第30話 美食の町マンゾー国
トンノ・ロッソとやりとりしている港よりも少し南に行った所にある、カールネ大陸のマンゾー国はとある事で有名である。
生きたる者に共通する最高の快楽。命と命の輪が繋がり合い、それは永遠に巡り続ける。そして未来を紡ぎ続けるのだ。
つまり、それは何なのかと言えば「食事」。そう、この国は美食で有名な国なのである。
僕らはこの国で美食を満喫しようとしたが……、かつてない危機が僕らを襲った。
「……キリー、ルシファー。もう、勘弁して。僕らにはお金がないんだよ……」
なにせ、この国は美食で有名。高級料理店が数多く並び、一般的な食堂でも基本の値段が高いのだ。そんな国に一日滞在すればお金が尽きてしまう。ただでさえ、僕らはお金がない貧困勇者一行なのだ。ルシファーの女遊び、キリーの食欲がひどい。幸いにも、万能キノコハウスのセバスチャンで宿代を節約したので、奇跡てきに半日で破産しなかった。
「いくらみすぼらしくて、安そうな店に入ったとはいえ、僕らに後はないんだよ!」
僕がテーブルを叩いて言い放ったが、ルシファーとキリーは知らんぷりして食べる。やれやれと言いたげにため息をして、マーリンはカップを置く。中身はミルクのくせに、なかなか渋い飲み方だ。
「……ワタル。店員しゃんが困っていましゅよ」
僕が振り返ると、まだ二十代ぐらいの店の主が両手に料理を持ち、ひきつった笑顔を浮かべている。
「……聞いていましたか……。その、すみません……」
「いいですよ。別に、本当の事ですから……」
店主は料理を並べると、寂しげな背を見せて厨房に戻る。この店は少し大きめで、席数もそこそこあるが、この店には彼一人だけだ。何か、問題でもあるのだろうか……。
僕が店の状態と自分たちの困窮さを重ねて見て、同情していると、マーリンが肩を叩いてくる。
「ワタル、ワタル。僕、数えてみまちたが、合計で銀貨四十枚はしましゅよ」
僕は顔を青くして、懐の中身を探ってみる。
「………銀貨が三十六枚、三十七枚、三十八枚、三十九枚、……あと一枚足りない。あと一枚足りない。あと一枚足りない。怨飯屋―!」
「どひっ!?」
僕がこの世の終わりみたいな顔で怨嗟の声を漏らすと、店主がお化けでも見たかのような顔――「いや、ワタルの顔、本当にお化けみたいでしゅよ」――をして悲鳴をあげる。
僕ははっと我に返って、店主に頭を下げる。
「あ、えっと、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。あいつら二人が悪かったんです。僕は無実です!」
「大丈夫だって。ワタル、お前の体を売ればなんとかなるだろう」
「嫌だよ! 臓器なんて、売らないよ!」
僕は涙目になってルシファーに叫ぶ。
「おお、そうか、その手があったか。俺は少年を好むおっさんに売ろうかと思ったんだが、そっちの方がいいな」
「うっそ! この世界にもゲイがいるのか!? でも、僕は臓器もゲイも嫌だよ!」
新しい発見に、僕は顔を青くする。そんな僕をルシファーが優しく肩を叩く。
「大丈夫、大丈夫。心臓は四部屋あるだろう? 一つぐらい売っても平気だって」
「左右の心房心室。どれか一つ取っても死ぬからね!」
勇者は臓器を売って死んだなんて、どんな物語を探してもそんな結末は見た事ない。
他にお客さんがいれば営業妨害としか受け取れない僕とルシファーの言い争いに、店主はますます顔を青くしてしまった。
「あ、いえ、その、銀貨一枚ぐらいなら……、構いませんよ?」
「あ、あ、あ、ありがとうございます! 生きていて良かったぁ」
感激して手を握ってくる僕に、店主は困った顔をする。
「あ、ええ、はい。お互いに、お仕事を頑張りましょう」
僕が涙を流していると、一人の女性が店に入ってきた。首の後ろで束ねた青く長い髪をゆらし、質素な服を着ていたが、目がぱっちりとしていて美人な方だった。そんな彼女に対してルシファーが目の色を変える。それはハンターの目だ。
それには気がつかず、店主と女性が微笑み合う。
「あら、カバロ。お客さんがいらしていたのね」
「お帰り、ヴァッカ。パート、早く終わったね」
ルシファーの行動は光ファイバーよりも俊敏だった。彼女向かって輝くように微笑みかける。
「やぁ、泉の妖精のようなお嬢さん。この素晴らしい店のマスターの妹さんかい?」
「あぁ、いえ。私はこちら、カバロの妻です。私たちの店にいらして下さって、ありがとうございます」
ルシファーは微笑んだままだったが、少し眉をゆがめていた。僕は二人が奥に行くのを確認してから、ルシファーに向かって苦笑する。
「さすがのルシファーも、こればかりはどうしようもないね」
しかし、ルシファーは余裕の笑みを見せる。
