トランクの中身
国道は静まり返り、周囲を包む暗闇が車を静かに飲み込んでいくようだった。街灯のない一本道は、まるで漆黒の海に浮かぶ細い糸のように見え、どこまでも続いていく。遠くにかすかに光る街の灯が点々と見えるが、その弱々しい輝きすら、重苦しい静寂を際立たせるばかりだった。
恵一は後部座席に深く身を沈め、窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりと見つめていた。ガラス越しの映像は微かに歪み、その中には自分の中に渦巻く不安と恐れが映し出されているように思えた。車内の静けさは、かえって彼の心をざわつかせ、緊張の糸を張り詰めていく。心臓の鼓動が耳元で不規則に響き、その音にさえ追い詰められる感覚があった。
一方、黄レンジャーは黙ったまま窓の外を見つめている。その目には深い疲労の影があり、どこか遠い過去への諦念が垣間見える。その静けさには重苦しい何かが宿り、車内全体にじわじわと伝わっていった。彼の存在そのものが、何かが静かに崩れ去っていく音を想起させ、恵一の胸をさらに締め付ける。
突然、助手席に座る青レンジャーが身を乗り出した。彼の動きが静寂を破り、車内の空気に波紋を広げる。その表情には不敵な笑みが浮かび、軽薄さと危うさが入り混じった挑発的な視線が後部座席の恵一に向けられる。暗闇の中で、彼の行動は一層際立ち、不穏な空気が漂い始めた。
「なあ、桃レンジャー」
青レンジャーの声が車内の沈黙を切り裂いた。その声には楽しげな調子と、どこか不吉な響きが入り混じっている。
「お前さ、トランクの中身が何だと思う?」
恵一はその問いに答えられず、視線をそらした。しかし、青レンジャーはそれを気にすることなく、楽しげに言葉を続けた。
「きっと現金だよ、大量の現金」
彼の声が低くなり、密やかな陰謀の匂いを漂わせる。
「考えてみろよ。こんな危なっかしい場所で、しかも覆面の連中に指示されて運ぶ荷物だぞ?ただの現金輸送じゃないに決まってる。でも、それだけに山分けすれば、一生遊んで暮らせる額かもしれない」
彼の声には妙な確信が滲み、薄っぺらい自信が言葉を強調していた。車内の空気が少しずつ張り詰めていく中、青レンジャーはさらに言葉を畳みかける。
「なあ、みんな。これ、絶対ヤバい金だろ?こんな真夜中に運ぶだけでも怪しいじゃねえか。俺らが一部抜いたって、誰も気づかねえよ」
青レンジャーの目が興奮に輝いた。その輝きには無謀さと愚かさが混じり合い、車内に不穏な波紋を広げていた。
赤レンジャーが眉間に皺を寄せ、バックミラー越しに青レンジャーを睨んだ。
「おい、バカなこと言ってんじゃねえよ。触れちゃいけないもんだって、最初に言われただろ」
黄レンジャーも低い声で重々しく続けた。
「そうだよ。これに手を出したら、どうなるか分かってんのか?俺たちが無事で済むわけがねえ」
だが、青レンジャーは肩をすくめて挑発するように笑った。
「何だよ、それ。お前ら、ビビってんのか?」
その声には軽率な自信と子供じみた無鉄砲さが滲んでいた。
「俺たちがやってること自体、正規のバイトじゃねえだろ?この上で少し横流ししたところで、何が違うんだ?」
黄レンジャーはため息をつき、疲れた目で窓の外を見つめながら呟いた。
「そういうことを軽々しく言うなよ、青。中身に手を出したら、どうなるか分からないのか?」
「怖がりすぎだって」
青レンジャーは鼻で笑い、軽く手を振る。
「どうせ誰も知らないんだから」
そのまま視線を恵一に向け、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なあ、桃レンジャー。お前も気にならないか?」
突然振られた言葉に、恵一は一瞬戸惑いながら視線をそらした。
「えっ……いや、その……」
不安に押しつぶされそうな気持ちを隠しきれず、言葉を濁した。しかし、その反応が青レンジャーの好奇心をさらに煽ったようだった。
赤レンジャーが低く呟いた。
「黙れ、青。もう一度言うぞ。トランクを開けた瞬間、俺たちは終わりだ。それが分からないなら降りろ」
その言葉は冷たく重く、車内の空気をさらに張り詰めたものにした。恵一は後部座席で押し黙り、心臓が早鐘を打つように高鳴るのを感じていた。
「これ、ただの配送バイトじゃない……」
胸の奥から浮かび上がる恐れが全身を冷たく包み込む。目の前で繰り広げられる会話が、ただ事ではないことを改めて突きつけていた。
だが、青レンジャーは怯むどころか、助手席で体を預けたまま薄笑いを浮かべ、挑発的な口調で問い詰めた。
