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救出計画(前編)

煌めく街灯の光が白磁の石畳を鈍く照らし、風に揺れる梧桐の葉が音もなく落ちる。星々の輝きは都市の灯に押し負け、夜空はどこまでも暗く沈んでいた。そこに漂うのは、帝都特有の緊張感——秩序によって保たれた静けさと、その裏側に潜む不穏な気配。


貴族街・鳳凰区。その一角に佇む壮麗な屋敷は、まるで夜の宮廷のように闇に溶け込んでいた。しかし、その威厳を象徴するはずの大門は、ひどく不吉な沈黙をたたえていた。

恵一たちは、その異様な静けさに足を止めた。


「……おかしい」

舞陽が静かに言った。


普段なら、屋敷の門前には警護の騎士たちが立ち、訪れる者を監視しているはずだった。しかし、今は誰もいない。ただ、闇が濃く沈み、夜気だけが冷たく漂っている。


「ぐふぅ……これ、普通に詰んでない?」

恵一がごくりと唾を飲み込む。直感が警鐘を鳴らしていた。この静けさは、ただの偶然ではない——異常だ。


「行くぞ」

浅井がそう言い、大門に手をかける。鉄と魔導結界が組み込まれた重厚な扉。それを押し開くと、冷えた夜風が頬を撫で、暗闇の向こうに横たわる光景が露わになった。


門をくぐると、敷地の奥には巨大な屋敷がそびえていた。広大な庭園には、手入れの行き届いた植栽と彫刻が並び、夜風にわずかに揺れる。しかし、普段なら灯っているはずのランプが一つも点いておらず、不気味な暗闇が支配していた。

——門の内側には、倒れ伏した護衛騎士たちがいた。


「……っ!」

美寛が目を見開く。


だが、違和感があった。護衛たちはただ倒れているわけではなかった。

全員、まるで人形のように直立したまま、目を開けていた。

彼らの視線は虚空を彷徨い、焦点が合っていない。表情は無機質で、まるで魂を抜かれたかのようだった。その姿は、生命のある肉体ではなく、蝋人形の群れのようにすら見えた。


「……なんか、嫌な感じね。こういうの、ゾクッとくるわ」

美寛が腕を組み、警戒するように周囲を見渡す。


「……精神干渉系の魔導?」

舞陽が冷静に分析する。


「違うわ」

久美が歩哨の一人に近づき、慎重に脈を確かめる。「ただ眠らされているわけでも、思考を止められているわけでもない。まるで、意識を外部から奪われたよう……」


「とにかく、ノーラを探すぞ!」

浅井が屋敷の玄関へと足を向ける。


扉を開けると、屋敷の内部は異様なまでに静まり返っていた。

黄金のシャンデリアが天井から下がり、銀色の燭台には消えたままの蝋燭が並んでいる。大理石の床には、足音すら吸い込まれるほど深く編み込まれた絨毯が敷かれていた。廊下の壁には名画が飾られ、貴族の家としての品格を示している。

しかし、どの部屋も荒らされた形跡はない。家具は整然と配置され、扉や窓には乱れがない。まるで、何事もなかったかのように——異様なほど完璧な状態を保っている。

そして、図書室で見つけたノーラのブローチ。


「証拠が一つも残ってないなんて……手慣れてるじゃない。ま、素人の仕業じゃないってことだけは確かね」

久美がブローチを拾い上げ、苛立ちを隠せない様子で指先で弄ぶ。


「……姫殿下が攫われたのは、ほぼ確定っすね」

恵一は震える手で情報端末を取り出し、警察の緊急窓口に発信する。だが、向こうはまだ何も把握しておらず、警備陣の壊滅すら報告が上がっていないという。急報を受けた担当官は混乱しつつも、すぐに特捜班を編成し、監視網の解析を開始すると告げた。


帝都の治安を預かる組織として、警察の対応は迅速だった。だが、彼らが動き出すのは、まさに今この瞬間からだ。つまり、ここからの捜査はゼロからのスタートであり、犯人たちの足取りが警察の手に届くまでには、タイムラグが生じる。


それだけでは足りない。


恵一の胸に渦巻く確信が、焦燥へと変わる。

襲撃は計画的だった。犯人たちは帝都の中心で姫殿下を攫うという暴挙に出ながら、一片の証拠すら残していない。これほどの綿密な準備を整えた以上、警察の動きが計算に入っていないはずがない。公式の捜査が進むほどに、彼らは手がかりを消し去り、闇へと姿を消していくだろう。