「いや、そうでもねぇよ。きっと、これは天にまします我らの父がお与えになられた試練だぜ。天はこの壁を乗り越える事を求められている。人妻なんて燃えるじゃないか」
「その壁を乗り越えないで! ルシファーは神をなんだと思っているの!?」
天使のくせして、無宗教な僕より罰あたりな事を平気で口にする。天界で大天使ミカエルが泣いているのを幻視してしまう。
「さてさて、彼女を堕とすのか、堕とさないのか、それが問題だ」
「問題は僕らの懐だよ! この店で僕らは一文無しだよ!」
僕が小声で怒鳴るけど、ルシファーはどこ吹く風。
「……今度は、チュウジケイとバンギャの蒸着パスタを追加……」
「キリー、お金がないって言っているでしょ!」
怒鳴り疲れた僕は頭を抱える。
「……しかし、どうして獲物が見当たらないんだろう? 山菜の採集なんかじゃ、一食分しか稼げないし……。なんか、良い仕事でもないかなぁ。」
「はて? どうしてでちょうか?」
マーリンも首をかしげる。ここらへん、異様なまでに獲物が少なかった。もういっそ次の国にセバスチャンで飛んで行こうかと思ったが、高速飛行するとセバスチャンは力を使い果たしてしまい、一、二日の間は飛べなくなってしまうらしい。今は太陽の力を蓄えている最中である。
僕ら二人が悩み、あとの二人は別の事で悩んでいると、ヴァッカさんがバンギャのパスタを持ってきてしまった。銀貨五枚ぐらい負けてもらわないといけないようだ。
僕の苦々しい表情に気がつかずに、彼女は微笑む。
「お客さん、一週間後にマンゾー国で美食フェスティバルを開催すのですよ。その関係で、近くにいる獲物は獲り尽されて、少し遠くまで足を伸ばさないとならないのです」
「美食フェスティバル?」
聞き返しはしたが、僕はキリーが食べているパスタをドキドキハラハラしながら眺めていた。
「はい、とっても大きなお祭りで、他の国からもお客さんがいらっしゃるのですよ。その中のメインイベントに、グルメファイトがあるのです。王家の方々が直々に料理に腕のある者たちが振るう料理を審査していただけるのです。見事一位に輝いた人には、なんと魔道具と金貨八〇〇枚贈られるのです」
彼女は憧れているかのように頬を上気させ、ぱぁっと笑みをこぼす。
「ぶっ……、金貨、八百枚!?」
僕らが海の魔物を退治した時よりも、額が上だと!? 国家の一大事よりもたかだか料理大会の方が上なんてありえない! 絶対に、あのギルドのジジーは金を猫ババしたに違いない。
僕がジジーに百八の呪詛を投げていると、ルシファーが彼女にアプローチをかける。
「それで、お嬢さん達はその大会に出ないのですか? とってもお料理が上手ですから」
彼はヴァッカさんに上手い言葉をかけたと思ったが、彼女の顔は曇ってしまう。
「い、いえ。出られません……」
「そうですか……。いったい、どうして……」
ルシファーが「しくった」みたいな顔をして尋ねていると、店の扉が乱暴に開かれた。
「……おーい、カバロさんよぉ。ちょいっと良いか? 借金を返してもらおうか」
柄の悪い黒服の男が扉を蹴飛ばしたのだ。少しだけ痛そうに右足を引きずっている。
彼女は肩を強張らせ、カバロは慌てて厨房から出てきた。
「な、何でしょうか? 借金の事なら、後にして下さい!」
彼は生まれたての小鹿のようにプルプルと震えながら男お前に立ちはだかる。
「はぁあん? 聞こえねぇよ! 俺としても、珍しく、め・ず・ら・し・く、来てくれたお客さんの前で怒鳴りたくないわけよ。だから、耳を揃えて返してもらおうじゃねぇか。それとも何だ? 奥さんが体で返してくれるって言うのか?」
男はでっぷりとした腹を突き出しながら、カバロを睨みつける。しかし、先ほどの脅しは失言だった。美人至上主義のルシファーが黙っているわけがない。
「はぁ? 耳なんて揃えて返せる訳ねぇだろ。いつこの優男がお前の耳を奪ったんだぁ? それともなんだ、お前の耳をはぎ取ってからテメェに揃えて返してやろうか?」
ルシファーが立ちあがってガンつける。普通の人間ならビビって逃げ出しそうだが、暴力に酔った馬鹿な男は力量の差に気がつかない。所詮、バックについている権力を笠に着て、それを自分の力だと勘違いして威張り散らす社会のゴミなのだろう。
「はぁ!? 客は客らしく、大人しく黙ってろ!」
男がテーブルを蹴飛ばす。
テーブルが傾き、パスタの皿はキリーのホークから逃げるように宙を舞う。彼女は口を少し開け、空色の瞳孔がわずかに広がる。
その時、僕の思考はクリアになり、周りの時が遅く流れているかのように感じた。
僕は慌てて椅子から身を投げ出し、尾を引くように落ちてゆくパスタを追う。手で受け止めようとしたが、指先で上にはじくのが精一杯だった。
もうダメかと思った時、床に激突した僕の視界の端で、マーリンが人差指を立てて振るおうとしているのが見えた。
(マーリン! 頼む!)
