事件の裏側1
エリア17(旧大田区)——帝都の中でも特に富裕層が集う、最も洗練された地区。政治家、財閥、名門貴族たちが邸宅を構え、夜ごとに豪奢な晩餐会が開かれる。その景観は、まさに帝国の権威と繁栄の象徴であった。
その中でもひときわ異彩を放つのが、桝岡家本邸である。
広大な敷地の中央にそびえ立つその建築は、単なる豪邸の域を超え、宮殿と呼ぶにふさわしい威容を誇っていた。
重厚な石造りの外壁は、まるで帝国の威信そのものを象徴するかのように厳かにそびえ、日の光を受けて鈍い輝きを放つ。アーチ型の窓には繊細なステンドグラスがはめ込まれ、陽光を浴びるたびに、壁面に柔らかな色彩の影を落としている。
庭園には、整然と配置された噴水や彫像が並び、時代を超越した壮麗さを湛えていた。左右対称に広がる花壇には、四季折々の珍しい花々が植えられ、中央の長い石畳の道を進めば、やがて威厳ある扉の前へと辿り着く。
静謐と権威、そのすべてがここに集約されているかのような場所。桝岡家本邸は、帝国の中枢を担う家門の象徴として、今日も変わらぬ壮麗さを誇っている。
その一角に位置する『獅子王の間』と呼ばれる大間は、その豪華さがさらに際立っていた。京介は、この荘厳な空間で丁度夕食の最中だった。
この部屋の中心には、貴重な西インド諸島原産のマホガニー木材で仕立てられたアンティークテーブルが鎮座している。艶やかな木目が見る者の目を奪い、歴史を刻んだその佇まいが、ただの家具以上の威厳を漂わせていた。テーブルの上には、『フローラダニカ』の食器が整然と並び、そのひとつひとつが絵画のように繊細な花々を纏っていた。まるで春の野を閉じ込めたかのような美しさが、手描きの草花の彩りに満ち、金箔と銀彩が燭台の柔らかな光をまといながら、静かにきらめいていた。それはただの食器ではなく、芸術そのものが生み出す静謐な詩のようであり、この荘厳な空間にさらなる気品を添えていた。
後方には、10人ほどのメイド姿をした幼女たちが控えている。皆、緊張した面持ちで直立不動の姿勢を保ち、微動だにしない。幼女たちの年齢は6歳から12歳と幅広いが、全員が長い黒髪を持ち、その幼さの中に蕾のままの美しさを秘めていた。黒と白のメイド服に身を包んだ幼女たちは、どこか儚げで、しかしこの豪華な空間の一部として見事に調和していた。
燭台の炎が揺れるたび、陰影が壁面をゆっくりと流れ、重厚な雰囲気にさらなる深みを与えている。その静寂の中で、銀器が触れ合う微かな音だけが響き渡り、京介の存在がこの壮麗な空間の中心であることを否応なく強調していた。
京介は、軽く微笑みを浮かべながら、幼女たちを一人一人順番に鋭い視線で睨め回した。その視線には、労いの意図も含まれているのだろうが、同時に厳格な評価の目が宿っていた。幼女たちはその視線を一身に受け止め、わずかな表情の乱れすら見せなかった。
実のところ、桝岡邸では、執事長である溝呂木の厳格な指導の下、京介の身辺に関わる家政の大部分をこれらの幼女たちが担っていた。幼女たちは、全国から厳正なる審査と過酷な教育を経て選ばれ、ちょうど6歳になる頃に桝岡邸へ引き取られる。そして、12歳を迎えると、その勤めを終え、桝岡家が所有する企業や工場へと送られていく。
それは、幼女たちにとって無情とも言える運命だった。しかし、桝岡邸での6年間は彼女たちにとって生涯忘れることのない誇りでもあった。たとえ短い期間でも、京介という桝岡家の御曹司に仕えることは、彼女たちの人生の頂点と言える名誉だったのである。
この制度は、京介自らが制定した桝岡家の新たな方針だった。彼はこれを親しみを込めて『チェンジ』と呼んでいた。
「こちらは、『オマール海老のタルタル、キャビアーとマスカルポーネのガトー仕立て』に御座います」
