第10話 戸惑う白猫と焦る父
「そ、そんな…! 嘘でしょう!?」
エルベルが立ち上がって叫んだと同時に、フィーゴ様が部屋に戻ってきて、ライリー様が元に戻っている姿を見て眉を寄せる。
「もうネタバラシしたんですか。早すぎませんか? 僕もその瞬間を見たかったのに……」
「悪い悪い。あまりにも俺の子供の頃の容姿を悪く言われて、さすがに腹がたったもんでな。どうやら、俺の子供の頃はいかにも頭が悪そうな顔だったらしい」
「なんて事を…」
フィーゴ様はエルベルとお父様の方を睨んで尋ねる。
「どちらがされた発言ですか?」
「そ、それは…、その」
お父様が焦った表情になる。
「シュミル伯爵は何も言っておられません! 逆に褒め称えておられました!」
すると、騎士達がエルベルに頼まれた時に発した言葉をフィーゴ様に向かって叫んだ。
それを聞いたフィーゴ様がエルベルを睨む。
「では、彼女が殿下の悪口を?」
「ち、違います! というか、どうして!? どうしてあなたは私に対して何とも思わないんですか!?」
「何とも思ってない事はないですよ。不敬な女性だと思っています」
「そ、それは…! 私も何も言ってません! ねぇ、そうですよね?」
エルベルが騎士2人に尋ねると、2人がまた叫ぶ。
「はい! シュミル伯爵令嬢は何も言っておられません!」
まるで洗脳されたみたいになっているわね。
ここ最近、エルベルの力は本当に強くなっているみたい。
昔はここまでじゃなかったのに、どうなってるの?
「フィーゴ、俺以外の4人はこう言ってるが、俺が嘘をついてると思うか?」
「思いません。それに本来ならばそんな確認はなくとも皇太子殿下が仰る事であれば、それが真実なのですから」
白いものもライリー様が黒だといえば黒になるという事よね?
実際、そこまで酷い事は仰らないと思うけれど、お父様達を脅す意味合いもあるのなら、これくらい大袈裟に言ってもいいような気がした。
「いや、普段は言ってもらえなかった事をはっきり言ってもらえて助かった。ただ、子供相手にあんな事を言う人間性はどうかと思うがな」
「にゃうー」
申し訳なくてまた、ライリー様の太腿の上で後ろ足だけで立ち上がって謝ると、私を抱き上げて頬を寄せてくれた。
「お前は本当に可愛いな」
「にゃー!」
猫の姿の事を言っているのは理解できますが、そんな事を言われたらドキドキしちゃいます!
そんな私の気持ちなどわかっておられないのか、ライリー様は眩しいくらいの笑顔で私を愛おしそうに見つめてくる。
そりゃあ、猫は可愛いですけども!
「マリアベルが家出をした理由は家出じゃなくて追い出されたのだという事もわかったし、もうこの家には用はないな」
「追い出された…?」
ライリー様の言葉に対して、お父様は聞き返した後、エルベルの方を見る。
「エルベル、皇太子殿下に何とお伝えしたんだ!?」
「そ、それは…あの」
エルベルも自分の失言に気付いて焦る。
「あの、皇太子殿下、本当に追い出したわけではないのです。こちらのエルベルからマリアベルが皇太子殿下に失礼な事をしていたと聞きまして、反省させようと思って、追い出すふりを…」
「では、彼女の言っていたお父様に追い出されたショックで云々という話や彼女の涙は嘘だったと言うのか?」
「それはですね…」
お父様は必死に言い繕おうとしたけれど、ライリー様はきっぱりとはねのける。
「言い訳はいらん! どっちにしても、今、マリアベルがこの家にいないのは確かなんだろう?」
「そ、それは…」
お父様とエルベルは顔を見合わせあった後、立ち上がってライリー様に頭を下げる。
「申し訳ございませんでした!」
「最初からそうやって謝っておくべきだったな」
「何卒、先程までの無礼をお許し下さい!」
お父様は広い場所に出てくると、カーペットに額をつけて謝る。
「マリアベルを差し出す事はできませんが、代わりに妹のエルベルを差し出しますので、どうぞお許しください」
「差し出すという言い方もどうかと思いますがね」
フィーゴ様が不機嫌そうな顔をして言うと、お父様は慌てて首を横に振る。
「もらっていただきたいという意味でございます!」
「皇太子殿下! 私はいつでもあなたの妻になる準備が出来ております!」
