第六章:お箸と図鑑の、野いちご晩餐会
JAFへの電話を終えた健太は、
助手席の夢子に、摘みたての赤い実を
お箸で受け取れるよう差し出した。
「一時間はかかるそうです。……それまで
これで食い繋ぎましょう」
「……ありがとう。お箸で食べる野イチゴ
なんだかルビーを食べてるみたい」
夢子は、黒漆の箸で一粒ずつ、
宝石を扱うように口へ運んだ。
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
「……ねえ、健太くん。どうしてそんなに
図鑑を大事にしてるの? 重いのに」
夢子がふと尋ねると、健太は眼鏡を直し
少し遠くの山並みを見つめ、静かに言う。
「……子供の頃、気弱で友達がいなくて。
でも、道端の石や草花だけは黙って僕の
隣にいてくれたんです」
「……石や草花が、お友達だったのね」
夢子は、ポチャポチャした手を自分の膝
の上でそっと握りしめた。
「はい。だから、大きくなっても、彼ら
の名前を忘れたくなくて…。無駄だって
笑われても、捨てられない」
「……全然、無駄じゃないよ。今日だって
そのこだわりが私を救ってくれたもん」
夢子は自分の「桜の箸」を愛おしそうに
指でなぞりながら、そして言う。
「私ね、小さい頃から食べるのが大好きで。
でも、食べ方が汚いって、親戚の集まりで
笑われちゃったことがあったんだ」
「……夢子さんが、笑われた……!?」
健太の表情が自分のこと以上に悲しそうに
少し歪み、同時に震える手で自分の分厚い
図鑑をぎゅっと抱きしめた。
「そう。それが悔しくて、悲しくて。
だから、誰よりも綺麗に、優雅に食べて
やろうって。そう決めて、お箸を……」
指を汚さず、一粒のポテチも、一粒の
野いちごも大切に食べる。
それは夢子の、自分を守るための誇り。
「僕たち……、似てますね。自分の弱さを
守るために、このこだわりがあったんだ」
健太が消え入りそうな、でも温かい声で
笑うと、夢子も、ポチャポチャの頬を
真っ赤にして頷いた。
「……ねえ、健太くん。野イチゴ、あと
一粒しかないよ。……半分こ、する?」
「はい!お箸で半分に分けるの、
難しそうですけど、やってみましょう」
二人は一本ずつお箸を持ち合い、最後の一
粒を、壊さないように慎重に分かち合った。
「……あ。健太くん、上手。私のポチャポ
チャした手より、ずっと繊細だね」
「い、いえ。夢子さんが、反対側でしっか
り支えてくれているからですよ……っ」
一粒の小さな野イチゴを、二人のマイ箸で
「共同作業」して、そっと口へと運んだ。
甘酸っぱい果汁が広がると、二人は同時に
ふにゃりと眉を下げて顔を見合わせた。
「……半分こすると、さっきよりもずっと
甘く感じるね。ねえ、健太くん」
「はい。……夢子さんのこだわりのお箸の
使い道、これが正解かもしれませんね」
どちらからともなく、クスクスと笑い声が
漏れた。山奥の静かな車内が温まる。
外ではJAFの黄色い回転灯が、夕闇を優
しく照らしながら、ゆっくり近づいていた。




