君と歩いた季節の、その先へ
橘結衣が初めて「永遠」という言葉を知ったのは、五歳の春だった。
幼稚園の帰り道。
母親と手を繋いで歩いていた結衣は、道端に咲いている小さな花を見つけた。
「お母さん、これなあに?」
「タンポポだよ」
「タンポポって、ずっと咲いてるの?」
母親は少し考えてから答えた。
「ずっとじゃないよ。いつか綿毛になって、風に飛んでいくの」
「じゃあ、なくなっちゃうの?」
「なくなるんじゃなくて、次の花を咲かせるために旅をするんだよ」
結衣は、よくわからなかった。
ただ、母親の言葉を聞いて、ひとつだけ思った。
「じゃあ、お母さんもいなくなっちゃう?」
母親は足を止めた。
結衣の目線までしゃがんで、優しく頭を撫でる。
「お母さんは、結衣のそばにいるよ」
「ずっと?」
「うん。ずっと」
そのとき、結衣は初めて知った。
ずっと、という言葉は、誰かを安心させるために使う言葉なのだと。
その言葉が、本当に永遠を意味するのか。
そんなことを考えるようになるのは、ずっと先のことだった。
結衣は、少しだけ人見知りな子供だった。
大勢で遊ぶよりも、一人で本を読んでいるほうが好きだった。
幼稚園の自由時間。
他の子供たちが園庭で走り回っている中、結衣は教室の隅に座って絵本を読んでいた。
先生が声をかけても、首を振る。
「結衣ちゃん、お外で遊ばないの?」
「……ここがいい」
「お友達と遊ぶのも楽しいよ?」
「……うん」
そう答えて、また本に目を落とす。
別に、友達が嫌いだったわけではない。
ただ、誰かと一緒にいると、何を話せばいいのかわからなくなる。
相手が楽しそうに笑っていても、自分が同じように笑えるとは限らなかった。
小学校に入ってからも、それは変わらなかった。
友達はいた。
休み時間に話す子も、帰り道を一緒に歩く子もいた。
でも、いつも誰かの輪の中にいることには、少し疲れてしまう。
そんな結衣にとって、図書室は特別な場所だった。
誰も無理に話しかけてこない。
静かで、落ち着いていて、自分の世界にいられる。
本の中には、いろいろな人がいた。
遠い国を旅する人。
誰かを守るために戦う人。
大切な人との別れを経験する人。
結衣は、そんな物語を読むのが好きだった。
ある日、図書室で一冊の本を読み終えた。
主人公が、大切な人と別れる物語だった。
結衣は最後のページを閉じて、しばらく動けなかった。
どうして、物語の中の人たちは、こんなにも悲しい思いをするのだろう。
どうして、出会った人とずっと一緒にいられないのだろう。
その疑問を、先生に聞いたことがある。
「先生」
「どうしたの?」
「人って、どうして別れちゃうの?」
先生は少し驚いたような顔をした。
「……いつか、別れが来ることもあるからね」
「嫌だな」
結衣は、素直にそう言った。
先生は優しく笑った。
「だからこそ、一緒にいる時間が大切なんじゃないかな」
その言葉を、結衣は覚えていた。
けれど、まだその意味を、本当には理解していなかった。
中学校に入ると、結衣は少しだけ変わった。
人と話すことに慣れた。
自分から友達を誘うこともできるようになった。
それでも、誰かに心の奥を見せることは苦手だった。
中学二年生の冬。
仲の良かった友達が、突然、別のグループに移った。
理由はわからなかった。
何かをした覚えもなかった。
ただ、気づけば一緒に帰ることもなくなっていた。
結衣は、何も聞かなかった。
聞いてしまえば、何かが壊れてしまう気がした。
それから、少しだけ人との距離を取るようになった。
誰かと仲良くなっても、いつか離れてしまうかもしれない。
それなら、最初から深く関わらないほうがいい。
そんな考えが、心のどこかに残った。
中学三年生の春。
結衣は高校受験を迎えた。
志望校を選んだ理由は、特別なものではなかった。
家から通える距離。
学力に合っている。
それから、少しだけ雰囲気が気に入った。
それだけだった。
「結衣、高校では友達できるといいね」
母親が言った。
結衣は笑った。
「別に、今もいるよ」
「そうね」
母親は、それ以上何も言わなかった。
受験が終わった日。
結衣は、帰り道に桜を見た。
まだ蕾の多い桜の木。
春になれば、きっと満開になる。
そのとき、自分はどんな高校生活を送っているのだろう。
新しい友達ができるだろうか。
何か、特別なことが起こるだろうか。
結衣は、少しだけ期待した。
でも、期待しすぎないようにした。
何かを期待すると、失ったときに悲しくなるから。
その考え方が、これから出会う一人の女の子によって変わることになるなんて。
このときの結衣は、まだ知らなかった。
*
高校の入学式。
春の風が、校門の桜を揺らしていた。
結衣は、少し緊張しながら教室へ向かった。
新しい制服。
新しい教室。
知らない顔ばかり。
座席表を確認すると、窓際の後ろから二番目だった。
結衣は自分の席に座り、鞄を机の横に掛けた。
周囲では、すでに何人かが話し始めていた。
「中学どこだった?」
「部活どうする?」
「よろしくね!」
結衣は、その声を聞きながら、窓の外を眺めていた。
