第19話 余裕の皇太子妃候補と企む公爵令嬢
「お話ししたい事といいますのは……」
キラック公爵令嬢はすとんとソファーに座ると、咳払いをしてから口を開く。
「マリアベル様の元婚約者の方についてのお話です」
「私の元婚約者の話…? どうして、キラック公爵令嬢がそんな話をされるんです?」
「……お会いする機会がありまして…」
「いつ知り合われたのですか? ホールズ伯爵家はルキエラ国にはありませんが…?」
私やビークスが住んでいた国はチュトス国だから、彼女との接点なんて基本はないはずなのだけれど?
不思議に思って聞いてみると、キラック公爵令嬢はこの質問は予測していたのか笑顔で答える。
「父の知り合いから紹介してもらいましたの。お会いしたのも、つい最近の事ですわ」
知り合いからなぜ紹介してもらったかをツッコミたい気もするけれど、きっと答えを用意してきているでしょうから、敢えて聞かないでおく。
「そうですか。でも、もう私には関係ない方ですわ。もちろん、帝国民の1人として大事にするつもりではありますが……」
「それは当たり前の話ですわよね。ただ、一人の男性を悲しませている方が多くの国民を幸せになんて出来るのかと心配になってしまいまして…」
「ホールズ卿が悲しんでいるんですか?」
「そうです! マリアベル様が彼を捨ててライリー殿下と婚約された事を悲しんでおられます」
「捨ててませんが?」
「はい?」
「私のほうが彼に婚約破棄されたんです。それで皇太子妃に選ばれたんですが」
「……え?」
お気の毒に。
ビークスから嘘の話を吹き込まれたみたいね。
普通はその話が本当かどうか確認をとるものだと思うけれど、彼女はそれを怠ったのね。
もしくは、彼女が嘘をついている?
それにしても、私が彼を捨てただなんて、どっちの嘘にしたって失礼だわ。
私はそんな人間じゃない。
……捨てられる側よ。
「ホールズ卿は本当に自分が捨てられたと言っていたんですか?」
「えっと、そう聞いた気がするのですが、違うんですの…?」
「違いますわ。ところで、キラック公爵令嬢は私をそんな女性と思っていらっしゃったんですね…」
「そういう意味ではございません!」
「では、そうではないと思ってくださっていたという事ですか? もしかして、その事が信じられなくて確かめに来てくださったんですか?」
そんな訳ではないだろうけれど、彼女が何か言い返してくる前に手を合わせて微笑む。
「ありがとうございます。ホールズ卿の事に関してはライリー様に相談して処罰をしてもらいますね」
「ちょ、ちょっとお待ち下さいませ!」
「……何でしょうか?」
「処罰は必要でしょうか? 私の聞き間違いかもしれませんし…」
「……まあ! キラック公爵令嬢はお優しいんですね!」
ふふ、と笑ってみせると、キラック公爵令嬢は一瞬不思議そうな顔をした後、私の嫌味に気が付いたのか、ひきつった笑顔を見せた。
まだ15歳だもの。
あまりいじめちゃ可哀想よね。
「では、処罰はやめておきますが、嘘をつかれていた事は確かなようなのでライリー様には報告させていただきます」
そう言ってから立ち上がって続ける。
「申し訳ございません。次のスケジュールがありますので…」
「ま、まだ話が終わったわけでは…!」
「では、続きはパーティーの時にでもいかがでしょう?」
「……! お待ちください、マリアベル様!」
キラック公爵令嬢は立ち上がって叫び、扉に向かおうとしていた私の足を止めさせた。
「何でしょうか?」
「先程の件ですが私の聞き間違いだと思います。申し訳ございませんでした」
「……」
深々と頭を下げるキラック公爵令嬢を見て考える。
どうして、この人がビークスを庇うの?
さっきの嘘は彼女がついただけでビークスは関係ないから?
といっても、公爵令嬢がそれだけの理由で他国の伯爵令息を守ろうとする?
