赤い星の指輪
「早苗、一輝くんにキスしてた」
出し抜けに、汐羅は切り出した。もちろん何が起こったのか、最後まで見ていた訳ではない。だがあのままなら、確実に二人の唇が重なっていたであろう事は明白だ。
汐羅は水に垂らされた墨が徐々に広がっていくように、心がどんよりと曇るのを感じていた。だから、ゲームのロードが終わり、画面に泣いているクラリスの立ち絵が表示されても、申し訳ないという気持ちにはならなかった。それどころか、早苗もこんな風に酷い目に遭って泣き濡れてしまえばいいのにとさえ思う。
『もうヘンドリックさんは、私に会いに来てくれないでしょうか』
クラリスは、前回ヘンドリックと喧嘩別れをした事を悔やんでいるようだった。
『ヘンドリックさんに嫌われたら……私、どうしたらいいの?』
『 そんなに彼が良いんですか? 』
画面には一つしか選択肢が出なかった。汐羅はそれを選ぼうとする。その隣で、紀之がぽつりと漏らした。
「そんなにあいつが良いのか?」
汐羅ははたと動きを止める。紀之は画面を見ていない。紀之の言った『あいつ』とは、一輝を指すのだろう。
汐羅は何も言わなかった。指を動かしてクラリスにヘンドリックの事を尋ねる。
『良いんです』
クラリスが返事した。
しかし、その声はどこか虚しく汐羅の中へと響いてくる。クラリスはヘンドリックの事が大好きだ。では、自分は? 自分は一輝の事をどう思っているのか? 汐羅は紀之からの質問に対して、クラリスと同じように、「どうしても彼が良い」という答えを返す事が出来ずに動揺した。
隣に腰掛ける紀之の手がピクリと動くのを感じながら、汐羅はクラリスの言葉の続きを聞いた。
『先生も知っていますよね? ヘンドリックさんは私の幼馴染なんです。ずっと傍にいた。ずっと私を見守ってくれていた、そんな人なんです』
「……一途な良い子だな」
紀之は相変わらず画面を見ていなかったが、クラリスの台詞には全て声が当てられているので、今ゲームの中で何が起きているのかを把握する事が出来たようだった。クラリスの言葉を聞きながら、どこか感慨深そうにそう呟く。
「でも、顔は早苗と似てるよ」
汐羅は負け惜しみのように言った。紀之はやっと画面に目を遣る。クラリスが懐から出したあるものを、『セーラ先生』に見せているスチルが表示されていた。
『これ、私が八歳の頃、ヘンドリックさんのために作ったんです』
それはビーズで出来た指輪だった。中でも、中心についている他と比べて一回りくらい大きい真っ赤な色のものが印象的だ。大きさは人形用かと思うほど小さく、幼い頃のヘンドリックの姿がそこから垣間見えるようである。それだけでなく、所々から透明な糸が飛び出ており、当時のクラリスはこういった作業に慣れていなかったであろう事も分かった。
『ヘンドリックさんも、自分で作った同じ指輪を持っています』
当時を懐かしむようにクラリスは言った。そして、『先生は、赤い双星の伝説をご存じですか?』と尋ねてくる。
『十年に一度だけ訪れる、天頂に赤い双星が輝く夜に、『星見の丘』と呼ばれる場所で愛を誓い合った二人は、永遠に幸せになれるんだそうです』
クラリスは夢見るような口調になっていた。
『私、小さい頃にヘンドリックさんと約束したんです。十年後にこの指輪を持って星見の丘で会おうって。そこでお互いに作った指輪を交換しようって。私……その時からずっと、ヘンドリックさんの指輪をもらう日が来るのを待っていたんです』
その約束をしたのが指輪を作った八歳の時なら、十年後というのは、二人が十八歳になる今年を指すのだろう。その日が近いのだと、クラリスは『セーラ先生』に言った。
『ねえ、先生』
クラリスが縋るように汐羅に尋ねてきた。
『ヘンドリックさんは、その約束を今でも覚えていてくれるでしょうか?』
星見の丘で指輪を交換する。どうやらそれがこのゲームの終着点――エンディングらしかった。つまり汐羅は、幼少期の甘い夢に彩られたそんな約束を、いかにして壊すのかを考えなければならないという訳だ。