そのとき。
「ねえ、ここって橘さんの席?」
声がした。
振り返ると、女の子が立っていた。
肩まで伸びた黒髪。
少し明るい茶色の瞳。
そして、春の日差しのような笑顔。
「……そうだけど」
「よかった。私、白石美月。よろしくね!」
差し出された手を、結衣は一瞬だけ見つめた。
握手をする習慣なんて、あまりなかった。
それでも、結衣は手を伸ばした。
「……橘結衣。よろしく」
「結衣ちゃんって呼んでいい?」
「……別にいいけど」
「やった!」
美月は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、結衣は少しだけ思った。
この子は、きっと誰とでも仲良くなれる。
自分とは違う人なのだろう。
そう思った。
それが、最初の印象だった。
美月は、結衣の隣の席だった。
入学して数日。
美月は、毎日のように話しかけてきた。
「結衣ちゃん、昨日の宿題やった?」
「やったよ」
「見せて!」
「……自分でやりなよ」
「えー、お願い!」
「……一問だけね」
「ありがとう!」
そんなやり取りが、毎日続いた。
美月はよく笑った。
結衣が何かを言うと、少し大げさなくらいに反応した。
「結衣ちゃんって、意外と面白いね」
「……そう?」
「うん。もっと静かな子かと思ってた」
「美月がうるさいだけ」
「ひどい!」
そう言いながら、美月は笑った。
結衣は、そんな美月を見ていると、不思議と心が軽くなった。
無理に話題を探さなくてもいい。
無理に笑わなくてもいい。
美月は、結衣が黙っていても、隣にいてくれた。
ある日の昼休み。
美月が、結衣の机に弁当を置いた。
「一緒に食べよ!」
「……いいけど」
「やった!」
美月は椅子を引いて、結衣の隣に座った。
「結衣ちゃんって、好きな食べ物何?」
「……オムライス」
「私も!」
「……本当に?」
「うん! あと、いちご!」
「それは食べ物なら大体好きなんじゃない?」
「そんなことないよ!」
美月は笑った。
結衣も、少しだけ笑った。
それが、二人の最初の昼食だった。
*
五月。
二人は、いつの間にか一緒にいることが増えていた。
朝、教室に入ると、美月が手を振る。
昼休みには、机をくっつける。
放課後は、駅まで一緒に歩く。
それが、当たり前になっていた。
「結衣ちゃんって、何か部活入るの?」
ある日の帰り道、美月が聞いた。
「まだ決めてない」
「私も!」
「……美月は何かやりたいことあるの?」
「んー、写真部とか?」
「写真?」
「うん。景色とか、好きなものを撮りたいなって」
美月は、スマートフォンを取り出した。
画面には、桜の写真が映っていた。
「これ、入学式の日に撮ったんだよ」
「……綺麗」
「でしょ?」
美月は嬉しそうに笑った。
「私ね、写真って好きなんだ」
「どうして?」
「そのときのことを、ずっと覚えていられるから」
結衣は、その言葉を聞いて、少しだけ考えた。
「……でも、写真って、そのときの全部は残せないよね」
「うん」
美月は頷いた。
「でも、全部残せなくてもいいんじゃないかな」
「……どうして?」
「そのときの一瞬が残ってるだけで、十分だと思うから」
美月は、スマートフォンをしまった。
「その写真を見たら、きっと思い出せるでしょ?」
結衣は、何も言わなかった。
ただ、その言葉が心に残った。
一瞬が残る。
それだけで、十分。
そんな考え方を、結衣は知らなかった。
*
六月。
雨の日が続いた。
美月は、傘を忘れることが多かった。
「……また?」
「うん!」
「何で毎回忘れるの?」
「雨が降ると思わなかった!」
「天気予報、見なよ」
「結衣ちゃん、見た?」
「……見たよ」
「じゃあ、傘貸して!」
「……一緒に入ればいいでしょ」
美月は、少しだけ驚いた顔をした。
そして、嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
二人で傘に入ると、自然と距離が近くなった。
肩が触れる。
手が触れそうになる。
結衣は、少しだけ緊張した。
でも、美月は何も気にしていないようだった。
「ねえ、結衣ちゃん」
「何?」
「こうしてると、なんか仲良しって感じするね」
「……仲良しでしょ」
「えっ!」
美月は目を丸くした。
「今、仲良しって言った?」
「……言ったけど」
「やった!」
美月は、傘の下で笑った。
結衣は、その笑顔を見て、少しだけ目を逸らした。
胸の奥が、温かかった。
それが何なのか。
結衣は、まだ知らなかった。
夏休みが近づいていた。
美月は、写真部に入った。
結衣は、結局どの部活にも入らなかった。
それでも、放課後になると、美月の部室へ顔を出すようになった。
「結衣ちゃん!」
美月は、いつも嬉しそうに迎えてくれた。
部室には、たくさんの写真が飾られていた。
校庭の桜。
夕焼けの空。
雨に濡れた紫陽花。
どれも、美月が撮ったものだった。
「……上手だね」
結衣が言うと、美月は少し照れたように笑った。
「ありがとう」
「……美月って、写真撮るの好きなんだね」
「うん」
