第24話 キリ―の母
意識が混濁した闇の中にある。
何も見えない、何も感じられない、……そんな中でも、途切れ途切れに声が聞こえた。
「…………運命を……………。………もどかしい………」
なんだか、運命だの、変えるとか、色々よく分からないけれど、悔しげな気持ちが伝わってくる。こっちが慰めてあげたい程、とっても申し訳なさそうな声だった……。
◆◇◆◇
僕は肩の痛みで半分目が覚めた。どうやら、寝返りを打とうとして、右肩に体重をかけてしまったのが原因らしい。
それでも僕は、疲労のせいでもう一度眠りにつこうとしたが、あの黒いマントの少年と彼が放った光が頭をよぎり、僕は恐怖に心臓を支配されて跳ね起きた。
「…はぁ、はぁ、……夢? ……じゃないか……」
僕は包帯を巻かれた胸や腕を見る。やけどは結構広かったらしく、体のあっちこっちに包帯がまかれ、何やら異臭のする薬草をしっかりと肌に固定している。
僕の事を看病してくれていたのか、目を覚ました僕に近づいてきた。
「オォー、勇者ヨ! ヤラレテシマウとは、不甲斐ナイ!」
ルシファーが大げさに嘆いたふりをして、棒読みのセリフを吐く。
「……ルシファーが看病してくれたの?」
「まぁな、お前になにかあったら、天界に戻れないからな。こっちも困るんだよ」
僕はルシファーの方に体を向けようとして、痛みに顔をしかめる。
「ねぇ、キリーは?」
「おう、キリーはマーリンが治癒魔法であらかた治しちまったぞ。なんでも、治癒魔法は怪我を負った本人の生命力を大量に消費するらしくてな、お前にはちまちまとしかかけられないが、キリーは一気に治せたぞ」
「ねぇ、あの黒いマントの少年は?」
「さぁな」と、ルシファーは肩をすくめる。
「俺もミカエルにパシられて、お前らを追ったのだが、その時はお前達だけが倒れていた。他の奴なんて、知らん。お前らは、魔物か魔族にやられたんじゃないのか?」
ルシファーは本当に知らないようだ。今思い出すと、あの少年は警戒するべき相手はキリーだけ、と言っていた。万全のキリーと戦いたくなかったらしいし、神に能力を制限されているとはいえ、ルシファーを相手にしたくはなかったのかもしれない。
「ねぇ、その、大天使ミカエル様は他に何か言っていなかったの?」
「ふーん、そうだなぁ、『女遊びも程々にしろ』と、しか言われてねぇよ」
駄目だ、こりゃ。気絶している間に聞いた、運命とか、意味の分からない声は少なくとも神様とかと関係ないらしい。……と、なると、僕とキリーを助けてくれた謎の二人組の言葉かもしれない。
しかし、僕達を助けてくれて、顔も見せずに立ち去った二人はいったい何だろう?
僕は、「物足りない」とかぼやくルシファーに顔を向ける。
「ねぇ、キリーは?」
「あぁ、隣の部屋で寝ているぞ。治りかけているとは言え、まだ万全じゃないからな、無理は禁物だぞ」
「うん、ありがとう」
「腰を使うのは控えとけ」
「……何の心配をしているの……」
ルシファーへの感謝の気持ちがどんどんと消えていく。
「ま、まぁ、看病はありがとね」
「気にするな。俺も、ついさっき女達が疲れて寝たから、暇になってお前の様子を見に来ただけだ」
彼への感謝の気持ちは完全に潰えた。美女でない僕が、ルシファーに何かを期待するのは間違っているのだ。
そんな事を考えながら、僕はマントを羽織って、キリーの部屋に向かったため、ルシファーの面白そうな様子に気がつかなかった。
「まさかなぁ、あいつらの今後が、世界の命運を分けるとは……。恋は良くも悪くも人を変える、か。ま、だから男と女の駆け引きは面白いんだよなぁ」
ルシファーは窓から、白い雲がちらばる空を見上げる。
「……自覚はしている。俺が女を駄目にしている事ぐらいは。でなきゃ、天界から叩きだされなかっただろうさ」
彼の呟きに応えるかのように、鳥が一匹、青い空を横切った。
◆◇◆◇
「キリー、起きているの?」
僕は扉を叩くも、返事はない。扉の向こうで、微かに人が動いているような音が聞こえてくるので彼女は起きているようだが、いったい何をしているのだろうか?
