第2話 希望のメモ
「マリアベル、今日は楽しかった。ありがとうな」
ライリー様はそう言って、私に白い封筒と便箋を差し出してきた。
「ありえない事だろうけど、万が一、婚約を解消した時は知らせてくれ。手紙を書いて封筒を閉じてくれれば勝手に俺の所に届く様になっているから」
「ありえないと思いますが、受け取っておきますね。今日はありがとうございました」
「ああ。幸せにな!」
ライリー様から受け取った封筒と便箋を持っていたポーチに入れ、ライリー様に別れを告げて転移すると、家の前に立っていたので中に入る。
「お姉様ったら信じられないわ」
エントランスホールに入るなり、先に帰っていたエルベルが近付いてくると、ぷんぷんと今にも言い出しそうなくらいに頬を膨らませて続ける。
「皇太子殿下に見向きもしないで、どこかの小さな子供と話をしていただけじゃない。何をしに行ったのかわからないわ!」
「呼ばれたから行っただけだもの。ところで、エルベルは皇太子殿下とはどうだったの?」
「どうもこうもないわ。皇太子殿下はきっと、私を選んで下さると思う」
「すごい自信ね。でも、エルベルならありえる話ね」
「お姉様は悔しくないの?」
エルベルは可愛らしい顔を歪めて聞いてきた。
「悔しいって何が?」
「皇太子殿下が私を選ぶことよ」
「悔しくなんかないわ。いつもの事だから」
「そうよね…。お姉様は私に敵うはずないものね…。気持ちはわかるけれど、だからといって最初から諦めるのは良くないと思うの。今回の件もお父様に伝えておいたから」
「……何を伝えたの?」
「お姉様はどこかの子供と話をしてばかりで、皇太子殿下とはほとんど話をしていなかったって。だから、皇太子殿下に失礼だったって話をしておいたわ」
胸の前で腕を組んで、えっへん、と言わんばかりにエルベルは誇らしげな顔をした。
事実とは違うので、すぐに反論する。
「皇太子殿下からお願いされたのよ。あなただって見ていたでしょう?」
ライリー様と話をしている時に、皇太子殿下が私達の所にいらっしゃって、皇太子殿下自らが自分の事は良いから、申し訳ないがその子を頼むと仰ったのだから、失礼な事はしていない。
それなのに…!
「マリアベル!」
お父様の厳しい声が聞こえて振り返ると、茶色の大きなトランクケースを持った執事と共に、お父様がエントランスホールに現れた。
「話は聞いた。お前の様なお荷物はこの家にはいらん! 荷物をまとめておいてやったから、これを持って今すぐ出ていけ!」
「ど、どういう事ですか!?」
「そのままの意味だ! 皇太子殿下に失礼な真似をするなんて!」
「待って下さい、お父様!」
「お嬢様、残念です…」
執事は首を横に振った後、私にトランクケースを渡してきた。
「お元気で…」
「ちょっ、ちょっと待って! 意味がわからないわ!」
「意味がわからないと言うならはっきり言ってやろう。お前はもう私の娘ではない! 二度とこの家に帰ってくるな!」
お父様はそう叫ぶと、近くにいた騎士に私を屋敷の敷地内から追い出すように命令した。
執事も騎士達もエルベルの魅了に落ちてしまっている人達だから、私が抵抗しても意味がなかった。
パーティー用のドレスのまま追い出された私は、持っていたポーチとトランクケースを持って辻馬車をひろい、助けを求める為に婚約者であるビークスの家、ホールズ伯爵家を訪ねた。
縁を切られてしまったのなら、ビークスとの婚約は自然と解消になるのかもしれないけれど、ビークスがそれを嫌がってくれたら、また違う展開になると思ったのだけれど、最悪な結末が待っていた。
ビークスは屋敷の外で話をしたがったので、玄関のポーチで立ったまま、家から追い出されてしまったという話をすると、くせの強い赤色の髪を持つビークスは、青色の綺麗な瞳を私に向けた。
そして、一度、屋敷内に戻ったかと思うと、すぐに戻ってきて私の手に現金を握らせて言う。
「悪いけど、今まで君のことを好きだと言っていたのは嘘だ。エルベルからそう言えとお願いされていたんだ。僕の言う事を本当だと信じて幸せそうにしている君は本当に滑稽だったよ。もちろん、多少の罪悪感はあったけど…」
呆然としている私に、ビークスは続ける。
「楽しませてくれたお礼に、僕から婚約破棄してあげるよ。で、そのお金は慰謝料だよ。僕はエルベルと幸せになるから。さよなら、マリアベル」
そう言って、ビークスは近くにいた騎士に命令する。
「お客様のお帰りだ」
話が聞こえていたようで、その場にいた騎士の2人共が気まずそうな顔をして動きづらそうにしていると、ビークスが叫ぶ。
「早くしろ!」
騎士達もビークスの命令に逆らえず、私の腕を取ると、力なく歩く私を門の外まで送り出してくれた。
婚約破棄された事もそうだけれど、ビークスがエルベルの虜だった事にショックを受けて、何も考えられなかった。
信じていた私が馬鹿だったのかもしれない。
騙された私が馬鹿だったのかもしれない。
握らされたお金を投げ捨てたくなったけれど、このお金は大事だと思い直して、トランクケースに入れようとしていると、先程、私を送り出してくれた騎士の1人が走ってきて、私にメモを渡してくれた。
「あんな話を聞いたら放っておけなくて…。これ、うちの親がやってる宿屋です。で、そのメモ、俺の親に見せてください。きっと力になってくれると思います」
そう言って、男性は慌てて屋敷の方に戻っていく。
メモを見てみると、宿屋の名前と住所、そして、走り書きで、『この人、すごく可哀想だから話を聞いてあげて』と自分の両親にあてたメッセージが書かれていた。