美月は、カメラを手に取った。
「好きなものを撮るのが好き」
「……好きなもの?」
「うん。綺麗だなって思ったものとか、楽しいなって思ったものとか」
美月は、結衣を見た。
「あと、大切なもの」
結衣は、少しだけ首を傾げた。
「……大切なもの?」
「うん」
美月は、カメラを構えた。
「結衣ちゃん、こっち向いて」
「……え?」
シャッター音が鳴った。
「……何撮ってるの?」
「結衣ちゃん」
「……何で?」
「大切なものだから」
美月は、笑った。
結衣は、何も言えなかった。
頬が熱くなった。
美月は、そんな結衣を見て、少しだけ首を傾げた。
「……結衣ちゃん、顔赤いよ?」
「……暑いだけ」
「そっか!」
美月は、また笑った。
結衣は、その笑顔を見ながら思った。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思ったのは、初めてだった。
*
夏休み。
美月と結衣は、二人で出かけることが増えた。
映画を見たり。
本屋へ行ったり。
カフェで何時間も話したり。
特別なことは、何もなかった。
でも、結衣にとっては、どれも大切な時間だった。
ある日、美月が言った。
「ねえ、結衣ちゃん」
「何?」
「私たち、ずっと一緒にいられるかな?」
結衣は、少しだけ驚いた。
「……どうして?」
「高校って、三年間しかないでしょ?」
「……うん」
「卒業したら、別々の大学に行くかもしれないし」
美月は、少しだけ寂しそうに笑った。
「そう考えると、なんか嫌だなって」
結衣は、何も言えなかった。
その気持ちは、結衣にもあった。
美月と出会ってから、毎日が少しだけ楽しくなった。
朝、教室に行く理由ができた。
放課後、帰り道が楽しみになった。
何気ない会話が、嬉しくなった。
それが、いつか終わるかもしれない。
そう考えると、胸が苦しくなった。
「……ずっと一緒にいたい」
結衣は、小さく言った。
美月が、こちらを見た。
「……え?」
「……美月と、ずっと一緒にいたい」
美月は、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくり笑った。
「……私も」
その笑顔を見て、結衣は思った。
この子が好きだ。
友達として。
それだけではない。
美月が笑うと嬉しい。
美月が悲しそうだと、胸が痛い。
美月が誰かと楽しそうに話していると、少しだけ寂しい。
美月の隣にいると、安心する。
その全部が、ひとつの感情になっていた。
結衣は、その気持ちに名前をつけるのが怖かった。
でも、もう誤魔化せなかった。
*
八月の終わり。
二人は、海へ行った。
美月がずっと行きたいと言っていた場所だった。
砂浜を歩きながら、美月は何度も写真を撮った。
「結衣ちゃん、こっち!」
「……何?」
「海、綺麗!」
「……うん」
「ねえ、写真撮ろうよ!」
「……いいよ」
美月は、カメラを砂浜に置いて、タイマーを設定した。
二人で並んで立つ。
美月が、そっと結衣の手を握った。
結衣は驚いた。
でも、手を離さなかった。
シャッター音が鳴った。
写真には、二人の笑顔が写っていた。
美月は、その写真を見て、嬉しそうに笑った。
「……いい写真」
「……うん」
「結衣ちゃん」
「何?」
「私ね、結衣ちゃんといると、すごく幸せ」
結衣は、胸が苦しくなった。
「……私も」
「だからね」
美月は、少しだけ真剣な顔をした。
「これからも、ずっと一緒にいたい」
結衣は、美月の手を握り返した。
「……うん」
その日、二人は初めて、手を繋いだまま帰った。
*
二学期が始まった。
美月は、いつも通りだった。
朝、結衣に手を振る。
昼休み、一緒に弁当を食べる。
放課後、写真部へ行く。
ただ、少しだけ変わったことがあった。
美月が、時々、疲れたような顔をするようになった。
授業中、眠そうにしていることが増えた。
階段を上るとき、少しだけ立ち止まることがあった。
結衣は、気になった。
「……美月、最近疲れてる?」
「え?」
「……大丈夫?」
美月は、少しだけ笑った。
「うん。大丈夫だよ」
「……本当に?」
「本当!」
そう言って、美月は結衣の手を握った。
「心配してくれてありがとう」
結衣は、それ以上何も聞かなかった。
美月が大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫なのだろう。
そう思いたかった。
*
十月。
美月は、学校を休んだ。
一日だけだった。
次の日には、いつも通り登校してきた。
「……昨日、大丈夫だった?」
結衣が聞くと、美月は笑った。
「うん。ちょっと体調崩しちゃって」
「……無理しないでね」
「ありがとう」
美月は、結衣の机に小さな袋を置いた。
「これ、お土産!」
「……何?」
「昨日、病院の帰りに買ったお菓子」
結衣は、袋を受け取った。
「……病院?」
美月は、少しだけ目を逸らした。
「……定期検査」
「……そうなんだ」
結衣は、それ以上聞かなかった。
そのときは、まだ。
美月の言葉の意味を、深く考えなかった。
