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放課後の会話

放課後、陽が傾き始め、白金魔導学園近くのハンバーガーチェーン「Mendy’s(メンディーズ)」の窓ガラスには柔らかな夕日の色が反射していた。街路樹の影が長く伸び、揺れる葉の影が店内の壁に映り込んでいる。

席に集まった7人――京介、恵一、浅井、三國、児高、江藤、矢部――の声が、賑やかな店内のざわめきに溶け込んでいった。


「いやぁ、マジで参ったわ……」

恵一がポテトをつまみ、ぼんやりと窓の外を眺めながら呟いた。傾きかけた夕陽が遠くのビルに反射し、暖かな光を店内に投げかけている。その表情には、失敗を悔いるというよりも、どこか諦めに似た不思議な余裕が漂っていた。


「参った、じゃねえだろ!」

浅井が即座に突っ込みを入れる。

「お前、ついこの前まで『星岡に勝った天才』だの『A組に4階級特進間違いなし』だの持て囃されてたのに、筆記でこのザマかよ! おかげで進級危ういとか、マジで伝説作ってんじゃねえか!」

恵一は浅井の言葉を半分聞き流すように、テーブルを指でカリカリと引っ掻きながら答えた。


「いやぁ、あれはさ……ちょっとしたハプニングってやつで……」


その言葉はあまりに軽く、誰の心にも響くものではなかった。浅井は呆れたように肩をすくめ、深いため息をついた。


「ちょっとじゃねえだろ。釈尾理事長に補習受けさせられて、泣きながら答案直してたって聞いたぞ?」

浅井の追撃に、周囲から一斉に笑い声が湧き上がる。その笑いは冷やかしというよりも、どこか親しみを感じさせた。


「泣いてた? いやいや、むしろ嬉しそうだったって話だけどな」

矢部がハンバーガーを片手に軽口を叩く。その言葉に、恵一の顔がみるみる赤く染まる。


「そ、そんなことないし!」

慌てて否定する恵一の声には、どこか照れ隠しが混じっていた。


「でも補習で許してもらえたんだから、よかったよね。釈尾理事長は美人だけど、容赦ないことで有名だからね」

児高美寛(みひろ)が軽く笑いながら、手元のシェイクをかき混ぜた。その表情は、からかうというよりも励ますような優しさを含んでいた。


恵一は再び窓の外に目をやった。夕陽が街路樹の葉を照らし、その影が壁に揺らめいている。その光景はどこか幻想的で、彼の胸の奥に小さな希望の灯をともした。


「まぁ、確かに。でも、あの時の筆記試験、どうやったらあんなにボロボロになるんだよ?」

浅井が再び問い詰める。


「桂澤、お前にはある種の才能があるよな。ここまで徹底的に振り切った点数を取るのって、ある意味、他の誰にも真似できない特技だ」

江藤が真面目な顔で、ボソリと毒を吐く。そのあまりの的確さに、周囲が思わず吹き出した。


「はは……これ、全然笑えねぇ案件じゃないすか……」

恵一は苦笑しながら頭を掻き、照れ隠しにポテトを口に放り込んだ。その仕草には少しだけ強がりが混ざっていたが、それでもどこか安心した様子が見て取れた。


夕陽に染まる店内で、7人の会話は自然と次の話題へと移っていく。


「そう言えば、6月の体育祭だけどさ……」

浅井がポテトをつまみながら話題を切り出した。その一言に、恵一の中に静かだった波紋が小さく広がった。


「恵一、お前にとっては初めてだろ?まあ、覚悟しとけ。うちの体育祭は普通じゃないからな」

浅井の軽い口調に、恵一はシェイクを握る手を少し強くした。「普通じゃない」とはどういう意味なのか。彼の胸には小さな緊張の種が芽生えた。


「普通じゃないって……どんな感じなんだ?」

恵一が不安を押し殺すように問いかける。その視線の先で、美寛が唇の端をわずかに持ち上げながら、楽しそうに言った。

