体育祭 - 第三日目(1)
白金魔導学園体育祭、第三日目――最終日。
朝靄が薄くたなびき、静かに消えゆく。夜の名残を溶かすかのように蒼穹が広がり、黎明の光が天幕を淡く染めていた。やがて太陽が地平を押し上げると、無垢な白布に覆われたスタジアムの天幕が輝きを増し、その反射はまるで神域の門が開かれる瞬間のように幻想的な輝きを放った。
中央にそびえるアリーナは、ただの競技場ではなかった。巨大な円形の闘技場は、その歴史の深さを物語るように荘厳で、まるで古の戦士たちが幾千の戦いを刻んだ神殿のように威厳を放っている。その周囲を取り囲む魔導障壁は、青白い燐光を脈打たせ、空間に微細な粒子を散らしていた。それは儀式の炎のように静かでありながら、同時に触れれば灼かれる禁忌の領域を思わせる神聖な威圧感を孕んでいた。
観客席には、すでに無数の人々が詰めかけていた。生徒たちは前のめりに座り、教師たちは腕を組みながら静観する。観客のざわめきは波のように寄せては返し、期待と緊張の熱が、大気そのものを震わせていた。
「今年のE組は桂澤が鍵を握るな」
「だが、A組には速見や星岡がいる。今年もA組の優勝は揺るがないかもしれないな」
憶測と期待が交錯する中、ひときわ澄んだ声がスタジアムに響き渡る。
「白金魔導学園体育祭、第三日目がいよいよ幕を開けます!」
実況・天羽來優の声が、場の空気を一瞬にして引き締めた。
「本日の目玉はもちろん最終種目、アリーナバトル! 4対4の魔導戦闘によって、総合優勝の栄冠が決まります! 果たして、勝利を掴むのはどのチームか――最後までお楽しみください!」
その瞬間、観客席が爆発するような歓声に包まれた。熱狂が渦を巻き、スタジアムそのものが生き物のように震えている。魔導障壁が観客の熱に共鳴するかのように微かに揺らめき、朝の光と溶け合いながら、青白い輝きが空間を満たしていた。
初戦を順調に突破した恵一たちE組は、ついに準決勝まで勝ち進む。
対戦相手はC組――それは戦術と緻密な術式運用を武器とする集団。彼らの攻撃は、単なる個の力ではなく、計算され尽くした連携と配置によって成り立っていた。
試合開始の合図が響くと同時に、C組の前衛が素早く布陣を敷く。背後の後衛が詠唱を始めると、その声が魔導式に同調し、淡い光の波がフィールドを駆け抜けた。
「出るぞ――!」
指の軌跡と共に、空間が軋むような熱気が生まれる。赤熱する炎の槍が幾筋も放たれ、それは鋭い猛禽の群れのように宙を走った。槍の先端は蒼白い光をたたえ、フィールドの空間を切り裂くかのように一直線にE組へと殺到する。
しかし、次の瞬間、それらはすべて黄金の輝きによって阻まれた。
軍神の盾――恵一の絶対防壁。
燦然たる光の盾が展開し、迫りくる炎槍を弾き返す。衝撃波が空間を震わせ、フィールドに淡い光の残響が渦を巻いた。
「これがE組の切り札、桂澤選手の軍神の盾だ! どんな攻撃も通じない!」
天羽の実況が熱を帯びる。
だが、防御するだけでは勝負にならない。
美寛と舞陽、そして浅井――E組の攻撃の要が動く。
美寛は軽やかにフィールドを駆ける。彼女の動きは風のように滑らかでありながら、突如として雷光のように鋭くなる。視線を釘付けにするその身のこなしは、敵の意識を翻弄し、攪乱するのに十分だった。
「舞陽、右から来る!」
「了解、任せて」
舞陽の指がわずかに動く。その動作に呼応するように、魔導弾が空間を裂き、一瞬の隙を確実に撃ち抜いた。
「……いくぞ」
浅井の手元に、淡い蒼白の光が収束する。魔力が空間に滲み、螺旋を描くように凝縮されると、それは形を変え、一振りの魔導剣へと成形された。空気がわずかに震え、剣の輪郭が明滅する。
「喰らえ――爪環剣!!」
光の刃が弧を描く。次の瞬間、蒼白い閃光が走った。疾風のごとき剣閃がC組の最後の選手を捉え、衝撃と共にフィールドの外へ弾き飛ばす。
静寂――それは、ほんの刹那だった。
「試合終了! 勝者、E組!」