僕はパスタを彼に託す。マーリンは僕に向かって頷き、人差指をパスタに向け、口を開き……「クシュン!」……、しかし出てきたのは呪文ではなく、可愛らしいくしゃみだった。
パスタはマーリンの魔力を受けて、店の壁に向かって飛んでゆく。
今度こそダメかと思ったら、キリーが神速で剣を抜き、壁に向かって投げつける。剣は壁に突き刺さり、パスタの皿を剣の腹で受け止める。
僕らがホッとため息をついた時だった。パスタの皿は剣の腹の上で傾き、落下してしまった。甲高く乾いた音を立てて皿は無残に砕け散り、鳥のフンが落ちたかのようにパスタが床に広がる。
「「「…………」」」
「あっはっはっは! 凄い芸があるな。うちの店でそれをやらねぇか?」
僕とキリー、マーリンが絶句していると、男が感心したかのように笑う。しかし、本当に感心するべきは、キリーの怒りに気がつかずに笑っていられる男の方だ。
「…………死ね」
キリーは片手で男を突き飛ばす。男は複数のテーブルといすを巻き込みながら、壁に叩きつけられる。
「痛って! う、腕が折れた。腕が! ……お前、何しやがる!」
男の腕が変な方向に曲がっている。そんな男をキリーは絶対零度の無表情で睨みつける。いつも無関心な空色の青い瞳は、全てを凍てつかせるかのような光を灯している。
「……私の引き締まった肉体の方が、お前の醜く太った肉体よりも価値がある。……ならばあえて言おう。私の血肉になるパスタの方がお前の腐った腕よりも価値があると……」
「た、たかがパスタで何言いやがる!」
彼女は思いっきり床を踏み込み、店内の物が一瞬浮いた。
「たかがパスタ、されどパスタ……。パスタを笑う者は、パスタにて散る! 私が散らす!」
「ひ、ひっ!」
彼女がもう一方の剣を抜くと、男は慌てて外に逃げた。
「…………次こそ殺す」
「ま、まぁ、落ち着いてよ、キリー。あんまり怒っちゃだめだよ……」
僕は彼女の肩に手をかけて、ルシファーが整え直したテーブルの席に座らせる。もの凄く怒っているように見えたが、彼女は案外素直に座る。血筋の呪いの対処なのだろうか、彼女は一瞬で怒りを発散して、クールなぐらいに引きずらない。
僕らが落ち着くと、茫然としていた夫婦が我に返って、頭を下げてくる。
「す、すみません。お騒がせしまして……。食後のデザートをサービスさせていただきたいと思いますので、もう少しお待ちください」
今度は少し嬉しそうな無表情な顔をしてキリーがデザートを待つ。
しばらくして、おいしそうなケーキが運ばれてくる。シンプルなショートケーキだったが、とても美味しそうなオーラが漂って来る。
「お美味しい」「おいしいでしゅ」「…………♪」「なかなかの味だ、マスター」とか、僕らはケーキを大絶賛。夫婦もまんざらでもない笑みを浮かべる。
ルシファーはいちごを口に放り込んでから、ヴァッカに視線を送る。
「ところで、先程の男はなんだ? 随分と穏やかじゃなかったが」
すると、二人の笑みが曇る。店主が重たそうに口を開く。
「……あの借金取りは、この国で一番大きい『ボンゴスタイオ』と言いましる。実際に経営しているのはアンオーカという腹黒い人物ですが、そこは貴族のデリジオーソが所持している店なのです。実は、その権力パイプを利用して、ここら一体を占めているんですよ。材料の流通経路から、料理道具も、全てです。私たちなんか……三流、四流の材料しか手に入らないのです。そして、私たちに父が一から作り上げた店を捨てて、自分たちの店で働かないか、と……」
涙を流して語る店主の背中をヴァッカが優しく撫でる。二人の境遇を哀れに思いながらも、どこか冷めた思いもある。どこへ行っても金持ち、権力者が全てを握るのだ。そうでない者は、上手くそういった者たちに取り入るしかないのではないのか? 長いものには巻かれろと言うし……。
