6.質問
「ねぇ、少し聞いてもいい?」
翌日、僕がいつものように図書館へたどり着き、いつもの席に座るなり、今日も読書スペースに一人でいた少女が声をかけてきた。
「ああ、なに?」
ここに来るまで昨日の質問攻めの意図をぼんやり考えていた僕は、その言葉に乗っかり、今日もまず雑談に興じる。
「ちょっと一人暮らしについて聞きたいんだけど」
「一人暮らしについてって、例えば?
「実際に暮らしてみてどういう風に感じたかとか」
「……僕の経験談でいいの?」
「ええ」
少女は淡白にそっけない返事をする。僕はそれを聞いて、「まぁ本当に個人的な話だけど」と前置きしてから彼女の質問に答える。
「一人で暮らす訳だから、自由な時間はやっぱり多いよ。だけど、その分色んな事を自分でやらなくちゃいけない。当たり前だけど、洗濯や炊事なんかも自分でやるようだし、部屋で出たゴミなんかも自治体のルールに沿って捨てなくちゃいけない。結構面倒な上に、ゴミ袋の代金もバカにならないんだぜ?」
「…………」
少女は僕の事をじっと見つめながら話を聞いていた。その様子を確認しながら話を続ける。
「それに夜は隣人に迷惑をかけないように静かにしなくちゃいけないし、光熱費なんかも結構かかるから実家で過ごすようにはいかない。月々のお金の管理だって大変だし、最近は物騒だからね。戸締りとか防犯に関する事は、特に女の子は気をつけなきゃだし。一人暮らししてそういうのを経験すると、本当に家族のありがたみっていうか、親に対する感謝を身をもって覚えるようになるね。まぁほとんど一般論だとは思うけど、実際そんな感じだよ」
やや口うるさくなってしまった感じがするけど、それでも彼女は最後まで僕の話を大人しく聞いていた。そして小さな溜息を吐く。
「やっぱり大変そうね」
「ま、慣れればそんなでもないさ。それに自分の好きなように部屋をレイアウトできて、そういうのも楽しいし」
「ふぅん……」
「だけど何でこんな事を? 一人暮らしでも始めるの?」
「……別に、大した意味はないわ」
少女は眉にかかる前髪を鬱陶しそうに払いのけると、興味無さそうにそんな言葉を漏らした。僕の話を聞いている時の様子とはかけ離れているが、恐らく一人暮らしに対する興味は変わらないのだろう。本当に天邪鬼な性格だ。
頬杖をついて、机の上に置いた本の表紙をぼんやりと眺めている少女を見つめながら、僕は少し考え事をする。どうして少女は一人暮らしに興味を抱いているのか、そして僕に対して多くの質問を投げかけてくるのか。
昨日の一言を思い出す。自分は一人ぼっちだからというニュアンスの言葉だ。それがどこまで真に迫るものだったかは未だに分からない。冗談のようにも聞こえたけど、天邪鬼なこの少女の場合、冗談のように深刻な事を言うのだって考えられる。
それから僕に対する質問攻め。これは一人暮らしに興味があったからだろう。大学に関しても自分の近い未来の事だろうし、気になるのは当然だ。……でも、それだけなのだろうか、なんて、自意識過剰もいいところな事を考える自分に呆れる。
僕は頭を振って、今度は自分の方から少女に質問してみようかと思う。しかし彼女に聞きたい事は一つしかなく、もしかするとそれは少女にとっては嫌な気持ちになるものかもしれない。
「一つ聞いてもいいかな?」
それでも気になっている事だ。僕は思い切って口を開いた。
「なに?」
少女は野暮ったそうに僕へ視線を巡らせる。
「君、転校とかってよくしてた?」
「…………」
その言葉に、彼女は驚いたような、どうでもいいというような反応を示す。それは何と答えようか迷っているようにも見えた。だけど、僕にとってはそれが十分に答えだった。
「まぁ、多少はね」
しばらくしてから少女は短くそう答えた。その多少というのがどれくらいのものかは分からない。だけどきっと、それは平均よりも大きく上回るんだろうと思えた。
これは地に足のつかない推測でしかないけど、結構ズバズバとものを言えるような子に友達がいないとは考え難い。そうなると家庭の事情か何かで、そういう友達を作る環境に恵まれなかったのかもしれない。だから転校が多いんじゃないかと僕は思ったのだった。
僕は転校というものを一度も経験した事がなかったけど、それは一人暮らしを始めたばかりの頃の境遇と似ているのだろうか。大学に入学したての頃は、周りに知り合いが誰もいなくて、また一から友達を作らなくちゃならなかった。だけど二人の境遇で決定的に違うのは、彼女は折角できた友達ともすぐ別れる事になってしまう事だ。それもまだ子供の頃に、だ。仲良くなりたいけど、どうせすぐに別れる事になってしまう。もしかしたらそんな葛藤を抱えていたせいで、少女は天邪鬼な性格になったのかもしれない。
一人暮らしに寂しさに喘いでいた時期、僕は開き直って見知らぬ人にも積極的に話しかけるようになった。そうやって消極的だった性格を少しは改善できるようになったのだった。高校時代の僕だったら、少女の事を図書館で見かけても「人がいる、珍しいな」くらいで終わり、こうして話をするような関係にはならなかった。
形はどうあれ、少女もそうやって変われればいいけど……と、ものすごく傲慢な事を考えた自分に驚く。僕が考える彼女の境遇については推測でしかないのに、こんなにもお節介を焼いてしまうなんて、僕はどうかしてしまったのだろうか。
「そういえばさ、何かお薦めの本とかない?」
それに妙な気恥かしさを覚え、その気持ちを吹き飛ばす為、僕は唐突に話題を出すのだった。