審判の宣言が響いた瞬間、観客席は雷鳴のような歓声に包まれた。大気が震え、フィールド全体が熱狂の波に飲み込まれていく。誰もが驚き、興奮し、E組の勝利を信じられないかのようにざわめいていた。
恵一は、魔導剣を収めた浅井の背中を見つめながら、喉の奥に詰まった息をゆっくりと吐き出した。試合は終わった。しかし、まだすべてが終わったわけではない。
E組の面々は、歓声の中を抜けるようにフィールドを後にした。勝利の余韻が肌に残る。しかし、それは熱を帯びた汗と同じで、時間が経てばすぐに冷え、流れ去るものだった。
控室へと続く通路は、試合の熱気とは打って変わって静かだった。細長い空間に響くのは、自分たちの足音だけ。だが、その扉の向こうでは、まだ観客たちの興奮が鳴り続けている。次の試合が始まり、歓声が波のように押し寄せ、遠ざかり、また押し寄せる。そのたびに、心臓の鼓動がわずかに乱されるのを感じた。
控室に入ると、扉が重々しく閉まる。外の熱狂が遮断されると同時に、そこには試合前の緊張とは異なる、じっとりとした沈黙が横たわった。誰もが椅子に腰を下ろし、あるいは壁に背を預けながら、荒い息を整える。
「……勝ったわね」
静かに、美寛が口を開く。スポーツドリンクのボトルを握り、一口含む。ひんやりとした液体が喉を潤し、静かに冷えていく感覚があった。しかし、それだけだった。この控室に漂う空気を塗り替えるほどの安堵は、そこにはなかった。
舞陽がタオルで指を拭いながら、低く呟く。
「まだ終わってない。次はA組よ」
その言葉に、空気がわずかに変わる。誰もが理解していた。決勝戦の相手――速見、星岡、菅原、久美。彼らが待ち受けている。その名を口にするだけで、現実味が増していく。
控室の壁に掛かった時計を見上げる。決勝戦まで、あと二時間。
外では、A組とB組の試合がすでに始まっていた。歓声が大きくなったり、沈んだりしながら、また別の波となって押し寄せてくる。そのたびに、壁の向こうの熱気がわずかに伝わり、時間の流れを思い出させる。
恵一は、手のひらをじっと見つめた。試合の間、強く握りしめていたため、わずかに震えている。
「……星岡は俺にやらせてくれ」
ぽつりと、浅井が呟いた。彼の拳はゆっくりと握られ、開かれ、また握られる。その掌に染み込んだ汗の感触を確かめるように、ゆっくりと。
「いいわ」
美寛が即答する。その瞳には迷いがなかった。
「でも、覚えておいて。私たちは星岡に勝つためにここにいるんじゃない。A組に勝つためにいるの。だから、連携を最優先する。E組の勝利につながる、一番のタイミングで、一番適した人が星岡を倒す。その上で、できる限り浅井に譲る」
室内の空気が、さらに静かになる。
浅井は静かに視線を上げた。そして、口元にわずかに笑みを浮かべる。
「ああ、わかってるよ」
その言葉に、全員が顔を上げる。「今まで、どれだけ格上の相手にも食らいついてきた? 俺たちはずっと、追い詰められながらも道を探してきた。今回も、それは変わらない」
沈黙が、確信へと変わる。
外では、次の試合が佳境に入り、歓声が一層膨れ上がっていた。
決勝戦の時が、刻一刻と近づいてくる。
そして、ついにその時は訪れるーー決勝戦。
アナウンスが響き渡った。「決勝戦、出場選手は速やかにアリーナへ――!」
控室の扉が開かれた瞬間、熱気が容赦なく流れ込んできた。外の空気は熱を孕み、肌を焼くようだった。怒涛の歓声が耳を劈き、喉の奥にまで響くほどの振動が伝わってくる。観客の興奮はすでに極限に達していた。誰もが、これから始まる戦いを待ち望んでいる。
浅井が拳を固める音が、小さく響いた。「行くぞ」
美寛が先頭に立ち、舞陽がその隣に並ぶ。恵一は最後尾からゆっくりと歩を進めた。
だが、一歩踏み出すたびに、自分の足がわずかに震えていることに気づいた。
何度か深呼吸をする。けれど、胸の奥に渦巻く不安は晴れない。足元が妙にふわふわとした感覚で、地面にちゃんと立てているのかすら怪しく思えてくる。手のひらにじっとりと汗が滲み、無意識のうちに拳を握りしめた。
