始まった学園生活
「2年E組……一番下のクラスか……」
配属先が告げられた瞬間、彼は内心安堵しつつも複雑な感情を覚えていた。釈尾が語った学園の厳しい競争を思い出すと、これが楽な場所ではないことは明らかだった。
恵一は理事長室を出ると、重い気持ちを抱えながら廊下を進んだ。頭の中には釈尾の言葉が何度も反響していた。「誰も信用してはならない」――その言葉は彼の心をかき乱していた。
「俺、本当にやっていけるのかよぉ……?」
不安と恐れが胸を締め付ける。しかし、同時に湧き上がるのは、この学園で生き抜いてみせるという意志だった。京介や桝岡家に助けられるばかりではなく、自分の力で何かを成し遂げたいという思いが芽生えつつあった。
廊下の窓から見える学園の庭は、整然とした美しさを誇っていた。その光景が、彼にとっては新しい世界への一歩を象徴しているように感じられた。
「やるしかないっす……!」
扉の前で立ち止まる。深呼吸をしながら、恵一は震える手でドアノブを握った。そして、意を決して扉を開けると、教室内から賑やかな話し声が一瞬止み、複数の視線が一斉に彼へと向けられた。
教室の中は、どこか気だるい空気が漂っていた。窓際の席では数人の生徒が雑談し、後ろの方では机を傾けて寝ている者もいた。E組――学園内で最も成績の低いクラスの生徒たちは、他のクラスとは異なる雰囲気を醸し出していた。
「おい、新入りか?」
真っ先に声を上げたのは、眼鏡を掛けたツンツン頭の少年だった。彼の口元には、何かを企んでいるかのような薄笑いが浮かんでいる。
「えっと……はいっ!編入生の桂澤恵一っす!よろしく頼み申す!」
恵一は緊張しながらも、明るい声を出そうと心掛けた。だが、その言葉に反応するようにクスクスと笑い声が漏れる。
「へえ、編入生なんて珍しいなあ。お前、どんなコネ使ったんだ?」ツンツン頭の少年――矢部和正がニヤニヤしながら言った。
その言葉に、教室の一部からまた小さな笑い声が上がる。恵一は一瞬、どう答えればいいか分からず、視線を彷徨わせた。
「矢部、お前いきなり何言ってんだよ!」別の声が矢部を制止した。声の主は、熱血漢らしい雰囲気を漂わせた浅井智也という少年だった。彼は明るい笑顔で恵一に近づいてきた。
「ごめんな、矢部はいつもあんな感じだから気にすんなよ! 俺は浅井智也。よろしくな! 編入生なんて、俺たちにとっちゃちょっとした事件だぜ!」
浅井のフレンドリーな態度に、恵一はようやく少しだけ緊張が解けた気がした。「よろしくお願いします」と返すと、浅井は満足げに笑って肩を叩いた。
恵一が席に座り、自己紹介を終えると、周囲の生徒たちはそれぞれ興味深げに彼を観察するようになった。恵一はその視線を感じながらも、できるだけ自然体を装おうと努めた。
「編入生って、魔導の力どんくらいあるんだ?」低い声が恵一の横から聞こえた。隣の席の江藤康弘だった。眼鏡を掛け、角刈りの短髪が特徴の彼は、一見真面目そうに見えるが、その目には何か隠された意図が感じられた。
「えっと……力っていうか、魔導はまだ嗜む程度と言うか……よく分からないんですよなぁ……」
恵一の曖昧な返答に、江藤は「そうか」とだけ呟き、特に何も追及しなかったが、その態度が余計に恵一を不安にさせた。
江藤の向かいに座る2人の女子生徒は対照的だった。一人は児高美寛、短髪で活発そうな少女で、その明るい笑顔が場の空気を軽やかにしていた。もう一人は三國舞陽、長い黒髪を一つに束ねた静かな雰囲気の少女で、落ち着いた佇まいがその場に静けさをもたらしていた。陽と陰のような2人が並ぶ姿は、部室に微妙な調和を生み出していた。
「ねえ、編入生ってどこから来たの?」
美寛が机越しに顔を出して尋ねる。
「えっと、普通の高校からだけど……」
「ふーん、普通科からね。まあ、E組ならそれも納得かな」
美寛は笑いながら言ったが、その言葉に特に悪意は感じられなかった。
「よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします!」
女性不慣れな恵一は、突然かけられた優しい言葉に、パニック状態にな陥り、告白する男子のように手を前へ差し出した。
「ふふっ。面白い人」
一方、舞陽は一歩引いた位置から恵一を観察するように見つめていたが、特に話しかけてくることはなかった。
授業が終わり、下校の時間になると、浅井が再び恵一のそばにやってきた。
「おい、桂澤! 帰り道どこだ? 途中まで一緒に行こうぜ!」
「え、あ、ありがとう。青森からこっちに来たばかりで、まだ右も左も分からぬ新参者なんで……」
「そっか、じゃあ案内してやるよ。俺、学園のことは結構詳しいからな!」
恵一はその親切に感謝しながら、浅井と共に教室を後にした。その背中を、矢部や江藤は何か含みのある視線で見送っていた。
「面白くなりそうだな」と矢部が呟くと、江藤は軽く鼻を鳴らして笑った。
「まあ、どうせE組だ。特例とか言っても、ここで潰れるのがオチさ」
そんな二人の言葉を知らないまま、恵一は初めての学園生活の一日を終えようとしていた。不安と期待、そしてわずかな安堵が入り混じる中で、彼はこれからの試練を思い描いていた。