模擬試合 前編
そして、ついに模擬試合当日がやってきた。白金魔導学園の敷地内にそびえる闘技場は、朝の薄い霧の中でその巨大な姿を徐々に露わにしていた。闘技場を囲む観客席には、生徒たちが続々と集まってきている。1年生から3年生までの生徒が、この異例の模擬試合を一目見ようと足を運び、会場はすでに熱気に包まれていた。
白金魔導学園で模擬試合は珍しくない。それは魔導の訓練の一環として日常的に行われるものだ。しかし、今日の試合はその中でも特別な意味を持っていた。片方の対戦者はA組の星岡彰彦――魔導界の将来を担うとまで言われる、抜きん出た才能を持つエリート。そして、もう片方はE組の編入生、桂澤恵一――普通科出身で突然編入してきた謎めいた存在。この不釣り合いな組み合わせが観衆の興味を引きつけ、闘技場の興奮を一層高めていた。
観客席では、ざわざわとした声が飛び交っていた。
「なんで普通科出身の編入生なんかが星岡先輩と……?」
「見世物だろ。あの桂澤ってやつ、派手に潰されるのをみんな見に来たんだよ」
E組のクラスメイトたちも集まっていた。
矢部和正と江藤康弘は、したり顔で楽しげに話している。
「ムフフ、これは面白いことになりそうですな」
「さて、何秒持つか楽しみだな」
茶化すような言葉に、二人は笑みを浮かべていた。
「編入早々、あんなことに巻き込まれてるなんて……」
「大丈夫かな、あいつ?」
児高美寛と三國舞陽も心配そうに囁き合いながら、試合場の中央を見つめていた。
そんな中、浅井は観客席の隅に立ち、拳を握りしめていた。周囲のざわめきが耳に入っても、それを無視するかのように視線を試合場の入口に向けている。
「みんな、勝手なこと言いやがって……」
浅井は小さく呟きながら、悔しそうに歯を噛み締めた。
その隣で、桝岡京介が涼しげな表情を浮かべ、浅井に向かって静かに声をかけた。
「ご安心ください、浅井さん。結果は試合が終われば分かることです」
京介の言葉には、冷静さと確信が込められていた。浅井はその言葉に少し表情を緩めたものの、未だ不安を拭い切れない様子だった。
その頃、試合場の通路を進む恵一は、目の前に広がる光景に圧倒されていた。巨大なスタジアムは満員の観衆で埋め尽くされ、どよめきと歓声が絶え間なく響いている。その音の波が、恵一の胸に緊張感をさらに募らせた。
「……なんてこった。こんな大舞台、聞いてねえぞ……」
恵一は小声で呟き、震える手で額の汗を拭った。
闘技場に一歩足を踏み入れた瞬間、恵一はその光景に圧倒された。スタジアムの巨大な観客席は満員で、どよめきが絶え間なく響いている。試合場の中心には、冷たく光る石畳の床が広がり、その周囲には透明な防護術式が張り巡らされていた。反対側から現れた星岡は、堂々とした足取りで観客席に軽く手を振りながら歩いてきた。彼の余裕たっぷりの態度に、観客席からは大きな歓声が上がる。
「おいおい、こんなのが相手で俺が手を抜かないとでも思ってるのか?」
星岡は立ち止まると、恵一に向けて言葉を投げかけた。彼の声は自信と軽蔑に満ちていた。
恵一は思わず言葉を詰まらせる。目の前の星岡は、明らかにただの高校生ではない。彼の立ち居振る舞いからは、絶対的な自信と洗練された魔導の技術に裏付けられた威圧感が漂っていた。
「どうだ、今からでも謝れば、俺の気が変わるかもしれないぜ?」
星岡は口元に笑みを浮かべたまま言った。その言葉に、観客席からクスクスと笑い声が漏れる。
恵一は、握りしめた拳をわずかに震わせながら顔を上げた。
「俺は……謝らない。俺は、この試合で勝つんだぁ」
