E組の勝ち筋
恵一と浅井は、教室で頭を抱えていた。黒板には、体育祭の種目と点数配分が整然と記されている。アリーナバトル、団体競技、個人競技――どれを取っても、E組にとっては圧倒的な壁だった。
「これ、どうやっても勝てる気がしないぞ……星岡がいるだけでも厄介なのに、輿水秋菜、菅原大地、間宮久美、速見晃士郎までいるなんて。おまけに、あの桝岡まで……」
浅井は黒板を指しながら、疲れた声で呟いた。指先に微かに力が入っているのが、その焦りを物語っている。
「そうだよなぁ……やっぱさ、E組が優勝とか、それはナシよりのナシ案件すぎるよなぁ。最下位脱出でもう満足でいいんじゃね? てか、それだけでも歴史的快挙案件っしょ……これでフィニッシュでも良くね?」
恵一も、半ば諦めたような声で言った。
教室内には沈黙が漂った。時折、廊下から聞こえる笑い声が二人の焦燥感を際立たせる。
「……無理だ、俺たちだけじゃ限界だ。誰かに頼ろう」
浅井がぽつりと提案した。その声には、追い詰められた焦りが滲んでいた。
「頼るって、誰に?」
恵一が首をかしげる。
「決まってるだろ。東村さんしかいない」
浅井が即答する。その名が出た瞬間、二人の間に薄暗い中でも一筋の希望が差し込んだようだった。
「東村氏か……確かに、あの人ならなんとかしてくれそうな説あるよな。修羅場経験値カンストしてる感あるし……ワンチャン期待しても良き?」
恵一の表情に少し明るさが戻る。それを見て、浅井も軽く頷いた。
「よし、行くぞ!」
浅井の掛け声とともに、二人は勢いよく教室を飛び出した。
用務員室にたどり着いた二人は、軽く息を切らしながら扉を開けた。中では東村が掃除用具を丁寧に整理している。落ち着いた手つきとその背中からは、かつて裏社会で生きていた男の影は微塵も感じられない。
「東村氏ぃ! ちょっと相談があるのだがぁ!」
恵一が勢いよく声をかけると、東村は振り返り、眉をわずかに上げた。その動作には呆れと親しみが入り混じっている。
「なんだ、恵一、また何かやらかしたのか?」
低くも穏やかな声が室内に響く。
「いや、そうじゃなくて……体育祭でA組に勝つ方法を教えてほしいんです!」
浅井が真剣な表情で言葉を絞り出した。その真剣さに、東村は目を細め、しばらく二人を見つめた後、短く苦笑した。
「また唐突な話を持ち込むな……」
東村はため息をつきながらも、手にしていたモップを壁に立てかけ、椅子に腰掛けた。
「いやいや、だってさ、東村氏って俺らと同じ「落ち組代表」だけど、何かめちゃくちゃサバイバル力高そうじゃん? 強キャラ相手にどうやって生き残るかとか、その辺のノウハウ、ガチで知ってそうだし……」
恵一がそう言うと、東村は少し目を細めた。その表情には、どこか意外そうな感情が滲んでいる。
「ふむ……それは褒められてるのか、それとも馬鹿にされてるのか、よくわからんな」
東村は肩をすくめながらも、少しだけ口元に笑みを浮かべた。そして、興味深げに二人を見つめる。
「まあいい。これでも、昔は地元の魔導学校に通っていた身だ。体育祭のことなら少しくらいわかる。で、何が知りたいんだ?」
東村の言葉に、二人はほっとしたように肩の力を抜きつつ、次々と自分たちが直面している状況やルールを説明し始めた。東村は時折相槌を打ちながら、手元のノートにメモを取り、真剣な表情で聞いている。
数分後、東村はノートを閉じて椅子から立ち上がり、机に向かって座り直した。そして紙とペンを取り出し、話し始めた。
「まず、お前らが勝てない理由は簡単だ。弱いのに、なんの捻りもなく正攻法で挑もうとしてる。それじゃ勝てるわけがない」
東村は椅子に深く座り直し、手元の紙にさらさらとペンを走らせながら続けた。その声には冷静さと断固たる説得力が宿っている。
「じゃあ、弱い奴が強い奴に勝つにはどうするか? 答えは一つだ――頭を使うしかねえ」
東村は一瞬手を止め、二人を鋭い目で見た。その目には確固たる信念が宿り、恵一と浅井は息を飲んだ。
「いいか、お前ら。まず全種目で全力を出そうなんて思うな。それは無謀だ。A組が強いのは分かりきってる。それに、お前らが勝てる種目なんて、せいぜい2つ、多くて3つが限界だ」
東村は冷静な口調で言葉を続けた。その言葉には、戦場での経験を思わせる確信が宿っている。
「だからこそ、選択と集中が必要だ。勝てる見込みのある種目に全力を注ぎ、効率よく点数を稼ぐんだ。まずは、どの種目を狙うべきか、それを決めるのが先決だな」
