表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

復讐に生きる女:イアゴネット

 私が物心付いたとき、母との2人暮らしだった。生活は貧しかった。作物もろくに実らない貧しい土地での生活。それでも、私は幸せだった。

 母は優しかった。村の仲間達もみんな親切で、お互い助け合って生きていた。私と母は、収穫の時期になれば、落ち穂を拾った。厳しい冬がくれば、お互い身を寄せ合って暖を取った。漠然とだけれど、大きくなればこの村の誰かと結婚をして、その人との子供を産み、育てるのだろうと思っていた。優しい母と優しい夫とその子供、ずっと幸せに暮らすのだろうと思っていた。


 しかし、私が11才のある日、その幸せが壊れた。私の父親と名乗る男が村へやって来たのだ。それから私の生活は一変した。私は強引にその男の屋敷へと連れてかれた。男は貴族だった。本妻と、その本妻との間の子が病で亡くなり、他貴族に嫁がせる駒がなくなった。そんな時に私の存在を思い出したとその男は説明をした。

 本妻が妊娠をしている時に、屋敷で働いていた母に手を付けたというのが私の生まれた経緯いきさつだった。そして母が妊娠したことが分かると、身重のまま解雇し、屋敷の外へ追い出したそうだ。

 

 屋敷から私が逃げ出せば、母に危害が及ぶとその男は言った。こうして私は、子爵の娘、イアゴネットという仮面を被ることになった。無くなった本妻の娘とも、歳は1才も変わらず、社交会に出ていないから、容姿を知る者は少なく都合が良いらしい。男は言った。俺の血を引いているだけあって、目元は俺に似ているな、と。その日から、自分の半分が大嫌いになった。

 そしてさらに、屋敷で貴族としての教育を受け、私は、貴族令嬢の仮面をも被ることになった。貴族としての生活は、毎日が憤りの毎日だった。屋敷で毎日出される食事は、村での誕生日の日に食べる食事よりも豪華だった。洗濯をするということを知らないとしか思えないように、使い捨てのように着るドレスは、村の花嫁が結婚の時に着る花嫁衣装よりも豪華で高価だった。


 15才になった。私は貴族が通う学校に入れられることになった。そこには、お気楽な世界が広がっていた。男は、騎士道と称して、剣術の真似事をしていた。あんな腰の引いた素振りでは、犬も斬ることはできないだろう。家畜を襲う狼を、畑を荒らす猪を倒す村の男達の方が強く逞しかった。

 学校の女は、糸を紡ぐことも、布を織ることも、刺繍も、料理も、何も出来なかった。紅茶を上手に煎れられるだけの集団だった。いつ、白馬に乗った騎士が自分を迎えに来てくれるのだろうかと、そんな夢物語を本当に夢見ていると分かって、唖然とさせられた。種を蒔き、遠い井戸から水を汲んで撒き、収穫しなければ麦は取れない。彼女達は、ただ椅子に座って、紅茶を飲んで、何を手に入れようとしているのか、さっぱり分からなかった。

 彼等彼女等が、精一杯生きている村の人よりも、尊ばれている理由が分からなかった。


 ある日、私の事を誹る者が現れた。私は、偽物なのだと。屋敷で働いていたメイドの娘なのだと。

 私はそれを聞いて安心をした。秘密が露見した。もう、私が他人を演じる必要もない。早く村へと帰りたかった。

 秘密が露見したことを、父親と名乗る男に話をした。彼は、平然と言った。「ただの噂話であろう。証拠は全て消した」と。

 私は嫌な予感しかしなかった。私は学校の授業を休み、三日三晩、馬を走らせ、村へと急いだ。しかし、そこには既に村はなかった。そこにあったのは、焼け落ちた無人の廃墟だった。灰となった自分の家の前で私は泣いた。母の形見を探そうと必死に探したが、見つかったのはやじりだけだった。

 

 泣きながら朝を迎えると、早朝にすぐに追っ手が村までやって来た。私は屋敷に連れ戻された。

 

 私は、この世界に復讐をすることにした。私が欲したのは、力だった。木は、根元を切り倒せば倒れ、やがて朽ち果てる。目指すべきは、この国の根元、王だった。そして都合が良いことに、次代の王が学校にいた。私は彼に近づいた。