本当に、勝てるのか。
いや、それ以前に――ここに立つ資格が、自分たちにあるのか。
扉の向こうには、戦場がある。アリーナの中心では、A組の四人がすでに待ち構えていた。
彼らは動かない。微動だにせず、ただこちらを見据えていた。
その姿はまるで、王のようだった。
彼らが発する圧倒的な存在感が、フィールド全体を支配している。陽光が彼らの背後から差し込み、長い影を地面に落とす。その影の大きさが、そのまま彼らの力の大きさを象徴しているかのようだった。
速見晃士郎――雷を纏う最速の戦士。魔導と肉体を極限まで同期させた彼の速度は、視覚の限界を超え、まるで空間を跳躍しているかのように錯覚させる。零式雷天砲による直線軌道の破壊、壱式束縛弾による敵の拘束、そして参式嵐裂砲による広範囲殲滅――雷撃と暴風を操る彼の魔導は、いかなる敵も退路を断たれる恐怖を味わうことになる。
星岡彰彦――精密なる砲撃手。戦場において彼の手から放たれる魔導弾は、すべて計算し尽くされた軌道を描き、決して無駄撃ちはしない。一斉射撃による飽和攻撃、そして絨毯爆撃による圧倒的な火力投射は、防御を試みる者に絶望を抱かせる。彼の魔導戦闘は、狙撃手の冷徹さと砲兵の破壊力を兼ね備えた、一方的な制圧である。
菅原大地――不動なる剛力。鍛え上げられた肉体と魔導が融合した彼の戦闘術は、単なる格闘技ではなく、まさしく魔導を内包した破壊の極致である。鉄拳による重撃は、防御を貫き、地を割る。余計な動きを排した一撃は、戦場の静寂を破る轟音とともに、すべてを粉砕する。彼が拳を振るう時、それはすなわち相手の戦闘不能を意味する。
間宮久美――知略の指揮官。彼女の戦術魔導は、力ではなく支配によって戦場を制する。千軍万馬の知略による戦況把握と戦術最適化、決闘領域による敵の孤立化、血に染まりし戦場による陣形支配――彼女が指を動かせば、戦場の均衡が一変する。言葉と策が刃に勝ることを、敵は知ることになる。
彼らはここに立つことを約束された者たちだ。
当然のように決勝戦に進み、当然のように勝利を収めると確信している。
一方、E組はどうだ。
ここまで来たのは、ただ運が良かったからではないか。A組の四人を前にして、恵一の心には、そんな疑念がふと生まれた。
視線を向けられるだけで、体の芯が凍りつくような錯覚に陥る。彼らの視線には、迷いがない。隙がない。ただ、勝利だけを見据えている。
恵一は、震える手を見つめた。
軍神の盾は守れるのか。これほどまでに強大な相手の前に立って、自分は本当に盾としての役割を果たせるのか。たとえ守れたとしても、勝利への道筋を見つけることができるのか。
逃げ出したいとは思わなかった。ただ、恐ろしかった。
ゴリアテに挑むダビデ――そのたとえが頭をよぎる。圧倒的な巨人に立ち向かう、無謀な者。それが今の自分たちの姿だった。
一方で、VIP席に座る京介は、静かにフィールドを見下ろしていた。傍らには、彼の執事である溝呂木が控えている。
「御曹司様、いよいよ決勝戦でございますね」
「ええ、溝呂木さん。ここからが本番です」
京介の視線は、フィールド中央に佇むA組の四人へ向けられていた。
「A組の面々は、すでに何度も軍神の盾を目にしています。無策で挑むとは考えにくい。彼らがどのような対策を施してきたか、それが今回の戦局を左右する鍵となるでしょう」
溝呂木が頷く。「確かに、A組ほどの実力者が正面突破のみを狙うとは思えませんね」
「当然です。彼らは、過去の戦闘データから軍神の盾の防御特性を分析し、弱点を突くための手段を用意しているはず」
京介は視線をわずかに落とし、グラスを傾けた。その表情には、揺るぎない確信がある。
「しかし、本当に見どころなのはそこではありません」
溝呂木が静かに問いかける。「と、申されますと?」
京介は視線をフィールドへ向け、淡々とした口調で応じた。
「桂澤さんが、その対策にどう対応するか、です」
