六
「あれ? なっちゃん休み?」
翌日学校に行くと、いつも私達の中では一番早く来ているなっちゃんが見当たらなかった。今日みたいに晴れている日は自転車で通っているはずだから、彼女が遅刻することは滅多にない。
「そうなんだよねぇ。メッセ送っても返事ないし」
「体調崩して病院行ってるのかな?」
「案外寝坊とかじゃない? 私も昨日興奮が収まらなくてなかなか寝付けなかったもん」
「かおりと一緒にしちゃだめだよ」
たまとかおりの二人と軽く話した後、私は自分の机に向かった。いつもはここにいるはずのさきが、何故か自分の席に一人でいたからだ。机に荷物をかけながらさきを見ると、どこかぼんやりとしているように思えた。
「さき、おはよう。どうしたの?」
「おはよう。なんでもないよ」
なんだか覇気のない返事に首を傾げる。こちらを見て挨拶を返してはくれたけれど、目は合わなかった。さきの態度にしては珍しく、何か考え事だろうかと思いながら席につく。
「さき」
「なあに?」
「……なんでもない」
けれど次に話しかけてみたら普通で、私はどうしたらいいか分からずはぐらかすことしかできなかった。
§ § §
「――なっちゃん、普通に寝坊だって」
昼休みに入ると、たまが呆れたように笑いながらなっちゃんの状況を報告した。
「ほら、言ったじゃん」
「えー、なっちゃんそこまで怪談バカじゃないよぉ」
「言ったな、たま!? そんな子はこうしてやる!」
「あー! 私の卵焼き!」
お弁当をこの四人で食べるのはいつものこと。本当はここになっちゃんもいるはずなのだけれど、今日は寝坊らしいので仕方がない。
「でもなっちゃんズルだよね」
たまの卵焼きを頬張りながらかおりがぼやく。私が「寝坊でしょ?」と聞き返せば、「違う違う」、と口の中身を飲み込んだ。
「昨日のかくれんぼだよ。確かに『もういいかい?』って聞きながら居場所探せるルールもあるけどさ、昨日はそのやりとりメッセでやるって言ってたじゃん。最初のはいいとして、その後も口で言ってさぁ、危うく私は答えちゃうとこだったよ」
「あ、やっぱそういうルールあったんだ」
かおりの話を聞くと、昨日のなっちゃんの行動が納得できた。
「かおりにも言ったんだ? 私にも言ってきたよぉ。答えなかったけど、なっちゃんぼけちゃったのかと思ってた」
「……ん?」
たまの発言に、私の中に引っかかるものがあった。確か昨日、なっちゃんはよくもまぁこんなするすると隠れてる人を見つけるものだと感心したはずだ。そう思ったのは、彼女が音を立てずに隠れている場所に近付くからで、「もういいかい?」だなんて聞いてはなくて――。
「……待って、なっちゃんたまには言ってないよ?」
「え?」
「かおりはトイレの中だったから分からないけど、たまの場合はなっちゃんずっと目の前にいたもん」
「嫌だ、かおりじゃないんだから怖いこと言わないでよぉ」
冗談っぽく言いながら、たまはかおりの反論を待つように彼女の方へと顔を向けた。けれどかおりは表情をこわばらせるばかり。たまの発言を聞いていたかさえ分からない。
「かおり?」
「……足音より先だったかも」
「え?」
「『もういいかい?』って聞かれたの、なっちゃんの足音より先だったかも。すごく近くから聞こえたのに……!」
かおりが語気を強めると、その場がしんと静まり返る。怖くなった私は咄嗟にさきを見て、「そ、そんなの有り得ないよね……?」と同意を求めた。
「わたしは聞かれてないから何とも……」
困ったように言うさきに、やはり違和感を覚える。だってこういう時は誰よりも冷静なことを言って、みんなを落ち着かせてくれるはずなのに。
けれど、それは私の勝手な願望だと思い直した。確かにさきは冷静だけれど、彼女だって驚くこともあれば分からないことだってある。それに今日のさきは少し元気がないから、そういう気を遣う余力がなくたっておかしくはない。私は小さく謝りながら、かおり達に視線を合わせた。
「建物が古いから、変に反響したとか……?」
「でも亜美はなっちゃんが言ったの聞いてないんでしょ?」
「そうだけど、聞こえなかっただけかもしれないし……」
「そういう亜美は、声かけられてないの?」
かおりと話していると、たまが私に聞いてきた。
「私も聞かれたけど、別に変なところは……」
変なところはなかった――そう言おうとした私の口を、何かが止める。
「かおりも言ってたけど、考えてみたら私の時も足音より先だった気がする」
私が黙っている間に、たまが呟く。そんなの、怖いから自分もそんな気がするだけじゃないか。そう言いたかったのに、私の記憶がそれを否定していた。
私だって、足音はまだ遠いと思ってたんだ。まだ廊下にいると思っていて、教室に入ってくるのかどうかドキドキしている時に聞かれたんだ。「もういいかい?」って。
それに――。
「……何も映ってなかった」
「映る?」
「窓に何も映ってなかった……! 隠れてるところが反射してなっちゃんに見つかったのに! 私の位置から見れば映るはずの場所だったのに、声かけられた時に何も動いたように見えなかった!」
叫んだ声は震えていた。何も映っていなかったと思うのも、気の所為かもしれない。窓に反射した何かが動くはずだと思ったけれど、そもそも窓自体が視界に全く入っていなかった可能性もある。
自分の記憶が信じられなかった。信じたいけれど、信じてしまったら何か不吉なことが起きていたのだと断言することになる。そう思いながら「でも……全部気の所為かも……」と呟けば、たまが意を決したように口を開いた。
「なっちゃんに聞こう。私達に聞こえなかっただけで、本当は何回も呼んでたのかもしれないし」
たまの目も不安に揺れていた。もしこれで何も言っていないと否定されてしまえば、私達を呼んだのはなっちゃんじゃないということになってしまう。
「大丈夫だよ、きっとなっちゃんだよ」
言い聞かせるようなかおりの声を最後に、残りの昼休みはずっと、私達の間に会話はなかった。