第26話 お先は本当に真っ暗
明かりを灯しながら近づいて来る船は、十人乗るかどうかの意外と小ぶりな物だった。急に明かりが見えたのも、けして遠くから近づいてきたわけではなく、恐らくこちらの船を見つけて、明かりをつけたのだと思う。燃料を補給できない魔物の体内、節約して消しているのは当たり前。そして、こんな一寸先も見えない闇の中。たしかに、マーリンのプラネタリウムはあの船の生存者と合流するのに役に立ったようだ。
「どれだけの人が生き残ったのかな……」
生存者がいる事を僕は素直に喜ぶ。
悪人の中の悪人は例外として、どんな人にも無事でいてもらいたいものだ。それも、自分達と似た境遇の人達となれば、なおさらだ。自分より以前に飲み込まれた人達が今も無事なら、自分達もこの先すぐに死ぬ事はなさそうだ。とりあいずは、だが。
「ねぇ、船員さん。あの船に、信号でやりとりできる?」
「ほう、さすがは勇者。良い耳持っているな。俺の名前が『サン』だって、どうして分かったんだ?」
「……そうなんだ」
嬉しそうな船員サンの顔に、僕は後ろめたくなって呟く。
「よしきた、任せとけ! ……えっと、『貴船、所属は?』」
彼はランタンと板を持って、光を隠したり、見せたりする。
すると、向うからも光をちかちかさせて信号を返してきた。
「なになに……、『我々、宇宙、警備隊』……だってよ」
「はぁ!? 宇宙警備隊ってなに? 宇宙刑事の仲間かい?」
あまりにも突拍子もない答えに、僕はすっとんきょな声をあげる。
「ふむ、もしかしたら、宇宙交番勤務、宇宙警備隊、宇宙刑事とか、職場がいくつもあるのかもなぁ。きっと、宇宙巡査、宇宙警部、宇宙警視総監とかもあったりして。俺だったら、そんなかったるい組織に参ってしまうだろうな」
一応天使達のトップ、天使長のルシファーが面倒臭そうに言う。願わくば、天使ナンバーツーのミカエルはルシファーみたいにちゃらんぽらんでない事を切に祈る。
「ねぇ、船員サン。彼らの目的とか現状を聞いて」
僕の頼みに彼は頷いて、信号を送る。
「えっと……、『侵略、春、売る、宿』らいし」
「凄い所を侵略しに来ちゃったよ! しかも、宇宙の平和を守る部隊が!」
「あんだと! 世界中の美女は、俺のものだ!」
思わぬ返事に僕はドン引きし、ルシファーが腹を立てる。
そうこうしている内に、船はお互いの顔が見えるくらいの距離まで近づいてきたが……。
「あれ? 信号を送って来た人、どう見ても二十歳前の女性なんだけど……」
そう、あきらかにこの時代の平凡な服装を身に纏った金髪の美少女だった。宇宙なんちゃらとか、侵略をするような人物には見えなかったが、腰には短剣を差していた。
「……ルシファー、あの人いったいなんだろうね?」
「さぁな、あの人を侵略するのもいいかもな」
「……やめてね」
ルシファーが滅多に見られない本気の目をしているので、一応釘をさして置く。彼が大人しく従ってくれるとは思わないけど、形だけでも彼を止めようとしたという事実は僕の良心のためになる。
六人の男たちがここまでオールを漕いで来たようだ。その成果で十分にお互いの船が近づいたため、金髪美少女が声をかけてくる。
「そちらも状況はどうですか?」
「いや、大丈夫ですけど。先ほどの、信号は?」
「私は信号に詳しくないので、あやふやな記憶を頼りに出しただけです。やっぱり、おかしかったですか?」
船員サンが聞いたところ、彼女は少し恥じらうかのように言う。
「あ、やっぱりそうなんだ。あんな美少女が、宇宙警備隊とか、侵略とか言うはずがないよね」
僕は胸をなでおろして、彼女に顔をむける。
「生き残った者同士、協力し合いましょう。こっちに来て、話しあいをしませんか」
僕に続いて、ルシファーが優しく声をかける。
「そうしましょう。俺はルシファーと言います。ぜひ、俺とベッドで語り合いましょう」
「はぁっ!?」
彼女は驚いて後ずさる。
「いえ、彼の言う事は気にしないでください」
僕がそう言いながら船員サンに目配りし、彼に梯子を架けてもらう。
彼女とホウレンソウを食べてパワーアップしそうな船員二人が渡ってきた。
「えっと、みなさんは、兵士の方々……ですか?」
彼女が疑問形だったのに無理もない。僕とキリーは冒険者にしても若すぎるし、マーリンに至っては論外だ。僕ら三人は冒険者に扮装した子供にしか見えないのだろう。