給仕人が次の料理を恭しく運んできた。かつてデンマーク王室の食卓を彩ったことで知られる『フローラダニカ』の皿に美しく盛り付けられた料理は、まるで絵画のように精緻だった。皿に描かれた手描きの花々が、燭台の柔らかな光を受けて鮮やかに浮かび上がり、料理全体をまるで芸術作品のように引き立てている。
京介は無言で頷き、ナイフとフォークを手に取ると、丁寧にオマール海老を切り分け、慎重に口へ運ぶ。脂の乗ったオマール海老の豊潤な旨味とマスカルポーネのしっとりとした仄かな甘みが、口の中いっぱいに広がる。それは、まるで潮風の爽やかさと白い絹のヴェールを纏った濃密な贅沢が織りなす追復曲であった。
背後に控えるメイドたちは、主の食事の様子をじっと見守っている。その顔には緊張が滲むものの、どこか誇らしげな輝きが宿っていた。彼女たちは知っていた。この一瞬が自分たちの人生の中で特別な時間であることを。そして、京介という存在が、それを特別にしているのだということを。
燭台の揺らめく炎が、広大な『獅子王の間』に淡い光と影を落とし、その重厚な雰囲気を一層際立たせていた。
「ふむ、今日は合格点ですね」
舌鼓を打ちながら、京介は誰へともなく呟いた。
「さて」
京介はふうっと一呼吸すると、メイド達を順繰りに見定め始めた。その間、5秒ほどの沈黙が流れる。
「さくら子さん、今日は貴女にお願いして宜しいでしょうか?」
京介は、メイド達の中では比較的年長にあたる幼女に視線を定めると、優しく、しかし不思議と抗い難い力強さで告げる。
「は、はいっ、御曹司様!!!」
出し抜けに名を呼ばれ、幼女はびくっと取り乱したように答えた。
「さあ、恥ずかしがらなくてもいいんですよ」
京介に促されるままに、テーブルの上へと上がると、幼女はもじもじとスカートをたくし上げ、皿の上に跨った。羞恥のあまり、幼女の顔は薔薇のように紅潮している。京介は、無言で幼女の目を食い入るように見つめた。そして、幼女は意を決したような表情で、京介を見つめ返すと、『オマール海老のタルタル、キャビアーとマスカルポーネのガトー仕立て』の上で、勢いよく排便した。
ブリブリっ ブリブリブリ
幼女がスカートを下すと、皿の上は溢れんばかりの液便で満たされていた。京介が前もって、1リットルにも及ぶ大量のミルクを幼女に飲ませていたのだ。一般的に、モンゴル人を除くアジア民族の大半は、乳糖不耐体質である。つまり、強制的に一定量を超えるラクトース成分を摂取することで、咀嚼され消化器官に送り込まれたその他の有機物は、水分を多分に含んだ状態で排泄される。それは、人種による体質の違いを逆手に取った巧妙なトリックであった。京介は、満足げに皿をぐちゃぐちゃとかきまぜると、スープの様にその汚物を啜り、考え込むような面持ちでその味を吟味する。
「お食事中失礼致します」
静寂を破るように、溝呂木がドアをノックして入室してきた。
「帝国臣民党の大原幹事長が、至急御曹司様にお目にかかりたいとの事。如何致しましょうか?」
京介は、ふう、と呆れたようにため息をつく。実は、つい1時間ほど前、京介はとある依頼をするため、大原に連絡を取っていた。しかし、まさかこんなに早く到着するとは、思ってもみなかったのである。政治家と言うのは、常に民草の人気取りや後援者のご機嫌伺いに東奔西走する忙しい輩だ。ましてや、今回は桝岡家嫡男である京介と言う我が国最重要人物の一人から、直々に声がかかったのである。普段に増して余裕のなさが見え透いていた。
「ご足労頂き申し訳ないですが、食事が済むまで1時間程、控え室にてお待ち頂く様、お伝え下さい」
そんな大原の焦慮を他所に、京介は食事を続ける。京介の平穏を邪魔することは、何人たりとも許されないのだ。