――もしかして、ラブコメ的展開になったりして――
キリーに殴られるのは怖いけど、ラブコメ天界にちょっとドキドキする。
「キリー、入るよ」
ドキドキ半々、恐怖半々で扉を開けると、キリーがベッドの上にいた。
彼女の人形のように無表情で整った顔は、閉じられたカーテンの隙間から差し込む日の光を、研ぎ澄まされた美しさを隠す彼女の剣の刃が反射光して、幻想的に照らされている。
「……別の意味でドキドキした……」
彼女は剣の手入れをしていたらしく、白い丸い綿のついた棒で優しい手つきで叩いていた。描かれた聖母像の子供を剣に取り換えたら、今のキリーみたいになると思う。
僕が彼女の目の前に立って、ようやく剣から目を離し、顔を上げてこちらを見てくれた。
「…………何?」
「あぁ、えっと……、その体は大丈夫?」
彼女は微かに頷く。
僕は思わず見とれてしまった。ちょっと、想像していたものとは、かけ離れていたけれど、彼女はまるで、恐ろしさと美しさを兼ねそろえた戦いの女神のようだった。
「ねぇ、あいつは何だったのかなぁ」
「……知らない。あいつは私より一つ上手だった、という事が分かっただけだ……」
キリーはそっけなく言う。自分がやられた事を気にしていないのか、それとも別の事に気を取られているのか。
「僕達を助けてくれた二人、いったいどんな人だったか、キリーは顔を見た」
「……顔は見えなかった。けど……」
「けど?」
キリーは何か考え込むように、わずかに眉をひそめる。彼女は話そうと思ったが、言葉が出てこなかったようで、口を開いては、また閉じ、再びためらうかのように口を開いた。
「……まるで、……母のようだった」
「はは? それって、キリーのお母さん?」
「うん」
彼女は頷くが、自分で答えた事に戸惑っている様子だった。彼女の空色の瞳は、じっと、ここではない、どこかを見つめる。
「……後ろ姿しか見えなかったが、腰に届くほどの長さの青い髪、二本の剣も母の物だった。……絶対に母だった……」
僕は困惑する。
「それで、どうしたの? お母さんが助けてくれたのなら、よかったじゃん。どうして、そんな考え込むような顔をして、キリーらしくない。いつも壁を壊してまで、真っすぐ進もうとするのに……、あ、でも壁を壊して欲しい訳じゃないよ」
漏らしてしまった本音を、ちょっとだけ修正する。
「……そうだが……」
それでも、彼女の歯切れが悪い。彼女は言葉を絞り出すように言った。
「……母は……、昔死んだ……」
「し、死んだ? ……でも、さっきお母さんが助けてくれたって……」
目を丸くする僕に、彼女は二本の剣を見せる。
「……これは、母の形見。……母も、この剣で戦ってきた……」
「大事な剣なんだ」
「うん」
彼女は愛おしそうに剣の腹をなでる。
「……そして、私達を助けてくれた人も、これと全く同じ剣を持っていた……」
「これと似たような剣があるの?」
彼女は小さく首を振る。
「これと似た剣など存在しない。私が知るなかでも、バジリクスの牙で鍛えられた剣は、この二本だけ……。それに、私が自分の剣を見間違える事は……無い。あの人は、これと同じ剣を持っていた……。これでは、まるで……」
「まるで?」
彼女の戸惑いが伝染し、僕まで緊張してくる。
彼女は何回か瞬きをし、短くも長く感じる沈黙の後、続きを口にする。
「……まるで、死んだ母が、昔の姿で、私達を助けにきてくれたよう……」
部屋を、なんか重々しい雰囲気に支配される。
死んだ人間がこの世を訪れる事なんてあるのだろうか? この異世界、ファンタジアでは世界の仕組みが違うのかもしれない……けれど、キリーの様子から、そうでない事が察せられる。
部屋を支配する沈黙に耐えられなくなって、僕は慌てて話をする。
「えっと、お母さんはどうして亡くなったの……、あっ、嫌なら言わなくても……」
質問してから「しまった!」と思った。そんな無神経な事を聞かれて、ハイハイ答える人なんていないだろう。
「……別に、話したかったわけではないが、話したくないわけでもない……」
彼女は剣の刃に視線を落としながら言う。
「……母は、父と戦って、共に死んだ……」
「お、お父さんと?」
「うん」
心臓の鼓動を感じるかのように、彼女は掌を胸の上にあてる。
「……母と父は互いに殺し合って、死んだ。……が、二人の死の原因は、私達一族を流れる血にある……」
「血?」
彼女は穴が開くほど掌を見つめ、ゆっくりと語る。彼女の顔は、いつもに増して無表情。まるで、悲しいけれど、泣きすぎて、悲しいという感情が擦り切れてしまったかのような顔だった。
「そう……、血筋。……私は、戦いの一族の血をひいている。……それは、私の強さの源でもあり、同時に呪いでもある……。」
「戦いの一族……の呪い?」
「そう、それは呪い……。私達の一族は、膨大な魔力を授かり、魔力の続く限り、どこまでも身体を強化できる。……しかし、その恩恵は、私達一族を戦いの宿命に捉え続ける……」
彼女は剣の刃に映る、自分の瞳を覗きこむ。その空の様な色の瞳にある、真っ黒い瞳孔の奥にある何かを見ようとするかのように。自分という、何かを。