何か理由がありそうね。
「気にしないで下さい。ただ、そのお話は他の方にされてはいませんよね?」
「も、もちろんでございます!」
「なら良かったです。嘘の噂が社交界に流れたなんて事になったら、あなたを罰さない訳にはいきませんから。あ、もう、頭を上げてくださって結構ですよ」
いつまでもキラック公爵令嬢の後頭部を見たまま話すのも性格が悪いと感じたので、慌てて促すと、キラック公爵令嬢は屈辱そうな表情を浮かべたけれど、すぐに笑顔を作った。
「マリアベル様の寛容なお心に感謝致します」
「とんでもない事でございますわ。では、気をつけてお帰りなさって下さいね」
扉を軽く叩くと、外側から扉が開かれ、複数のメイドがお帰り願うと言わんばかりに、キラック公爵令嬢に頭を下げた。
「……あの、お伝えし忘れたのですが」
キラック公爵令嬢は帰り際に私に向かって言う。
「マリアベル様の元婚約者であるホールズ卿を私の執事の1人として雇う事に致しました。招待状には同伴者は3人までとありますので、連れてこようと思っております。その際には積もる話などもあるでしょうから、お相手してやって下さいませ」
「話す事はありませんわ」
誰を連れてくるかは彼女の勝手なのだけど、まさか、ビークスを執事にするだなんて……。
ビークスも一体何を考えてるの?
彼女を見送ってから、この後の用事は特にないので自室に戻り、ライリー様の空いている時間をメイドに聞いてもらおうと思ったけれど、メイドがキラック公爵令嬢が帰った事をライリー様に教えたのか、私の部屋まで来てくれた。
「どうだった?」
「私の元婚約者とキラック公爵令嬢が接触を持ったようなのですが…」
「宿が同じなようだな」
「知ってらしたんですか?」
「まだノーマークにするわけにはいかないからな。ただ、接触した事はわかっても、どんな話をしたかはわからないんだけどな」
部屋の中に入ってもらい、私がキラック公爵令嬢からされた話をすると、ライリー様は整った顔を歪めた。
「あいつはマリアベルを諦めきれないんだろうか」
「皇太子妃に選ばれた人間を諦めきれないと言われましても…。魅了がかかってたとはいえ、私を捨てたんですから諦めてほしいです」
「……俺は君の気持ちを優先する。どうしても皇太子妃になるのが嫌だと言うのなら……」
「嫌だと言ってもいいんですか?」
「やめてくれ」
「やっぱり選択肢がないじゃないですか」
何度か繰り返しているこのやり取りに苦笑して文句を言うと、ライリー様は話題を変える。
「とにかく、会場まで来させるのは良いが、君と元婚約者を接触させない」
「そんな事は出来るんですか?」
「出来るに決まってるだろ」
ライリー様はけろりとした顔で言った。
***
「何なのよ、あの女は! 本当に偉そうだわ!」
「お嬢様、落ち着いてくださいませ」
王宮から宿に帰る馬車の中で、カエラは向かいに座っている侍女に持っていた扇を投げつけて叫ぶ。
「わたくしの事を馬鹿にしたのよ! あんな女がライリー殿下の婚約者だなんて……!」
「お嬢様はお美しいのですから、マリアベル様に負けるわけがございません」
扇を投げつけられたにも関わらず、一切、表情を変えないメイドは、冷たい口調で言葉を続ける。
「マリアベル様の元婚約者だけでなく、元妹も使って、彼女を皇太子妃候補の座から引きずり落としましょう」
「そうね、そうよね……! ライリー殿下がわたくしを選んでくだされば、今の婚約者とも婚約解消が出来るわ!」
カエラは瞳を輝かせ、足元に落ちた扇を拾い上げたメイドはそんな彼女を見て口元に笑みを浮かべた。
この時の2人は知らなかった。
エルベルがマリアベルからライリーを奪いたいと思っている事を。
そして、思っている以上にエルベルが賢くない事を。