スタジアムの熱気に包まれながらも、恵一の歩みには迷いがあった。彼の拳は強く握りしめられ、胸中の不安を悟られまいとしているかのようだった。しかし、その奥底には、まだ顕現していない何かが眠っている。
「今の軍神の盾は、彼の才能のほんの一端にすぎません」
溝呂木の目がわずかに細められる。「と、仰いますと?」
京介はゆっくりとグラスを置き、静かに言葉を紡ぐ。
「彼のポテンシャルは、まだ底が知れない」
短く断言したその声音には、確信が滲んでいた。溝呂木は無言のまま京介の言葉を待つ。
「軍神の盾がどこまで持ちこたえるのか。あるいは、彼がその枠を超えて何を見せてくれるのか――それが、この決勝戦の本当の見どころですよ」
フィールドでは、選手たちがそれぞれの持ち場へと向かう。陽光がアリーナに降り注ぎ、静寂が訪れた。
「――行くぞ」
浅井の低い声が、その静寂を破った。
恵一は息を詰め、唾を飲み込む。指先に力を込めると、汗が滲んだ手のひらがわずかに滑る。彼は、ゆっくりと拳を握りしめた。
もう、後戻りはできない。
鐘の音が響いた。
統覚コヒーレンスが変調を受け、戦場全体の魔導波が激しく揺らぐ。感性力の鋭敏な知覚が、空間の異常を瞬時に捉えた。
A組が動く。
光の屈折が一瞬乱れたかと思うと、速見の姿が消えた。否、消えたのではない。光速の雷撃とともに、その存在が視界の端から端へと移動したにすぎない。
「零式雷天砲!」
瞬間、白い閃光がフィールドを貫く。雷撃が大気を裂き、その軌道はまるで一条の槍のように直線的でありながら、周囲の魔導波を振動させながら進行していた。
恵一の皮膚が粟立つ。雷撃そのものの熱ではない。統覚コヒーレンスが乱され、感性が本来捉えるべき世界の像を揺るがせることで生じる、極めて本能的な拒絶反応。
恵一は、考えるよりも速く、軍神の盾を展開した。黄金の障壁が、音もなく輝く。雷撃が衝突する。瞬間、フィールドが震えた。
軍神の盾の表面に、波紋のような揺らぎが広がる。雷撃のエネルギーは拡散し、障壁の周囲に沿うように軌道を変えながら霧散する。しかし、雷撃が消えた後に残ったのは、障壁の破損でもなければ、恵一の傷ついた姿でもなかった。ただ、静かに立ち続ける彼の影。
(防げる……!)
戦場の喧騒の中、その確信が恵一の心の奥底で小さく灯った。
だが、その瞬間、空間そのものが弾けるように軋んだ。
「鉄拳!」
菅原の拳が空気を震わせながら突き進む。その拳が大気を殴りつけた瞬間、術式が強制的に発動し、目に見えぬ重圧がフィールド全体に広がった。空気が収縮し、衝撃波が伝播する。
恵一の足元がわずかに沈み、軍神の盾の表面が一瞬波打った。
(重い……!)
それは、単なる肉体の強化ではなかった。統覚コヒーレンスを揺るがせるような一撃。物理現象の範疇を超えた拳撃。恵一は軍神の盾の防御域が菅原の打撃によってわずかに変調を受けたことを感知した。
(だが――まだ崩れはしない)
拳撃が防壁に衝突した刹那、恵一の目の前で小さな火花が散った。それは光の反射ではない。菅原の拳が直接障壁を突破することは叶わなかったが、その衝撃波は確実に魔導波へ干渉し、空間そのものを震わせていた。
「チッ……!」
菅原が歯噛みする。しかし、間を置くことなく、第二の攻撃が迫る。
「壱式束縛弾!」
速見の雷撃が空間を撓ませながら奔る。雷撃の本質は単なる電撃ではない。感性力が生み出した魔導の顕現であり、悟性力の制御下にある限り、それは術者の意図するままに形を変える。雷の鞭が、軍神の盾を絡め取るように振るわれた。
(まずい……!)
菅原の拳が生じさせた余波のせいで、一瞬軍神の盾の防御領域が微細に拡張された。そのわずかな変動を、速見は決して見逃さなかった。雷撃はその隙を正確に狙うように捩れ、強引に軍神の盾の表面を滑る。
しかし――
恵一の意識がそれを捉えた瞬間、軍神の盾が反応する。黄金の障壁が、一瞬のうちに補正をかける。刹那、雷撃が弾かれた。
(……防げた……!)
