失恋
「ごめん、相模原さん。もう君とは付き合えないんだ」
夏休みが明けてすぐの、ある放課後の事だった。相模原汐羅は、長谷一輝に校舎裏に呼び出され、開口一番にそう告げられた。
汐羅と一輝は恋人同士だ。二人が付き合い始めてから後一か月ほどで、一年になる。だがその関係を、一輝は今この瞬間に終わらせたいと口にした。
「何で……?」
汐羅は掠れた声を出した。しかし、自分で言っておいて、これほど馬鹿な質問もないと思った。原因など、はっきりしているというのに。
「他に……好きな人が出来たから」
一輝は汐羅を呼び出してからずっと、眼鏡の奥の目を明後日の方向に向けていた。その視線が、さらに自分から逸れていく。彼は奥手な性格で、こういった緊張を強いられる場は、何よりも苦手だった。それなのにこうして汐羅を呼び出して、自らの口から別れを告げたという事は、今回の件に関して、一輝がそれなりの覚悟を持って臨んだ証だと考えられる。それとも、何か別の理由があるのだろうか。例えば誰かに――『好きな人』にそうするように言われたとか。
「誰なの?」
汐羅は、またしても答えの分かり切っている質問をした。
「誰が好きなの? 一輝くん」
一輝の瞳がゆっくりと揺らいだ。汐羅の前でその名を出すのが耐えがたい拷問であるとでも言うかのように、端正な顔に苦渋の色が走る。だが彼は大きく息を吸い込むと、小さな声で自らの心を奪っていった相手の名を口にした。
「杉村さん」
今まで腹の奥にしまっていたその存在を一度口の外に放りだした事で、一輝はわずかながら勇気づけられたようだ。相変わらず汐羅の方を見ようとはしなかったが、次に出した声は先程のものより少しだけ大きかった。
「杉村早苗さんだよ」
汐羅は、足元の地盤が緩み、そのまま地面の中に埋まっていくような錯覚に陥る。だが、一輝が出した名前があまりにも想定外であったためにショックを受けた訳ではなかった。
汐羅が感じていたのは、怒りに他ならなかった。汐羅は、こうなる事をどこかで予期していたのだ。それなのに、何とかなるだろうという根拠のない楽観視を今まで続けてきた自分が許せなかった。そして、自分の恋人を横取りした『杉村早苗』に対する憎悪の念が、燃え盛る炎のように、身の内側を焼いていた。
杉村早苗。彼女は、汐羅と同じクラスに在籍する女子生徒だった。だがそれだけでは、汐羅は早苗に対してここまでの憎しみを抱かなかっただろう。
早苗は、汐羅が親友だと信じて疑っていなかった、まさにその人だったのである。