 私の涙は既に涸れていた。だから、泣くのは簡単だった。オセロットは、涙に弱かった。そして、騎士道という名の偶像に心酔していた。

 彼の婚約者とかいう、デズデモーナという女を追い落とすのは簡単だった。デズデモーナを取り囲んでいる女達は、私が少し反抗的な態度を見せると、すぐにムキになり扱い易かった。


「デズデモーナ、お前との婚約を破棄する!」


 あっさりと決着が着いた。村で良くやっていた鼠の駆除と同じだった。鼠取りの仕掛けを置き、鼠が好むような餌を撒く。そしたら勝手に罠に掛かってくれる。身分が高く、優しい騎士がいつか迎えに来てくれると夢想している彼女達は、どうやら自分以外の人間に白馬の騎士様が迎えに来ることを好まないようだった。そして彼女達は張り合いがなかった。窮鼠猫を咬むと言われるし、罠に掛かった鼠も、罠から脱出しようと最後まで足掻くものだ。しかし、彼女達はその鼠が持ち得るほどの気概もなかったようだ。


 焦ったのは、オセロットがデズデモーナを断頭台に送ろうとしたことだろう。そんな楽に殺してやるもんかと思った。彼女個人とは最後まで接点はなかったが、彼女も私が憎む、貴族の1人だ。楽に消えて行っては困る。

 私は、デズデモーナの助命を願い出て、村の中でもっとも厳しい仕事、森の開墾作業をするということで罪を許す、と提案をした。周りにいた貴族達、そしてオセロットも愚かだ。開墾作業がどれほど大変かを知らない。被害者である私が、助命を請うなんて、なんて寛大なのだと、感動しているようだった。貴族は贅沢に薪を使い、暖炉で暖を取る。冬の開墾作業の厳しいさを想像することもできないのであろう。


 ・


 オセロットの婚約者の地位を手に入れて半年が経った。後は、この男との子を成し、王位に就いたオセロットを殺せば、私は力を手に入れることができる。


「オセロット様? どうかなさいましたか?」と私は彼専用とかいう王宮で、くだらない騎士道に酔いしれている彼に声を掛ける。


「いや、少し考えごとをしていてね」とオセロットは答える。


「暗い顔をされていましたわ。何かご心配事があるのですか? それとも、紅茶、美味しくありませんでしたか?」と私は尋ねる。紅茶に混ぜた精力剤の味を感じ取ったのかも知れない。無味無臭だが、何か違和感があったのかも知れないと私は少し焦る。結婚をするまでは我慢するよ、なんていう彼の騎士道に付き合っている時間は無い。最初の子供が男子である保証もない。男子を産めなければ、他の貴族達が側室を持てなどと騒ぎ始める。早ければ早いほうが良い。


「いや、美味しいさ」とオセロットはまた紅茶を飲む。陶器製のカップを使って飲むなんて随分と暢気だ。彼を毒殺する際は、紅茶に混ぜれば良いだろう。銀製の食器を使われている時は不味い。


「デズデモーナ様の事を考えられていたのでしょうか?」


「そ、そうだ」


「この場所ですもの。仕方がありませんわ」と、私は言う。彼は騎士道に泥酔している。それも中途半端な騎士道だ。後悔をするくらいなら、成さなければ良い。もう成したのだから、前に進むしかないというのに。


「ご心配でしたら、デズデモーナ様のご様子を視察されますか?」と私は提案をする。デズデモーナが開墾の作業をして半年。頃合いも丁度良いであろう。女の恋は、キャンバスを白く塗りつぶしてまた描く。男の恋は、別のキャンバスに描く。オセロットには、別のキャンバスを持っていてもらっては、計画に支障がでる可能性がある。


「そ、それは……。しかし、いいのか?」


「私は構いません。殿下もご心配でしょう」


「そうか」とオセロットは言った。


 ・


「デズデモーナ様は刑期中の身。お話をされたい気持ちは分かりますが……」と私は事前に釘をオセロットに刺す。デズデモーナとオセロットが接触し、焼け木杭に火がつくことなど、想定外のことが起こるのを避けたい。


