見つめ、ナイフを近づける。すると、突然叫び声と共に視界が揺れた。



「いいかげんにしてください!!!」


 デズモンドはよろめいて床に倒れ込む。少し遅れて頬に痛みがやってきた。唖然として見上げると、セアラが息を荒げてこちらを睨んでいる。


「セ、セアラ様、なぜ……」


「なぜじゃないですわ!! どうして私が貴方と心中しなければならないんですの!! ふざけないでくださる!!?」


 セアラはさっきまで怯えていたのが嘘のように、デズモンドを睨みながら声を荒げた。


 デズモンドはグレアムにそそのかされたのだろう、そんな男の言うことなど聞く必要はないと訴えるが、セアラは心外だという顔ではっきり否定する。


 自分はそそのかされたているのでも騙されているわけでもなく、自分の意思でグレアムに意見を聞いているだけだと。



「今後一切私に近づかないでくださいまし! 心中に巻き込もうとする男なんてごめんですわ!!」


 セアラはそう言い捨てると、グレアムの腕を引っ張って出て行ってしまった。部屋にはデズモンドだけが残される。


「……どうしてですか、セアラ様……」


 デズモンドはセアラが出て行ったドアのほうを見つめながら、悲壮な声で呟いた。



***


 人気(ひとけ)のない部屋まで連れて行ったはずなのに、見ている生徒がいたようだ。あんなに声を張り上げて騒いでいたのだから、無理もないことかもしれない。


 その日のうちにデズモンドがセアラと揉めたという話は学園中に広まった。



 父であるダイアー伯爵の耳にも入ったようで、自室で一人呆然としていたデズモンドは、押しかけて来た伯爵に思い切り殴られた。


「デズモンド!! お前一体どういうつもりだ!!」


 父は怒りで口をぶるぶる震わせながら言う。デズモンドは痛む右頬を押さえながら、ぼうっと父を見た。


 いつものデズモンドであれば問題が起こってもうまく取り繕えたし、そもそも問題を起こすようなことも少なかった。しかし、今のデズモンドはセアラに拒絶されたことで頭がいっぱいで、何の言い訳をする気にもなれない。


「何か言ったらどうだ! フォーサイス家のセアラ様にナイフを向けたというのは本当なのか!?」


「本当です。すみません、魔が差しました」


 デズモンドはそれだけ言って黙り込む。詳しい事情を話す気にはなれなかった。


 ダイアー伯爵は怒りに顔を歪めながら、散々デズモンドを怒鳴りつける。デズモンドは反論もなく黙って言葉を聞いていた。


 今の彼にはセアラのことしか考えられなかった。一体なぜ彼女に拒絶されるのか、なぜ彼女がグレアムのほうに行ってしまったのか、まるでわからないのだ。


 心ここにあらずの様子で話を聞いているデズモンドに、ダイアー伯爵は溜め息を吐きながら言う。


「セアラ様は、このことを公にしないように働きかけてくださったのだぞ」


「え?」


「お前に殺されかけたにも関わらずだ。ナイフを向けられたというのは見間違いだ、ただ言い争いになっただけだと主張してくださった」


 ダイアー伯爵の言葉に、デズモンドは目を見開いた。


「とにかく、お前はよく反省しろ。セアラ様の温情に感謝して、二度とこのような真似はするな」


「あの、父上……!」


 デズモンドは慌てて、去って行こうとする父を呼び止める。ダイアー伯爵はなんだ、と振り向いた。


「セアラ様はウェンディ様のことで何か言っていましたか?」


「なんだ、お前まさかウェンディ王女にも何かしでかしたのか!?」


「いえ……」


 再び怒りに顔を紅潮させるダイアー伯爵に向かって、デズモンドは戸惑いがちに首を横に振る。セアラは毒入り紅茶のことも話していないのだろうか。



 父が出て行くと、デズモンドは部屋で一人考える。


 セアラは王女に毒を盛らせようと企て、ナイフで刺し殺そうとした自分に情けをかけてくれたのだ。


 セアラが平民に落ちればいいだとか、このまま皆に嫌われていて欲しいだとか、果ては処刑されてしまえばいいなんて考えていたあさましい自分と何たる違いか。なんて慈悲深い方なのだろう。


 気が付くとデズモンドの頬を涙が伝っていた。


 そして彼は思い至る。自分はセアラを手の届く場所まで引きずり下ろすことばかり考えて、彼女の幸せなど全く考えていなかったことを。


 セアラが好きなら、自分のほうが彼女に手が届くように努力するべきだったのだ。尊いセアラ様には、いくら努力したところで手が届かないかもしれない。それならば、その他大勢としてでも彼女を支えればよかったのだ。