このまま「対応を待つ」だけでは、何も掴めない。


——ならば、公式な手段が及ばない場所に、別の道を探すしかない。


恵一の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ——東村龍太郎。


今はただの用務員だが、かつては帝都の裏社会に関わっていた男だ。借金の重圧から闇バイトに手を染め、裏の世界で生き延びるために危険な仕事を請け負ってきた。その過程で帝都の裏社会に深く関わり、数多くの危険な人間と接触してきた。今は表の世界で生きているが、裏社会の流れを完全に断ち切ったわけではない。むしろ、表と裏の両方を知る立場だからこそ、現在の帝都の暗部で何が起きているのかを掴める可能性がある。東村なら、闇に通じる別の糸口を持っているかもしれない。恵一は、迷いを振り払うように通話ボタンを押した。


コール音が数回鳴った後、無骨な声が応答する。

「……おう、なんだ、恵一。また厄介ごとに巻き込まれたのか?」


「東村氏、頼みます! 姫殿下が襲われちまったっす!」


「何!? 詳しく話せ!」

夜の帳が帝都を包み込み、月光が石畳に長い影を落とす。空はどこまでも澄んでいたが、雲の端がゆっくりと広がり、まるで何かが忍び寄るように視界を覆い隠そうとしていた。


恵一は、じっと手のひらを握りしめた。指先にじわりと汗が滲む。まるで冷えた空気と焦燥が交錯し、自らの内側で小さな嵐を生んでいるようだった。


「俺らが姫殿下の屋敷に行ったら、警備が全滅してて、完全にやられてたんすよ!」

言葉が口をついて出ると、それは暗闇の中にぽつりと落ちた小石のように、静かに広がっていく。


「俺らも、同じ敵に襲われたんだけど、全員外国人だったから、東村氏、何か心当たりないかなと……」

東村は黙っていた。その沈黙は短いものだったが、奇妙な重みを伴っていた。まるで暗雲のたれこめる空が、嵐の前の静寂を保っているかのように。


「……外国人の組織が帝都で動いてる、か」

東村の低い声が、風に溶ける。


「東村氏、何か知ってるっすか?」

「ああ……ちょっと待てよ」


情報端末越しに、東村が記憶を探るような沈黙が流れる。その間、恵一は無意識に目の前の景色を眺めていた。舗道の隙間に咲いた名も知らぬ草が、街灯の光を浴びて静かに揺れている。まるで、何かを囁き合うように——それはほんのわずかな動きだったが、奇妙な不安を掻き立てた。