 夕暮れの農村。私がかつて住んでいた村。だが、そこに住んでいる人は、新しく移住してきた人で、私は彼等の誰も知らない。


「オセロット様。これ以上は、気付かれてしまいますわ。心残りかとは思いますが、デズデモーナ様が無事に開墾の刑を終えた曉には、2人でデズデモーナ様を迎えに行きましょう」と私は言う。


 森の開墾は半年経ってもさほど進んではいない。誰にも手伝わせるな、だけど、デズデモーナが野垂れ死にしない程度には食事を与えよ、と言葉を柔らかく遠回しに命令をしてある。彼女1人でなら、あと7、8年は開墾の作業が必要だろう。作物が実る土地になるまでは、10年といったところであろう。


「そうだな。イアゴネット、辛い思いをさせてしまったね。もう行こう」とオセロットは口を開いた。

 彼の言っている「辛い思い」は的外れだ。だが、確かにこの村に来るのは辛かった。優しかった母、親切だった村の人達。私が封じ込めた感情が、心の奥底から染みだして来そうになる。それを闇の中へ押し戻しそうとしても、思い出があふれ出てきてしまう。


「オセロット様。初恋は実らないものだ、という言葉をお聞きになったことはありますか?」とオセロットに私は言った。女の恋は、キャンバスを白く塗りつぶしてまた描く。男の恋は、別のキャンバスに描く。オセロットには、初恋という名のキャンバスを、早く捨てて貰わねばならない。


「ああ」とオセロットは力なく頷いた。


「初恋の思い出というのは、美しく、そして忘れがたいものです。ですが、それらは全て過去なのです。オセロット様、過去ではなく、今と、そして未来を見て戴けたらと思います」と私は美辞麗句を並べてもっともらしいことを言う。彼は、デズデモーナとの婚約破棄をして私に乗り換えた男だ。新しい女が現れたら、同じ事をする可能性がある。


「ああ。分かっている。先ほど、デズデモーナの姿を見てはっきりと分かった。どうやら私は、思い出を過度に美化していたようだ。イアゴネット、すまなかった。これからは、君と過ごす今と、そして未来だけを見て生きよう。愛しているよ、イアゴネット」とオセロットは言って、私に口づけをした。彼の舌が私の口に入ってくる。私は時には恥じらい、時には情熱的にと自らの舌を動かし、思考の渦の中に沈んでいく。


 彼は、何かを勘違いしている。彼は、「思い出を過度に美化」などしていない。彼の美的感覚が狂っているのだ。貴族の美的感覚もそうだ。陶器のように白い肌が美しいと思っている。デズデモーナは、毎日の作業で陽に焼けただけ。絹のような髪が美しいと勘違いをしているだけ。それには、毎日の手入れが欠かせない。

 肌の白さも、農作業をし、日に当たる農民には為し得ない美しさだ。肌の白さなど、白馬の騎士を日陰で紅茶を飲みながら待っているだけの貴族にしかあり得ない。そんな美しさ。

 オセロットは、王宮の中で育った。彼の母親も、そして周りの貴族の女も、白い肌、光沢のある髪、皹など無い手、華奢な体。それが美しいものだと思って育つ。彼が、「思い出を過度に美化」していたなどと感じたのは、貴族としてのデズデモーナと農民として生きているデズデモーナの外見の違いを見ただけ。でも、狭量な貴族にはそれが全てなのね。


 とても楽しみね、デズデモーナ。貴方は開拓を終えれた頃、10年後、貴族としてまた戻ってくる。小麦色になった肌、絡まった髪、あかぎれだらけの手、華奢とは言えないほど筋肉のついた体。そして何より、あなたは歳を取っている。そんなあなたに見向きをするような物好きな貴族がいるかしら? 経験から言わせてもらえば、貴族としての美しさを取り戻すのに、3年は掛かるわよ。それまであなたは耐えられるかしら?

 私は、あなたが戻ってくるまでには、私は王となる子供を産み、この国の頂点に近い存在になっているでしょう。私の予定通りなら、現王も殺し、オセロットも殺し、幼い王を傀儡として、私が国母となっているでしょう。

 その時は優しく迎えてあげるわ。「ようこそ、孤独の世界へ」と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