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訪れる嵐の前触れ

リムジンの内部は沈黙に包まれていた。漆黒の夜の帳が帝都を覆い隠し、魔導灯の煌めきが燃え立つように街を彩る。京介は車窓の向こうに広がる光景を静かに見つめていた。都市の喧騒は遠のき、今この空間に存在するのは、完璧に調律された静寂だけだった。


シートの高級皮革は柔らかく、指先が触れるたびに心地よい弾力を返す。かすかに漂うサンダルウッドの香りが、車内の空気を満たしていた。すべてが整然としており、乱れはない。しかし、京介は微かに眉をひそめた。


「申し訳ございません、御曹司様。すでに、把握しております」

溝呂木の声は、車内の静寂を壊すことなく響いた。彼の手はハンドルから離れていないが、その眼光はすでに闇の中に潜む気配を捉えていた。


京介は窓の外に視線を向ける。街灯の光が、一瞬だけ奇妙に揺らいだ。この世界に偶然は存在しない。あるのは必然と、その積み重ねだけだ。

「放っておいても構わないのですが……降りましょう」


京介の指示に応じ、リムジンは静かに路肩へと停車した。ドアが開く。彼の足が地面に触れた瞬間、空間がわずかに震えた。稲妻のような閃光が、闇夜を切り裂く。音よりも速く、殺意だけが駆け抜けた。京介の視界が、白光に満たされる。


魔導攻撃――純粋な意思、計算し尽くされた軌道、精密に制御されたエネルギーの収束。


京介は静かに目を閉じた。感性力(ジンリヒカイト)がすでに敵の殺意を捉え、悟性力(フェアシュタント)がその術式構造を解析している。光が届くよりも速く、未来は決定されていた。敵の放った魔導砲撃が、京介の前で霧散する。まるで初めから存在しなかったかのように。


彼は淡々とした口調で呟く。

「FIA……アナベル・グレース主席特務官。まさか、このような場でお目にかかれるとは光栄ですね」


闇の中から、一人の女が姿を現した。肩までの金髪が、月光を反射しながら揺れる。漆黒のスーツに包まれた肢体は無駄がなく、獲物を見定める猛禽のような視線が、京介を射抜いていた。


「そこまで見抜くとはね……さすがは桝岡家の神童(ヴンターキント)と言われるだけのことはある。その噂、伊達ではないようね」

連邦情報局(Federal Intelligence Agency)、通称FIA――北アトランティック連邦の影に潜む諜報機関。その主席特務官。

彼女の背後に、さらに数体の影が蠢く。

「……気づかれた以上、生かして帰すわけにはいかないわ」


言葉と同時に、再び魔導の奔流が走る。嵐のように。疾風のように。

それらを、京介はただ歩くような自然さで避け続ける。彼の瞳には、すべての未来が映っていた。すべての攻撃が、無意味であることを、京介は知っていた。


神の視座サンプル・エテルニタティス


認識が変わる。過去、現在、未来――時の概念が、統合される。攻撃が生まれる前に、それは無かったことになる。


アナベルの動きが止まった。

「な……?」


彼女の身体が硬直する。力が抜ける。まるで、自分の存在そのものが、否定されたかのように。

「これが……何……?」


京介は静かに歩み寄った。

「あなたの行動は、最初から決まっていました。ただ、それがこういう形で収束したというだけのことです」


アナベルは、一歩も動くことができなかった。

彼女の魔導回路は、もはや京介の統覚に完全に掌握されていた。


「……これで終わりのようですね」

その瞬間、アナベルの意識は闇へと沈んだ。


京介がふと視線を落とした、その瞬間だった。

背後で微かな殺気が揺らぐ。しかし、それが形を成すよりも早く、夜闇に溶けるように影が崩れた。低く抑えた溜息が、静寂の中に響く。


「御曹司様の手を煩わせるような相手ではございませんので……」

執事服に身を包んだ溝呂木が、音もなく立ち、崩れ落ちる敵を見下ろしていた。


京介は淡く微笑む。

「溝呂木さんが汗をかくまでもない相手ですよ」


「これは出過ぎた真似を。しかし、御曹司様の貴重なお時間を、これ以上些末なことで浪費させるわけにもまいりませんので」

溝呂木は恭しく一礼し、片膝をついた。その動作には、長年の習練が刻まれていた。


京介はふと夜空を仰ぐ。帝都のネオンが、薄い靄に滲んでいる。

「……北アトランティック連邦も、いよいよ本格的に動き出したようですね」


静寂の中、微かな風が吹き抜けた。それは、訪れる嵐の前触れだった。

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