「……私達の一族は、常に戦闘欲を抱えている。それを戦って満たさなければならない。それを満たせなければ…………、いずれ狂って、死ぬまで戦い続ける。……決して止まれない。全ての生命が失われるか、あるいは自分自身の生命が尽きるまで……」
僕は驚愕して目を見開いた。いや、それ以外の事は出来なかった。身じろぎする事も、つばを飲み込む事も……。本当に衝撃的な事には、何の反応もできず、何も考える事もできないと、後日悟った。
「……私の母は狂い、父と相打ちになった……」
しばしの沈黙を経て、僕はようやく意識を取り戻した。
「……戦い続けるしか、ないの? 何か、他に、ないの?」
僕が感じたのは、悲しみ、戸惑い、憐れみ、いったいどれだったのだろうか。
「……私にできるのは……、怒り、憎しみ、悲しみ、絶望……、そういった感情を捨て去る事だけだ。それらは、私をより一層に狂わせる……」
淡々と答えるキリーの無機質な声は、どこか疲れているように聞こえる。
「でもさ、なら、喜びとか、愛とか、希望は持ってもいいんだよね?」
なんとか弾ませようとして、上ずってしまった声で僕は訊ねる。
しかし、キリーは首を振る。
「喜びがあれば、悲しみを感じる事もある。他人と心で触れ合ったり、愛したりすれば、怒りや憎しみを感じる事もある。希望を持つから、絶望を背負ってしまう事もある。……感情なんて、相対的なものだ。幸せを知らなければ、それを不幸だと感じる事も、ない。」
全ての感情を捨て去ったため、キリーはいつも無表情なのだろうか……。人はみんな、誰かを怒ったり、憎んだり、自分や人のために悲しんだり、思い通りにいかなくて絶望したりする。でも、普通の人ならば、そこから立ち直る事もできる。
しかし、彼女はそうではない。
正の感情があれば、負の感情を抱いてしまうかもしれない。負の感情を持たないためには、一緒に正の感情も捨てないといけないのかもしれない。
何も感じない、何も望まない、ただ存在するだけ。
でも、そんなのは……死んでいるのと同じかもしれない。
よくキリーの事を人形みたいだと思ったが、そんな事を考えた自分をばかばかしく思う。自分をぶん殴りたくなる。
キリーは、心を冷たい刃のように研ぎ澄まさなければならなかったのだ。
僕は下におろしていた顔を、上げて彼女を見つめる。
「ねぇ、キリー。例え、危ないとしても、喜びとか、愛とか希望とか、傷つくかもしれないけど、やっぱり大切だと思う……」
彼女は輝く刃から顔を上げ、僕をじっと見つめる。
「……それは危険……」
「それでもだよ」
僕は彼女の瞳を見返す。
「……怒りや、憎しみや、悲しみを感じてしまうかも……。いつか狂ってしまうかも……」
「なら、僕は君が怒りや、憎しみや、悲しみに捕らわれないようにするよ!」
彼女はいぶしげに僕と視線を交わす。
「……そんな事、できるの?」
「きっと、なんとかなるよ!」
僕は無責任な事を言っているのかもしれない。……でも、何とかしたい。それが自分の本心だ。
彼女は少し目を緩める。
「……考えておく……」
「うん」
僕らの間に、今度は穏やかな沈黙が流れる。
「ねぇ、キリー。君がよく迷子になるのは、後も先も、考えないからなの? 自分の行き先も、歩いた道も、何も考えないから、すぐに忘れちゃうんじゃない? それで、道に迷う、と」
「……うん。感情を抑えるには、何も考えないのが一番……」
「それに振り回されるこっちも困るよ。とんでもない所に行くし、すぐに壁を蹴り破って真っすぐ進もうとするし」
「……壁を蹴り破るのは、道に迷わないように、だけじゃない。壊して、迷子になった時のイライラを発散している……」
「ちょ、ちょっと! もしかして、壁を蹴り破るのって、わざとやっていたの?」
「……その可能性も、否定できない……」
「否定してよ! て言うか、壁を蹴り破らないで!」
僕は頭を抱えて悲鳴じみた声を出す。
そうして僕は、プッと吹く。
さっきまで、重々しい雰囲気とのギャップのせいか、急に笑えてきた。
「はははは」
無表情なキリーも、心なしか笑っているような気がする。
しばらくの間、僕は笑い続けて、ようやく落ち着いた。
僕はキリーに手を差し出す。
「約束するよ、キリー。僕は、君を狂わせたりはしない。絶対。約束していい」
「うん」
キリーは僕の手を握り返した。剣を振り続けて少し硬くなった彼女の手は、ほんのりと温かった。
「ねぇ、キリー。僕達を助けてくれた二人、きっと君の死んだ両親が助けてくれたような気がするよ」
「どうして?」
彼女は不思議そうに首をかしげる。
「い、いや、なんとなくそう思っただけ。まじめに返されても……」
「……だから、どうして? 女については、私の母にそっくりだったが、男については知らない。別に、父そっくりじゃなかった……」
「あっ、そういえば、女性についての話しか、聞いてなかった……?」
死んだキリーのお母さんが、知らない男の人と助けに来てくれた? 二人が幽霊だとしても、おかしな話だ。
結局、謎の二人組については、なーんにも分からなかった。
「…………キリ―だ…………。…………自分の話? …………私の剣は母の形見…………。趣味? …………剣術…………。好きな事? …………剣の手入れ…………。好きな食べ物? …………肉…………。
はらんばんじょう、ききかいかい。 次回、また…………」