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まーくんお話できるようになる

12



 翌日、まーくんは今度は二階の廊下の壁を指差して何か訴えている。


「あーあー、うっうーうー、あひゃあいやや」


 虫でも居るのか? 何度も見直すけど、何もいない。


 むかし飼っていた猫の場合と、ちょっと違う。やたらキッチンの方を見て警戒しているなーと思ったら、ゴキブリが出てきたからね。


 まーくん、ママね、人類初の「死因ゴキブリ」になる自信あるわ。しかもテラフォーマーに出てきそうなゴッツイやつでなく、すごくちっちゃい奴に。


 まーくんは、ママの顔を見上げて必死に何か言っているけれど、ごめんね、通じないわい。早くお話が出来るようになろうね。そしたら幼稚園のお友達ともいっぱいおしゃべりできるよ。



「ねえ、何か焦がしてない?」


 一階の廊下のドアが開く音がして、義母が大きな声で警告してきた。私は「えっ!」と叫んで、慌ててキッチンに走った。


「いや、大丈夫ですよ。コンロはついてません」

「変ねぇ、なんか焦げ臭い」


 昨夜の服は全部洗ったけどなぁ。


 なんとなく……嫌な感じ。いや、昨日から心に引っかかりはあったのだけれど。


 どうにもいやーな気分がはっきりしたのは、その夜、まーくんが電気のついていない真っ暗な廊下に向かって、手をふり出した時だ。


「かんべんしてくれ」


 お兄ちゃんには黙っておこう。たぶん怖くて一人でトイレに行けなくなる。そうなのだ、私も年甲斐もなく、何となく気味が悪いのだ。




 明け方、その怖がりお兄ちゃんが熱を出してしまった。風邪みたい。季節の変わり目だものね。


 うちの子たちは、パパに似たようで、熱を出すとふつうに四十度行く体質である。


 しかもなかなか下がらず、食欲も皆無。熱が下がった頃にはいつもガリガリに痩せてしまう。夜中うなされて泣いたり、叫んだりは今までにもあった。


 怖がりなので、誠太は自分の部屋では寝られない。普段は親世帯の義母の部屋でこっそり寝かせてもらっているという彼だが、熱がある時は特別にママとまーくんの部屋で寝かせる。


 そんな彼だが、まだ暗い時間にむくっとベッドから起き上がって足元を指差しながら「おかっぱの女の子がいる」と言った時は、ゾクゾクっときた。


 高熱がひどくて、ジョークを言える体調じゃないので、ママを怖がらせるつもりで言ったわけではないと思う。


 前の高熱のときは、ベッドにてんとう虫がいる、と大騒ぎしていたしね。――その時はママも大騒ぎしたっけ。うん、うなされているだけ。幻覚です、幻覚。


 そうに違いない、と必死で自分に言い聞かせちゃうのは、やはりどことなく気味が悪いものを感じていたのだろう。






13




 それから一週間。今回も、なかなか下がらない熱だった。血液検査やおしっこ検査をしてもらったが、特に菌などは発見されず……。いつものように「体質ですね」とお医者に言われる。


 熱が出ている間はいつも食べられなくなるので、病院で点滴をしてもらい、週末には完全に下がっていた。週明けから普通に登校して、私もほっとした。ただの風邪、ただの熱。こじつけない!


 相変わらずまーくんは暗闇に向かって手を振ったり、壁をじっと見ていたりするけれど、忙しい毎日ではそんなこと小事というか、慣れというか、生活に追われて気にならなくなった。子育ては、他にも問題が山積みなのである。



 師走も近いし、ああ、忙しい。でもその前に、今度はクリスマス会の企画をしなきゃね。サンタクロースのコスプレして、子供たちを追い掛け回すかな……。


 そんな不埒なことを考えていたその日のこと。幼稚園から帰って、お絵かきをしていたまーくんが、宙を見上げながら、口を開いた。


「ま、ま、ニ、ン、ニ、ン、いる」


 そう、ここ二、三日で、やっと文章が出始めたのだ。今まではせいぜい単語程度だったけれど、やっぱり幼稚園に入ると色々刺激されるのね。


「ニ、ン、ニン。そこ」


 ニンニン? 忍者? たーくんはクレヨンを持ったまま、天井を指差す。え? 虫? 思わず身構える。え? まだゴキブリとか蜘蛛とかいる?


「ニンニン」

「にぃにぃ?」


 真面目くさった顔で首を振る。お兄ちゃんのことじゃないの? まあ、まだ学校だけど。


「ち、がう、ニンニン」


 そして画用紙に何か書き出した。うちの下の子、上の子と違ってなかなか絵が上手い。上の子はパパに似て、書かせると精神異常者が描いたような絵になるのだが、私に似たのだろう。果物や動物、けっこう上手に描くのだ。


「ニンニンってなあに?」


 画用紙を覗き込んで、ごくっと唾を呑み込む。顔の絵。男の子の顔だろうか。


「これニンニン?」

「そ、う、ニン、ニン」


 まーくんはもう一度天井を指差す。普通、天井に顔はねーよな? ママ、しっこちびるけどいい?