*
十一月。
美月は、再び学校を休んだ。
今度は、三日間だった。
結衣は、何度もメッセージを送った。
『大丈夫?』
『何かあった?』
『明日、学校来られそう?』
返事は、なかなか来なかった。
四日目の夜。
ようやく、メッセージが届いた。
『ごめんね』
『ちょっと、入院することになった』
結衣は、画面を見つめた。
何度も読み返した。
入院。
その言葉が、頭の中で繰り返された。
『……何で?』
送信してから、すぐに後悔した。
美月は、何と答えるだろう。
しばらくして、返事が来た。
『前から、ちょっと体調が悪かったんだ』
『今は、詳しく検査してるところ』
結衣は、スマートフォンを握りしめた。
『……会いに行ってもいい?』
返事は、すぐに来た。
『うん』
『待ってる』
その夜、結衣は眠れなかった。
美月がいない教室。
美月がいない昼休み。
美月がいない帰り道。
そんなものを、想像したくなかった。
*
病室の窓から、冬の空が見えた。
結衣が病室へ入ると、美月はベッドの上で本を読んでいた。
「……美月」
美月は顔を上げた。
「結衣ちゃん!」
いつもの笑顔だった。
でも、少しだけ違っていた。
顔色が悪い。
声が弱い。
それでも、美月は笑っていた。
結衣は、ベッドの横に座った。
「……何で、言ってくれなかったの?」
美月は、本を閉じた。
「……ごめんね」
「……ずっと、体調悪かったの?」
「うん」
「……いつから?」
美月は、少しだけ考えた。
「……春くらいから」
結衣は、何も言えなかった。
春。
二人が出会った頃。
桜の下で、初めて話した日。
美月が、毎日のように笑っていた日々。
その頃から、ずっと。
「……何で?」
結衣は、震える声で聞いた。
「何で、私に言ってくれなかったの?」
美月は、目を伏せた。
「……言いたくなかった」
「……どうして?」
「結衣ちゃんといるときは、病気のことを忘れられたから」
結衣は、唇を噛んだ。
美月は、笑った。
「結衣ちゃんといると、楽しかったんだ」
「……」
「だから、言いたくなかった」
結衣は、俯いた。
涙が落ちた。
美月は、そっと手を伸ばした。
「……結衣ちゃん」
結衣は、その手を握った。
「……私、何も知らなかった」
「うん」
「……美月が、そんなに苦しんでたなんて」
「……ごめんね」
結衣は、首を振った。
「……謝らないで」
美月は、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
その日、結衣は初めて、美月の前で泣いた。
*
美月が入院してから、二週間が経った。
結衣は、学校が終わると病院へ向かうようになった。
最初の数日は、何を話せばいいのかわからなかった。
いつもなら、美月が話題を見つけてくれる。
授業のこと。
クラスメイトのこと。
帰り道に見つけた猫のこと。
でも、病室の中では、そうした何気ない話題さえ、どこか遠いものに感じられた。
「……今日、数学の小テストがあったよ」
結衣が言う。
美月は、ベッドの上で少しだけ笑った。
「どうだった?」
「……普通」
「絶対、悪かったでしょ」
「……何でわかるの」
「結衣ちゃん、数学苦手だもん」
「……美月もでしょ」
「私は結衣ちゃんよりは得意だよ!」
「……それはない」
そんな会話をしていると、ほんの少しだけ、いつもの放課後が戻ってきたような気がした。
けれど、帰る時間になると、結衣は必ず思い出してしまう。
美月は、ここにいる。
自分は、学校へ帰る。
それだけのことが、どうしようもなく寂しかった。
ある日、病室を訪ねると、美月は窓の外を眺めていた。
「……何見てるの?」
「桜」
結衣は、窓の外を見た。
病院の敷地に植えられた木は、まだ葉を残していた。
「……もう秋だよ」
「うん。だから、来年の桜」
美月は笑った。
「来年、また見たいなって」
結衣は、少しだけ驚いた。
そして、隣に座った。
「……見ようよ」
「うん」
「……絶対」
美月は、結衣を見た。
「……約束ね」
その日、二人は来年の春の話をした。
桜が咲いたら、どこへ行こう。
何を食べよう。
どんな写真を撮ろう。
結衣は、できるだけたくさんのことを話した。
美月が、少しでも楽しそうに笑ってくれるように。
そして、自分自身も信じたかった。
来年の春が、きっと来ることを。
*
十二月の初め。
結衣は、美月の母親から、病気について話を聞くことになった。
病院の小さな面談室。
美月の母親は、少しだけ疲れた顔をしていた。
「美月ね、ずっと前から体調が悪かったの」
結衣は、静かに頷いた。
「最初は、疲れやすいだけだったんだけど……」
検査を重ねた結果、美月は血液の病気を患っていることがわかった。
治療には時間がかかる。
入院も必要になる。
けれど、治療によって回復を目指せる病気だった。
結衣は、説明を聞きながら、何度も同じことを考えていた。
治る可能性がある。
その言葉を、何度も心の中で繰り返した。
「……美月は、治るんですか?」
声が震えた。
美月の母親は、すぐには答えなかった。
