三
翌日、六限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、私は自分の身体が固まるのを感じた。
どうしよう、もう今日が終わってしまう。冷房の効いた教室なのに、私の手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
怪談好きというのは酔狂なもので、昨日のさきの話を聞いたかおり達は、近くならその小学校に行ってみようと言い出した。
勿論私は断ったのだけど、結局近くに見に行くだけだと押し切られてしまった。すぐ隣でさきが困っていたのも断れなかった原因の一つだ。いつもは冷静に止めてくれる彼女も、今回は案内役として参加必須。本人は乗り気ではなかったみたいだけれど、好奇心に囚われたかおり達を止めることは難しいから、きっと一回見せてあげれば彼女達の気が済むと思ったのだろう。普段私を助けてくれているさきが困っているのだから、私だけ逃げるわけにはいかない。
だからかおり達の近くに行くだけという言葉を信じて、それくらいならと了承したのだ。
「――大丈夫だよ、見るからにボロいからかおりも入ろうだなんて言わないと思う」
その声に顔を上げると、前の席のさきが心配そうに私を見ていた。
「でも、怪談の舞台になった場所だよ……?」
「そうだけど、事件があったのはもう何十年も前らしいよ。流石にじっくり見ても楽しくないと思うんだけど……」
「かおり達なら分からないよ。……っていうか、そんな前に使われなくなった建物が、まだ残ってるの?」
私が恐る恐る尋ねると、さきはしまったというような顔をした。そして私の方へと顔を近付け、「かおり達が喜びそうだったから言わなかったんだけど……」と声を潜める。
「壊そうとすると、何故か毎回中止になるみたい」
「中止……? 何か起きるとかじゃなくて?」
「うん。何かが起きるって話は聞かない。でも、どういうわけか中止になっちゃうんだって」
どういうことだろう、と私は首を傾げた。当のさきも不思議そうな顔で、おそらく彼女も本当に知らないのだ。
「でもそれなら昨日話してもよかったんじゃない? 別に変なことが起こるわけじゃないんでしょ?」
「だからこそ、だよ。こんな曖昧なこと言ったらかおりやなっちゃんが想像で色々怖いこと言い出しちゃうでしょ?」
「確かに……」
たまは乗りそうにないが、あの二人は別だ。自分の知っている色々な怪談話を繋げて、何か怖い曰くを作って喜びそう。そしてたまはちゃっかりそれを楽しみそう。
「とにかく! 今の時期なら雑草も凄いだろうし、少し離れたところから見るくらいしかできないと思うよ」
「……だといいけどなぁ」
さきの言葉に少しだけ緊張はほぐれたものの、不安は拭えない。それでもさきの言ったとおりになることを信じながら、私達は放課後になると同時に件の小学校へと向かった。
§ § §
「――なかなか雰囲気あるね……」
目の前に聳える古い建物を見ながら、私は小さく呟いた。木造二階建ての横に長い建物で、建物から人が歩けるくらいの幅を取って四方がぐるりとフェンスで囲われている。このフェンスはよく見る緑っぽい網目のやつで、校舎の古さに比べると少し新しい印象だ。本来校舎の周りにこんなものは必要ないから、恐らく後から設置されたのだろう。死体が出た場所だ、肝試ししようだなんて若者がいるかもしれないし、そもそもすぐ隣の土地には現在も小学校があるから、子供が迷い込むのを防止する意味もあるのかもしれない。
フェンスの外側のさらに向こう側に見える建物は、体育館にしては小さいので物置のようなものだろうか。あの建物の反対側に今の小学校があるのであれば、うまい具合にこの旧校舎の目隠しになっている。
「あれ? ここ入れないの?」
怪訝そうな声の方を見てみれば、かおりがしかめっ面をしているのが目に入った。なっちゃんやたまも心なしか落胆しているように見える。ちょっと待て、近くで見るだけじゃなかったのか。
「入れないよ、誰も手入れしてない建物なんだから危ないでしょ?」
「そうだけど……」
「大体、かおり言ったよね? 『近くまで案内して欲しい』って。私はそれを了承しただけで、中に入れるだなんて一言も言ってないよ」
「うぅ……」
さきの冷静な言葉にかおりが縮こまる一方で、さきは私の方を向いて肩を竦めてみせた。きっと私のことを心配してくれているのだろう。ばっさりとかおりの思惑をぶった切ってくれたことに感謝しつつ、「私も近くで見るだけって言うから来たんだよ」とかおりに念を押しておく。
「でもさぁ、折角ここまで来たんだから入りたくない?」
「ないない。ただの古い建物だとしても、これだけ放置されてる感出てるんだから絶対中虫だらけだよ」
「うわ、私もそれはやだなぁ」