だが、その戦況を冷静に見極めていた者がいた。星岡が、戦場の異常を察知する。
「一斉射撃!」
魔導弾が、まるで光の嵐のように降り注ぐ。星岡の魔導弾は単なる物理的な弾丸ではない。それぞれが異なる属性を帯び、互いの波長を補完することで、防壁への干渉を試みる。
(これは……)
恵一の脳裏に、一瞬の不安が過る。しかし、それはすぐに消える。
黄金の障壁が、全方位に輝く。魔導弾が軍神の盾に接触するたび、その軌道が僅かにねじ曲がり、波紋のような揺らぎを生じさせる。だが、それは防御の崩壊を意味しない。むしろ、それは魔導の波動が吸収・無効化される過程に過ぎなかった。
「……冗談だろ?」
星岡の表情が険しくなる。そして、最後の攻撃が降り注ぐ。
「絨毯爆撃!」
視界を埋め尽くすほどの炎が、軍神の盾を包み込んだ。戦場の大気が振動し、爆発の衝撃が観客席まで響く。
(これは……)
恵一の意識が、わずかに外へ向かう。外野の歓声が止まっていた。空間が焼け、灰が舞う。
だが――
軍神の盾は、一切の揺らぎを見せていなかった。爆煙の中から、黄金の光が静かに輝く。爆煙が徐々に晴れていく。焦げた大気の中に、黄金の輝きだけが揺らぐことなく浮かび上がる。その中心に立つ恵一の影は、微動だにしていなかった。
「……なに……?」
星岡の声が掠れるように漏れた。
戦況を制するはずだったのは自分たちの側であり、格下のE組は、せいぜい多少の抵抗を見せた後に力尽きるはずだった。しかし、どれほどの猛攻を加えようとも、軍神の盾には傷一つつかない。それが何よりの異常だった。
菅原が、拳を握りしめたまま低く呟く。受け入れ難きを受け入れる。そんな口調だった。
「やっぱり、力と力の戦いじゃ向こうに分があるか……」
速見が、僅かに息を吐きながら肩をすくめる。彼の目は冷静だった。
「残念ながら、正面からの攻撃じゃ埒があかないな……」
久美が苛立ったように言う。
「ちょっと、あなたが試したいって言ってたこと、そろそろ教えなさいよ。この後に及んでもったいぶるつもり?」
その言葉を聞いても、星岡はすぐには答えなかった。唇を噛み、恵一の立つ黄金の障壁を睨む。その眼差しには、苛立ちと、わずかな焦燥が滲んでいた。これほどの防御を突破する手段が、本当に存在するのか――それを疑う気持ちすら生まれそうになった。しかし、彼は自分の思考を打ち消し、口角をわずかに上げる。
「今、速見が言った通りだよ」
久美が眉をひそめる。
「え?」
星岡は、恵一の影を見据えたまま、静かに言った。
「正面から攻撃しなければいいのさ。文字通りの意味でな」
その瞬間、恵一の背筋に冷たいものが走った。
本能的な拒絶反応。鼓動が速まる。
(……何をする気だ……?)
戦場の空気が変わった。熱と静寂が入り混じる。歓声すらも遠のき、フィールドに張り詰めた緊張が満ちる。A組の四人は動きを止めたまま、しかし戦意を失ったわけではなかった。むしろ、先ほどまでとは違う、異様な確信を帯びた雰囲気が漂っていた。
恵一の感性力が微細な魔導波の変調を捉える。速見の電撃がわずかに帯電し、菅原の筋肉が微細に収縮する。星岡の指がわずかに動き、久美の唇が静かに言葉を紡ぎ始めていた。
(……何かが変わる)
このままでは終わらない。
そして、それを誰よりも理解していたのは、VIP席に腰を落ち着ける京介だった。
「ふむ。A組の動きが変わりましたね」
静かに溝呂木が呟く。その視線は、戦場に立つ四人の僅かな挙動の変化を捉えていた。
京介は微かに視線を動かし、グラスの縁を指でなぞりながら、淡々と口を開く。
「ええ、彼らもようやく気がついたようです」
溝呂木が一瞬だけ眉を寄せる。「と、申されますと?」
「現時点における桂澤さんの軍神の盾には、まだ克服できていない弱点があります。そろそろA組も、それに気づき始めている頃でしょう。本来ならば、もっと早く察知すべきでしたが……それを彼らに求めるのは、少々酷というものでしょうね」
溝呂木は静かに頷いた。「つまり、いよいよ本命の策に出る、と?」
「ええ。ようやく戦いが始まります」
京介は、戦場に目を向ける。
「ここからが、本当に興味深いところですね」
戦場を支配するのは、力か、それとも知略か。
E組はまだ、それが何を意味するのかを知らなかった。