「お許しください、セアラ様……! 私が間違っておりました……!」


 デズモンドは感動に震えながら叫んだ。そうして翌日、真っ先にセアラのいる教室まで向かったのだった。


 しかし、教室に現れたデズモンドを見て、セアラは顔を青ざめさせた。グレアムとウェンディは警戒した顔でセアラの側に立ち、デズモンドを睨んでいる。


 デズモンドは構わずセアラの側に行き、自分が間違っていた、これからは(しもべ)としてでも側に置いて欲しいと懇願したが、真っ青な顔で拒否された。


 それでも諦めずに言い募るデズモンドに向かって、セアラはグレアムの腕を取りながらきっぱりと言った。


「デズモンド様! 私のことは諦めてくださいまし! 私、もう心に決めた人がいるんですの!」


「な……っ、まさか」


「そうですわ! このグレアム様ですわ!!」


 セアラはそう言ってグレアムの腕を引っ張る。


 昨日、その他大勢としてでも支えればいいのだと決意したばかりだというのに、いざ聞かされるとショックが隠せなかった。昨日は友達だと言っていたのに、やはりその男が好きなのか、と絶望が脳をかすめる。


 セアラは呆然とするデズモンドに構わず、状況の飲み込めていなそうなグレアムを連れて走り去ってしまった。


「だ、大丈夫ですの。デズモンド様」


 固まって動けないでいるデズモンドに、ウェンディが引き気味に声をかける。


「……はい。私は戻ります。お騒がせしました」


 教室にいた生徒たちに困惑した顔で見られながら、デズモンドはふらふらと教室を後にした。



***


 デズモンドはそれから何とも無気力に日々を過ごしていた。


 事件以来、皆腫れ物にでも触れるかのように接してくるが、デズモンドはこれまでのようにうまく言い訳して取り繕う気にもなれなかった。


 ただセアラの顔が見たいとだけ考え、日々を送っている。



「デズモンド様」


 ベンチにぼうっと腰掛けていると、突然声をかけられた。顔を上げると、目の前にセアラが立っている。デズモンドは驚いて目を見開いた。


「セアラ様……?」


「久しぶりですわね。デズモンド様。ちゃんと反省なさった?」


 セアラは澄ました顔で尋ねる。ひどく久しぶりに見る表情だった。


「はい、もちろん反省しております。私が愚かでした。高貴な貴女を独占しようなどと……」


「もう! そういうことじゃないですわ! 高貴とか関係なく人を心中に巻き込もうとするのはおやめなさい!!」


 セアラは眉を吊り上げて言う。至極真っ当なことを言われて怒られたデズモンドは、はい、としょんぼり項垂れた。それから遠慮がちに言う。


「セアラ様、この前言えないままだったのですが……、私がやったことを公にしないでくれてありがとうございました」


「まぁ、大事(おおごと)にして処刑にでもなったら後味が悪いですからね」


 セアラはつんと澄ました顔で言う。


「セアラ様はお優しいですね」


「処刑される感覚がわかるだけですわ」


 セアラはそう言って、心底嫌そうな顔で首元に手をやる。不可解な発言にデズモンドは首を傾げたが、詳しくは聞かないでおくことにした。


「あの、セアラ様、私に何かご用でしょうか?」


 デズモンドは不思議に思いながら尋ねる。セアラは眉をひそめた。


「何ですの。せっかく声をかけてあげたのに。用がなくちゃいけませんの?」


「い、いえ! そういうわけでは」


 デズモンドは慌てて首を横に振る。セアラが話しかけてくれたのはもちろん嬉しい。ただ、今まであんなに避けられていたのに不思議なだけだ。


 デズモンドがじっと見ていると、セアラはこほん、と咳払いする。


「あのですね、デズモンド様。貴方は、高貴な私を独占しようとしたのが悪かったなんて言って、まだ何が悪かったのかちゃんとわかっていないようですけれど。もっとちゃんと反省したら口ぐらいはきいてあげてもいいですわ」


「え……?」


「勘違いしないでくださいね! 貴方が最近しょんぼりしていて気の毒だから言ってあげてるだけです。私が好きなのはグレアム様ですから! でも、ちゃんと反省するのならお友達としてお話くらいしてあげますわ」


「セアラ様……!」


 デズモンドは感動に震えながらセアラを見る。


 なんて尊いお方なのだろう。こんな自分を気の毒に思ってくれるのか。また側に行くことを許してくれるのか。デズモンドの目にうっすらと涙が滲む。



「わかりました、セアラ様! 必ず心を入れ替えてあなたの優秀な下僕になります!!」


「だから下僕はいらないですわ!!」


 デズモンドが力を込めて言うと、セアラにすぐさま拒否される。それでも感動の収まらないデズモンドが、感謝の言葉を言い募ろうとするとセアラはくるりと背を向けてしまった。


「これからウェンディ様とグレアム様と出かける予定なんですの。もう行きますわ」


「あ、セアラ様……! お待ちください!」


 デズモンドの言葉を聞き流して、セアラは去って行く。しかし、それを見送るデズモンドの心は明るかった。


(俺は必ず心を入れ替えて、もっと高みに行けるよう努力して、貴女にふさわしい下僕になります!)


 セアラの後ろ姿を眺めながら、デズモンドはそう固く決意するのだった。




終わり




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― 新着の感想 ―
[良い点] 両サイド一気読み。 [気になる点] それぞれの視点がほしくなる、欲がでる話でした。 [一言] ありがとうございます
[一言] 関連話が出てたんですね〜♡ デズモンドsideのお話も面白かったです。 セアラを好きになって、独占したいと思うようになっていった気持ちが分かって、許されない事をしでかしてはいるけれども、ち…
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