四
なっちゃんが雑草を踏んで作った道を行き、目の前には古びた旧校舎が現れた。いや、ずっと視界にはあったのだけれど、フェンスや雑草で仕切られていたからそこまで近い感じがしなかったのだ。
けれど今はもう、まさしく眼前にある。私達と校舎の間に遮る物は何もなくて、近くなったはずなのにどこか現実離れしたような、そんな不思議な薄気味悪さが辺りに漂っているようだった。
「完全に廃墟じゃん」
そう言って、かおりが昇降口の扉を開けた。鍵はどうしたのだろうと思ったけれど、それは彼女の直前の言葉が表している。観音開きの扉の真ん中あたりに鍵があったのだろう。けれど扉のガラスが破られていて、鍵は既にあけられていたようだ。
「うわ、埃っぽい」
「でも意外と臭くないね?」
「あちこち穴だらけだからじゃない?」
扉のところに立つかおりの横からなっちゃんが中を覗き込む。二人の反応を見ていたたまは安心したのか、そうっと扉へと近付いていった。
「亜美、本当に大丈夫?」
「う、うん……多分……」
私とさきも遅れて中を覗き、そこがどうなっているのか確認する。
昼間だというのに意外と暗いのは、時間帯のせいで日の光が入りにくいのだろうか。かおりが懐中電灯で中を照らすと、木の葉やら何やらが散らかった床だとか、壁にかかった蜘蛛の巣だとか、ある意味想像通りの朽ち具合が広がっていた。
「こっちから行こうか」
昇降口があるのは横長の校舎の真ん中あたり。左右に伸びる廊下の左側を指しながらかおりが言った。
どうしてこっちなんだろうと思ったけれど、疑問を投げかける間もなくかおり達が進み始めてしまったので聞けなかった。流石に置いていかれるのは嫌なので、私もスマホのライトをつけて恐る恐る中へと足を踏み入れる。先程の疑問を解決しようとちらりと反対側を見てみれば、明らかに左側よりも散らかっていて、なるほど、これで誰も反対しなかったのかと納得した。
かおり達の後を、私はなるべく周りを見ないようにして歩く。だって私だけ何か見ちゃったら嫌だし、中の様子にあまり興味はないし。
けれど視界を狭めても、耳は不気味な音を拾う。と言っても私達の足音なのだけれど、この場所では悪い意味で雰囲気があるのだ。ぎいぎいと軋む床板は腐っているところもあるのか少しぶよぶよするような感覚もあって、同じことを思ったのか「これ二階は絶対無理だね」となっちゃんが言うのが聞こえた。
「そういえばさ――」
五人で固まって移動していると、不意にたまが口を開いた。
「――結局昨日の怪談って、何が言いたかったんだろうね?」
なんで今そんな話をするんだ。ただでさえ怖いのに、こんなムードたっぷりな場所で怪談大会なんて始められたらかなわない。それなのにかおりが「どういうこと?」って聞き返すものだから、たまの口は止まらなかった。
「ほら、怪談とか都市伝説って何となく『これはしちゃいけませんよ』っていう教訓みたいな感じあるじゃん? でも昨日の話って、確かに怖かったけどちょっと中途半端っていうかさ。何人も遺体で見つかってるのに、一人分しか示唆してないし」
「言われてみれば……」
たまの質問にかおりがふむ、と考える仕草をする。
「あの女の子の怖さを強調したかったとか?」
「だったらあの子が何人も餌食にした、って感じで脚色した方が良くない?」
たまの言葉にかおりはまたしても難しい顔をする。かおりは怪談話が好きだけれど、どちらかというとそれで周りを楽しませるのが好きな方なのだと思う。一方でたまは怪談に込められた意味とか伏線とか、そういうのを考えるのが好きみたい。
だからこの二人のやりとりは割とよくあるもので、そしていつもどおりかおりが「わっかんないよー」とさじを投げた。
「単純にここでかくれんぼしたら危ないよってことじゃないの?」
あっけらかんとした調子で言ったのはなっちゃんだ。
「実際ここで遺体が見つかってるなら、大人としては入り込まないで欲しいわけじゃん? だからそういう意味を込めてああいう抜粋と脚色になったんじゃないかと思うんだけど」
「そんな単純かなぁ?」
「案外単純だと思うよ」
なっちゃんもかおりと同じく深く考えることは好まない。だからこそのこの考えなのだろうけれど、納得感がある代わりに私は自分の頬がひきつるのを感じた。だって、そうだろう。