「例えるなら……命懸けってとこかしら!」

その言葉が、夕暮れの穏やかな空気を一変させた。恵一の顔色が一気に青ざめ、胸の中に冷たい波が押し寄せた。

「命懸け……!?いやいや、ちょっと待てよ!体育祭って、普通リレーとか玉入れ的なやつじゃないの!?」


矢部が豪快に笑い声を上げた。

「甘いな、桂澤!白金魔導学園の体育祭はそんな生易しいもんじゃないぜ!」


「アリーナバトルがメインイベントだし、他には航空戦、障害物レース、それから魔導バイクのクロスフィールド・ラリーもあるわね」

三國舞陽(まや)が冷静に付け加えた。その穏やかな声が、かえって恵一の不安を煽る。


「アリーナバトルや航空戦はもちろんのことだけど、クロスフィールド・ラリーも一筋縄じゃいかないわ。崩れる崖や燃え盛る橋を飛び越えるようなコースだから、ちょっとしたミスが命取りになることもあるのよ」

美寛がさらりと言い添える。その軽やかな語り口が、恵一の中で恐怖を確かなものに変えた。


恵一は視線を下げたまま、シェイクのカップを両手で握りしめた。

「命取りって、いやそれ普通に危ないやつじゃん!俺、リタイアしますぅー!!」

不安を押し殺したような声で問いかける恵一に、舞陽が優しく微笑みながら答える。

「もちろん、安全対策は万全よ。でも、多少の怪我人は毎年出るわね。すべて想定の範囲内だけど」


「「安心」って言葉の使い方、完全に間違ってるよねそれ!?」

恵一はしどろもどろになりながら返す。窓の外では、沈む夕陽が影を長く伸ばしていた。


「桂澤さん、心配いりませんよ」

京介がコーヒーを一口飲みながら、静かに言葉を挟んだ。

「特別なイベントですが、それだけ価値があります。アリーナバトルは特に見応えがありますからね」


「見応えって……いやいや、それ完全に見る側の目線じゃん!?俺は出場者だぞ!!」

恵一は嘆くように言い返すが、その声には不安がにじんでいる。


「しかし! 今年のE組は、お前、桂澤がいるんだぜ!」

矢部が勢いよく立ち上がりながら、元気いっぱいに叫んだ。


「白金魔導学園は成績順でクラスが決まるから、伝統的に毎年A組の優勝はほぼ確定しているんだ。例外は帝暦35年だけ。それ以外では、2位以下が多少入れ替わることはあっても、2年生ではE組はほぼ毎年最下位確定だな」

江藤が少しからかうように、冗談交じりで解説する。

「でも、矢部の言う通り、今年のE組は、桂澤がいる。優勝は正直厳しいとしても、ひょっとすると歴史を変えられるかもな」


江藤の軽い口調に、矢部が再び恵一を見て声を張り上げた。

「期待してるぞ、桂澤!今年はお前がキーマンだ!」

矢部が肩を叩いてくる。その熱意が、恵一の不安をほんの少しだけ和らげた。


「大船に乗ったつもりで任せたからな!」

浅井が勢いよくポテトを口に放り込みながら、軽いノリで言い放つ。


「大丈夫ですよ、桂澤さん」

京介がコーヒーを静かに置き、いつもの落ち着いた口調で恵一に向き合うように言った。

「私が全力でサポートします。どうぞ安心してお任せください」


恵一は京介の言葉に一瞬安心しかけたが、すぐに疑問が浮かんだ。

「つーかさ、京介氏ってA組だよね?俺たちE組の敵じゃん?俺のサポートとか、普通ダメじゃね?」


その問いかけに、京介は微笑みながら静かに首を振る。

「私は、白金魔導学園の生徒であると同時に、学園のオーナーでもあります。クラスの枠を超えて支援するのは、私の務めですよ」

その言葉に浅井や矢部が「さすが桝岡家次期当主!」と声を上げ、場は一気に盛り上がる。午後の陽光が窓ガラス越しに柔らかな影を落とし、店内のざわめきは、遠くの風音に溶け込むかのように穏やかだった。一方、恵一は額に浮かぶ冷や汗をぬぐいながら、シェイクをすすっていた。


