地に在りては願はくは
「クラリス」
声を掛けられて、夢から覚めたような動作でクラリスは振り向いた。一瞬ランタンを掲げた幼い少年の姿が見えた気がしたのは、赤い双星が見せた幻だったのだろうか。そこに立っていたのは、その少年が十年分だけ成長した青年だった。
星明りとランタンの光が、二人の影を暗い草原に浮かび上がらせる。姿形以外は、十年前と何も変わらない。二人が今日持ってきた物も、お互いの心の奥底にしまってある記憶も想いも、何もかもだ。
二人はしばらく見つめ合った。それだけでも充分だった。しかし、この『結婚式』を挙げるには、それだけではいけないのだと分かっている。ヘンドリックの口が何か言いたそうに動いた。だが、クラリスの方が早かった。
「愛しているわ、ヘンドリックさん」
クラリスは華奢な手のひらをそっと広げた。そこには、玩具のように小さい指輪がちょこんと乗っていた。だが、そこに込められた想いは、他のどんなに贅をつくした指輪よりも大きなものだと、クラリスもヘンドリックも知っていた。
「受け取ってちょうだい。私の夫になってほしいの」
クラリスの言葉は夜風に乗って、ヘンドリックの耳朶を震わせた。彼の唇からあえかな吐息が漏れ出る。
「……先を越されてしまったね」
ヘンドリックは柔らかな下草を踏みしめて、ゆっくりとクラリスの方に近づいてきた。ランタンを地面に置くと、白い上着の懐に手を入れて、彼も幼い頃に作った指輪を取り出した。
全てはこの日のためだった。二人は十年前の約束を叶えたのだ。クラリスとヘンドリックは指輪を交換した。小さな指輪は、もうお互いの指に入らなくなっていたけれど、相手の手のひらの上に乗せられたそれは、十年越しに自らの役目を果たしたとでも言いたげに、誇らしく輝いていた。
「僕も、愛しているよ」
ヘンドリックが指輪を持つ方の手を、クラリスに差し出してきた。クラリスも指輪を乗せた手をそこに重ねる。二人の手のひらの中で、指輪の赤いビーズが折り重なるようにして合わさった。
ヘンドリックはクラリスをそっと引き寄せた。彼の腕の中でクラリスが囁く。
「私、これからも我儘な事を言って、ヘンドリックさんを困らせる事があるかもしれないわ。それでも……ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろんだよ」
赤い二つの星の光が射注ぐ中、二人はいつまでも身を寄せ合っていた。耀う星影が映し出すその姿は、まるで天上の双星が、そのまま地上に降りてきたかのようだ。だがその光は、朝が来ても失われる事はないだろう。十年に一度だけではない。これからも二つの輝きは寄り添ったまま、決して消え去る事はないのだから。