自分でも驚くほど力強い声が出た。星岡は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに冷たい笑みに戻った。
「ほう、面白い。じゃあ、後悔させてやるよ」
そして、試合開始の鐘がスタジアムに高らかに響き渡った。その瞬間、観客席のどよめきはさらに大きくなり、誰もがその視線を闘技場の中央に向けた。
「さあ、注目の特別模擬試合がついに始まります!実況は放送部の天羽來優がお届けします!」
明るく弾む声が、スタジアムのスピーカーから響いた。観客たちは興奮気味に頷き合いながら、それぞれの陣営を応援していた。
「まずはA組のエース、星岡彰彦選手!その実力は折り紙付き!そして対するは、E組に編入されたばかりの普通科出身、桂澤恵一選手!この対決、一体どうなるのでしょうか?」
「彼の真価が試されるのは、まさにこれからですね……」
京介は独り言のように呟くと、観客席の後ろからそっと見守り続けていた。
観客席では、1年生たちが特に興奮気味だった。先輩たちの戦いを見られる機会は少なく、それが公開模擬試合となればなおさらだった。
恵一は、目の前の星岡から目を逸らさないよう努めていた。その姿勢には覚悟を感じさせるものの、内心では緊張がピークに達している。対する星岡は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、観客席に手を振るなどのパフォーマンスを見せている。
「さあ、お二人とも準備はいいですか?」
審判が確認の声を上げる。
星岡は軽く肩をすくめて、片手を挙げた。
「もちろんだとも。すぐ終わるけどね」
その言葉に観客席から笑い声が漏れる。
恵一は、ギュッと拳を握りしめて頷いた。
「……はい、大丈夫です」
星岡が一歩前に出ると、恵一に向かって冷笑を浮かべた。
「おい、今のうちに謝れば許してやるって言ったよな?最後のチャンスだぜ?」
恵一はその言葉に、唇をギュッと噛んだ。恐怖が胸を締め付ける。しかし、京介の顔を思い浮かべ、自分の中にある力を信じようと心を決めた。
「謝らない。俺は……勝つっ!」
その言葉が発せられた瞬間、観客席がざわついた。誰もが普通科出身の編入生がA組のエースにそんな挑発的な発言をするとは思っていなかったからだ。
星岡の目にわずかな驚きが宿ったものの、すぐにそれは嘲笑に変わった。
「じゃあ見せてもらおうか、その覚悟ってやつを」
「それでは――試合開始!」
審判の声が響くと同時に、統覚コヒーレンスが揺らぎ、戦場の魔導波が一瞬にして変調を受けた。感性力が捉えた異常を、悟性力が整理しようとする。しかし、それよりも速く、空間に刻まれる魔導の軌跡が視界を覆い尽くした。
「E組の落伍者にふさわしい最初の洗礼だ。潰れろ!」
星岡の声が冷たく響くと同時に、彼の周囲の魔導波が急激に収束し、一瞬の静寂の後、空間に無数の魔導弾が顕現する。
「一斉射撃!」
光が弾ける。
圧倒的な弾幕が恵一を包囲するように放たれた。無数の魔導弾が、音を置き去りにして放たれ、すべてが異なる波長、異なる軌道を持つ。単純な回避は意味をなさず、防御すれば衝撃に圧殺される。これが、星岡が誇る飽和攻撃。
「星岡選手が動きました! 早速術式を発動しています! これは――「一斉射撃!」」
天羽の実況が会場に響く。観客席からどよめきが広がり、その声が波のように押し寄せた。
恵一は足をすくませながらも、必死に視線を星岡へ向ける。
(やべぇ……速い……でも!)
心臓が激しく鼓動していたが、彼の脳裏には京介との訓練の光景が浮かんでいた。
(落ち着け……術式のフローを思い出すんだ!)