「そうです、お嬢さん。俺たちは、魔物討伐のために乗り出した戦士たちです。俺達が来たからにはもう安心です。だからベッドで一緒に一息つきましょう」
「ルシファー、話が先に進まないから後にしてね」
ルシファーの積極的なアプローチに僕は辟易する。
「僕らは冒険者の依頼で、他の方々は国の命で魔物討伐にきた兵士と船員の方々です。ほら、こちらが兵士隊長さんです」
「あ、あぁ。私が近衛兵隊長のエシャロットです」
僕は兵士隊長さんを紹介する。彼はルシファーに苦手意識が生まれているようで、彼女の前を陣取っているルシファーに近づきたくない様子。後ろのほうでおどおどしている。
「あら、お怪我が酷いのですね。魔物との戦いは厳しいものでしたか……」
彼女は顔を曇らせ、近衛兵隊長も別の意味で顔を曇らせる。今のところ怪我をしたのはルシファーにデコピンされた彼だけだ。
「は、ハハハ……。私の怪我は見た目程たいした事はありませんよ。それより、あなた方はどちらの方で、どのような経緯で魔物の中に?」
「すみません、ご紹介が遅れました。私はアナラーマです。私は七ノ月(七月)に飲み込まれましたが、どれほど時間が経ったのか……」
近衛兵隊長に尋ねられて、彼女は不安そうに答える。彼は彼女への同情と、自分への心配で顔をしかめる。
「今は八ノ月です。よく、今までご無事でいらして……」
彼女と一緒にこちらに来た船員二人は、半月ほど前からここにいるらしい。
「私たちは、自分たちと同じように飲み込まれてしまった者同士で集まり、脱出を試みているのですが、……とても難しいです」
彼女はうなだれる。
僕は向こうの船を見て、人数を確認したが、彼女たち含めて七人しかいなかった。
「ねぇ、アナラーマさん。生存者は、七人だけですか?」
僕の言葉に彼女は肩を震わし、ひどく取り乱して顔を振った。彼女と一緒にいる船員も顔を青くしている。
「……本当は、もっといたのです。……しかし、いつの間にか消えて、いくのです。……人が突然……、まるで最初からいなかったかのように……」
今以上に最悪な事なんて無い、これ以上恐怖することなんて無いと思った。
しかし僕は今、足がすくみそうだ。
四方八方から悪意を持った何かに監視され、魔の手がすぐそこまで迫っているような気がした。
それから僕らは、色々な方法を試した。
マーリンに強力な攻撃魔法を試してもらうものの、魔法は結界に邪魔されて発動せず。
船を漕いで進めてみるも、魔物の口や喉が見えるどころか、頬の内側にもたどり着けなかった。
――そして一週間が経過した――
僕は釣竿を握っている。ひもじい思いを堪えれば、なんとか半月は生きていけるだけの食糧を積んできたが、いざという時の為にできるかぎり消費を抑えなければならない。この魔物は魚も飲み込むので、運が良ければ魚が釣れる事もあるが、一人一匹でも行き届けば大漁と言っても差支えない程だ。
「はぁ、釣れないな……」
この世界に召喚されてきてから、僕のため息も板につき、今なら物憂げで陰りのある少年っぽい仕草も上手になってきた。まったくもって役に立たない技術だが……。
「ねぇ、キリー。釣りに飽きてこない?」
「……私、釣りは好き……。竿持って、ぼっとしていれば、いいから……」
もちろんキリーのバケツも空っぽだ。しかし、彼女の表情は穏やかだ。
「あぁ、退屈。キリー、何か面白い話でもしない?」
いいかげん糸の先を眺めているのも苦痛になってきた。いくら脱出方法を考えても思いつかないし、暗い方へ暗い方へ考えてしまう。気紛れでも何でもいいから、恐怖と不安を振り払いたかった。
「……そうだね。……えっと…………」
彼女はそのまま沈黙して考えている。
「いや、キリー。無理に考えなくていいよ……」
彼女はじっと虚空を睨みながら考えていたが、何か思いついたかのように目を見開いた。
「……そうだ! 魚は、塩焼きが一番……」
「塩焼きねぇ……。ねぇ、キリーはお刺身で食べないの?」
「おさしみ?」
僕の好きな日本伝統料理を言うと、彼女は首をかしげる。
「あぁ、その、魚を生で食べるの」
「魚を生で!?」
いつも無表情な彼女が目を丸くする。ここの世界では、魚を生で食べるのは珍しいようだ。
「……私、魚の血は嫌いだ……。苦くて臭い。うろこや骨も……。魚を丸飲みなんて、できない……」