「先生は、治療を頑張れば、良くなる可能性があるって」
結衣は、俯いた。
涙が落ちそうになった。
でも、泣かなかった。
「……そうなんですね」
その日、結衣は初めて、美月の病気について知った。
怖かった。
知らないことばかりだった。
治療がどれくらい続くのか。
美月が、いつ学校に戻れるのか。
これから、どんな日々が待っているのか。
何もわからなかった。
でも、ひとつだけわかった。
美月は、まだここにいる。
そして、これからも一緒に過ごせる可能性がある。
結衣は、病室へ戻った。
美月は、ベッドの上で本を読んでいた。
「……結衣ちゃん?」
「……うん」
結衣は、椅子に座った。
美月は、本を閉じた。
「……お母さんと話してきたの?」
「……うん」
「そっか」
美月は、少しだけ笑った。
「……怖かった?」
結衣は、顔を上げた。
美月は、静かにこちらを見ていた。
結衣は、頷いた。
「……怖かった」
美月は、手を伸ばした。
結衣は、その手を握った。
「……私も、怖いよ」
美月は、初めて、そう言った。
結衣は、何も言えなかった。
美月は、笑わなかった。
ただ、結衣の手を握っていた。
その日、二人は初めて、病気のことを一緒に考えた。
*
治療が始まった。
最初の頃、美月は、できるだけ明るく振る舞っていた。
結衣が病室を訪ねると、笑顔で迎えてくれた。
「結衣ちゃん!」
「……今日は、何してたの?」
「本読んでた!」
「……何の本?」
「恋愛小説!」
「……美月、そういうの好きだよね」
「うん!」
美月は笑った。
けれど、日によっては、話すことさえ辛そうなときがあった。
結衣が訪ねても、眠っている。
起きていても、すぐに疲れてしまう。
そんな日が、少しずつ増えていった。
結衣は、何をすればいいのかわからなかった。
何かをしてあげたい。
元気づけたい。
笑ってほしい。
でも、何を言っても、何をしても、うまくいかない気がした。
ある日、結衣は病室で、ずっと黙っていた。
美月は、そんな結衣を見ていた。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「今日、何かあった?」
「……何も」
「……そっか」
美月は、少しだけ笑った。
「じゃあ、今日は一緒に何もしない日にしよう」
結衣は、顔を上げた。
「……何もしない?」
「うん」
美月は、ベッドの上で目を閉じた。
「結衣ちゃんが隣にいてくれるだけで、嬉しいから」
結衣は、何も言わなかった。
ただ、椅子を少しだけ近づけた。
美月の手を握る。
二人は、しばらく何も話さなかった。
窓の外から、冬の風の音が聞こえた。
結衣は、その時間が好きだった。
何かをしなくてもいい。
何かを話さなくてもいい。
ただ、隣にいる。
それだけで、十分だった。
*
冬が終わり、春が近づいていた。
美月の治療は、まだ続いていた。
体調には波があり、元気な日もあれば、ほとんど眠っている日もあった。
結衣は、学校の帰りに病院へ通い続けた。
三月のある日。
結衣は、病室に小さな鉢植えを持ってきた。
「……何、それ?」
美月が聞いた。
「……花」
「見ればわかるよ!」
「……桜が咲くまで、代わりにこれを育てようと思って」
鉢植えには、小さな花の蕾がついていた。
美月は、嬉しそうに笑った。
「……かわいい」
「……咲いたら、写真撮ろう」
「うん!」
二人は、鉢植えを窓際に置いた。
毎日、少しずつ蕾が膨らんでいった。
美月は、朝起きると、必ずその花を見た。
「……今日、少し大きくなったよ」
「……本当だ」
「明日は、咲くかな?」
「……どうだろう」
そんな会話が、毎日続いた。
そして、ある朝。
花が咲いた。
美月は、結衣を呼んだ。
「結衣ちゃん!」
「……何?」
「咲いたよ!」
結衣は、窓際へ向かった。
小さな花が、朝の光を浴びていた。
美月は、嬉しそうに笑った。
「……春だね」
結衣は、頷いた。
「……うん」
その日、結衣は花の写真を撮った。
美月も、写真を撮った。
二人のカメラには、同じ花が写っていた。
それは、二人が待っていた春の始まりだった。
*
春休みが終わり、二年生になった。
結衣は、少しだけ大人びた気がした。
美月のいない教室。
隣の席は、空いたままだった。
結衣は、毎朝、その席を見てしまう。
美月が戻ってくる日を、ずっと待っていた。
五月。
美月の体調が、少しずつ安定してきた。
治療の効果が見られ、退院できる日も増えてきた。
ある日、美月が言った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「学校、行きたいな」
結衣は、顔を上げた。
「……学校?」
「うん」
美月は、窓の外を見た。
「みんなに会いたい」
結衣は、頷いた。
「……行こう」
美月は、少しだけ笑った。
「……うん」
その日から、二人は学校へ戻る準備を始めた。
美月の体調に合わせて、短い時間だけ登校する。
無理をしない。
疲れたら休む。
そんな約束を、二人で決めた。
初めて学校へ行く日。
結衣は、病院の玄関で美月を待っていた。