めげないかおりの言葉を否定すると、たまも私の言葉に賛同を示してくれた。たまは怪談好きだけど、普通に虫が嫌いだからこういうところには入りたくないのだろう。
「あそこに行くまでだって、あんな雑草の中通ったら痒くなりそう……――って、なっちゃんは?」
さきの言葉に、そういえばさっきからなっちゃんの声を聞かないなと気付く。かおりとたまも一緒になって周りをきょろきょろと見渡したけれど、近くになっちゃんの姿はない。
「一体どこに――」
私が言いかけた時、「ねぇ!」と遠くから声が聞こえてきた。
「――なっちゃん! そんなところで何やってるの!?」
声の方を見ると、私達のいる場所から校舎を挟んで反対側の方で、なっちゃんが大きく手を振っていた。
「こっち来て! こっち!」
大声で手招きするなっちゃんに首を傾げつつ、私達は彼女の方へと向かう。道路から少し入って、校舎の裏側にある山とフェンスの間を歩く。
一体いつの間になっちゃんはこんなところ通ったんだ。フェンスの内側とは違い雑草が生い茂っているわけではないけれど、学校指定の革靴で歩くには少し歩きにくい。それでもそこまで苦労することなく反対側へとたどり着くと、なっちゃんが「早く早く」と私達を急かした。
「ここ見て、ここ」
そう言ってなっちゃんが指したのはフェンス。しかし指の先を見ていくと、フェンスの網目を縦に、同じ緑色のワイヤーのようなものが巻かれているのがわかった。
「先人は偉大な功績を残してくれていたようだよ」
なっちゃんがワイヤーを持って引っ張ると、雑草の中から先端が姿を現した。それをぐるぐるとフェンスに巻きつけ――もとい解くとあら不思議、フェンスの一部が縦にぱっくり開いたのだ。明らかに人が通れるように切り取られていて、先程のなっちゃんの言葉の意味に気付くと同時に私の胸は嫌な予感でいっぱいになった。
「これは中に入れってことじゃない?」
にやりと笑うなっちゃんに、かおりが悪い顔をする。たまは虫が気になるのか少し複雑そうな顔をしていて、さきは呆れたように大きな溜息を吐いた。
「不法侵入だよ、それ」
「肝試しなんて大体どれも不法侵入じゃない?」
「都市伝説だからでしょ。実際にやってる人は少ないよ」
「でもでも、少なくともここに忍び込んだ人は今までにいるよね?」
かおりとさきのやりとりを聞きながら、私はどうにか逃げられないかと考えていた。あんな話を聞いた後だから気味が悪いというのも勿論あるし、古い建物は危険だと思う。しかも目の前にあるのは自分の胸辺りまである雑草。夏服で肌の露出が多いのに、こんなところを通りたくない。
「虫嫌だなぁ」
たまが呟く。するとかおりが待ってましたと言わんばかりにたまの方を向き、「そんなあなたにはこれ!」と鞄から何かを取り出した。
「虫よけスプレー、持ってきました!」
「わぁ、準備良い!」
演技がかったかおりに、たまも大袈裟なリアクションを返す。けれどたまはすぐに困ったような顔をして、「それで全部の虫は避けれなくない?」と口を尖らせた。
「確かにそうだけど、この雑草はこうして私が踏んでくから大丈夫だよ」
横からなっちゃんが口を出す。言葉通り雑草を踏みつけると、背の高い草は根本からぽきりと折れて道ができた。
「校舎の中の虫は、そこらへんで木の棒でも拾って追い払えばいいよ」
なっちゃんが言い終わると、かおりが付け加えるようにして口を開く。
「まだしばらくは明るいから陽の光も十分入るだろうし、懐中電灯も持ってきたし。危ないなら床が抜けるかもしれない二階には上がらないようにすればよくない?」
「うーん……じゃあ、少しくらいならいいかな」
「たまぁ!」
まんまとかおり達に説得されてしまったたまに、私は思わず悲鳴を上げる。残る反対勢力はさきのみ、横目で様子を窺うと考えるようにしている姿が目に入った。
「……連れてきちゃったのは私だから、責任取らないといけないか」
「さき!?」
「だってそうでしょ? 近くから見ればかおり達の気が済むと思った私が悪いんだから。このまま知らんふりして帰って、もしかおり達だけ通報されちゃったりしたら、なんだか後味悪いし」
さきの言葉にかおりが「流石!」と声を上げる。しかしすぐに「言っとくけど、反対ではあるんだからね」とさきに釘を差されて慌てて目をそらしていた。
「亜美は帰ってもいいよ。怖いでしょ?」
「そうだけど……さきだって嫌なのに……」
「亜美は騙されて連れてこられたようなものじゃん。知らんふりしていいんだよ」
さきは優しくそう言ってくれるけれど、私は「じゃあ帰る」だなんて言う気になれなかった。勿論すごく帰りたいけれど、かおり達が勝手にしていることだとは思うけれど、なんだかここで帰ってしまったら、今まで通り一緒にいるのが辛くなる気がしたのだ。
「……ちょっとだけ行く」
私がそれだけ絞り出すと、かおり達がガッツポーズするのが見えた。