「おい、赤。お前、借金いくらあるんだ?」
その言葉に、赤レンジャーの手がハンドルを握りしめる音がわずかに聞こえた。バックミラー越しに見える彼の目が細まり、その視線には苛立ちが浮かんでいた。しかし、彼は一瞬考え込むようにして、言葉を飲み込んだようだった。
「それをお前に言う必要はない」短い返答だったが、その冷たさが車内の空気をさらに張り詰めさせた。
だが、その冷たい返答すら、青レンジャーを止めることはなかった。それどころか、彼はその瞬間を楽しむように窓の外をちらりと見やり、軽い調子で続けた。
「まあ、いいさ。でも、この仕事でいくらもらえるんだ?これをあと何回繰り返せば、お前の借金がチャラになる?」
その問いが車内に落ちた瞬間、空気はまるで凍りついたようだった。赤レンジャーの肩がわずかに動き、バックミラーに映る表情が硬直しているのがわかった。彼の沈黙は、単なる怒りや苛立ちではなかった。それは、彼自身がその問いの答えを知っているがゆえの苦悩が表れていた。
黄レンジャーが静かに割り込む。
「青、お前、そういうのやめろよ」
その声は低く、どこか疲れた響きがあった。
だが、青レンジャーはその制止を完全に無視した。助手席から振り返り、赤レンジャーをじっと見つめる。その視線は鋭く、まるで彼の心の中を覗き込もうとするかのようだった。
「なあ、赤。考えてみろよ」
青レンジャーの声は低くなり、囁くように続けた。その語調には、無鉄砲な自信と薄っぺらな誘惑が交錯している。
「このトランクに金が入ってるなら、こんな仕事を何十回もやる必要なんてないんだぜ?これで一気に借金を返済して、終わりにできるかもしれない。それとも、ずっとこんな危ない橋を渡り続けたいのか?」
赤レンジャーの肩がわずかに動いた。その表情はバックミラー越しにうかがい知ることはできなかったが、ハンドルを握る手が強張っているのが見えた。短く鼻を鳴らす音が、車内の重苦しい静寂を裂いた。しかし、彼は何も言わなかった。その沈黙には、激しい葛藤が滲んでいた。
青レンジャーの言葉が彼の中に潜む迷いを突いていたのだろう。確かに、その誘惑には耳を傾けたくなるだけの魅力があった。そして、それを否定するだけの意志が今の彼に残っているのかどうかは、赤レンジャー自身にも分からなかった。
車内の空気が張り詰める中、赤レンジャーは無言のままブレーキを踏んだ。車は徐々に速度を落とし、やがて暗闇の中に停車した。外の静寂が、車内の緊張をさらに引き立てるように感じられた。
「……クソ。もうやるしかないか」
黄レンジャーが重く息を吐きながら呟いた。その声には苛立ちと迷いが絡み合っていた。彼の手は膝の上で握りしめられ、小刻みに震えていたが、顔を上げることはなかった。
「よし、決まりだな」
青レンジャーは満足げに助手席から身を乗り出し、悪戯っぽい笑みを浮かべた。その笑顔には無謀さと無責任さが混じっていて、恵一の胸にさらなる不安を植え付けた。
赤レンジャーは一息つくと、深く沈んだ声で言った。
「いいか、さっさと済ませるぞ。これ以上の面倒はごめんだ」
その言葉にはどこか後悔と諦めが滲んでいたが、決意の影も見え隠れしていた。
青レンジャーがニヤリと笑い、助手席から降りる。
「いい判断だよ、赤。これで俺たちは自由だ」
その背中には、無謀な自信が漂っていた。しかし、それが車内に広がる緊張感をさらに煽っていることには、まるで気づいていない様子だった。赤レンジャーは、短く息を吐き出すように溜息をつき、バックミラー越しに恵一を一瞥した。その視線には、ほんの一瞬だけ、後悔と諦めが交錯した複雑な感情が浮かんでいた。
無言のまま車が停車し、彼らは順に車外へ出た。冷えた空気が肌を刺し、静まり返った夜の闇が重くのしかかる。赤レンジャーがトランクの前に立ち、責任をとるように低い声で言った。
「俺が開ける」
その言葉に、青レンジャーはふざけた笑みを浮かべながら、芝居がかった口調で応じた。
「仰せのままに、隊長」
大袈裟にお辞儀をする彼の態度が、場の緊張感をさらに歪なものにした。
赤レンジャーの手が、ゆっくりとトランクの取っ手に伸びた。その動きに合わせるように、車の周囲の空気が一層重たく感じられる。彼が鍵を回し、静かに蓋を持ち上げた瞬間、全員の背筋に冷たいものが走った。
そこにあったのは、彼らが期待した現金の束ではなかった。
暗闇の中から姿を現したのは――手錠をかけられ、猿轡をされた、一人の少女だった。彼女は、小刻みに震えながら、涙に濡れた瞳で彼らを見つめていた。
「……おい……これ、どういうことだよ」