「行け! 恵一!!!」観客席から浅井の声援が飛ぶ。
「くっ!」
恵一は息を深く吸い込むと、魔導の流れを制御し、感性力で魔導波の干渉を読み取りながら、覚えたての速度強化を発動する。
足元に魔力の光が走る。
刹那、恵一の身体が弾丸のように横へと跳んだ。
直後、魔導弾の雨が着弾し、石畳を砕く轟音が響く。衝撃波が空気を振動させ、舞い上がる破片が恵一の頬を掠めた。
「まずは想定通りですね」
観客席の一角、京介が腕を組みながら静かに呟いた。その声には、感情の一片すら含まれていない。
「おおっと、桂澤選手、回避しています! しかし、これは防戦一方か?」
天羽の実況が、観客たちの緊張感を煽る。
リングの上で、星岡が余裕の笑みを浮かべる。
「おいおい、逃げ回るだけか? お前、戦う気あんのかよ?」
恵一は荒い息をつきながらも、必死に魔導弾の雨を避け続けていた。汗が額を伝い、全身の筋肉が緊張し、限界が近いことを告げている。しかし、その目はまだ、決して消えない炎を宿していた。
「はっ……はっ……」
息が荒くなり、足が重く感じられる。だが、動きを止めれば、次の瞬間には敗北が決定する。何か、突破口を見つけるまでは――。
「桂澤選手、驚異的な粘りです! しかし、体力の限界は近い。この状況、果たしてどう打開するのか!」
天羽來優の実況が会場に響き、観客の緊張感をさらに高めた。
一方、星岡はまるで獲物を追い詰める捕食者のように、確実に恵一を追い込んでいた。一方、星岡は余裕の笑みを浮かべ、攻撃の手を緩める気配は一切なかった。その目は完全に恵一を捕えており、まるで追い詰めた獲物を嬲る捕食者のようだった。
「もう終わりだろうがよ、E組。限界なんだろ?」
星岡は楽しげに言い放ち、右手を高く掲げる。その手のひらに、圧倒的な魔導の波動が収束していく。
「これで終わりにしてやるよ。「一斉射撃」」
彼の声が響く。場内が静まり返る。
そして――
無数の魔導弾が、これまでとは比べ物にならないほどの圧力を帯びて放たれた。観客席から一斉に息を呑む音が聞こえた。
「これは――! 星岡選手、全力の一斉射撃です!桂澤選手、どう対応するのか!」天羽の実況が緊迫感を一層高める。
恵一は目を見開き、迫り来る魔弾の嵐を直視した。その圧倒的な威力を前にして、彼の脳裏に浮かんだのは東北で隕石を防いだあの瞬間だった。あの時と同じ、絶望的な力の差。しかし、あの時は何かが自分を動かした。――自分にも、できるはずだ。
「くそっ……!」
恵一は足に力を込め、渾身の跳躍で魔弾の一部を回避した。しかし、それでも避けきれなかった一発が足を直撃する。
「やられたか!? 桂澤選手、ダメージを受けた模様です!」
天羽の声が会場を駆け巡る。観客たちは息を呑み、目を見開いた。
恵一は膝をつき、苦痛に顔を歪めた。直撃を受けた足が震え、力が入らない。しかし、それでも倒れまいと両手を地面につき、必死に耐えていた。
一方、星岡は勝利を確信したように胸を張り、両手を広げた。その姿は、全能感に満ちた支配者のようだった。
「おいおい、そんなもんかよ。最後に一発、最高の見せ場を作ってやるよ」
星岡の声には嘲りと自己陶酔が混じっていた。
その瞬間、星岡の右手が再び光を集め始める。観客たちのざわめきが増し、闘技場全体が息を呑むような緊張感に包まれた。
「お分かりでしょうか、これは星岡選手の仕上げの一撃です!この一発で試合の結末が決まるでしょう!」天羽の実況が熱を帯びる中、星岡はその光をさらに強めていった。
「これで終わりだ、E組!」
星岡の声が闘技場に響き渡ると同時に、彼は渾身の魔弾を解き放った。
その攻撃は圧倒的なエネルギーとともに、恵一に向かって一直線に放たれた。