恋と復讐 ~可愛さ余って憎さ100倍~
暇つぶしに
「好きです。俺と付き合ってくれませんか」
広大なアカデミーの敷地の南に位置する植物園からの帰り道、院生として植物の研究している4つ年上のアレクシス・メイセンが切り出した。
その日、那月は七年に一度咲くと言われるショクダイオオコンニャクの巨大な花が咲いたとアレクシスに誘われ一緒に見に行った帰りだった。見た事もないほど巨大でグロテスクなその花にすっかり興奮し、最近アレクシスを意識し過ぎてしまう事が気不味く避け気味だった事も吹き飛んでいたのだ。
(付き合うって、恋人としてっていうこと?本当に?)
アレクシスは温厚で見た目も頭も良くアカデミーで人気があり、自分など相手にされる訳がないと思っていた。ただとても面倒見が良いのでこの国についてよく知らず戸惑っている留学生の自分を放って置けず何かと世話してくれているのだろうと。
この国で異国人はあまり見かけない。故に閉鎖的で、普段アカデミーで奇異の目を向けられがちだった那月が何かと優しくしてくれるアレクセイに好意を寄せるまでそれほど時間はかからなかった。
次第に彼を意識して一人でドキドキしている事がバレてしまう事だけは避けたいと思い、なるべく最近はアレクシスの側に行かないように心掛けていたのだ。
「ナツキ、返事は急ぎませんから」
黙り込んでいる那月に、アレクシスが苦笑して言った。
(違う!)
この話が終わってしまいそうな空気に焦り、那月は真っ赤になりながらもまだタドタドしいこの国の言葉で答える。
「私、アレクシス好キデス! 」
素直に自分の思いを伝えると、彼は嬉しそうに照れ笑いを浮かべてから右手で那月の髪をその耳に掛けた。そしてゆっくりと近づいてくる彼の顔。透き通ったアイスブルーの瞳がまっすぐ那月見つめていて、ドキドキと逸る胸を押さえつつ目を閉じた。
(えっ?もうしちゃうの?アレクシスの気配がだんだん近づいて来るっ……)
次の瞬間感じたのは違和感。ファーストキスを期待していた那月にとって、予想とは別の部位への接触だった。
改めて目を開いて確認する。
(コレは違う)
彼氏がいたことのない那月だが、恋人同士がこんなことをするなんて聞いたことがない。
日頃美しいと思って眺めていたアレクシスの形の良い指先が、今那月の鼻の穴にフィットしていた。強すぎず緩すぎず、まさにジャストフィットだった。
困惑を隠せず戸惑いがちに彼の顔を見ると、
「那月もっ、早く早く」
と甘えた顔で急かされた。
しかし、那月には何を早くすればいいのか分からなかった。
「アレクシス、私分カラナイ。外国人ダカラ。ドウシテホシイ、説明シテクダサイ」
質問するといつもの彼だったら大人びた顔でにっこり笑い「大丈夫だよ」と優しく教えてくれるはずだった。
しかし彼の口から洩れたのはいつもから信じられない程、切な気で余裕のない喘ぎだった。
「はぁ…ジらさないでぇ。早く挿れて」
(挿れてというからには、私も彼の鼻に指を挿せという事か?)
慌てて那月は人差し指を立てると、思い切って彼の筋の通った鼻の穴にジャストフィットさせた。アレクシスはビクリと震え鼻に掛かった様な呻き声を漏らした。
自分の行為は正解だったのだと、ほっと胸を撫で下ろす。
郷に入っては、郷に従え。
この国に来てから、何度となく唱えた故郷の諺である。
慣れない食事の味付け、上手く伝わらない意思表示、やや排他的なこの国の国民性。
ザッパァ~ン、ザッパネ~ゼと差別的にからかわれる中、頑張って来られたのはアレクシスの励ましがあってこそだ。
(愛情表現に違和感があるからと言って、アレクシスを嫌いになんてならない)
“カシャッ”
そこへ場違いなシャッター音が響く。何だろうと思って、首を傾げてアレクセイを見ると彼は「ブフッ」と盛大に噴出していた。訳の分からない不安が那月を襲う。
そこへ建物の陰からカメラやビデオを片手に持つ4人の生徒が姿を現した。
「アレクシスが貴方みたいな外人好きになるワケがないじゃない」
その中でも美人の女の子がクスクスと笑いながら言った。続いて他の学生も口々にからかいはじめる。
「流石ザッパニーズ、鼻の穴に指突っ込まれて喜んじゃって~」
「恥かいたんだから、ハラキリしねぇの? 」
「その気になっててマジ受けるんですけど」
次々と投げかけられる嘲笑に那月はグッと堪え、恐る恐るアレクセイの表情を見るとプルプルと彼は震えていた。怒りのせいでない、那月の間抜けさに大笑いしていたのである。
「ハァ、那月。良いよ凄く、もう俺ここ4,5年で一番笑った。鼻の穴に入れる訳ないじゃん、恋人同士が。フフフ、それとも日本では普通の事なのかな? 」