 これが小学生ならママを怖がらせようとしている、って思うけど、まーくんはやっとしゃべりだしたばかりだ。はっきり言って、嘘ついてからかうような知能はまだ無い。せいぜいお漏らしした後、カーペットを剥がして隠そうとするくらいだ。


 実は大好きなお化け屋敷も、お化けという認識が「寝ない子だれだ? 俺か?」の絵本に出てくるテレサみたいなやつだから、平気なんだと思う。口裂け女が出てきても、ただの口紅はみ出した女の人としか思ってないのかも。


 そんなまーくん、その日もいつものように廊下を指差し、ついにはこうはっきり聞いてきた。


「マ、マ、この子、だれ?」


 あー、それは壁ですよ、壁。壁をこの子って呼ぶんじゃないよ、まったく。


「ゆ、う、ちゃん」


 誰に聞いた? その壁がゆうちゃんって名前だって誰に聞いた今!? あとニコニコ笑いかけるんじゃないっ。それは壁だっ!


 大丈夫。まだ気のせいで逃げ切れる。そうやって何十年もやってきた。おばちゃんの思考はそう簡単には変えられないぞ。


「STAPさい――幽霊はいませんっ!」


 なにせな、あの時誓ったのだ。あれはそう、受験勉強の時だ。


 うわあ、ずいぶん前だな、おい。



 私は夜中まで勉強をしていて、ふと、夜中の二時頃。そう、草木も眠る丑三つ時ってやつ。開きっぱなしの部屋のドアの外。真っ暗な廊下に、白いものがフワフワ浮いているのを見た。


 中学三年生とは言え、か弱い女子だ。悲鳴をあげようと思った。でもみんな寝てるし、起こしたら悪いし。まあ、私はとてもいい子だったので、家族に気を遣ったのだ。


 当時から、怖がりな自分が嫌で、幽霊ごときにビクビクしたくないと思っていた。居るのかいないのか、はっきりさせてやると、いつも思っていた。


 もし幽霊なんて居ない、って自分なりに納得できたら、そりゃー死後の世界が無いと死ぬの怖いけど、生きている間に呪いだの、祟りだの、暗闇だの、当時まだ存在していた、ぼっとん便所だのに悩まされることは無いと思っていた。


「バッキャロウロウロロウロウ」


 私は立ち上がって、真っ暗な廊下に出た。


「はははっ、幽霊の正体見たり、枯れ尾花だ」


 古臭い言葉を酔いしれながら叫び、蚊取り線香の煙を見て高笑いし、結果的に家族全員を起こして怒られたっけ……。でもいいの。照明の消えた場所で白い塊を見たら、それは全て煙だと思うことにする。


 こんな小さな出来事だけど、あれ以来、私は極端になった。


 初詣に行くこともなくなり、墓参りどころか、仏壇でお線香をあげることも断固拒否した。誰か偉い人が言ってた。俺の墓の前で泣いてんじゃねえっ、だってそこに俺はいねえからな? って。あれ、誰が言ってたっけ? 言ってたよね?


 お墓に行かないでも、心の中でいつも思い出し感謝すればいいのだ。


 まー結果、親に首根っこ掴まれて墓掃除させられたけどな。


 そして、幽霊がいないなら神様もいないのだっ。






「でも、ママ、初宮参りは行ってるよね?」


 こんこんと幽霊いない説を息子にしていたら、ママの部屋から写真を持ってこられる。あわわ……。力説してる時に、水を差すな誠太。


……はい。その通りです。子供が絡むと、どうしても信心深くなる。


 小学生の頃から断固初詣を拒否していた私だが、それは存在しないと思っているからではなく。


 神様は神社に行かなくてもお賽銭を入れなくても、いい子をいつも見守っているのだ、という子供ながらの都合のいい解釈をしていたからだ。なのでまた別の話。


 蚊取り線香事件以来、霊的なもの、神がかりなものは無い、と豪語してきた。


 でもねぇ、もしよ? もしこの考えが間違っていたらどうする? お化け、本当に居たらどうするよ? 神様仏様が居たらどうする? もし、子供が生まれて宮参り行かなくて、その超自然的な力が働いて、早死したらどうする? 「私がお宮参り行かなかったからだぁああ」と後悔することに――。


「ならねーわ」


 夫は呆れながらも、行事として行くべきであると、子供二人ともお宮参りには行った。でも私も夫も自分の厄払いとかはまったく無頓着だ。


 そう、子供が危険にさらされるかも、とちょっとでも気になると、もうどうしようもなく怖くなるのだ。




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