美月は、少し緊張した顔で現れた。
「……結衣ちゃん」
「……うん」
「……行こう」
結衣は、美月の手を握った。
二人は、ゆっくり歩き始めた。
校門をくぐると、桜の花びらが舞っていた。
美月は、空を見上げた。
「……綺麗」
結衣は、隣に立った。
「……うん」
美月は、笑った。
その笑顔を見て、結衣は思った。
また、一緒に春を迎えられた。
それだけで、嬉しかった。
夏が近づいていた。
美月は、少しずつ学校に通えるようになった。
毎日ではない。
午前中だけの日もあれば、休む日もあった。
それでも、教室に美月がいる日は、結衣にとって特別だった。
「……美月」
「何?」
「……今日、帰りに寄り道しない?」
美月は、目を丸くした。
「えっ、いいの?」
「……体調、大丈夫なら」
美月は、嬉しそうに笑った。
「うん!」
二人は、学校の帰りに、小さなカフェへ行った。
美月が、以前から行きたいと言っていた場所だった。
窓際の席に座る。
美月は、メニューを見ながら悩んでいた。
「……どれにしよう」
「……美月、いつもいちごのやつ選ぶじゃん」
「今日は違うのにする!」
「……そう」
結局、美月はいちごのケーキを選んだ。
結衣は、思わず笑った。
「……結局、それなんだ」
「だって、好きなんだもん!」
美月は笑った。
その笑顔を見て、結衣は胸が温かくなった。
病院で過ごした日々。
何もできなかった日。
泣いてしまった日。
その全部が、少しずつ遠くなっていく。
今、美月はここにいる。
一緒にケーキを食べている。
それだけで、十分だった。
*
七月。
美月の治療は、順調に進んでいた。
まだ通院は必要だった。
けれど、体調は安定し、少しずつ日常を取り戻していた。
ある日、美月が言った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「海、行きたい」
結衣は、少しだけ驚いた。
「……海?」
「うん」
美月は、笑った。
「去年、行ったでしょ?」
「……うん」
「また行きたいなって」
結衣は、頷いた。
「……行こう」
その週末。
二人は、あの海へ向かった。
駅を降りると、潮の香りがした。
美月は、ゆっくり砂浜を歩いた。
結衣は、隣にいた。
「……懐かしいね」
美月が言った。
「……うん」
「去年、ここで写真撮ったよね」
「……覚えてる」
美月は、カメラを取り出した。
「……また撮ろうよ」
二人は、砂浜に並んだ。
美月が、結衣の手を握った。
シャッター音が鳴った。
写真には、二人の笑顔が写っていた。
美月は、写真を見て笑った。
「……いい写真」
結衣は、頷いた。
「……うん」
美月は、結衣を見た。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私、またこうして海に来られて、嬉しい」
結衣は、美月の手を握った。
「……私も」
美月は、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
結衣は、首を振った。
「……こちらこそ」
その日、二人は夕方まで海で過ごした。
波の音を聞きながら、たくさん話した。
去年のこと。
これからのこと。
そして、今のこと。
結衣は、思った。
この時間を、ずっと覚えていたい。
*
夏休み。
2人は夏休みの間、毎日会って遊んだ。
美月の体調が良い日は、二人で出かけた。
映画を見たり。
本屋へ行ったり。
カフェで何時間も話したり。
特別なことは、何もなかった。
でも、結衣にとっては、どれも大切な時間だった。
そして美月は結衣に告白した。
ある日の帰り道。
美月が、結衣の手を握った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私たち、恋人なんだよね」
結衣は、少しだけ驚いた。
「……そうだけど」
「……なんか、まだ不思議」
美月は、笑った。
「結衣ちゃんが、私の恋人なんだって」
結衣は、少しだけ顔を逸らした。
「……美月も、私の恋人だよ」
美月は、嬉しそうに笑った。
「……うん」
二人は、手を繋いだまま歩いた。
夕焼けが、街を染めていた。
結衣は、思った。
美月が好きだ。
友達だった頃よりも。
病院で過ごした頃よりも。
今、もっと好きだ。
その気持ちは、少しずつ大きくなっていた。
*
秋。
美月の治療は、最終段階に入っていた。
検査の結果は、良好だった。
医師から、治療を終える見通しが伝えられた。
美月は、病室で結衣に話した。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「治療、終わるかもしれない」
結衣は、顔を上げた。
「……本当に?」
美月は、頷いた。
「うん」
結衣は、何も言えなかった。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
でも、すぐには言葉にならなかった。
美月は、少しだけ笑った。
「……結衣ちゃん?」
結衣は、美月の手を握った。
「……よかった」
その声は、震えていた。
