第七章:図鑑の中の、小さな発見
山でのプチ遭難から数日が過ぎた。
二人は大学のラウンジで、分厚い図鑑を
机の上にいっぱいに広げていた。
「見てください、これ。あの日食べた
野イチゴの正式な学名なんです。凄く
ないですか?」
健太は眼鏡を押し上げ、嬉しそうに図鑑の
一節を指差した。夢子も興味津々で、ポチ
ャポチャの体で身を乗り出す。
「わあ、本当だ! 健太くん、よく覚えてる
ね。私、食べるのに必死で、実はよく見て
なかったかも」
夢子は頬を赤らめて机に肘をついた。
その拍子にまた「ガタッ」と不吉な衝撃が
机を揺らした。机の上のメロンソーダが、
健太の広げた大事な図鑑に向かって、危う
くダイブしそうになる。
「あわわっ! またやっちゃった! 健太く
ん、ごめん! 避けて、早く!」
夢子が慌てて手をバタつかせると、隣にい
た健太が、意外なほど素早い動きでコップ
の底をガシッと掴んだ。
「大丈夫! 夢子さん、僕がついてますから。
落ち着いて」
健太の細い指が、夢子の丸い手に一瞬だけ
重なった。二人の間に、野イチゴを分けた
時のような緊張が走る。
「あ。ありがとう!私ってやっぱり救い
ようのないドジだよね」
「……いえ。夢子さんのドジは、僕に守る
機会をくれるから、なんだか悪くないなっ
て、思うんです」
健太は顔を真っ赤にして、視線を図鑑の硬
度表へと逸らした。夢子の胸が、トクンと
熱く鳴る。
「……健太くん。君って、時々、すっごく
ズルいこと言うよね」
「えっ!?僕、何か変なことを言いまし
たか!? すみません……!」
焦る健太と、クスクス笑い出す夢子。二人
の無駄な時間は、ゆっくり温かい色へと変
わり始めていた。