「じゃ、じゃあ……ここに入ったらだめって意味もあるんじゃないの……?」
一番後ろを歩く私が恐る恐る言えば、みんなが一斉にこちらを振り向く。すると、「あ」とかおりが小さく声を上げて、そのまま私の後ろを指差した。
「――その子、誰?」
一体かおりは何を言っているんだ──その疑問の答えは瞬時に浮かび、私の口からは悲鳴が飛び出した。
「嫌ぁああああああああ!!」
大声で叫びながら前にいたさきに抱きつく。さきは驚いた声を上げたけれど、すぐに落ち着いた様子で私の背を撫でた。
「かおりの嘘だよ。大丈夫、誰もいないから」
「う、嘘……?」
「うん、嘘。せめて後ろ確認してから驚きなよ」
「だってぇ……」
さきの言葉を信じ、ゆっくりと後ろを見る。そこには彼女の言葉どおり誰もいなくて安心したけれど、私の膝はがくがくに震えていた。
「かおりも、無理に亜美連れてきたんだから脅かさないの」
「はーい」
全く反省していない様子のかおりに、楽しそうに笑顔を浮かべるたまとなっちゃん。なんなんだこいつら、前世鬼か。
「私もう一番後ろ嫌だ……」
「そうだね、亜美は私の前歩きな」
さきに促されるも、彼女の腕から中々手が離せない。震えた膝でどうにか前に出たけれどそれ以上前に進めず、結局さきと並んで歩くようにすることで落ち着いた。
「もう帰ろうよう……」
「まだ入ったばっかじゃん」
「だってかおりが脅かすから……!」
「もうやらないよ。約束!」
私の訴えは却下され、かおり達はずいずいと前へ進んでいく。
「ずっと手繋いでるから。ね?」
「やだ、さきったらイケメン」
「冗談言えるくらいには元気になったね」
「空元気だよう……」
そこからは、やはり私はへっぴり腰のままだった。古い床板が時折甲高い鳴き声を上げるたびに「ひぃっ……!」と息を呑み、視界の端を虫が動けば「ひゃあ!」と悲鳴を上げる。ちなみにこの悲鳴は私よりもたまの方が大きかった。
そういうのを繰り返してどうにか廊下を渡りきり、あとは引き返して帰るだけとなった時。
「かくれんぼ、しよっか」
なっちゃんが悪魔のようなことを言い出した。
「やだやだやだ絶対嫌だ!」
さきにしがみついたまま必死に拒否の意を示す。
「うん、普通に危ないと思う。どこかに隠れて、立て付けの悪くなった扉が開かなくなるかもしれないし」
「それに隠れてる時に虫が来たら嫌だしねぇ」
さきとたまも私と同じ意見のようだ。
「一回だけ! こんな機会そうそうあるものじゃないしさ、折角ここまで来たんだからやっていこうよ!」
「でもさっき自分でかくれんぼしちゃいけないっていう教訓なんだって言ってなかった?」
「そうだけど! でもそれはどうせ大人とかが考えたんでしょ? みんなスマホ持ってるし、まだ明るいんだから行方不明になんてならないよ」
なっちゃんの説得にさきが冷静に返すも、引き下がる気はないようだ。
「そんなに不安なら時間決めようよ。その時間までに全員見つからなかったら、かくれんぼが途中でも切り上げてみんなで探す。そうすればどこかに閉じ込められちゃっててもすぐに出られるよ」
名案とばかりにかおりが提案すると、たまが不満そうに口を尖らせた。
「虫はぁ?」
「そこはほら、素敵な体験の代わりに我慢」
「えぇー」
「虫がいなさそうなところに隠れればよくない?」
「あ、そっか」
「たまぁ!」
味方が一人減り、私は思わず悲鳴のような声を上げる。
「隠れるのが怖いなら亜美が鬼でもいいよ」
「やだよ、それ絶対私が見つけそうになったら脅かしてくるやつじゃん」
「よくおわかりで」
手をわきわきさせながら、かおりが楽しそうに笑う。これかおりが鬼でも同じことしてくるんじゃないか。
「じゃ、ここは平等にじゃんけんで負けた人が鬼ってことにしよう」
「待って、私まだやるって言ってない!」
「えー?」
「さきだって反対してたし! ね?」
「まあ私は安全が確保されればいいんだけど」
「実はやりたかったな君!」
へへ、とさきが笑う。さきは冷静だけど、いつも怪談話に付き合うあたり怖いものが好きなのだ。薄々勘づいてはいたけれど、こんなところで確信させられても困る。
こうなってしまえば私だけやらないというのも、ここに一人取り残されるようで逆に怖い。遊んでいるという感覚があればまだ気が楽なのかもと思って、私はかくれんぼに参加することにした。