黄レンジャーが呆然と呟いた。その声は、夜の闇に吸い込まれるようにか細かった。
青レンジャーの顔から笑みが消え、彼は一歩後ずさった。
「冗談だろ……こんなもん運んでたのかよ……」
赤レンジャーはトランクの縁に手をついたまま、硬直したように動けなくなった。その背中には、重圧に押しつぶされそうなほどの緊張が滲んでいた。
「おい、これ……どうするつもりだよ……」
恵一が震える声で問いかける。だが、その問いには誰も答えられなかった。
四人はただ、トランクの中の少女と互いの顔を見比べるばかりだった。その沈黙の中、トランクの隅に取り付けられた小さな光が彼らの注意を引いた。薄暗闇の中で微かに光るそれは、規則正しく点滅を繰り返す赤いランプ――盗難対策のトラッキングデバイスだった。
「……おい、なんだこれ……」
黄レンジャーが低く呟く。赤い光が彼の顔に不気味な影を落としていた。
「セキュリティシステムだ……」
赤レンジャーの声は硬く、冷たく響く。その言葉には、もはや逃れられない現実への恐怖がにじんでいた。
その瞬間、四人は同時に悟った。トランクを開けたことが――すでに知られていることを。
「くそっ、ずらかるぞ!」
青レンジャーが突然叫び声を上げると、乱雑な足取りで車から離れようとした。その動きには焦りが滲み、先ほどまでの軽薄な態度はすっかり消え失せていた。彼の背中には、何かから逃げ出そうとする必死さがあり、軽率な自信に満ちていた彼の姿とはまるで別人のようだった。
「待て!」
黄レンジャーが青レンジャーを鋭い声で制した。
「お前が……あんなことを言い始めたからだろ!余計なこと言わなきゃ、こんなことにはならなかったんだ!」
彼の声には苛立ちと恐怖が入り混じり、青レンジャーを睨みつける目が血走っていた。
「はあ?俺のせいだって?」
青レンジャーは振り返りざまに言い返し、手を広げて抗議するような仕草を見せた。
「お前らだって気になってただろ!俺が言わなくても、いずれ開けてたに決まってるじゃねえか!」
彼の声は震えていたが、それを隠すためか、逆に大きく響き渡った。
「ふざけんな!」
黄レンジャーは一歩踏み出し、怒りに任せて青レンジャーの胸ぐらを掴もうとしたが、赤レンジャーが間に入った。
「やめろ!」
赤レンジャーの声は低く、しかし有無を言わせない響きを持っていた。
「こんな状況で、仲間割れしてる場合じゃねえだろ!」
彼は黄レンジャーの肩を掴み、わずかに揺さぶる。
「俺たちは全員、責任がある。それを今さら言い合っても、どうにもならねえ」
黄レンジャーが赤レンジャーの手を払いのけ、低く呻くように言った。
「どうすりゃいいんだよ……」
彼の目が再び赤いランプに向けられる。その光はまるで彼らの行動を冷たく見下し、嘲笑っているかのようだった。
「考える暇なんてない!」
青レンジャーが再び叫び、周囲を見回す。
「俺はずらかる。こんなところで捕まるわけにはいかねえ!」
「で、でも、女の子がぁ……!」
恵一の声が青レンジャーの背中に投げかけられた。恵一は、トランクの中で怯え震える女の子を指差し、目を見開いている。その顔には、これまで見せたことのない真剣さが浮かんでいた。
「まずは自分の心配をしろ!」
赤レンジャーが恵一の肩を掴み、強引に引っ張ろうとする。その声には焦りと苛立ちが混じっていた。一方で、黄レンジャーは青レンジャーの方を追いながらも、視線をトランクの方へと彷徨わせていた。
「でも……このまま放っておけないよぉ!」
恵一は必死で抵抗した。手足が震えているのが見て取れるが、それでも一歩も引こうとはしなかった。その姿を見た赤レンジャーは短く溜息をつくと、視線を一度そらした。
「仕方ない……」
赤レンジャーの声は低く、それでいて決意が込められていた。彼は再びトランクを開けると、猿轡を外して女の子を抱え上げた。
「おいおい、本気かよ!」
青レンジャーが立ち止まり、振り返って赤レンジャーを睨みつけた。その目には怒りと軽蔑が交錯している。
「よっぽど死にたいみたいだな。勝手にしろ!」
そう吐き捨てると、彼は踵を返し、闇の中へと消えていった。
黄レンジャーはその場に立ち尽くし、視線をさまよわせていた。歯を食いしばり、何かを言おうとしたが、結局短く「ごめん……」とだけ呟くと、青レンジャーの後を追って駆け出した。
残された赤レンジャーと恵一は、震える女の子を抱えながら互いを見つめ合った。車のエンジン音が遠ざかる中、赤レンジャーは短く言った。
「走れ。ここにいたら全員死ぬぞ」
恵一はゴクリと唾を飲み込み、赤レンジャーとともに闇の中を走り出した。