東村は手元の紙にさらさらとペンを走らせ、種目名と点数配分を書き込んでいく。その動きは迷いがなく、ペンを動かす音が僅かに静かな空気を切り裂くようだった。浅井と恵一は、息を詰めてその手元を見つめていた。彼がすでに頭の中で戦略を組み立てていることが、彼らにも伝わってくる。
「まず、お前らの説明を鑑みると、アリーナバトルは400点。これを取らなきゃ話にならない」
アリーナバトル――白金魔導学園の伝統であり、名誉と実力が試される頂上決戦だ。ここで勝利を収めた者は、学園史に名を刻むことが約束される。試合形式は4対4のチーム戦。各選手が全力を尽くし、相手を戦闘不能に追い込むか、リタイアを宣言させることで勝利が確定する。だが、その単純なルールの裏には、過酷な戦略とチームワークが求められる苛烈な現実が隠されていた。
東村は手に持ったペンを走らせ、「アリーナバトル」と紙に記した。その横に「400点」という数字を力強く書き添える。太く刻まれた文字はまるで意志を宿しているかのように紙面に際立ち、ペン先が紙を擦る音が、静かな部屋に不思議な重みをもって響いた。
「次に得点が高いのは団体競技だが、ここはドッジボールとセブンスラグビー、どちらを取るか慎重に検討する必要があるな。両方取れたら儲け物だが、この時点で欲張るのは得策じゃない」
彼は冷静な口調で説明を続け、ペンを動かしながら紙に「ドッジボール」と「セブンスラグビー」を記し、その横に点数を小さく書き添えた。
東村が紙に視線を落としたまま、少しだけ間を置く。その間に、浅井と恵一の緊張感が増していく。そんな中、東村が顔を上げ、はっきりと言葉を紡いだ。
「で、ここでもう一つ重要なことがある。お前らの最大の武器を活かすことだ」
「最大の武器……?」
浅井が眉をひそめながら首をかしげる。恵一も少し不安げに東村を見つめた。
「恵一の存在だよ」
その言葉が放たれた瞬間、恵一は驚いたように目を見開いた。
「俺が武器になる? いやいや、それはムリゲーすぎるでしょ! 俺、完全なる「凡人・オブ・ザ・凡人」ですからぁ!そんなの期待しないでぇ……」
恵一は慌てて手を振り、視線を泳がせる。
「何を言ってやがる。お前がそんなんでどうする? A組とまともに渡り合えるのは、お前しかいないんだよ」
東村の力強い言葉は、その場の空気を一変させた。浅井は真剣な表情で頷き、恵一も気圧されたように背筋を伸ばした。
「恵一、お前はアリーナバトルへの出場が確定だ。そして、お前の力を最大限活かせる団体種目を選んで、その1種目を確実に取る。それだけで600点だ」
東村の言葉は論理的で力強く、希望を感じさせるものだった。恵一は少しずつ自信を取り戻し、拳を軽く握りしめた。
「なるほど、じゃあ、恵一の力が活きる団体種目って?」
「ドッジボールだ。恵一がいるE組といないE組では、チームとしての強みと弱みがまるで違うんだ。前者の強みは圧倒的な個の力。だが、総合力がものを言うラグビーでは、その強みが活かせない。一方、ドッジボールは団体競技の中でも個の力を活かしやすい競技だ」
東村はそう言いながら、紙に「ドッジボール」と記し、勢いよく丸で囲んだ。
「なるほど……」
浅井が驚いた顔で頷く一方で、恵一は少しだけ気恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「でも、それだけじゃ足りないよな? 恵一は2回しか出場できないんだし」
浅井が真剣な顔で問いかける。
「だから、あと1つ、恵一抜きで個人種目で1位を取る必要がある。ここで、さっき言った『恵一がいるE組といないE組では強みと弱みが全く異なる』という点を思い出せ。恵一がいないE組は、こう言っちゃなんだが、A組からすると勝てる要素しかない。チームワークや戦略で勝てる種目を選ぶべきだ」
「チームワークとか戦略で勝てる種目って……それ、具体的にどんなのよ!? 俺に分かるように教えて下さい!」
恵一が問いかけると、東村は即座に答えた。
「クロスフィールド・ラリーだな」
東村の確信に満ちた声が準備室に響き、浅井と恵一は思わず顔を見合わせた。その一言に込められた重みが、二人にこの競技の重要性を改めて認識させる。
「クロスフィールド・ラリー……か」
浅井が小さく呟く。その目には思案の色が浮かんでいる。
