目撃
「ねぇ、いいでしょ? 一輝……」
その光景に汐羅は息を呑んだ。
玄関口の暗がりにある掃除用具入れの後ろで、早苗が一輝に絡みついていたのだ。
早苗はブレザーに包まれた細い腕を一輝の首に回して、彼の体に自分の肢体を擦りつけていた。校則で禁止されているはずの化粧を厚く施した顔が、一輝の頬に近づいていく。
「だ、だめだよ、早苗さん。もうすぐ授業が始まるから……」
一輝は明らかに困惑した様子で、それと同時に少し不快そうでもあった。そうでなければ、今すぐに二人の間に割って入っていって、汐羅は何もかも壊してしまおうとしただろう。
だが、そんな衝動を抑止できたところで、これ以上この場面を黙って見ている気にはなれなかった。汐羅は、足の裏に接着剤でもつけられてしまったかのような、ギクシャクとした足取りで後退し始める。だが、顔を背けようとした直前で、もっと悪い事が起こってしまった。
「嫌よ、一輝。そんな事言わないで……」
早苗の顔が、一輝の唇にゆっくりと近づいていく。
地獄の炎で炙られるような憎悪を覚えていた汐羅に、今度は背筋を針で突き刺されたような戦慄が走る。
汐羅は叫び声を上げた。しかし、悲鳴は声にならなかった。ガタガタと震える手で口元を押さえながら、先程までの、のろのろとした動きが嘘のような速さで階段を駆け上がる。体がじっとりと汗ばんできたが、それが何に対する汗なのかは、汐羅には分からなかった。
汐羅は教室には向かわなかった。おぼつかない足取りで辿り着いたのは、屋上だった。汐羅は足をもつれさせながらフェンスに寄り掛かる。
汐羅は一輝とキスなどした事がなかった。手を繋いだ事さえ、片手で数える程しかない。奥手な一輝は自分から汐羅に触れてくる事など、一切ないと言って良かったからだ。
汐羅は肩で大きく息をしながら、早苗に対する新たな憎しみが沸き出てくるのを感じていた。苛立ちのままに鞄を開け、ゲーム機を取り出す。汐羅の持っているゲーム機は、据え置き機としても携帯機としても使えるという優れものだ。
スタート画面でボタンをクリックして、ロードが終るまでしばらく待つ。すると、屋上のドアが開く音がした。
(げっ、先生かな)
汐羅は一瞬体を強張らせた。ゲーム機を学校に持ってくるのは校則違反だ。それに、もう授業が始まる時間のはずである。こんなところを先生に見つかると厄介な事になる。
だが、汐羅の心配は杞憂に終わった。ドアを開け、こちらへと歩いて来たのは紀之だったのだ。
「よう、サボり」
紀之は汐羅の隣に腰掛けた。
「……そっちこそ」
汐羅は軽口を返しつつも、紀之の方をじっと見た。
「教室からお前が見えた」
汐羅の聞きたい事を察して、紀之が言った。片膝を立ててフェンスに体重を預け、空を見つめている。
「何か……様子が変だった気がしたから」
「……そう」
汐羅は胸が詰まってそれしか言えなかった。わざわざ自分を心配して来てくれたのだろう。心がささくれ立っていた汐羅には、その優しさが眩しく感じられた。




