薄明レクチャー
朝昼晩あらゆる時間帯に昇る太陽からは目を逸らして、あなたは光の束が向かう北の空を見つめている。遠くの商業ビル、どのフロアにも取り付けられた窓ガラスは長い年月のあいだ風雨にさらされており、無数についた微かな傷跡に、親に放っておかれた5歳児が興味深げな顔を近寄らせてじっと観察をしている。まだ空っぽの頭の中を赤いヘリコプターが旋回する束の間、無遠慮な清掃員が子供の視界へと濡れた雑巾を割り込ませ、小さな妄想の世界からコードを断ち切った。怒るということを知らない5歳児はほとんど反射的に、視界の外から伸びてきた作業着の腕を辿っていくと、自然と上目遣いになっていた。その先に浮かぶ冴えない清掃員の顔を、無精ひげの真ん中に開いた口から出るため息の風景を、使用期間たったの5年と数カ月しか経っていない両目が物珍し気に捉えている。情報伝送路が歪な波形を運んで、それを言い表せない思い出としてピンク色の皺くちゃに記憶を開始する。そして窓ガラスを越えた先の話、あなたは地方都市の駅前に立っていた。夏休みの終わりに働く当てもなく、その焦燥感をうちに燃やしながら立ち尽くす無意味な蒸気機関だった。この街をこの街の住人たちとバラバラに借り合い、住みついて長いあなたはこの街を完全に着こなしていた。肌で分かることはまるでその場で見てきたかのように事細かに分かっている。分かっていれば分かっているほど堕落していく自分を思えば、まるでこの街に溶けて自他の境界線を失い、少しずつ抽象度を高め、砂の流れる方へ足がスライドしていくみたいだった。だがやはりあなたの抜け殻は駅前に立ち尽くしていた。
また一方であなたは山奥の小川にシャツとズボンを脱がないまま寝転んでいた。腕や脚、首筋といった関節部分に通う涼しさがこの夏を物語っていた。あなたはいつだって普遍的に存在していた。つい最近もあなたは、立ちあげて数年になる会社を大手企業に売り飛ばして大金を得たばかりだった。あなたはその金でしばらくの休暇を過ごそうという腹だったが、そんな成功を掴んだ多忙なあなたへは、夏に川で寝転んでいるあなたからは連絡がとれないというだけのことだった。どこにでも存在するとうことはあなたは誰でもあり、あなた同士で好き合うことも嫌い合うこともあった。ここで間違っても顔を同一に考えてはいけない。あなたはどこに居ようと誰であろうと、ただの一つの例外もなく自己嫌悪の気があったからだ。それもものすごく酷い具合のものだ。ひたすらに落ち込む、自ら切り傷をつけるなど、自己嫌悪によって起こす行動はあなたによって様々だが、一人でいるときも複数人でいるときもあなたはあなたを嫌悪し、やがて気持ちが明けてくると同時に恥ずかしさに襲われるのだった。10代のあなたはそれを真っ当に受け止めているが、40になってもそのままのあなたは二重の恥ずかしさを味わっていた。あなたの坩堝ではいつまでもあなたに対してのみ視線が向けられていた。
数日に及んだ悪天候が終わりを迎え雲ひとつない夜に、あなたはまだ駅前に立ち尽くしていた。風が涼しいのに夏が過ぎていくことを惜しんでいたのだ。センチメンタル過剰なことなど承知の上だった。どこだろうと働く気はなかったし、それは働きたくないとはまた違っていることもよく分かっていた。地方都市、この街のあらゆる建設作業に一斉にストップがかかるそんな夜に世界の総資産はゼロに等しかった。