クロスフィールド・ラリー――それは、地雷原や溶岩エリアといった危険な人工障害物が点在する過酷なコースを走破する競技だ。各クラスから2名ずつが参加し、ゴールタイムが良い方の記録が採用される。魔導を使った走行補助や障害物の除去は許可されているが、他チームへの妨害行為は厳しく禁じられている。
「この競技は、単なるフィジカル勝負じゃない」
東村が机に手を置き、静かに語り始めた。
「ライディングスキルや魔導の練度だけじゃなく、戦略、体力、精神力、そして事前準備――その全てが勝敗を分ける。そして、そこにA組を出し抜く可能性がある」
浅井が考え込むように言った。
「なるほど。でも、誰を選ぶ?」
東村は紙に「クロスフィールド・ラリー」と書き込み、メンバー候補を挙げるためのスペースを設けた。彼のペンの動きには自信があり、その一挙一動からは明確なビジョンが感じられた。
「具体的なメンバー構成は後で詰めるとして、この3種目を重点的に狙えば優勝の可能性が見えてくる」
東村は指先で紙をトントンと軽く叩きながら、話をまとめに入る。その仕草は、冷静ながらも熱意が込められているようだった。
「アリーナバトルとドッジボールで600点、クロスフィールド・ラリーで50点。合計650点だ」
東村は紙に記された数字を指差しながら続けた。その声には、自信と計算に裏打ちされた確信が宿っていた。
「これで、たとえその他の種目すべてでA組が1位を取ったとしても、E組の優勝は揺るがない」
東村の言葉が静かに響くと、恵一と浅井は思わず息を呑んだ。
「これが現実的なプランってことだな?」
浅井の言葉には、これまでの懐疑心が少しずつ和らいでいく様子が滲み出ていた。
東村は深く頷き、口角を少し上げながら「そうだ」と言葉を付け加えた。
「勝てる競技に全力を注ぐ。そして、他の競技は勝てれば儲け物程度だ」
紙に描かれた戦略の全体像を二人に示しながら、その目は確信に満ちていた。
「どうだ、少しは可能性があると思えてきただろ?」
東村が問いかけると、恵一と浅井は互いに顔を見合わせた。これまでどこか自信を欠いていた二人の瞳に、希望の光が微かに宿っていた。
「そして、最後に……もう一つ大事なポイントがある」
東村は言葉を切り、紙を軽く叩きながら話を続けた。その動きには、次の一手を示す確信が込められていた。
「A組は魔導の実力で圧倒的に有利だ。それゆえに、奴らにはある油断がある」
「油断……?」
浅井が首をかしげながら繰り返す。
「そうだ」
東村は小さく頷き、声に力を込めた。
「A組は自分たちの実力が圧倒的であることを十分理解している」
東村は地図に目を落としながら、静かに言葉を続けた。
「だからこそ、事前準備は程々に済ませて、おそらく力技で正面突破を狙ってくるはずだ。奴らにとっては、小細工なんて必要ない。圧倒的な力でねじ伏せればいいと思っている。そんな自信が、かえって油断を生む」
彼の言葉には確信が宿っていた。その声は決して大きくはないが、言葉の一つ一つが鋭く、二人の心に突き刺さった。
「そこがお前たちの付け入る隙だ」
東村は地図を指で軽く叩きながら、ゆっくりと二人を見た。その目は冷静でありながらも、戦略家としての情熱が垣間見える。
浅井が「なるほど」と呟きながら目を細める一方、恵一は指先で机をトントンと叩きながら考え込む。
「つまり、俺たちはコースを徹底的に研究して、何か突破口を見つけるってことか?」
理解したように頷きながら問いかける恵一。その表情には、ようやく戦略の輪郭を掴んだ手応えが感じられた。
「その通りだ」
東村は机上に広げた地図を指し示しながら、確信に満ちた声で応えた。
地図には、クロスフィールド・ラリーのコースが詳細に描かれていた。標高差の激しい山岳地帯、曲がりくねった林道、時折現れる急斜面。それらの描写は、ラリーの過酷さを如実に物語っていた。
「まずは、実際にコースを見に行くぞ。机上の空論じゃ意味がないからな」
東村が地図を指でなぞりながら言うと、二人の中に新たな決意が芽生えた。
翌日、東村、恵一、浅井の三人は学校の敷地外にあるクロスフィールド・ラリーのコースへ向かった。山間部に設置されたコースは、自然の厳しさをそのまま体現したような場所だった。険しい岩肌を見せる急勾配の坂道、タイヤを取られそうな砂利道、そして視界を阻む密林のような木々。風が吹くたびに木の葉がざわざわと揺れ、不穏な予感を漂わせていた。
浅井が額の汗を拭いながら呟いた。
「ここがコースか……思った以上にハードだな」