美月は、結衣の手を握り返した。
「……うん」
二人は、しばらく何も話さなかった。
窓の外で、秋の風が吹いていた。
結衣は、思った。
もう一度、春を迎えられる。
もう一度、夏の海へ行ける。
もう一度、美月と一緒に未来の話ができる。
それが、何よりも嬉しかった。
*
冬。
美月は、治療を終えた。
定期的な検査は続く。
でも、病状は落ち着いていた。
美月は、少しずつ、以前の生活を取り戻していた。
学校へ通う。
友達と話す。
写真を撮る。
結衣と帰る。
そんな日々が、戻ってきた。
ある日、美月が言った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「来年、何したい?」
結衣は、少しだけ考えた。
「……旅行」
「旅行?」
「……うん。二人で」
美月は、嬉しそうに笑った。
「いいね!」
「……海も行きたい」
「うん!」
「……桜も見たい」
「うん!」
美月は、結衣の手を握った。
「……全部、行こう」
結衣は、頷いた。
「……うん」
その日、二人は、来年の予定をたくさん立てた。
どこへ行こう。
何を食べよう。
どんな写真を撮ろう。
美月は、嬉しそうに笑った。
結衣も、笑った。
そして、思った。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
*
春。
美月は、完全に日常生活へ戻っていた。
学校へ通い、写真部にも復帰した。
結衣と一緒に、帰り道を歩く。
休日には、二人で出かける。
病院で過ごした時間が、少しずつ遠くなっていった。
ある日、美月が言った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私、今年の夏、いっぱい遊びたい」
結衣は、笑った。
「……いいよ」
「海も行きたいし、花火も見たいし、旅行もしたい!」
「……欲張りだね」
「だって、やりたいこといっぱいあるんだもん!」
美月は、嬉しそうに笑った。
結衣は、その笑顔を見て思った。
この半年を、二人で大切に過ごそう。
病気のことばかり考えていた日々。
不安で眠れなかった夜。
何もできなかった時間。
その全部を、二人の思い出で塗り替えていこう。
美月と一緒に。
*
六月。
二人は、紫陽花を見に行った。
雨上がりの公園。
色とりどりの紫陽花が咲いていた。
美月は、カメラを構えた。
「……結衣ちゃん、こっち向いて」
「……また?」
「うん!」
シャッター音が鳴った。
美月は、写真を見て笑った。
「……いい写真」
結衣は、少しだけ笑った。
「……美月、写真撮るの好きだね」
「うん」
美月は、カメラをしまった。
「……好きなものを残したいから」
結衣は、美月を見た。
美月は、笑った。
「……結衣ちゃんも、私の好きなもののひとつだよ」
結衣は、顔を逸らした。
「……そういうこと、急に言わないで」
「えー?」
美月は笑った。
結衣も、笑った。
その日、二人は、雨上がりの公園をゆっくり歩いた。
七月。
二人は、花火大会へ行った。
浴衣を着て、駅前で待ち合わせた。
美月は、結衣の姿を見ると、嬉しそうに笑った。
「……結衣ちゃん、かわいい!」
「……美月も」
美月は、少しだけ照れた。
「……ありがとう」
二人は、屋台を回った。
りんご飴を食べた。
金魚すくいをした。
美月は、何度も写真を撮った。
そして、花火が始まった。
夜空に、大きな花が咲いた。
美月は、結衣の手を握った。
「……綺麗」
結衣は、頷いた。
「……うん」
美月は、空を見上げた。
「……来年も、見たいな」
結衣は、美月の手を握り返した。
「……見よう」
美月は、笑った。
「……約束」
結衣は、頷いた。
「……約束」
その夜、二人は、最後の花火まで見ていた。
*
八月。
二人は、もう一度、海へ行った。
去年と同じ場所。
同じ砂浜。
同じ波の音。
でも、今年は違っていた。
美月は、元気に走っていた。
結衣は、その後を追いかけた。
「……美月、待って!」
「……結衣ちゃん、遅い!」
美月は、笑った。
結衣も、笑った。
二人は、砂浜に座った。
美月は、カメラを取り出した。
「……写真、撮ろう」
「……うん」
二人は、並んで座った。
美月が、結衣の肩に頭を寄せた。
シャッター音が鳴った。
写真には、二人の笑顔が写っていた。
美月は、写真を見て笑った。
「……いい写真」
結衣は、頷いた。
「……うん」
美月は、結衣を見た。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私、今、すごく幸せ」
結衣は、美月の手を握った。
「……私も」
美月は、笑った。
「……大好き」
結衣は、頷いた。
「……私も、大好き」
その日、二人は夕方まで海で過ごした。
*
九月。
二人は、初めて旅行へ行った。
遠い街。
知らない景色。
初めて見る駅。
美月は、何度も写真を撮った。
結衣は、その隣で笑っていた。
夜。
ホテルの窓から、街の明かりが見えた。