どうやら彼女は、僕が鳥みたいに魚を食べるのだと思ったご様子。
「いや、僕の国だってきちんと魚を処理して食べるよ」
「……ワタルの国は、すごい国だね……」
「なんか、すごく勘違していると思う……」
長良川の鵜のように魚を丸飲みにする人がいれば、僕もお目にかかりたいと思う。
「まぁ、おいしい魚を食べたいものだねぇ。保存食にも、うんざりしてきたもん。脂がのった魚を食べたいなぁ」
魚について考えた弊害なのか、僕の体内から地響きにも似た、臓器が盛大に動く音が鳴り響く。
「……おなかすいた……。はぁ、……ははは」
いつ出られるか分からない、いつ死ぬか分からない魔物の中。お先真っ暗で、実際に視界も真っ暗で、おなかと背中がペッタンコにくっつくような状況。あまりにも悲惨すぎて、笑えてくる。
「ワタル……、何がおかしい?」
彼女が首をかしげて聞いてくる。
「なんか、最悪すぎて、笑えてくる」
「……最悪だと、笑えるのか? ……変なの……」
「そう、変なんだ」
「……私には、理解不能だ……」
相変わらず笑い続ける僕に、彼女はあきれるようにわずかにほほ笑む。いつも無表情なせいで気がつかなかったが、ほほ笑む彼女は絵になるように美しく、少し見とれてしまった。
「……ワタル、何ぼっとしている。……糸が引いている……」
「ほんとだ!」
キリーに言われて僕は我に返る。僕は竿を思いっきり上に上げようとする。竿は今にも折れそうなほどしならせ、針に引っ掛かった魚の必死さが竿に表れている。
「逃がすか!」
周囲が暗いせいで影しか見えないが、どうやら大物のようだ。しかし、このまま引き上げようとしても、その前に竿がもたないかもしれない。
僕は意識を集中させ、銛を召喚する。ずいぶんと手慣れてきたものだ。
「キリー、それで魚を!」
僕の言葉よりも先に、キリーは銛を手にして魚に投げつけた。
「おぉ、ビンゴ!」
竿に伝わる力が目に見えて弱くなった。無事に銛が刺さったならば!
「えい、銛を召喚!」
すると、銛と一緒に魚が甲板に忽然と姿を現した。
魚は顎が大きく歯も鋭く、人間の子どもを食べてしまいそうな程に大きさで恐ろしげな外見だった。
「おぉ、今日はごちそうだぁ♪」
キリーは満足げに僕の肩を叩く。部下をねぎらう上司みたいだ。
「あらあら、大漁のようですね。凄いです」
喜ぶ僕らに、アナラーマが近づいてきて言った。
「はは、本当に幸運ですね」
彼女は銛が刺さったままの魚を微笑んで見ていたが、急に眼の色を変えた。
「すみません、えっと、あなたは……」
「……ワタルです」
きちんと自己紹介はしておいたが、僕の印象は弱いようだ。さすが、マーリン曰く、『忘却されし影』の能力を持つだけのことはある。これで一日一回、計七回目の自己紹介だ。
「ワタルさんは、こちらの銛をどうしたのでしょうか?」
「えっと、金物屋でもらった物ですが……」
彼女が迫って聞いてくるので、僕は戸惑ってしまう。
「どこの店ですか!?」
「えっと、トンノ・ロッソのなんていう店だったか……」
「もしかして、女装した三十代前の男の人が店にいませんでしたか?」
「えっ、なんで分かったんですか!?」
僕はぎょっとする。かなり気持ちの悪い謎の生命体を思い出してしまった。隣にいるキリーもかつてない程の無表情。キリーも僕と同じ気持らしい。
「やっぱりそうですか……。実は、私の兄です……」
「うそっ!!」
思わず声を上げてしまう。キリーだって目を丸くして、ポカンと口を小さく開けてしまっている。あの変態なおっさんの話から、妹は賭博で借金を作って逃げて海の魔物に飲み込まれたのだと思っていた。たしかに魔物に飲み込まれているが、この美人さんが賭博で借金を作るような人なのだろうか。
僕らの驚きをどう捉えたのかは知らないけど、彼女はため息をつく。
「やっぱりうちの兄は変ですよね。しょっちゅう私の服を着るし、腑抜けだし、馬鹿だし。兄の意識は海の底よりも低く、その頭の中身は山をも越えるほど軽いもの」
とてつもなく酷い悪口のマシンガンだ。美人な彼女の表情が失せ、瞳が虚ろになっている様子が怖い。
「ま、まぁ、とにかく、どうやらあなたのお兄さんにもらった物のようです。いやぁ、あなたのお父さんの作品は優れていますね。ほら、これなんかもらいましたよ」
僕は猟銃袋から名刀秋雨を手に取る。刃の腹に施された龍の意匠が松明の光を受けて銀色に光る。