その声には、明らかな不安が混じっていた。
東村は地図を片手にコースを丹念に観察していた。その表情は普段の飄々とした態度とは一線を画し、鋭い眼光が細部を見逃すまいとしている。急カーブの角度、路面の凹凸、見通しの悪い箇所――すべてが彼の目に捉えられ、丹念に記録されていく。普段の用務員としての姿とはまるで別人のようなその真剣な態度に、恵一と浅井は言葉を失って見守るしかなかった。
「東村氏ぃ、なんかプロっぽいですねぇ」
恵一が何気なく呟くと、東村は肩を少しすくめ、軽く笑みを浮かべた。
「闇バイトの下見の仕事で培った経験だよ」
軽い自虐を交えたその言葉には、彼の背負う過去の影が一瞬垣間見えた。ふざけているようでいて、どこか切実な響きを持つその声に、恵一は何も言い返せなかった。
代わりに、足元の小石を蹴りながらぼそりと呟く。
「こんなとこ、本当に俺たちが攻略できるのかよぉ……」
その声には、自分たちの置かれた状況への不安と苛立ちがにじんでいた。
東村はふと足を止め、静かに地図を地面に広げた。周囲の風景と地図を交互に見比べながら、指でコースの難所をなぞり始める。
「去年と同じであれば、ここに地雷原が設置される。それと、この岩場、さらに落下する橋……そして溶岩セクションがこの辺りだ」
彼の指先は迷いなく動き、危険箇所を正確に指し示す。その動きには長年培った経験と冷徹な計算が感じられた。
浅井は地図を覗き込みながら、思わず口を開く。
「こんなの、普通に走れるわけがないだろ……」
その声には驚きと絶望が入り混じり、目の前の課題がどれほど過酷かを改めて実感させるものだった。
東村は冷静に浅井を一瞥すると、地図に赤ペンで危険箇所をマークしながら言葉を続けた。
「普通にやったら勝てない。それはお前らもわかっているはずだ」
一度言葉を切り、赤ペンを指先で軽く回しながら、彼はゆっくりとした口調で付け加えた。
「だが、A組には盲点がある。彼らは自分たちの魔導スキルに自信を持っている。だから、コース特性ごとの最適ルートの下調べや、メカトラブルへの対策をほとんど行わないだろう。それが奴らの隙だ」
「隙……?」
恵一が眉をひそめ、地図を睨むように見つめた。
「そうだ。道を間違えたり、バイクが故障しても、A組は魔導の力で押し切ろうとするだろう。去年まではそれで十分勝てていた。だから、奴らはコースの特性を深く理解する必要なんてなかったんだ。あいつらの実力を考えれば、別に無理もない話だ」
東村は赤ペンで溶岩セクションを丸で囲みながら続けた。
「だが、今年は違う。E組が正確なルートナビゲーションとバイクのコンディション維持を徹底すれば、実力以外の部分で勝負を優位に進められる。それがE組の勝ち筋だ」
その言葉を聞いた瞬間、恵一の心に小さな希望の芽が生まれた。A組の圧倒的な実力には太刀打ちできない。それは彼ら自身が痛感している事実だった。しかし、策を講じることでわずかな可能性が生まれる――東村の言葉が、その希望を現実のものとして思わせた。
浅井が地図を指差しながら問いかけた。
「じゃあ、俺たちは正確なルート取りを徹底して、難所をうまく切り抜けるってことか?」
その声には、戦略の具体性を掴みかけた手応えが感じられるが、一方で目の前の課題に対する不安も見え隠れしていた。
東村はその問いに軽く頷き、目を細めながら口を開いた。
「その通りだ。だが、それだけじゃない」
彼は地図を指で軽く叩きながらさらに説明を加えた。
「出場者2名の連携が重要だ。一人はナビゲーターとしてコースの正確な案内を担当し、もう一人はバイクの修理を迅速に行えるスキルを持つ必要がある」
その一言に、恵一は思わず頭を抱えた。
「でもさ、E組にそんな人材なんているのか?」
東村は苦笑しながら肩をすくめた。
「流石に、お前らのクラスメイトのことは、俺よりもお前らの方が詳しいだろ」
彼の言葉には皮肉とともに、状況を突破するのは彼ら自身だという無言のメッセージが込められていた。
東村は地図を畳むと、二人を見て静かに締めくくった。
「これでクロスフィールド・ラリーの勝利の目は出てきたな。あとはお前ら次第だ」
その瞬間、浅井が勢いよく拳を握りしめた。
「よし、やるぞ!」
恵一もその声に続くように気合を入れた。
二人の中に生まれた新たな決意が、曇りがちだった彼らの表情にわずかな明るさをもたらした。その足取りはこれまでとは違い、少しだけ力強さを増していた。