エルベルは自分の胸に両手を当てて続ける。
「先日、お会いした時からお慕いしておりました」
「お前が話をしていたのはあいつだぞ?」
ライリー様が白けた顔をしてフィーゴ様を指差す。
フィーゴ様もうんうんと頷きながら言う。
「そうですね。あなたが必死に話しかけていたのは僕ですね」
「えっ!? あ、その、そうでしたわね…。皇太子殿下は子供のお姿でしたものね…」
エルベルの言葉は尻すぼみになっていったけれど、何とか持ち直して明るい表情で言う。
「ぜひ、本当の皇太子殿下の事を教えて下さいませ。お膝の上にいる猫はとても可愛らしいですわね。殿下が昔から飼っておられるのですか?」
「……」
私はもちろんの事、ライリー様もフィーゴ様も呆れた顔でエルベルを見た。
「どうかされましたか?」
「いや。褒めてくれてありがとう。俺の中では世界で一番可愛い猫だ」
ライリー様が長くて細い指で私の顎をかりかりとかいてくれる。
そんな場合ではないのに、気持ち良くてゴロゴロと喉を鳴らしていると、ライリー様が優しく私の体を持ち直して立ち上がる。
「悪いが俺はマリアベルにしか興味がない。君は魅力的なのかもしれないが、俺にはそう映らないし、君は俺の妻になる器ではない。もう帰らせてもらう」
「お、お待ち下さい! マリアベルを必ず見つけ出しますので!」
「別にいらない。俺は俺で探す。大体、お前はマリアベルを追い出したんだろう?」
「そ、それは、その! 違います!」
「何が違うんだ」
ライリー様はやっぱり悪い人だわ。
本人がここにいるとわかっていて平気な顔で探すと言ってしまわれるんだから。
でも、撫でられるのは気持ちいい…。
ライリー様は私の背中を撫でながら、お父様の横を通り過ぎると、また子供の姿に変わった。
屋敷の使用人に怪しまれない為ね。
「帰るぞ、フィーゴ」
「承知いたしました」
フィーゴ様は扉を開けると、廊下で待っていた黒のローブに身を包んだ垂れ目の少年に声を掛ける。
テッカ様は、たしか今、7歳と言っておられたかしら?
彼は忘却魔法の使い手で、記憶の操作も少しの時間だけなら出来るらしい。
ただ、記憶の操作はとても難しいんだそう。
「テッカ、後は頼むよ。出来れば記憶操作を頼む」
「めんどくさいなぁ。失敗するかも」
「まあ、そう言うな。しょうがないから今だけ抱っこさせてやる」
「ちょっと、別にいらないよ」
面倒くさそうにしているテッカ様に、ライリー様が無理矢理私を渡すと、テッカ様は私を両手で抱きかかえると、目を見開いて呟いた。
「これって……」
「というわけで頼む」
「試してみる」
ライリー様に頼まれたテッカ様は、唖然としている騎士2人とお父様達に魔法をかけた。
そして、すぐに終わったのか、私の頭を撫でて言う。
「ありがとうございました」
「???」
不思議に思っていると、ライリー様がテッカ様にお礼を言った後、私を受け取って歩き出す。
そして、私の背中を撫でながら「言うのを忘れていたな」と呟いたので聞いてみる。
「にゃーん?」
これに関しては意味が伝わったみたいで答えてくれる。
「マリアベルを追い出したという事は、もうマリアベルはこの家とは関係がないという事を念押ししておくべきだった」
「……」
そんな事を言われたら、お父様は絶叫するでしょうね。
だって、皇太子殿下に選ばれる様な娘を捨てたんだもの。
***
マリアベル達が帰った後、すぐにゴウクはビークスを呼び出し、彼の顔を見るなり叫んだ。
「皇太子殿下よりも先にマリアベルを見つけるんだ! 先に見つかってしまったら、私がマリアベルと縁を切ろうとした事がわかってしまう! そうなったら…!」
皇太子妃、いや、いつかは皇后になるかもしれないマリアベルを追い出してしまった事により、ゴウクは皇后の父となるはずだった名声を自ら手放してしまった事を悔やんでいた。
(どうして、あの時、エルベルの話を聞いただけで、マリアベルを追い出したんだ? いや、そんな事は今はどうでもいい。まだだ。まだ間に合う。マリアベルを皇太子殿下よりも先に見つけられれば…。謝ればあの子の事だから許してくれるだろう…。生きていてくれよ、マリアベル!)
マリアベルが先程まで目の前にいた事を知らないゴウクは心の中でそう叫んだ。