「そ、それはっ! 父の傑作、魔刀秋雨!」
「ま、魔刀?」
僕は手元にある包丁を見下ろす。美しく、切れ味のいい包丁にしか見えない。
「えぇ」と、彼女は頷きながら皮の袋から鞘に納められた包丁を取り出して僕に見せる。それにはトラの意匠が施され、魔刀秋雨とよく似た作りだった。
「これは、魔刀時雨。この時雨とあなたの秋雨は双子の包丁です」
僕は二つの包丁を見比べる。それがどんな力を秘めているのかは分からないけど、二つそろった包丁はとても美しい。剣を何よりも愛するキリーも、双子の包丁を物欲しげに見つめている。
「でも、魔刀って、いったい何なの?」
「魔刀秋雨と時雨は魔力共鳴を起こす特殊な包丁なのです」
「魔力共鳴?」
僕は首をかしげる。魔法については、魚の目師匠の元で三ヶ月間しか勉強していない。
「えっと、魔力共鳴とは……、うんと、何でしょう?」
彼女もよく知らないようで、説明があやふやになる。しばらく彼女が頭を抱えて考えていると、後ろから声が掛けられた。
「魔力共鳴は、よく似た魔力同士が繋がり合い、魔力を増幅させることだ」
ルシファーが甘く微笑みながらアナラーマに声をかける。
「恐らく、その刃からもう一方に魔力が送られ、もう一方が魔力を増幅して送り返す。魔力のキャッチボールさ。それを繰り返すことで魔力が膨れ上がるんだぜ」
「物知りですね、ルシファーさん」
ルシファーの足元で、マーリンが「えへん」と胸を張る。
「もちろん、今さっき僕が教えてあげ……ゲホッ、ゴホッ」
ルシファーのブーツがマーリンの脇腹にぶつかる。それなりに強く。
「そうですよ。二つの刃の背をこすり合わせることで魔力共鳴を引き起こし、三十数秒だけ刃の切れ味と頑丈さが上がるのです。おまけに、魔力共鳴により刃が鋭くなるので、刃を使っても血糊を拭うだけで他の手入れは必要ありません。しかし、それも刃が二つそろっての話。片方だけでは意味がありません。魔力共鳴ができない包丁はただの包丁です!」
彼女の話し方はいつの間にか商売トークになる。
「と言う訳で、魔刀時雨をお買い上げになりませんか? 今ならなんと! 金貨四百枚! たったの四百枚でいいですよ!」
「い、いえ、そんなにお金を持っていないもので……」
彼女の熱を帯びた表情に、僕はたじたじになる。
「大丈夫です! 冒険者ギルドでは、お金の預かり、貸し借りなども行っています。どこのギルドからでもギルド同士を経由してお支払いできます。そうですねぇ……、分割払いと言うことで、毎回の依頼料のうち半額をお支払い、計金貨五百枚でいかがですか? もちろん、ギルドへの手数料はそちらでお願いします」
「いや、あの、ここはギルドではありませんし……」
彼女は手で僕の手をぐいっと包み込むようにして握る。
「大丈夫です! 父が健在のころは冒険者ギルドとも連携が強くて、ギルドカードでの情報のやり取りする魔法を習得しています。お支払いのはギルドカードを使用し、この場で済ませることができますよ。どうでしょう?」
彼女が僕の手を握っていることを、ルシファーはおもしろくなかったようだ。
「いいじゃねぇかよ、ワタル。魔刀時雨を買っちゃえ!」
「あっ」
不満な顔を見せながら、彼は僕の猟銃袋からギルドカードを無理矢理に取り出す。
「まいどあり」
彼女はカードを受け取ると、両手で挟み込んで魔法を使う。ギルドと情報のやり取りをしているらしい。
しばらくして、彼女は満面の笑みでギルドカードと魔刀時雨を差し出してくる。
チャンチャラチャ~ン♪ 勇者は魔刀時雨を手に入れた。
デルデルデ~ン♪ 勇者は金貨五百枚の借金を背負った。
「はぁ、なんだか状況が良くなるどころか、悪くなる一方だなぁ……」
「Hi! お寿司大好き、ワタルです。最近、ノルウェー産の生サーモンがフィーバーしていますね。よくサーモンにマヨネーズをかける人がいるのですが、信じられます? そんなの食材が台無しです。まったく、これだからシロートは……。サーモンといえば、チューブのバターですよね。…………えっ? そっちの方がおかしいって? そうかなぁ、マグロのあぶりとか、コンビーフやてんぷらにもチューブのバターをかけるのに……。なになに、そっちの方が信じられないって? はぁ、どこかに通な人はいないものですかねぇ……。さてさて、無駄話はここまで。波乱万丈、奇奇怪怪! 時価いをお楽しみに!」