アレクセイはそう言うと今迄は見た事もないような意地悪そうな笑みを漏らした。他の4人も傑作とばかりに嗤笑している。
(コイツもか)
すっかり失望した那月はその日どうやって寮へ戻ったか覚えていない。部屋に明かりをつける気分にもならなかったし、夕飯ものどを通りそうもなかった。
次の日、那月は何とか気持ちを立て直すことが出来た。
(割とハートは強い方なのだ)
そう自分に言い聞かせてパジャマから制服に着替える。
(アレクシスなんて幼稚でくだらない男を好きだったこと自体私の黒歴史ね)
髪の毛を整え、鏡に映った自分を見て両方を叩いて気合を入れる。
(うん、大丈夫そうだ。もうこのアカデミーでは希少な植物や学問以外に何も期待しない)
威勢よく部屋を出た那月は10分後、掲示板の前で放心していた。正直ここまでやるとは思っていなかったというのが正直な気持ちである。掲示板に張られていたのは、目を閉じて鼻に指を突き込まれている那月のB5判写真であった。
(何故ここまで嫌われるのだろう)
困惑はやがて怒りに変わっていく。
あくまでも排他的を貫くというのなら、その弊害を教え込んでやろうじゃないかと心に誓った。その後3日間、那月はアカデミーを休んだ。
那月がアカデミーをあれから休んでいることを知ったアレクシスたちは「アイツ辞めちゃうんじゃない?」とニヤニヤ笑った。
「留学生の追い出し、大・成・功~!!」
ノルマ達成とばかりに浮かれはしゃいだ。
しかし彼らは知らなかった。日本の負の文化とその影響力を。そしてその文化に特化した特殊能力の持つ日本人がいることを。
始まりは女子更衣室に無造作に置かれた1冊の薄い冊子だった。第一発見者は体育の授業で訪れた女子グループ。何気なくページをめくるとそこに描かれていたのはアレクシスと彼の親友で体躯の良いビリーがくんずほぐれつする様だった。あられもない姿で乱れるアレクシスの絵に誰ともなくゴクリッと唾を飲む音が聞こえた。
この国初の腐女子誕生の瞬間である。
そう那月はBL同人誌会で知らぬものはモグリと言われるほど売れっ子同人作家なのだ。美麗で繊細な絵と萌える設定とシュチュエーションで、ノーマル女子を腐女子へと堕すことでも有名であった。
薄い冊子はその後あらゆる場所から発見され、アカデミーで男女問わず話題となった。アレクシスはこのアカデミーで言わずと知れた目立った人気者である。男子生徒の中にはそれを面白く思っていない者もいる。
「アレクシス~、今日はビリーと一緒じゃないのかよ? 」
最近ではスクールカーストの底辺の生徒にもからかわれる始末だ。
「なんであんなモノが。しかも何で俺なんだ」
この国には、同人誌など存在しないし漫画自体あまり売られていない。アレクシスにしてみたら内容はともかくあんな絵の本がその辺の生徒が作れるとは思いもよらない。
クスクスと笑う生徒たちをよそに眉間に皺を寄せイライラと早歩きで廊下を通り抜け、放課後いつもグループのたまり場になっている教室へ入っていく。
「よ、よぉ、アレクシス」
信頼できる仲間たちを見て、なんだかやっとホッと出来る場所に来たような気がして、深いため息をつく。しかし、仲間たちは慌てて何かを隠したようだった。
「今何隠したんだ?」
「いや、何でもない」
「何でもないなら見せろよ」
「アレクシスは見ない方が良い」
仲間が必死に隠していたのは、スマートフォンだった。
首を傾げて、画面を見ると映っていたのは動画サイトで鼻に指を突っ込まれて喘ぐ自分の姿だ。動画再生回数は鰻上りに上がっていく。運営に削除して貰おうにも日本語の動画サイトなのでどこをクリックすれば良いのかわからない。
(那月が早く指を入れるように促す為だったのに……)
呆然としたアレクシスに「このサイトにアクセスするようにメールが回って来たからさ」と言い訳している仲間の声は届いていなかった。
余談だが、この金髪のイケメンが何か喘ぎながら鼻に指を突っ込まれる動画はその日の再生ランキングに載り、日本人ユーザーたちを大いに困惑させたという。
その頃、那月は必死に机に向かっていた。
次の復讐の為ではない、彼女の復讐はもう終わったのだ。動画も明日には削除する予定である。
ではなぜ彼女が机に向かっているかというと、アレクシスの友人である美女から譲って貰ったビデオデータの代償であるBL本の作成をしているのだ。
(植物学に専念するつもりだったのに……)
これは後にとあるアカデミー、いやとある国の腐女子界において神と崇められた少女の物語である。