「はぁ……俺、なんでこんなヤバすぎ学園に入っちゃったんだろ……」

独りごちたその声は、ハンバーガーの包装紙が揺れる音にかき消された。胸の中で膨らむ不安が次第に身体の奥へと伝わり、下腹部に重たい圧力をもたらしていく。


彼は顔を歪め、意を決したように椅子を立ち上がった。

「ご、ごめん……俺、ちょっとトイレに!」

勢いよく席を立った恵一は、焦った様子でトイレに駆け込む。


トイレの扉を閉めた瞬間、外の喧騒が一気に遠のき、代わりに訪れる静寂が恵一の肩を押した。薄暗い空間に漂う微かな消毒液の香りが、わずかに冷たい空気に溶け込んでいる。壁の隅では湿った水滴が光を受けて鈍く輝き、時間が止まったかのような感覚に包まれた。


「ふぅ……」


恵一はベルトを外し、便座に腰を下ろす。その瞬間、適度に温められた便座が彼を優しく受け止め、外の世界で張り詰めた神経を解きほぐしていく。背後から微かに響く水の音が、彼の意識をさらに静寂の深みに誘った。

遠くの森を吹き抜ける風のように、恵一の胃腸が静かに動き始める。体内から広がる圧力が徐々に確かな存在感を増し、彼の身体に呼応するように腸管がリズムを刻み始めた。


そして――。


「ブリブリブリブリュリュリュリュ! ブツチチブブブチチブリリイリブブゥゥッッッ!!」


重厚な音が静寂を破り、陶然とした解放感が恵一の体を包み込む。滞っていた重みが抜けるたび、彼の全身は軽くなり、再び空を舞う小鳥のような自由を取り戻していく。


漂い始めた香りは、熟成したヘドロの底から立ち昇る湿り気と、深い沼に眠る獣の屍が放つ朽ちた甘美さが絡み合い、夜の静寂を優雅な舞台に、見えざる奏者たちが紡ぐ輪舞曲ロンドのようだった。それは重厚かつ濃密で、同時にどこか抗いがたい存在感を放ち、空間を支配する。


「……っはぁ……」

恵一は目を閉じ、小さく安堵の声を漏らした。誰にも邪魔されないこの時間が、どれほど貴重であるかを改めて感じる。隕石の襲来、星岡との模擬試合、そしてリリィとの死闘……この数ヶ月の出来事が走馬灯のように脳裏を巡る。


中学校、高校のこれまでの自分を振り返ると、彼には輝かしい思い出はなかった。体育祭も文化祭も、ただの通過儀礼に過ぎなかった。部活動に熱中することもなく、1年生の時の体育祭では、前日に牛丼を食べ過ぎて腹を壊し、結局欠席。そんな自分が何かに貢献するなんて、考えたこともなかった。

けれど、今は違う。


「期待してるぞ、桂澤」と皆が軽いノリで言った言葉が頭から離れない。それは無責任なプレッシャーとも言えるかもしれないが、恵一にとってはそれ以上に、初めて「人から求められる」という感覚を与えてくれるものだった。


「俺に期待……か」

呟いた自分の声に驚く。心の奥底で、その重圧と共に、少しずつだが嬉しさが芽生え始めていることに気づいた。E組――いわゆる学園の落ちこぼれとされるクラス。そこにいる自分にさえ、何かを成し遂げるチャンスがあるのかもしれない。何より、仲間たちが「お前ならできる」と言ってくれるその言葉が、胸に不思議な温かさをもたらしていた。


「ブリッ、プププ……」

最後の響きが、どこか牧歌的(アイデリック)で穏やかな余韻を残し、彼の思考を現実へと引き戻した。それはまるで高原の朝、小鳥たちの囀りがそっと頬を撫で、まだ夢の中にいる心をやさしく目覚めへと誘うかのようだった。


「ふぅ……」

立ち上がり、身支度を整えると、恵一は一歩ずつ足を進め、再び喧騒の中へと戻っていく。


店内では、仲間たちの笑い声が変わらず響いていた。恵一は席に着き直し、手元のシェイクに再び手を伸ばす。だが、その表情はどこか吹っ切れたような明るさを湛えていた。

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