そして、数秒後——


「……そういや、昔、妙なバイトをしたことがあったな」

「妙なバイト?」

「外国人がたくさんいるアジトのような場所から、荷物を運ぶ仕事だ。正確な場所もだいたい覚えてる」


「お、いい線いってるんじゃない?」

美寛が小さく笑う。しかし、その声には、ほんの僅かに緊張が滲んでいた。


「可能性は高いわね。でも、確証がない以上、慎重に動くべきよ」

舞陽が静かに言う。その声は夜風のように冷たく、理知的だった。


「……確証はねぇが、もし外国の連中が帝都で暗躍してるってんなら、そこが奴らの拠点になってる可能性は高ぇな」

東村は短く息を吐き、少し考え込んだ後、静かに言葉を継いだ。

「……ここは、一度桝岡の御曹司様に話を通したほうがいいかもな」


恵一が顔を上げる。

「京介氏っすか?」


「ああ。俺らが動くよりも先に、あの御曹司様がすでに何か掴んでる可能性が高い。帝都の異変に気づかねぇはずがねぇからな」


「なら話は早いわ、東村。あんたも桝岡のとこ行くの付き合いなさいよ」

久美の声が響く。普段なら挑発的な言葉を混ぜるところだが、今は違った。

一瞬の沈黙。


「……ったく、面倒くせぇな」

東村の声は荒っぽかったが、そこに迷いはなかった。

「分かった。そっちに向かう」


通話が切れると、恵一は今度は急いで京介へ発信した。


コール音が鳴るや否や、すぐに応答があった。

「……桂澤さん、どうしたんですか? こんな夜遅くに」


京介の声は、抑揚を抑えた穏やかさを保ちながらも、どこか冷たい整然さを感じさせた。雑音すらも許さぬ静寂が、彼の周囲に漂っているのが伝わってくる。


「京介氏ぃ! ガチで緊急事態なんだよぉ!」

恵一は焦りを隠すことなく、言葉をぶつけた。


「落ち着いてください、桂澤さん。順を追って説明を」

「姫殿下が襲われて、屋敷の護衛は全滅、敵は外国人だったんだよ! で、東村氏が、昔関わった外国人のアジトを知ってるっぽくて!」

恵一の言葉が矢継ぎ早に飛び出す。その焦りと混乱を孕んだ声に対し、京介は一切の口を挟まず、ただ静かに聞いていた。

その沈黙は、単なる無言ではなかった。まるで、高速で計算を巡らせ、最適解を導き出すための時間を稼いでいるかのように。


「なるほど……」

ほんの数秒の間があった。


そして、京介は静かに結論を下した。

「すぐに本邸へいらしてください。リムジンを手配しましたので、その場で待機していただければ大丈夫です」


「すまん! 京介氏!」

恵一が叫ぶように言った瞬間、通話が切れた。


遠くから、エンジン音が響く。

振り向くと、漆黒のリムジンが滑るように彼らの前へと停車していた。

恵一は絶句した。まるで彼らが電話する前から待機していたかのような完璧なタイミングだった。


美寛が窓を見つめ、息を呑む。

「……どんだけ準備万端なのよ」


リムジンは静かにドアを開いた。その動作には一切の乱れがない。まるで見えざる執事が、彼らを迎え入れるかのようだった。


誰からともなく乗り込み、ドアが閉まると同時に、車は音もなく動き出した。

恵一たちがリムジンに乗り込むと、ドアが静かに閉まり、車は音もなく動き出した。エンジンの振動すら感じさせない滑らかな走りに、車内は異様な静けさに包まれる。


しっとりとした革張りのシートが身体を優しく包み込み、間接照明が柔らかな輝きを放つ。かすかに漂うジャスミンの香りが、穏やかに空間を満たしている。どこを見ても完璧に整えられた内装には、無駄なものが一切なく、それがかえって現実離れした感覚を呼び起こした。

窓の外では、夜霧に煙る街灯の光が幻想的に揺らめき、人工の星々のようにビル群の灯りが点在している。その輝きは冷たい銀の砂を撒き散らしたかのようで、都市の鼓動は穏やかに脈打っていた。


「……すぐ来たのはわかってたけど、あまりにも早すぎるわね」

美寛が腕を組み、ため息混じりに言った。


会話も途切れがちだった。焦燥と不安が混ざり合い、沈黙が車内の空気を支配する。

帝都の繁華街を抜けると、街並みが徐々に変わっていった。豪奢な街灯が並ぶ貴族街に入り、整然とした並木道が続く。街路樹の葉が夜風に揺れ、静寂の中でわずかな囁きを立てている。


「やっぱり桝岡家の情報網って、俺らが考えてるよりもっとヤバいんじゃ……」

浅井が窓の外を眺めながら、ぼそっと呟いた。


やがて、リムジンは徐々に速度を落とし、威厳ある門の前で静かに停車した。

車窓の向こうにそびえ立つ桝岡本邸は、まるで帝都の中枢にそびえ立つ孤高の城塞であった。

巨大な鉄製の門扉は、厳かなる審判者のごとく夜の闇を睥睨し、その表面には繊細な装飾が施され、光の角度によって微細な陰影を生み出していた。門の両脇には古代の神殿を思わせる石柱が屹立し、訪れる者に畏怖と敬意を抱かせずにはいられない。


その向こうに広がる庭園は、まるで神々の住まう楽園のようであった。草木は一葉たりとも乱れることなく、整然と刈り込まれた生垣が幾何学模様を描きながら広がり、人工と自然が完璧に調和した美の極致を体現している。並木道は緻密な計算のもとに配置され、歩む者を導くかのように緩やかに曲線を描いている。

本邸の建築は、まさしく帝都の権威の象徴であった。外壁には年月を超えてなお輝きを放つ白大理石がふんだんに使用され、まるで月光を映し出す氷の宮殿のような幻想的な輝きを湛えている。精緻な彫刻が施された回廊は影を落とし、そこに灯る燭光が揺らめくたび、まるで建物そのものが呼吸しているかのような錯覚を与えた。この邸宅は、ただの住まいではない。

それは桝岡家の威光と歴史、そして帝都を影から支配する力の象徴。

あまりの完璧さに、人間が住まうには過ぎた場所にすら思えた。


リムジンが停車すると、門が音もなく開いた。玄関前には、すでに数名の執事が控えていた。その中心に立つ老紳士が、一歩前へ進み、恭しく頭を下げる。

「ようこそ、桝岡本邸へ」


完璧な礼儀作法を備えた執事、溝呂木が静かに迎え入れる。

「御曹司様がお待ちです。どうぞ、こちらへ」


彼の後に続き、恵一たちは門をくぐり、桝岡邸の奥深くへと進んでいった——。


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