トモダチ
「一輝はね、あたしとは相性が悪かったのよ」
一輝と別れたのは自分の落ち度によるものではない、とでも早苗は言いたげだった。
「好みが合わないっていうのかしら? どうもしっくりこないのよねぇ」
早苗は丹念に巻いた髪を指先で弄びながら、退屈そうにゆるゆると首を振った。
「キルケ何とかっていう彫刻家がどうとか、印象派のルーベンスとかいう画家のイヤリングをした女の絵がどうとか、訳の分かんない事ばっかり話すの。つまんないわ」
多分キルケゴールの事を言っているのかもしれないが、彼は彫刻家ではなく思想家だし、ルーベンスは印象派ではない。それに、その耳飾りをした女の絵も、恐らく別の画家が描いたものではないだろうか。どうやら早苗は、一輝の話にさっぱりついていけていなかったらしい。
一輝は、絵画を見たり、本を読んだりするのが好きだった。彼と付き合っていた時には、美術館にデートしに行った事もある。
汐羅は特に美術作品に詳しかった訳ではないが、それでもつまらないと思った事はなかった。そういった事に疎いのだと言えば、一輝はきちんと分かりやすい説明をしてくれたし、もっと汐羅が興味を引かれる話題を提供してくれる事もあったからだ。
きっと一輝は相手が早苗であっても、そうしたに違いない。それにもかかわらず、早苗が一輝の話を『訳が分からない』と表現するのは、初めから聞く気がなかったという事の表れだろう。
早苗は、その後もまるでその場にいる目に見えない一輝を罵るような言葉をいくつか吐いた後、「でも、汐羅は違うわ」と上目遣いでこちらを見てきた。
だが、その時の彼女の瞳の輝きは、安物のイミテーションの宝石のような、どこか嘘くさいものだった。それに、一輝を取られた事を抗議する汐羅をあしらう時に見せた、愚かな者への嘲りのような感情も含まれている気がした。
「汐羅はあたしとすっごく気が合うもの。あたし、最初に汐羅を見た時から、ずっとそう思っていたわ。だから一人でいた汐羅に声を掛けたのよ。その時の事、もちろん覚えてるわよね?」
クラス替えが行われた当初の事を汐羅に思い起こさせるような、恩着せがましい調子で早苗が言った。
「あたし、やっぱり汐羅といるのが良いみたい。だからあたしたち、元通りよ。これまでと同じ、親友だから! 仲良くしましょうね、汐羅」
「早苗……」
確かに汐羅は、もう早苗の事は恨んでいない。しかしながら、彼女のこの露骨な手のひら返しに何も思わないほど、汐羅は人が好くなかった。呆れた目で、じっと道化師のようなクラスメイトの方を見つめる。
「汐羅もあたしと仲直りしたいと思ってくれていたのね!」
だが、化粧で塗り固めた早苗の面の皮は思った以上に厚かったらしい。嬉々としてはしゃいだ声を出した。
「ねえ、汐羅。今度一緒に遊ぼう? せっかくだから、梅川くんも誘ってさ」
「えっ、紀之?」
思いもかけなかった名前が出てきて、汐羅は驚いた。しかし、早苗は気にせず続ける。
「親友の幼馴染には、ちゃんと挨拶しておかないとね。ねぇ、今日の放課後空いてる? 良かったら、三人でどこかに寄って……」
汐羅は眩暈がした。そういう事か、と気が付いた。とんだ食わせ者である。早苗は、決して失恋の教訓から友情の尊さに目覚めた訳ではなかったのだ。
結局のところ早苗にとって、汐羅はどこまでも利用する対象でしかないのだろう。そして、今度の早苗の狙いは紀之だ。そう言えば彼女は、ずっと前にも紀之の事を紹介してほしいと言っていた。早苗は紀之に近づくために、またしても汐羅を良いように使おうと考えているのだ。




