溜息
初心者なのでお気軽にご指摘よろしくお願いします、す、す!
朝日の上る午前六時半。頬が朱色に染まり、吐き出された息は白い空気となって霧散する――。私、一ノ瀬文はまだ人通りの少ない通学路をのそのそと歩いていた。季節は十二月をまわり、高校三年生の私はいよいよ受験シーズンを迎える。愛用の赤いマフラーに顔をうずめ、手袋をつけた両手をごしごしこすって必死に熱を保つ。
しばらく歩いて学校が見えてくると彼女は大きく溜息をついた。白みがかった吐息は虚しく、そして儚く散っていく――。
受験は……憂鬱である。
そのことを思い返せば途端に不安が押し寄せ、今の学力に自信をもつことができない。心細くなって、深夜になっても、あともう少しっ、と体に負担をかけては次の日学校で寝てしまう、なんてこともざらではない。
上手くいかない自分に腹が立ち、さらに実力もついてこないときた。私には才能ないのかな……やっぱり一つランクを下げて、確実に受かるところを受けようか。
なんて考えも後をたたず、ぶれぶれな私。
だけど。もちろん、そんなことはしない。
きっぱりとした意志を胸に顔をあげるとそこには――。
はぁーっと再び大きな溜息をついた。
何時の間にか、彼女は学校についていたのだ。
――彼女の前に大きく立ちはだかる校舎の外観は彼女の知る学校の中では、良くも悪くもない。つまりまあまあだった。
正門から真っ直ぐに横幅の広い道が開かれ、その左右に二つの校舎が立ち並ぶ。
彼女は中央の道に出ると、真っ直ぐ下駄箱のある場所へ向かう。無駄のない動作でスリッパに履き替えると、慣れ親しんだ教室のある北舎を目指さず、新築の南舎を目指す。
その動きに迷いはなく、普段から南舎に行っているかのよう。
数台の車が目の端に映り、彼女は小さくご苦労様と目礼。若い私達でさえ、朝早くに学校に向かうのは一苦労だと言うのに、私より何十年も年上の教師達には、体にこたえるものがあるだろう。
歩いていると、冷気が冷たいスリッパから足を伝って体の上まで這い上がってくる。
ああ、早く。早くあの部屋へ行こう。
急ぐ心を抑えつけ、丁寧に南舎の扉を開く。くぐもった音が扉から聞こえ、心が落ち着かない。
――静まりかえった校舎の中は、ただ明かりだけが灯った廃校のように、暗い雰囲気を醸し出していた。ただでさえ、淀んだ曇り空だったのだ。何だか薄気味悪さを感じる。
職員室ともう一つ。その反対側に位置する部屋の中から明かりがこちらを照らし出す。彼女は光に導かれる虫のように、その部屋へと吸い寄せられていった。
扉の前まで来て、ちらりと扉のガラス越しに中を覗き込む。彼女の視界に映ったものは、将来に向けて着々と努力する同志たちの姿。つい先月であれば、その姿を見ると何度でも私を奮い立たせ、勇気を噛み締めることができた。
だけど……現在の私はそうではない。そうではないのた。そこに彼女の探し求めていたものはなく、憂鬱に憂鬱が重なり、気分の低下に拍車がかかる。と思いきや――。
突然、後ろから伸ばされた手が優しく彼女の頭を撫でる。彼女のふわふわした髪がそれに反応するかのように、ひょこひょこと上下した。こんなことは。私に、こんなことができるのは……あいつしかいない。忘れるわけがない、このホッと心を癒す行為のことを。
「よっ。さっさと中に入ろうよ。寒くて凍え死にしちまいそうだ」
後ろを振り返ると体をぶるぶると震わせた男が立っていた。身長が高く、精悍な顔立ち。鋭い視線はどこまで見抜いているのか分からない。そう――私の気持ちとか――。
だが私は彼を人睨みすると。
「頭撫でるのやめてよね。髪がボサボサになるじゃない」
素直じゃないんです。ごめんなさい。口から出るのは本来の想いとそぐわぬ言葉。
彼はそれをどこまで分かっているのか。軽くはいはいっ、と声をかけて再び頭を優しく撫でると、部屋の中へ入っていく。見える横顔は偽りのない純粋な笑顔。
はあ。今日何度目かになる溜息は、部屋から伝わる温かい空気に包み込まれ、その後にくる負の感情は嘘のように、出てこない。いや、それとも――。
むっとした表情を浮かべてはいるが。自然と釣り上がる口端を止める術はなく、どうしようもないほど幸せが笑顔となって溢れていく。
彼女は気づいていない。自分が笑っていることに。
そして――知らず知らずのうちに心の底まで温められているということに――。