美月は、ベッドの上で写真を見ていた。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私ね、昔、永遠って言葉が好きだったんだ」
結衣は、少しだけ驚いた。
「……永遠?」
「うん」
美月は、笑った。
「ずっと続くものって、いいなって」
結衣は、窓の外を見た。
「……私も」
美月は、少しだけ考えた。
「……でも、今は少し違う」
「……どう違うの?」
美月は、結衣を見た。
「永遠って、時間の長さじゃないのかもしれない」
結衣は、何も言わなかった。
美月は、笑った。
「……今、結衣ちゃんと一緒にいる時間が、すごく幸せだから」
結衣は、美月の手を握った。
「……うん」
美月は、結衣の肩に頭を寄せた。
「……この時間を、ずっと覚えていたいな」
結衣は、頷いた。
「……私も」
その夜、二人は、いつまでも話していた。
*
翌年の春。
美月は、十八歳になった。
結衣も、十八歳になった。
二人は、桜の下を歩いていた。
去年、美月が病院から出てきた日。
桜の花びらが舞っていた。
あの日から、一年が経った。
美月は、カメラを構えた。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「こっち向いて」
結衣は、笑った。
「……また?」
「うん!」
シャッター音が鳴った。
美月は、写真を見て笑った。
「……いい写真」
結衣は、頷いた。
「……うん」
美月は、結衣の手を握った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私、これからも、ずっと一緒にいたい」
結衣は、美月を見た。
そして、笑った。
「……私も」
二人は、手を繋いだまま歩いた。
桜の花びらが、風に舞っていた。
結衣は、思った。
美月と出会えたこと。
美月を好きになったこと。
美月と一緒に過ごした時間。
その全部が、自分の人生を変えてくれた。
美月が病気になったことは、悲しかった。
でも、その時間があったからこそ、二人は、お互いの大切さを知ることができた。
そして、今。
美月は、隣にいる。
笑っている。
結衣は、その手を握った。
「……美月」
「……何?」
「……大好き」
美月は、笑った。
「……私も」
二人は、桜の下で立ち止まった。
そして、もう一度、写真を撮った。
それから、何年も経った。
結衣は、大学へ進学した。
美月も、同じ街の大学へ進学した。
二人は、今でも一緒にいた。
休日には、写真を撮りに出かけた。
春には、桜を見た。
夏には、海へ行った。
秋には、紅葉を見た。
冬には、イルミネーションを見た。
美月は、相変わらず写真を撮るのが好きだった。
結衣は、相変わらず美月の隣にいるのが好きだった。
ある日、美月が言った。
「……結衣ちゃん」
「……何?」
「私たち、ずっと一緒にいられるかな?」
結衣は、少しだけ笑った。
「……どうして?」
美月は、少しだけ考えた。
「……なんとなく」
結衣は、美月の手を握った。
「……一緒にいようよ」
美月は、笑った。
「……うん」
結衣は、思った。
永遠なんて、きっと存在しない。
時間は流れる。
季節は変わる。
いつか、何かが終わる日が来るかもしれない。
でも。
美月と過ごした時間は、消えない。
あの日、初めて話した春。
一緒に傘に入った雨の日。
海で手を繋いだ夏。
病室で泣いた冬。
そして、病気を乗り越えて、二人で迎えた春。
その全部が、結衣の中に残っている。
美月は、カメラを構えた。
「……結衣ちゃん、こっち向いて」
結衣は、笑った。
「……うん」
シャッター音が鳴った。
写真には、二人の笑顔が写っていた。
美月は、写真を見て笑った。
「……いい写真」
結衣は、頷いた。
「……うん」
美月は、結衣の手を握った。
「……大好き」
結衣は、その手を握り返した。
「……私も」
二人は、手を繋いだまま歩き始めた。
春の風が、桜の花びらを運んでいた。
結衣は、空を見上げた。
そして、思った。
君が生きた一瞬を。
君と過ごした時間を。
君がくれた、たくさんの愛を。
私は、永遠に忘れない。
──あなたと生きていく未来を、私は忘れない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
あなたには、大切な人がいますか?
何気ない日々を一緒に過ごした人。
隣にいることが、いつの間にか当たり前になっていた人。
そして、どんなことがあっても忘れたくない人。
忘れたくない人はいますか?
忘れてはいけない人は、いますか?
私たちは、いつまでも同じ時間を過ごせるとは限りません。
だからこそ、何気ない一日や、交わした言葉、隣で笑ってくれたことが、かけがえのないものになるのだと思います。
結衣と美月も、これから新しい季節を歩いていきます。
その先に何が待っているのか、二人はまだ知りません。
どうか、二人が見つける未来を見届けてください。
そして読み終えたとき、あなたの心にも、大切な誰かの顔が浮かんでいたなら。
その人と過ごす今日を、どうか大切にしてください。