「……しかし、あいつらの傘下に入ろうとか思わなかったの? あるいは、この国から出ていくとか……」
「なに言うんだ、ワタル! お父さんの大切な店を捨てられるわけないだろ!?」
ルシファーは僕を睨みながらどさくさにまぎれて、悲しむヴァッカの背中を撫でる。
「いえ、いいんです。そう思われても仕方ありませんが、僕たちには他国に行くだけのお金もありません。それに、あいつらは僕を利用するだけ利用してから捨てようと思っているんですよ」
僕が「利用?」と繰り返すと、涙をためたヴァッカが話を継ぐ。
「えぇ、夫の亡くなられた義父様はこの国一番の料理人で、彼をライバル視していたアンカーオは御父様の息子であるカバロを憎み、妬み、恐れているのです。……料理は材料とレシピで味の出来が決まります。だから、義父様が残した究極のレシピと夫のレシピを盗んでから夫をこの国から追い出すつもりですわ。あいつは自分が一番でないと、気が済まない男なのです」
彼女はついに堪え切れなくなり、顔をやけに白い両手で覆い、その隙間から涙が流れ落ちる。部屋を支配した沈黙と彼女の涙を見て、さすがの僕も気まずくなってしまう。なにか重たい空気に耐えられず、何気なく口を開く。
「……じゃ、じゃぁ、その、グルメ大会に出場したらどう? 賞金だって莫大だし、賞品の魔道具を売れば金貨千枚ぐらいになるんじゃない?」
「お気持ちは嬉しいのですが、……いくら美味しくても、三流の材料では優勝できないどころか、大会に出る事すら叶わないのです……。個人的に冒険者へ材料の採集を頼むにも、私たちにはまとまったお金がありませんし……」
夫婦が揃って落ち込んでいると、ルシファーがチャンスと言わんばかりにヴァッカさんの髪から首、背中までを撫でながら、彼女と視線を合わせて口を開く。
「なら、俺達が一緒に材料を集めようか? 俺達ならどんな魔物にも勝てるし、遠くまで移動できる。材料さえあれば、ご主人の腕で勝てるんだろう? やってみようぜ!」
ルシファーがヴァッカさんに甘い微笑みを向ける。
「よ、よろしいのですか? お客さん」「夫の店を助けてくださるのですか?」と夫婦が揃って聞いてくるので、ルシファーはヴァッカさんにだけ顔を向け、「もちろん」と頷く。
話を勝手に進められてしまったが、今さら反対なんてできないし、僕だって可哀相な夫婦に協力したい。僕も「はい、僕でよければ」と頷き、マーリンも「いいでしゅよ」と軽いノリ、キリーは「……上手い料理、食べられるなら……」と無表情な顔で大賛成。
夫婦は手で涙を拭いながらお辞儀して、僕達に感謝の意を示す。
「みなさん、ありがとうございます」
涙ながらのお礼に僕は照れくさくなってしまい、話しを先に進めようとする。
「いえ、それほどでも……。それで、どんな料理を作ろうと思うのですか?」
「えぇ、父が残した料理を再現したいと思います」
天才が考えた料理というのに興味を持った僕らは感嘆の声をもらす。
「で、どんな料理ですか?」
「……えぇ、父が残した究極の料理……『幸せの青い鳥のテリーヌ』です」
「…………」
“なんだよ、それ! 幸せの青い鳥って、手に入ったら幸せになるのではなく、食べて美味しいから幸せの鳥なの!?”と、叫ばなかった僕をどうか誰か褒めてほしい。
やはやは♪ おいちー料理を食べたいマーリンでしゅ。
子供だって、うまい物食べたいでしゅよ。僕がお店に行っても、「僕、ご両親と一緒に来てね」なんて言われて、門前払いでしゅ。ほんと、頭にくるでしゅ。子供だからって、差別するなでしゅ! 盗んだセバスチャンで、飛びまわってやろうかでしゅ!
だからこそ、今回は楽しみでしゅ。固いお肉はうまく食べられましぇんが、もしかしたら最高においちー料理が食べられるかもでしゅ!
さてと、今回はここまででしゅ! はらんばんじょー、ちちかいかい! 次回もよろしくでしゅ!